Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    御旅屋 司企

    @Noatym_11

    ふぇです。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 15

    御旅屋 司企

    ☆quiet follow

    けむらべ小話🧹
    年越しをする話

    年の瀬今、私達は仲良く横に並んで座っている。

    下には背もたれのない、体重をかける度にギィ、と苦しげな声を上げる丸椅子。上には私達から空を隠すかのように覆われた、これまた簡素な折り畳み式の屋根と、今時見かけることも少なくなってきた白熱電球。

    そして目の前の長机には、不規則に揺れる白い湯気を携えた2つの椀。

    当初の予定であれば、目の前にある椀は2つではなく1つのはずであった。それが、何と不思議なことであろう。実際の数は間違いなく2つだ。何故か、と問われれば、何も私が2つ頼んだというわけではなく。

    「きたきた!冷めちゃわないうちに早く頂いちゃいましょ!えーっと、お箸は」

    「ここですよ。割り箸」

    「あら、ありがとう!喰笑ちゃんってこういう時気が利くわよね」

    「はぁ、そうでしょうか」

    隣で、今の時間帯に合わない楽しげな声を上げながら、綺麗に割り箸を割る男性。皐月楓。現在の職場である「オクタヴィア社」の社員にして先輩。関係は良好だが、わざわざプライベートで、それもこんな日時に飯を共にするほどではない。

    では何故こんなことになっているのか。それを知るには少し時を遡る必要がある。


    年末。時刻は夜9時を過ぎた頃。

    前職では休日は不定期どころか、そもそも休日というものが存在していないような場所だった。しかし、現職は随分とお優しいらしい。全員がそう、ということはないだろうが、今日は珍しく仕事が休みであった。長期休暇と呼べるほどのものではないが、こうして年末年始をゆっくりと過ごせる日が来るとは。

    とはいえ。

    (……何も、することがない)

    必要最低限の家具しか置かれていない、牢屋かと見間違うほどの殺風景な部屋。その角で、壁に背をつけ床に座っているのが現在の私。何をしているのかと言われれば、見ての通り何もしていない。

    元から、趣味と呼べるものは何も無い。そういったことに使う時間も余裕も無かったのだから、仕方ないだろう。あの頃は一瞬でも気を抜けば、次の瞬間には息が止まっているような空間だったのだから。

    しかし、まさか転職し、劣悪な環境から逃れた後も何の趣味もできないとは予想外だった。時間と余裕を手に入れれば、自然とやりたい事が見つかるものだと思っていたのだが……想像していたよりも、私の人生に対する興味の無さは筋金入りらしい。

    せっかくの年末年始だというのに、こうして何もせずに時が過ぎるのを待つ。うぅん、なんと実に無駄で生産性のない無価値な休暇。やることもやりたいこともないのだから、どうしようもないのだが。

    と、そこまでぼんやりとしていたところで、ふと思いついた。年末年始。そう、今は年末だ。1年の終わり。確か、世間ではこの時期に年越し蕎麦なるものを食すという。仕事帰りによく寄る、人気のない公園の片隅で店を構えるラーメン屋の店主のおっちゃんから、そう教わった。店主のおっちゃん曰く、年末はあの店でも蕎麦を出すのだとか。あの店、麺なら何でもいけるのだろうか。

    視線をつい、と上に向ける。壁にかけられた時計の短い針は、9の数字に被さっている。午後9時。そういえば、まだ夕飯を済ませていない。食べていないことを思い出すと、途端に空腹が顔を出し始める。蕎麦、蕎麦か。日頃好んで食べるものではないが、私も「普通」の世界に足を踏み入れたのだ。世間様に合わせて、偶には行事ものを食すのも悪くないかもしれない。

    珍しくやりたいことが浮かんだのだから、善は急げ。壁から背を離して立ち上がり、軽く伸びをする。固まった背筋が伸びる感覚。痛いような気持ちいいような妙な感覚。棚の上に無造作に置かれた財布を掴み、同じく適当な場所に雑にかけられた上着を肩にかける。向かうは行きつけの店。うん、実に休日らしい過ごし方だ。ようやく「普通」の生活を送れそうな予感に、少しばかりの高揚感を覚えながら、冷えたドアノブに手を伸ばした。


    「あら!喰笑ちゃん奇遇ね!まさかこんな所でバッタリ出会うなんて、まさに運命ってやつかしら?」

    「…………」

    外へ出て数分後、私はある男性に捕まっていた。オクタヴィア社の先輩社員、皐月楓。仕事着なところを見るに、仕事帰りといったところか。どうやら私は休みでも、彼は休みではなかったらしい。少しばかり気まずさを感じるが、休日とは何もサボりではなく労働者の正当な権利なのだから気にしないことにしよう。

