飲み会王蔵水「飲んで、絡んで、楽しんで」「やぁ、お待たせ」
三門駅前のオブジェの前で王子が軽く片手を挙げる。それでも約束の時間の五分前である。蔵内は穏やかに笑んで応じた。
「いや、俺たちも今来たところだ」
その傍らに佇む水上は、琥珀色の双眸に温度を宿らせずに補足した。
「蔵っちの“今”は十五分前なんやと」
代赭色の前髪に隠されている眉間に刻まれた皺を視認した土耳古石は、輝きを増して更なる補充を促す。
「で、その間にまた逆ナンされた訳だね。今日は何組?」
「……三組」
軽く眉宇を顰めた蔵内が、声量を抑えて答える。直後、三センチ下に和やかな柘榴色の瞳を向けた。
「でも、すぐ水上が来てくれたから」
「いやいや、その五分間で二組来てんのが既におかしいんやないかい。しかも俺が来てからも猛者が押しかけてきたんやで」
「そこでみずみんぐの嘘弾が炸裂した、と」
「なんで一般人にメテオラ撃たなあかんのや……じゃないわ。蔵っち、何笑てんねん」
「や、相変わらずお前たちの会話は楽しいな」
厚めの唇から控えめに笑声を零す。王子と水上は視線を交差し肩を竦め、ここで手打ちとした。三人は並んで歩き出す。二ヶ月ぶりの揃っての飲みである。各自の軽やかな足音が、心境を代弁していた。
雑多な和風居酒屋の個室に案内される。既にエアコンが効いている為、道中の汗がすぐ気化熱となった。学生時代から襟足の短い蔵内や水上に加え、共にボーダーに就職した王子も後ろ髪を減らして爽やかさを増量させている。そこを軽く手で仰ぎ、更に風を送った。ふぅ、と吐息を落とす。
「二人とも、この店初めてだよね?焼き鳥がどれも美味しいからお薦めだよ」
「お前は来たことあるんか」
「うん。とあるお偉いさんたちとね。“向こう”の人たちの食生活がちょっと心配になるくらい喜んでくれたよ」
現在、王子は外務・営業部に籍を置く。唐沢の下で一般企業・政府・近界へと多岐に渡る相手と交流・交渉に及んでいた。
「こんな砕けた場所でも会食するんだな」
熱いおしぼりで両手と首筋を拭いた蔵内が、掘りごたつ式の座席に座りタブレットのメニューに視線を落とす。その対面に腰を下ろした王子が僅かに声音を潜めた。
「まぁ、その時はぼくらレベルだったから。流石に唐沢さんがいたら違う店にしたよ。でも、ここを薦めてくれたのも唐沢さんなんだけどね」
「へぇ、そうなんや。お姉ちゃん系のお店の方が似合いそうなのに意外やな」
隣の蔵内の手元を覗き込んだ水上が、視線もよこさず王子に告げる。
「そうだね、そういうお店の時もあるよ。会話のプロ同士、なかなかに興味深い世界だったね。ママさん達の手腕は刮目に値すると思う」
「お前も行ったんかい。……俺、その場に居らへんで良かったわ」
「経済版2プラス2相応じゃないか。俺は居たかったな」
「ただ、唐沢さんああ見えてお酒弱いんだよね。勿論、ママさんのフォローもあったけど。その分ぼくが飲ませてもらえたし、美味しかったよ。楽しかったから、今度一緒に行こうよ」
「お前の奢りならな」
タブレットから同時に視線を上げた二人が、口を揃える。それを予測していたように「ふふっ」と声を弾ませて、王子も身を乗り出してメニューをタップした。
久しぶりの会合なので、食べるのは軽めでいいだろう。それよりもゆっくり語らいたい。各ページを開くたびに適当に発注する。串を三の倍数で頼むのは既に不文律となっていたので、誰も言及しなかった。
蔵内はつくね大葉入り塩、鶏ももはタレ。刺身三種盛り。鯛茶漬け。
