俺の友達 芹沢からメールが来たのは、やっと冬が終わったと思った日の朝だった。
『お久しぶりです。芹沢です。
ショウ君、元気にしているかな。返事が遅くなってごめん。
俺は今、霊幻さんの事務所に勤めています。
爪にいたときとは全然やることが違って、最近になってやっと慣れてきました。
ショウ君にはずっと連絡をしたいと思っていました。
なぜなら、あのとき社長の一番近くに俺がいたのに、止められなかったことを後悔していたからです。
引きこもっていた俺を社長が外に連れ出してくれて、俺は爪で社員をやっていたつもりでした。
自立する準備をしながら社長の元で働いているのだと思っていました。
その認識は間違っていたのだと、霊幻さんの事務所で働き始めて気づきました。
爪にはたくさんの同じ超能力を持った仲間はいたけど、あそこは閉じた世界でした。
あのときの俺は社会の一員ではなく、社長の世界の一員だったのだと思います。
ショウ君はあそこが社長の世界だと気づいていたから、抜け出そうとしていたんだね。
社長の世界から抜け出そうとして、殴られているのをただ見ているだけだった俺は、君の勇気に気づいてなかった。
いや、気づきたくなかったのだと思います。
君の意見を支持することは、社長の世界の中にいた俺を否定することだったから。
あのとき、社長を止められなくて本当にごめんなさい。
今になってようやく俺は社会の一員になれた気がします。
でも、まだ知らないこともたくさんあって、霊幻さんや茂夫くんに教えてもらうことも多いです。
だから今年から学校にも通おうと決めました。
本当は小学校から通い直したかったけど、ちょうど良いところが見つからなかったので中学から通います。
ショウ君の一年後輩だね。
また、会えたらいいなと思っています。気が向いたら返事をください。 芹沢』
メールの内容はともかく、遅ぇというのが真っ先に浮かんだ感想だった。
芹沢が律の兄、影山茂夫の師匠である霊幻の事務所で働いているのは、律から聞いていた。それも去年の話だ。
年が明けて、あの事件から季節が一つ過ぎようとしていた。大人と子どもの時間感覚が違うとはいえ、その間に将の身の上に起こった出来事が多すぎた。
長い長い四ヶ月だった。
将の父親である鈴木統一郎が逮捕されて組織は解体された。組織の資金源になっていた枝葉の宗教組織は残存はしているものの、公安の厳重な監視下に置かれることになった。
関与した爪のメンバーは、政府が存在を認めていない超能力者ということもあり、マスコミからの追及もなく、主犯の統一郎以外は運良く罪を免れていた。
通常であれば加害者家族となる将も、その災禍から免れた一人だった。だが、今も平凡に過ごせているのは父親と離婚していた母親によるところが大きい。統一郎の財産が警察に差し押さえられ、児童相談所に連れて行かれるとなったときに母親が身元を引き受けてくれたのだ。
将は母親の苗字を名乗ることもできたが、そうしなかった。統一郎が家族の中で、父親として帰る場所がなくなるような気がしたからだ。母親も反対はせずに、将の意思を尊重してくれていた。
母親に引き取られてからも、東尾と大月、福田とは連絡を取り合っていた。5超の全員にも連絡をしてみたが、峯岸と柴田以外から返事は来なかった。芹沢もその中の一人だった。
将から見た芹沢は統一郎の信奉者だったが、悪い奴ではなかった。排他的だった5超の中では比較的マシな奴だった。素直だったし、自分が統一郎に殴られていたときは辛そうな顔をしていた。優しい奴だった。いつか話が通じるのではないかと期待していたから、付かず離れずを保っていた。結局、最後まで腹を割って話し合うことはできなかったが。
だから、返信を期待はしていなかった。来たことに驚いたぐらいだ。すぐに律に相談した。
『芹沢から連絡きたんだけど、お前のアニキから何か聞いてないか?』
普段より早く返事が来た。
『兄さんにも相談してたから知ってたよ』
『俺にも教えてくれよ』
『聞かれないことを教えたりしないよ』
それはそうだ。そもそも律は人に対して関心がないタイプだった。例外は兄だけである。
