いちご狩り蔵王「pretty pretty strawberry picking」「ねえクラウチ、この後時間ある?」
文字通りの五月晴れの空の下、防衛任務明けの王子が負けじと爽やかな微笑を湛えて4センチ上方の柘榴石を捉えた。
選抜試験を終えたばかりで未だ生活リズムを整える為のこの期間、防衛任務も通常より短く設定してくれる上層部の思い遣りに感謝しつつも時間は惜しい。もし遠征部隊に選ばれても、防衛任務を任されても、入学したばかりの大学生活に影響を及ぼすだろうことは明白だろう。
本業を疎かにしないことは大前提だから、プライベートを充実させるのは己次第である。幸い今回の防衛任務はそれほど心身の疲労は無かったため、午後を存分に満喫することはできるはずだった。
橘高は充血させた目を輝かせて「連休明けまで連絡取れないから」と宣言後大荷物と共に速攻帰途についたし、樫尾は両親と祖父母の家に赴くという。「動けるチーム」の名に恥じない王子隊の面々は早々に解散した、その直後の台詞である。
「ああ、特に予定はないが。どうした?」
穏やかに笑んで、蔵内は鉛色のTシャツと銀鼠のカーディガン並びに鉛白のアンクルパンツ、漆黒のローカットスニーカーに身を包んだ王子に問うた。対する蔵内の服装は黒茶の夏用セットアップにVネックインナーと同色の乳白色のデッキシューズだ。ラフ寄りではあるが、大抵のシーンでドレスコードに抵触しないと思われる。流石にこの時間からスマートカジュアル以上のものは求められないだろう。
「ふふっ、良かった。じゃあこれからいちご狩りに行こうよ。ぼく今まで行ったことが無かったんだよね」
「それは構わないが、突然だな」
本部を出て、連絡通路から警戒区域の外れの出口へと向かう。
「以前、影浦隊が広報でコラボしたときのキャラクターが、いちごとセットでゾエくんと撮影してただろう?試験の打ち上げも兼ねて隊でいちご狩りに行ったんだって」
「ああ、あったな。その流れだと発案者は仁礼だろうな」
「ご明察。当然、いちご大好きゾエくんも大乗り気で沢山食べて農園の人が吃驚していたそうだよ」
「でも北添のことだから美味しそうに食べたんだろう。きっと喜ばれたんじゃないか」
「そうだね。カゲくんたちも品種の食べ比べして楽しかったって聞いた」
騒々しくも微笑ましい情景が、容易く思い浮かべられる。
「なるほどな。影浦隊は家族のように仲がいいな」
「同感だね。うちも今度羽矢さんとカシオを誘って行こう。でもぼくは今日、行きたいんだ」
「了解だ」
大学入学と同時に一人暮らしを始めたため、各々の家族に連絡する必要もない。手土産にいちごを持参する際、一報入れれば充分だろう。
いちごの旬は冬だが、連休中には人気のイベントである。それでもどうにかキャンセルされた農園を見つけて予約を入れ、二人はそちらを訪ねるためにバスに乗り込んだ。
窓の外を流れる景色を見やりながら、王子がぽつりと呟く。
「ぼくが幼いころ読んだ絵本に“いちご畑の下に住む、小さなおばあさんの話”があってね。一人でいちごを染めるための染料を作るんだ」
「うん」
王子越しに見える景色を蔵内も眺めながら頷いた。
「例年より早くいちごが成長したのに、材料となる陽光を浴びた水が足りなくて……。それでも何とか他の材料も併せて用意したのに、染め終わったばかりのいちごにまたアクシデントが起こる」
「大変だな」
「結局はハッピーエンドで終わるんだけど、そのページの優しい彩りは今でも思い出せるんだ」
「良いよな、そういうの」
「だから、今日のいちご狩りがどんな思い出になるのか、今から楽しみなんだ」
柔和に頬を緩ませ、淡く煌めく土耳古石。靭さと脆さを溶かしたその瞳に刹那、息を呑む。蔵内が知らず胸を押さえた。
「そうか、俺も楽しみになってきたよ」