王子はぼんじり塩、砂肝塩、フグの白子塩。蛍烏賊の沖漬け。焼きおにぎり油味噌。
水上はねぎまタレ、なんこつ塩、春巻き。冷やし稲庭うどんカボスつき。
「日本酒も色々あるよ。どれにする?」
「えっ?蔵っちはゼロビールじゃなくてええんか?」
軽く瞠る一対の琥珀。それを受けた柘榴石が誇らしげに輝いた。
「ああ。いつまでもビールの泡でダウンしていた俺じゃないぞ」
そう言われても、疑惑の視線を向けざるを得ない。水上は成人してからこちら、酒席で最初の一杯を飲みきった蔵内を見たことはないからである。ビールの泡やチューハイ三口が限界だったと認識している。頑張って、ノンアルコールのビールをどうにかグラス一杯飲めるかどうかだ。宅飲みしても、水上の飲むものを少しだけ分けてもらう程度だった。
「みずかみんぐが気にせず飲めるように、頑張ったんだよ。今日はそのお披露目でもあるんだ」
「俺は気にせぇへんって、いつも言うとるやん」
「しかし、支払いも多めに負担してくれるじゃないか」
「そりゃ、俺の方が多く飲んどるから当然やろ」
「はいはい、そこまで。つまり、クラウチがもっと飲めるようになれば解決すると思うんだよね。勿論、無理はさせてないよ。何より、クラウチ本人の希望だから、みずかみんぐにだって文句を言われる筋合いじゃない」
睨めつけられても土耳古石の余裕は一ミリも減らなかった。寧ろ、「やれやれ」とわざとらしく溜息をつかれる。
「……それに、俺だって……。俺だって、水上の酔ったところを見たい」
「…………はぁ?」
ぽつりと零された一言に、水上の反論は発する前に霧散した。隣に座する蔵内が小さく続ける。
「王子が言うんだ。『酔った水上は可愛い』って。そんな水上、俺は見たことない」
「何言うてんねん、このテキトー王子!あんな蔵っち、俺が酔ってもそんな面白ないで。そもそも俺と可愛いという単語が嚙み合わんやろが」
「それこそ何言っているんだ。お前の可愛さは俺が良く知ってる。その俺でも知らない可愛さがあるなら、俺は知りたい」
「だーかーらー、そこまで。飲む前から痴話喧嘩しないでくれる?いい加減にしないと、ぼくが飲む分全額きみたちにつけるよ?」
「それは勘弁してくれ」
「そうやそうや。お前蟒蛇やろが」
「ならさっさと注文しようよ」
「了解だ」
蔵内は樽野川(純米大吟醸清流)を一合。
王子は天狗舞(山廃純米大吟醸45%)を二合。
水上は獺祭(純米大吟醸磨き二割三分)を一合。
漸く、注文が完了した。
暫くして、お通しと日本酒、そして刺身と沖漬けが卓上に並ぶ。
十センチ程のストレート型のグラスになみなみと注がれ、溢れた分は漆塗りの枡が受け止める。涼やかな摺りガラスに黄金色の和小紋が描かれ、蔵内は七宝、王子は雪輪、水上は末広となっていた。王子には更に同じ柄の徳利が添えられていた。
「それでは、今日もおつかれさま」
「おつかれ」
「おつかれさん」
軽く酒器を掲げて互いの労働を労う。一合以下では頼めなかったので、蔵内はガラス製の蛇の目猪口を貰いグラスから移す。残りは王子の前に差し出された。
お通しである茗荷と枝豆の浅漬けに早速箸をつけた水上が、一息にグラスを空ける王子に呆れたように声をかけた。
「相変わらず『上善如水』飲むみたいに飲むなぁ」
「度数的には大差ないよ」
「いや、味も香りもごっつ違うやん」
「確かに、これは綺麗な色だな。香りも華やかだ」