『そうだな、ごめん。ところで空いてる日あったら一緒に遊ばねぇ?』
返信リレーはそこで途切れた。律からの返事を待つ間、将は考える。メールの文面を読み返して、最後の一文にようやく気がついた。会えたらいいと言ってるなら、直接会えばいいのだ。
そうと決まれば行動あるのみだ。返信画面を開いて、一文だけ書いてメールを送信した。
昼の調味市の駅前のファストフード店は、土曜日ということもあって混み合っていた。晴れていて、少し雲が見えるが一日快晴だとニュースでは言っていた。
日差しと人口密度で温まった店内は、ジャケットを着ていると蒸し暑い。窓際の二階席を何とか確保して、将は芹沢を待った。
数日前に将が送ったメールは『今週の土曜日はどう?』というものだった。一時間後、『大丈夫です』と来たので、待ち合わせ時間と場所を決めた。
調味市に訪れたのは先月ぶりだった。過去に二度、ここは大規模な人的な災害に見舞われたが、その爪痕はどこにも残っていない。もしかしたら見えない部分には残っているのかもしれない。今は休日には人出があって賑わう、将の住んでいる場所と変わらないように見えていた。
「あ、ショウくん。遅れてごめん」
「……ん?」
話しかけて来たのはトレイを両手に持ったスーツを着たビジネスマン風の男性だった。見覚えのない男性に対し、思いっきり怪訝な顔をすると、男性はショックを受けたようだったが、自分の頭を掻いたときに何かに気がついたようだった。
「あ、そうか、髪切ったもんなぁ。芹沢だよ、ショウくん」
「芹沢ぁ?」
記憶の中の芹沢と別人になった姿に声も裏返る。唖然としていると照れた笑いを浮かべて、目の前の椅子を引いて芹沢が腰を下ろした。
「うん、久しぶり」
「芹沢、アンタ本当に社会人になったんだな」
メールの内容を疑っていたわけではないが、将の考える以上に芹沢は変わっていた。
将の反応に対して徐々に苦笑いが混ざり、トレイに乗っていた飲み物を芹沢が所在なさそうに口に運ぶ。
「ははは、メールの返事をくれてありがとう。遅くなってごめんね」
「それはもういいから。元気にやってるみたいで良かった。っていうかアンタが事務所で働いてるのも律から聞いてたんだけどな」
「え、そうだったの?」
素直に驚かれると優越感が込み上げた。ふふんと得意げに笑って、自分のトレイに乗っているナゲットをつまむ。口の中に広がるバーベキュー味を頬張りながら、繁々と芹沢を眺める。芹沢とふと目が合った。優しい目はどこか母親に似ていると思った。
「ショウくんが元気そうで良かったよ。今でも爪のみんなとは連絡を取ってるの?」
「5超だと柴田と峯岸は返事くれたからやりとりしてるよ。あと他にも何人かいるけど。芹沢は?」
「峯岸くんの働いてる花屋さんには行ったことがあるよ」
「それより、芹沢の話をしてくれよ。律のアニキの師匠のところでどんな仕事してるんだ?」
回りくどいことは好きではなかった。単刀直入に聞くと、芹沢はぽつぽつと語り始めた。
律のアニキの師匠、もとい霊幻の開いた事務所は、霊とか相談所という心霊現象の相談を受けて除霊したり調査することを仕事にしているという。実際のところ、心霊現象以外の体の不調をマッサージで治したり、不調にある人間の手伝いをしたりする何でも屋でもあるのだという。
前に律からは、霊幻は詐欺師だと聞かされていた。
芹沢の話を聞いて、律の端的な説明にも納得が行った。心霊現象でもないことを心霊現象と言い切るというのはなるほど、確かに詐欺師だと思う反面、芹沢から聞かされる話の内容では、どうしてもそれが悪いことのようには思えなかった。
「霊幻さんって悪霊に効かないって分かってるのに塩を撒くんだよね。掃除が大変だからやめて欲しいなって思うけど」
「芹沢はさ、間違いに気がついたって言ってたけど、どうやって気づいたんだ?」
個人的な愚痴が混ざってきた芹沢の近況に耳を傾けながら、将はオレンジジュースを一口飲んで質問した。
唐突な話題の切り替えにも不快な色を浮かべずに、芹沢が口元に手を当てる。見たことのない仕草だと思っていると、彼が口を開いた。