愛用の一眼レフを持参できなかったことを、蔵内は少しだけ後悔した。しかし、王子の言うように心に残るものは映像に頼らなくても鮮明に刻まれる。スマートフォンだってある。
柔らかいテノールが零れると同時に目的のバス停に到着したので、二人は席を立った。
受付を済ませると、一棟のビニールハウスに案内される。日差しを通しているからか、屋外より体感気温が高い。スタッフに勧められ、入り口付近のロッカーに上着を預ける。中に入ると、高設ベンチに栽培されているのと各通路を広めにとっている為、子供だけではなく車椅子のシニア層まで無理な体勢にならずに採取できて楽しそうだった。
農園のスタッフから採取の説明を受ける。渡されたチラシには美味しいいちごの見分け方と採取方法並びに注意書きが記されていた。
「ヘタのところまで赤くなっているもので、ヘタそのものが反り返っている」
「つぶつぶ(一見種と見間違えられる、痩果と呼ばれる実の部分)が赤く、実(一般的にそう呼ばれているが、本来は花托と称される部分)から深く窪んでいる」
「大きくて先端が平ら」
「熟しているものを選んだら優しく実を持つ」
「実を上に向けて、ヘタの部分が下になるようにする」
「そのまま下にそっと引っ張ると、茎を傷めずに簡単に摘める」
「そのままでも充分甘いが、味変をするならトレイに練乳とチョコレートソースを入れておく」
「更に他の味変をしたいなら、受付にてあんこやホイップクリーム、クリームチーズを用意しているので購入可能」
オリジナルのいちごのキャラクターに説明させているのが、微笑ましくもありシュールでもある。自分が食べられるための解説を笑顔でしているからだ。
勿論、子供たちに親しみを持ってもらうための工夫であることは理解できるので、王子は視線を投げかけるだけに留めておいたし、蔵内はそれを受け止め正しく理解する。
そして、弓場の有り難さをひっそりと再確認した蔵内だった。
自分たちに宛がわれた通路にていちごを物色しながら、蔵内が思い出したように独り言ちる。
「そう言えば、前に犬飼が”ハート形のいちごを食べると幸せになる”とか言っていたな……」
「へぇ、スミくんらしからぬロマンチックなこと言うね」
チェシャ猫の如く王子の瞳と唇が曲線を描く。蔵内は正しく情報を伝えることで、犬飼の名誉を守ろうとした。
「おい、言ってくれるなよ。本人ではなくお姉さんが読んだ漫画の台詞らしいからな」
「なかなかに薫陶を受けていらっしゃるご様子で」
大仰に腕を組み首肯する王子。右手に持ったトレイの中のチョコレートソースと練乳にさざ波が立った。
二人とも一人っ子故に、姉二人の影響の多大さは想像の範囲外である。コミュニケーションの鬼とも言える犬飼の社交性の高さは明らかにその賜物であろうと思われた。
「何だかんだ言って、姉弟仲は良さそうだけどな」
「そうだね」
友人との会話に家族が頻繁に登場するということは、親密さと比例している。二人の一人っ子はほんの少しだけ、犬飼を羨ましく思ったが、即座に脳内犬飼が全力否定してきたので同時に噴き出した。
「これはどうかな」
手頃ないちごを見つけた王子が優美な指先で摘まんだ。やや温めに感じられる深紅の果実は、充分に甘かった。
「うん、美味しい」
破顔した王子がやや幼く見える。蔵内の双眸が細められた。自分も丸いそれをひとつ食べてみる。
「本当だ、甘くておいしいな」
甘いだけではない。酸味もあり、何より大きい。表面の艶も印象的だ。
「映画で観たいちごとはかなりイメージが違うな」
「へぇ、どんな映画?」
「”現代版『マイ・フェア・レディ』”とも言われる『プリティ・ウーマン』だ」
「ああ、名前だけは聞いたことがあるよ。結構前の映画だよね?」
「そうだな、俺も小学生の時に両親がリビングで観ているのを一緒に観ただけだからうろ覚えだけど、その中で出てきたんだ」
「いちご狩りでもしたのかい?」