グラスの和小紋と同色に淡く輝くそれは、目を楽しませる。枡からグラスに注いで更に徳利からも追加した。今度は一気に飲まずに、鼻腔と味蕾も時間を取って満喫する。芳醇なのに切れ味が良く、淡麗とも評することも可能な複雑な味わい。常温だと更に米の旨味が増すが、冷やしたそれを味蕾の上で開花させるのが王子は好きだった。ねっとりと濃厚な蛍烏賊の沖漬けを、さっぱりとリセットしてくれる。
運ばれてきた串に手入れされた指先が伸びた。五つ刺さった砂肝のうち、三つまでを直接咥え込み、残りは箸で外す。砂肝の弾力を奥歯で存分に味わった。今度は蔵内から貰った樽野川を口に含む。フルーティな香りが颯爽と鼻腔を抜け、口当たりが柔らかい。名前の通り、清流を彷彿とさせる。度数も十四度なので、日本酒初心者のクラウチにも良いだろう、とした判断は妥当だったようだ。
その蔵内は猪口からちびりと飲む。二度瞬いて、傍らに用意された氷水のジョッキにはまだ触れずに三つとも箸で外したつくねを一つ食べた。それからジョッキを傾ける。その時点で首筋から額にかけて、フラッシング反応が起きていた。
右側の蔵内の変化を視認して、目を細めた水上が器用に口だけでねぎまを一本平らげる。慣れた手つきでグラスを引っかけた。煌びやかな香りなのに口に含むと蜜のような甘味が広がり、それでいて後口はシャープで余韻を残す。万華鏡のように様々な表情で、それでいてミステリアスな雰囲気を纏わせている。この酒のファンが多いのも頷ける。二〇一八年の西日本豪雨で蔵元が被災した際、支援物資や直接片付けを手伝いに来た人も多数いたと報じられていた。
「このお酒、きみにちょっと似ているね」
そう薦めてきた王子の方が似ているやん、と水上は思っている。口が裂けても本人には言えないが、宅飲みした時に蔵内には零したことがある。
対する蔵内の回答は「お前たちが似ているからだな」。くしゃり、と微熱を湛えた手櫛で梳いてきた。
「ほらぁ、おれも…だいぶのめるように、なっただろ……?」
鯛茶漬けを食べ終える頃に漸く猪口の中身が空になった。底に描かれた蛇の目を見せつけるように翳してくる。下手するとゼロ距離射撃になりそうなので、蔵内の右手首を軽く掴んで猪口を卓上に置かせる。柘榴色の虹彩だけでなく、双眸そのものを蕩けさせて紅色に染まった全身がゆらゆらと揺れている。三杯目となった氷水を飲ませようと握らせてもどうにも不安定なので、水上がジョッキを支えてやる。両手で冷たいジョッキを持つ蔵内はゆっくりと飲み終えるとそのままうつ伏せになろうとする。それは既に予測済みだったのだろう、王子が蔵内の場所を確保していた。
「……ね、楽しく日本酒が飲めるようになったんだよ。頑張ったよね」
つん、と旋毛を軽くつついて微笑む王子。蔵内と異なり、淡い桜色を頬に刷いているものの、言動は通常モードであった。徳利は既に五本空けている。
「せやな」
最後の一口を啜って、マイペースに晩酌を終えた水上は二本目の徳利をテーブルの端に寄せた。ふ、と口元を緩ませ額に流れる一房を摘まんでみる。微かに瞼を震わせるが、柘榴色の瞳は現れない。外耳と眼の淵を茜色に浸しながらも、悪酔いはしていない水上だった。
「でも、ぼくはまだ飲み足りないから、うちで飲もうよ」
「……マジか」
「うん。美味しい食後酒があるから一緒に飲もう。クラウチをこのままにしておくのも、可哀想だろう?」
「まぁ、確かにな。ほな、タクシー呼んでもらうか」
「やったね。王子了解」
卓上にある、タブレットの店員呼び出しボタンをタップした。