「俺の能力が人の役に立つんだっていうのは、霊幻さんのところで働いて初めて知ったんだ。依頼者の人の肩に乗ってる幽霊を除霊したり、壊れたエアコンの修理を手伝ったりしてたら、感謝されてさ。霊幻さんが、超能力は使い方次第で人を幸せにするし不幸にもするんだって教えてくれたんだ。自分の能力を人のために使えば、人も幸せにできるし自分も幸せになれるんだよって」
霊幻の言葉をなぞるときの芹沢の表情もまた、見たことのない穏やかなものだった。将の知っている芹沢とは別人だ。
「……ふうん」
「それを聞いて、社長のところにいるときは、俺、自分のことしか見えてなかったなって思ってさ。俺が居場所を失わないために社長の役に立ちたいとか、力を使って人よりも凄いことをしたいとか、人のために使うってことを考えたことがなかった。……社長も自分のためにしか能力を使ってなかったし、5超の皆もそうだった。でも、自分のために自分の力を使ってるだけじゃ幸せにはならないんだって気づいた。間違ってたんだなって思ったよ」
「……実はさ」
将は、茂夫を止めようとしたときに統一郎と再会したことを告げた。一緒に戦ったこと、そして勝てずに逃げたことまで一部始終を。
芹沢は驚いていた。当然である。このことはヨシフには口止めされていたが、バレたところで将は制裁される立場でもないし、今の芹沢が統一郎を取り戻すことはないと確信していた。
案の定、話を聞き終えた芹沢は動揺することなく、冷静に受け止めていた。むしろ嬉しそうな顔をしていたのは予想外だったが。
「そうか……社長は今は人のために超能力を使っているんだね。茂夫君のことも止めようとしてくれてありがとう」
「仕方なくだけどな。超能力は使いようによっては人を幸せにするし不幸にもするっていうのは真実だと思うよ。でも、幸せにできるっていうのはまだ、分かんねぇっていうか、俺はまだ自分のことしか考えられないから……もう力は使わないことに決めたんだ」
「え、そうなの?」
「使わなくたって生活はできるし、不便はねぇから」
全く不便がない、とは言い切れないが、使い続けた末路を見ていると、便利であっても使わないに越したことはないと思ったのは確かだ。統一郎にせよ茂夫にせよ、反面教師がいたお陰である。
「……凄いなぁ、ショウ君は自分のことをちゃんと理解してるんだ。茂夫君たちも仕事以外じゃ使わないんだよね」
「霊幻って人が言ってるのは、多分正しいと思う。上手く使えてるんなら良いんじゃねぇか? それに芹沢はそれで仕事してるなら使わずに済むって訳にはいかねぇだろうし」
「うん、……俺は今度こそ、間違えずに力を使いたい。霊幻さんの役に立ちたいとか、自分の居場所をなくさないためっていうのはあるんだけど、えっと自分のためだけじゃなくて、人のためにやってたら結局自分のためになってるっていう……」
もどかしそうに言葉に詰まる芹沢の顔がだんだんと赤くなっていく。あ、と思った。この顔は知っている。将の記憶の中にいる“芹沢”だ。
ようやく知っている芹沢に出会えたことで懐かしさが込み上げる。今までの知らない人間と自分達の知っている話をしているような違和感が解けていって、ようやく見つけた彼の面影に対面できた気がした。
「あー、情けは人の為ならずってやつ?」
「それ! 霊幻さんにも教えてもらったのになぁ」
肩を落とす芹沢に思わず笑った。やがて、将につられたように芹沢が笑う。
「学校で勉強すれば嫌でも覚えさせられるから、テストもあるし」
「うん、そうだね。頑張らないと。あのさ、ショウ君。……また会えるかい?」
「もちろん。勉強も見てやる……ってのは難しいけど、一年のときのノートとか教科書貸すし」
芹沢が熱心に耳を傾ける姿に、将は嬉しくなる。やっぱり、芹沢は悪い奴ではなかった。同じ目線に立って、分け隔てなく接してくれる。
「ってことで、これからもよろしくな、芹沢」
「こちらこそ。よろしく、ショウ君」
将が片手を差し出すと、芹沢が握り返す。これまでの芹沢の面影を残す、しっかりと背筋を伸ばした芹沢と目を合わせた。
やっと、自分は彼と友達になれたのだと思った。