    「えぇと……はい、奇遇ですね。お疲れ様です。楓さんは仕事中ですか?」

    「さっきまでね。今日は直帰なのよ。もーお腹ペコペコ!さっきお掃除したビットちゃんがね、オムライスみたいな姿をしてたの。こんな時間に飯テロよね!思わずビットちゃんを食べちゃいたくなったわ!」

    「それはいつものことでは……いえ、何でもないです」

    ビットを食すなど、食事前の者に言わないでもらいたい。これまで非人道的な行為に手を染めてきた自覚はあるが、食に関してはまだ人間の範疇にいるという自負はある。

    それにしても、こんな時間まで仕事とは大変なことだ。内容が内容なために、間食を取る暇も取れなかったのだろう。さっさと会話を切り上げて、早く帰らせてあげるとしよう。そんなことを考えていると、今度は楓さんの方から問いかけが投げられた。

    「喰笑ちゃんは今日お休みよね?こんな時間に、どこかにお出掛け?それとも出掛けた帰りかしら」

    「あぁ、私は今から飯を……あっ」

    しまった、と思った時には遅かった。今、楓さんは直帰中で腹を空かせている。私はといえば、今から飯を食いに行くところ。そして極めつけに、楓さんは私とは違い社交性が高く、誰かと何かを共にするのが好きだ。

    「いいわねご飯!喰笑ちゃん、1人で行くの?最近お茶もしてないし、他に人がいないなら私もいいかしら?」

    「え、その……まぁ構いませんが」

    先程まで1人で食べに行く気満々だったせいで、戸惑いはある。だが、何も断る理由もない。あの店はいつ潰れてもおかしくないほどに人がいないし、席がないということもないだろうし……まぁ、いいか。せっかくの年末なのだから。


    回想終了。そして現在に至る、というわけである。

    「んんー、お出汁が美味しい!疲れた体に染み渡るわ……」

    「ラーメン以外も作れたんですね」

    『珍しく友人連れてきたかと思えば、あんたは相変わらず直球だな』

    視界の端で楓さんが麺と汁を交互に楽しみながら、深く息を吐いたり頬を緩ませたりと忙しなく動く。そんな中、私はといえばこのラーメン屋のおっちゃんが本当にラーメン以外も作れたことに感心していた。こういう店はラーメン一筋かと思っていたのだが、多様性の時代ということか。

    「なぁに、喰笑ちゃんお店の人と仲良しなの?」

    一息ついた楓さんがこちらを向く。温かい蕎麦で体温が上がったのか、漏れる息が椀から昇る湯気のように白い。

    「仲良しといいますか、よく来ているので最早知り合いといいますか」

    『そうそう、最初は驚いたもんだよ。なんせ全身真っ赤に染めてー』

    「おっちゃん、ストップ。それ以上はまた別の機会に」

    飯の時にそういう話はするものではない、はず。人差し指を口元へ持っていき、店主のおっちゃんにそのお喋りな口を止めるよう促す。流石はそれなりの付き合い、おっちゃんは悪びれなく「すまんすまん、今は堅気だったな」と軽く笑って奥へと引っ込んでいった。

    「今の真っ赤って」

    「何でもないです。はい、何でもないですよ」

    残っていた麺を啜りきり、椀を両手で支えて澄んだ液体を喉奥へと流し込む。思っていたよりいい味だった。偶には蕎麦も悪くないかもしれない。

    「ご馳走様でした!」

    「ご馳走様です」

    2人揃って割り箸を置き、会計を済ませる。店を後にし暗がりの中へ身を投じた時には、既に時刻は夜10時近くになっていた。遅くなってしまったが、早く帰ったからと何をするでもないし、まぁいいだろう。

    「今日は急だったけれどありがとうね」

    横から声が聞こえる。顔を向けると、その先には満足げに笑う楓さんの顔。そうだった、今日は1人ではなかったのだった。年の瀬に誰かと過ごすなど、そんな「普通」は私とは縁のないことだと思っていたのに。「普通」とは、案外その辺りに転がっているものなのかもしれない。

    「……いえ、こちらこそありがとうございました。それでは、えぇと……良いお年を。楓さん」

    「えぇ!良いお年を!」

    段々小さくなっていく影。じわりと広がる静寂。また来年も、こんな経験ができるのだろうか。

    (生きてさえいれば。……生きてさえ、いれば)

    そう、生きてさえいれば、何度だってできるはずだ。だからと今更この世に期待できるわけでもないが、年の瀬の今くらいは、こんなことを願ってしまったって構わないだろう。


    来年も、良い年になりますように。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😍😍
    Let's send reactions!
    Replies from the creator