タクシーで二十分ほど揺られ、王子のマンションに着いた。三人のうちで一番長身且つしっかりとした体躯である蔵内を、二人掛かりで何とか運ぶ。蔵内を王子のベッドに転がして、その所有者は事もなげに肌着以外を剥く。煤竹色のスラックスはハンガーに通し、ベルトと共にシンプルなシルバーのハンガーラックに掛けた。エアコンのスイッチを入れ、寝室から出る。
「靴下とシャツは洗濯かな……」
呟きつつ洗面所に移動する王子。未だ紅色の蔵内の太腿が、水上の脳裏に焼き付いた。知らず嚥下する。敢えて股間に焦点を合わせないが、久しぶりに見る姿に動悸が早まるのを止められる筈もなかった。
「……マジか」
三十分前と同一の台詞を吐いた水上を責めるのは酷だろう。冷蔵庫から出された鮮やかな黄色のボトル。それは、アルコール度数三十八度を誇るリモンチェッロだったからだ。ご丁寧にも共に冷やされた、瑠璃色の江戸切子がリキュールグラスの代わりに二つ添えられている。生ハムとレモンピール、バニラアイスまで出されて、辞退という名の退路は断たれた。
「せめて、ストレートは勘弁して欲しかったなぁ」
「まあまあ、一杯だけでも付き合ってよ。流石にクラウチにはまだ無理だろう?それにこれ、美味しいんだ」
「ほな、二杯目からはソーダ割りで頼むで」
「ありがと、みずかみんぐ」
華やかに笑んだ王子が、いそいそと檸檬色の液体を満たした。
「乾杯」
軽く掲げた酒器を呷る。直後、顔面から首筋、指先までの血管が一気に開いたかと錯覚する。同時に発汗したようだ。圧倒的な檸檬の酸味の後に来る、ほろ苦さとそこに潜む僅かな甘味。リビングのエアコンが体を冷やしてくれなければ逆上せそうだ。
「ーーっ、熱っつぅ……」
鏡を見なくても分かるくらいに自分が赤らんでいる。真夏のカプリ島の外気が涼しく感じる程度には、体温が高まっている。水上は目の前の伊達男を恨みがましく睨んだ。地中海を彷彿とさせる、清涼感に満ちた眼差しで対峙する王子の声は軽やかだった。
「でも、美味しいだろう?」
「そらまぁ、そうやけど……。根付さんや林藤支部長クラスじゃないと、厳しない?俺はソーダ割りで充分や……」
「あはは、アイスにかけるくらいならいけそう?ぼくは紅茶に入れたり、カルパッチョにかけたりもするよ」
「へぇ、そんな楽しみ方もあるんや」
「うん。結構面白いよ」
言われた通りにバニラアイスに少しかけてみる。成程、これなら良い塩梅だ。王子がペリエとロンググラスを出してくれたので、薄めに割った。
二人でちびちびと飲んでいると、蔵内が起きてリビングに来た。髪も乱れ、足取りもまだ不安定だ。
「水要る?」
「ああ、たのむ……」
ぎっ。スプリングが小さく鳴った。
腰を下ろした蔵内は半分寝ぼけているようで、ソファに座っている水上にそのまま寄りかかる。王子が手渡したミネラルウォーターを飲もうとするが、キャップが開けられない。
「みずかみ……あけてくれ」
「なんや、甘えたさんやなぁ」
ふ、と口の端が緩む。キャップを開け、蔵内の唇に飲み口を添えた。こくこくと、拙く飲み下す様子を見守る。そんな水上に和やかな眼差しを向けた王子が解説する。ほぼ等身大のビーズクッションに腰かけたまま、足を組み直した。
「クラウチ、この日の為に二徹してるんだよね。こうなるのは読めてたかな」
「おい、そんな無理させんなや」
「無茶言わないで。ぼくとクラウチの部署が違うの知ってるでしょ。ぼくだって、午前中まで出張だったんだし。それよりも、無理してでもきみに会いたいクラウチの気持ちを、汲んであげてよ」
「…………おん」
しかし、更に続けられた発言には、素直に頷けなかった。
「それにきみだって似たようなものだろう?四日前から今朝まで自宅に帰ってないのだから」