映画の主人公たちとはかけ離れた行動を連想して、つい苦笑が零れる。
「ははっ、そうじゃない。フルートグラスでシャンパンを飲むヒロインに、彼女をレディとして育てる主人公がいちごを差し出すんだ。いちごを食べるとシャンパンの味が引き立つ、と」
「それなら、ペリエで代用できそうだね」
「いや、シャンパンが甘味を、いちごが酸味を担っていたから、サイダー辺りが妥当じゃないか?」
訂正しながら、脳裏に蘇る映画のシーン。フルートグラスの中で立ち上る、細やかな泡。ガラスの器に盛られた真っ赤ないちご。それらと共に映し出される、華やかな美貌のヒロイン。
それは、目の前の人物でも何ら遜色なかった。ただ、茶色の金剛石が土耳古石に代わるだけだ。
そして、その方が更に美しい。
鮮明に脳裏に描けるワンシーン。
青年らしいがしなやかな印象を与える指で支えられた、繊細なグラスの中に満たされる黄金色の液体。赤い果実の表面で細やかに揺れる泡。横をすうっと抜けていく泡。絶え間ない変化。
潤される優美な唇。上下する喉仏。漏れる溜息。
きっと、似合うだろうな。
知らず映画のテーマソングをハミングしながらいちごを物色する蔵内。瞠目し二度瞬いた王子が長い睫毛を震わせて、甘美な熱量を持ってそれを眺めやった。
任務明け直後に遂行されたいちご狩りである。
ひとつ食べた途端、二人は遅ればせながら己の空腹を自覚した。暫くは沈黙が場を支配する。
十個を数える頃には流石に味変の必要性を感じた。トレイに置かれた小さなプラカップに満たされたチョコレートソースと練乳に其々つけて食べてみる。
「クラウチ、どっちが良い?」
「どちらも美味しいが、俺は練乳の方が好きだな」
「うん、ぼくも」
「身体が欲している、ということかな」
「どういうこと?」
王子に問われ、いちごに含まれる栄養素の話をする。
先ずは、ビタミンCについて。
いちご約200グラム(10個前後)を摂れば、一日に必要なビタミンC摂取量である100ミリグラムは優に超える。疲労回復効果も期待できる。
また、眼精疲労に効くと言われているアントシアニン(ポリフェノールの一種)も含まれる。
脂質と併せて摂取すると体内への吸収率が上がるので、練乳との相性は抜群である。
「だから、練乳が美味しいと感じることは、自分に必要な栄養素をより摂取しようとする脳からの指令なのかもしれないということだ」
「それなら、チョコにだって脂質やポリフェノールが含まれるじゃないか」
「そうか、確かにその通りだな」
「結局、好みの味ってことじゃない?」
「ははっ、そうだな」
「クラウチのそういうところ、面白いね。ぼくは好きだよ」
艶やかな双眸に射抜かれて、瞬時に熱が上る。
「……! ありがとう……」
「それじゃあ、練乳いちごに乾杯」
「乾杯……」
消え入りそうな声で応じる、外耳をいちごよりも赤く染めた蔵内を満足気に見つめる。そんな視線が気恥ずかしくて、蔵内は練乳をつけた自分のいちごに焦点を当てて、王子のいちごと乾杯した。
いちごを嚥下した王子が、ふと思い出したように呟いた。
「結局、スミくんの言っていたハート形のいちご、見つからなかったね」
「ああ。でも、お前といる時は充分幸せだから、問題ないさ」
「……!! ……っ、なら、ずっと…幸せだ」
今度は白皙の頬に色が乗る。柘榴石の奥に揺らぐ炎が煌めいた。
「二十歳になったら、シャンパンで乾杯しような」
「……王子、了解」
互いの瞳に映し出されるのは、一番大切な人。
今日のいちごの品種はあまおう。
「あかい まるい おおきい うまい」これらの頭文字を繋げたと言われる。
また、「甘いいちごの王様となるように」という願いも込められている。
あかい頬とあまい声、まるい頭、おおきな瞳。そして。
「ここも……うまい、な」
完熟したいちごを完熟した唇にそっと当て、蔵内はそれを自らの口に差し入れた。