ぴくん、と水上の眉尻が反応する。
「……っ!何故それを……」
蔵内に会うから髭もきちんと剃ってきたし、睡眠も充分とって隈を目立たせないようにしてきた。折角ゆっくりと会えるのだ。要らぬ心配をかけたくはない。水上の胸中を余すことなく把握しているように、土耳古石が射抜いてくる。
「ぼくの情報網を侮ってもらっては困るね」
「何一つ困ってない顔してよう言うわ」
「ふふっ、素面の時のクラウチが聞いたら、喜ぶと思うよ」
そう言われ、ぱちぱちと瞬く。見慣れたとは言え目映いばかりの美貌に甘やかな声音と視線が加わり、うっかりときめいてしまう程度には水上も酔っていた。髪も顔も既に赤いから、頬が更に色濃くなってしまっても気づかれなかったのが、せめてもの救いであった。
蔵内がペットボトルを空にする。それを王子に渡し、とろんとした雰囲気のままふわふわと笑う。髪をわしゃわしゃと両手で掻き混ぜて、水上の存在を満喫する。
頭を抱えるようにしがみつくような体勢でずっと「うれしい、うれしい、あいたかった」と呟く蔵内に、「俺もや」と小さく返す。
「……ぁ」
直後、チェシャ猫よろしく破顔する王子に聞かれていたことに気付く。つい、と目線を逸らす水上を優しく真っ直ぐ見つめて穏やかに告げる。
「可愛いね、みずかみんぐ」
「何言うてんねん。可愛いのは蔵っちだけで充分やろ」
「うん、クラウチも可愛い。可愛いね、きみたち」
「はぁ?」
「そうだ、きみも泊っていきなよ。明日は久しぶりに完全オフなんでしょ?」
だから何故それを……っ!
左の人差し指で王子を糾弾しようとするが、傍らの人物の一言がそれを封じる。
「……ん…、みずかみも、いっしょか……」
うっすら笑う蔵内。完全に体重を預けてきた。僅かに香るアルコール臭、それ以上に馴染みのある体臭が鼻腔に侵入する。いつもより高い体温が、否が応でも久々の交接を想起させる。水上は薄い唇を知らず噛んだ。特等席で一部始終を観覧する王子の唇が弧を描く。
「ほら、クラウチもこう言ってるし」
「…………しゃあない、お世話になりますか。こんな可愛い蔵っちを置いては帰れんしな」
「そうそう。ぼくの毒牙にかかったら、きみずっと後悔するよ」
「自分で言うか」
行き場のなくなった左手で後頭部を掻き毟る。本日何度目か数えるのも煩わしい。琥珀色の双眸が喜色満面の土耳古石を睨みつけた。
「じゃあぼくはエキストラベッドの用意をしてくるよ」
「そんなもんあるんか。リゾートホテルみたいやな」
「そこまで大したものじゃないけどね。キャスター付きの台の上にマットレスを乗せてあるやつだよ。普段はベッド下にしまっておいて、クラウチが泊まる時に使ってる」
「はぁぁあ?なんて⁉」
逆毛立つ勢いで問うても、王子は全く動じない。
「クラウチとのちょっとした飲酒耐性強化プロジェクトがあってね。うちに泊まることもあるんだよ。最初はソファで寝てたけど、疲れが取れてなさそうだから買ったんだ」
瞠目し、大きく息を一つ吐く。掛ける声音が少しだけ柔らかくなった。
「……お前も大概、蔵っちに甘いやん」
逆は屡々指摘されるが、水上をはじめ同輩の間では、王子が元隊員たちに過保護な一面を見せることもよく知られていた。勿論、その旨王子本人も自覚している。
「そりゃあもう。それとも、ぼくと同衾した方が良かったかい?」
それを踏まえての発言である。薔薇と芍薬と鹿子百合を纏めて背景に設置しても負けない程の、豪奢な笑みを湛える。
「んな訳あるかー!」
「でしょ?」
今度は稚い笑顔が咲く。それでいて、保護者のような穏やかな声。
「あははっ。こっち片付ける間にみずかみんぐも洗濯物出しておいて」
「……水上了解」
アルコールとは異なる理由で頭痛を感じた水上は、自らの額を押さえ天井を仰いだ。
水上も蔵内同様、寝室のハンガーに自分のカーキ色のジーンズを干してからTシャツとボクサーパンツのみの姿になってリビングに戻る。ベッドメイキング時に部屋着に着替えた王子は藍色のハーフパンツを穿いてはいたが、上半身は銀鼠色のVネックのノースリーブだった。優美な顔面からはやや思い及びにくい、靭やかな上腕部が覗く。
「パジャマもあるけど、要る?」
二人に声をかけるが、返事は共に否だった。許容量を超えたアルコールが分解されるまでは、体温が籠るのを避けたいのだろう。再度、ヒュプノスに抱かれつつあった蔵内を両脇から支え、ソファから寝室へと移動した。
ぎしり。三人がエキストラベッドに乗ると、スプリングが悲鳴を上げる。
蔵内を中心に、入口側に王子が、メインベッド側に水上が横向きに倒れ込む。水上を抱き枕としたいのだろう、蔵内が両腕と左足を絡めてくる。更にその背後から半身を起こした王子が水上の耳朶を擽ってきた。違和感なく弄ってくるので、水上の反応が一拍遅れる。
「……っ、なんでお前まで迫ってくるねん!」
「だって、ぼくだよ?可愛くて面白いきみたちが目の前にいるのが悪い。大丈夫、クラウチが怒るようなことはしないから」
「は?そういう問題か?それに、全部お膳立てしたお前が言うんか」
「うん」
電球色のベッドライトを受けて、それを凌駕する笑顔が輝く。くすくすと、鈴を転がすような声が溢れる。そこには多少ならざる湿度が潜んでいた。欠伸をしてうっすらと涙を浮かべた蔵内が、厚い上唇の端をぺろり、と舐めた。
「……ありがとう王子。流石のマネジメント力だな」
リビングでの姿とは一転、言葉と瞳に力強さが漲っている。最短距離で拝んだ水上は、全身の毛が逆立った。
「く、蔵っち⁉」
ブルータスもとい蔵っち、お前もか……!
「……俺、いつの間にカエサルになったんや……」
細く吐息を落とした水上の首筋を、ねっとりとなぞりながら王子が笑う。
「ふふっ、ぼくのクラウチを舐めないでよね」
「誰が誰のものやって!?」
「……俺は、俺のもの。だけど、水上も、水上のものだけど、俺のものだ……」
熱っぽく見つめながら、頬を擦り寄せてくる。
かっと血が上る。
恥ずかしい。
普段は完璧に隠せているこの動揺を見せたくない。
顔を逸らしたい。
だが、それは叶わなかった。なんとか攻撃して形勢を立て直したかった。
「な、なんやこの酔っぱらいジャイアニズム」
「じゃあ、クラウチはクラウチのものだけど、ぼくのものでもある、ということだね」
即座に王子の援護射撃が入る。無論、蔵内の陣営として、だ。
「あかん、ジャイアンが増えた」
「ついでにみずかみんぐはみずかみんぐのものだけど、クラウチのものでもあるから、結局はぼくのものでもある、という訳だ」
「訳だ、やないやろ……この詭弁プリンス」
最上級の淫魔に対峙した無力な人間とは、このような心情なのだろう。未踏の世界に一歩踏み出す恐怖と期待に、小さく水上の喉仏が上下する。
「まあまあ、水上。王子が酔ったお前を見せてくれるって約束してくれたんだ。じっくり検分させてくれ」
腰骨をしっかり捉え、中心を摺り寄せる。
どくん。
既に熱く兆し始めていたそれを布越しに感じたらもう、僅かに残った自制心が脆く砕ける音が聞こえたーーような気がした。