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    85_yako_p

    カプ入り乱れの雑多です。
    昔の話は解釈違いも記念にあげてます。
    作品全部に捏造があると思ってください。

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    タケルと漣が星を見に行く話。(2018/09/06)

    ##牙崎漣
    ##大河タケル
    ##カプなし

    ミッドナイト・スタァライト「燃えるお星様の味がする」
    そう言って手渡された宵闇色の液体。喉を燃やし胃に火を灯す、あの味をすっかり忘れていた。

    ***

    あの味を思い出したのは二十歳の誕生日だった。
    12月の冷えた空気の中を歩いて歩いて、男道ラーメンへのいつもの道を少し外れた所にあるオシャレな外観の店に着いた日。
    その日は俺の誕生日だったから、てっきりお祝いは男道ラーメンでやるのだと思っていた。俺たちの間には三年の月日が流れていた。だから俺は、誕生日という日が彼らの手で華やかに彩られることになんの疑いも持っていなかった。
    カラコロとベルが鳴るドアを開けて入った店内は、陽気な笑い声で満ちていた。円城寺さんが、人数を聞いてきた店員に予約していた円成寺だと告げる。それを聞いた店員は笑顔で俺たちを円形のテーブルへ案内した。
    ここはいろんな酒があって、どれもうまいんだ。そう円城寺さんは笑う。
    「ずっと、こうやって3人で飲んでみたかったんだ」
    タケルが二十歳になるまで待っていたと、そう言って渡されたメニューには馴染みのないカタカナがたくさん並んでいた。ぺらりと捲ると今度は漢字がいっぱい並んでいて、どうしていいのかわからなくなってしまう。円城寺さんが横からメニューをのぞき込んで、これが飲みやすいだとかこっちはクセがあるだとかを教えてくれた。酒にこんなに種類があることを俺は知らなかった。
    「漣はどうする?」
    「……チビも酒、飲むのか?」
    「あ、ああ」
    「じゃあ梅酒」
    ロックで、と。メニューも見ずにコイツが言った。そっか、こいつは俺より一年早く酒が飲めるようになってたんだっけ。当たり前のことに今更気がつく。こいつがアルコールを飲むのを初めて見る気がする。そんなことを考えた。
    結局よくわからないので、円城寺さんに何か飲みやすいものを適当に頼んでもらうことにした。注文をして、しばらくして、お待たせしましたの言葉と共に運ばれてきた酒は底の方が淡い紅色をしていて、何となくキレイだと思ったのを覚えている。
    乾杯をして、酒を飲んだ。確かに飲みやすかったが、少しだけ甘いとも思った。円城寺さんが感想を聞いてきたのでそれを素直に伝えると、じゃあ次はこの辺を飲んでみるといいかもな、と言われる。自分の酒の強さはわからなかったが、もっと色々飲んでみたいと純粋に興味がわいていた。男道ラーメンにはビールしかないからなぁ、とメニューを見ながら円城寺さんが言った。ビールも飲んでみたいと思ったので次はビールを飲んでみようと思った。
    運ばれてきた料理を食べて、話して、プレゼントをもらって、礼を言って、また話して。そうやって過ごした時間で結構な量の酒を飲んだ。
    最初は少し心配そうに様子を見ていた円城寺さんも、一時間ほどで俺が飲める方だと判断したらしい。途中から俺にあわせてペースがあがっていた。
    「タケルは酒、強いんだな」
    円城寺さんは少しだけ頬が朱に染まっていた。自分も頬に血液が集まっている感覚があったから、俺にもそれくらいの変化はあるのかもしれない。でも、酒をだいぶ飲んだにしては自分自身に変化は感じられなかった。きっと、強い方なんだろう。
    「……オレ様のが……つえーし……」
    対して、コイツは耳まで真っ赤になっていた。俺から見ても、酒が弱いことが一目でわかった。途中から円城寺さんが酒ではなく水やジュースを飲ませていたのに、少し眠そうな様子でぼんやりとしている。酒、弱いんだな。思ったけど口には出さなかった。きっと、面倒なことになるに決まってるから。
    酒を飲むときは、水をいっぱい飲むといいらしい。円城寺さんが教えてくれた。だから俺も水を意識して飲んでいたが、後半からは酒ばかり飲んでいた気がする。それでも水ばかり飲んでいたアイツのほうが、きっと酔っていた。自分の目は見えないからわからないけど、アイツの目はとろりと揺れていた。
    突然、店が暗くなって少し驚いた。光源はぼんやりと灯る炎だけで、それはだんだんとこちらにやってくる。
    誕生日のケーキだ。店員が歌うハッピーバースデーの歌で理解した。テーブルにケーキが運ばれて、ロウソクを吹き消すと店中から拍手が聞こえた。ロウソクの火を吹き消す前、俺は何故だろうか、眠そうなコイツがめんどくさそうに手を二回だけ叩くのを眺めていた。薄暗闇で、こいつの口が"おめでとう"と動くのを見た。
    店内が元通り明るくなって、チョコレートでメッセージが書かれたケーキを食べる時になって、俺のグラスが空になっていることに気がついた円城寺さんがメニューを手渡してきた。気に入った酒の名前はぼんやりと覚えた。でも、今日はとにかくいろんな酒を飲んでみたかった。
    「そういえば、ワインってまだ飲んでないな」
    「ワインもいってみるか?この辺だな」
    指し示された紙面。赤とか白とかロゼだとか、馴染みのない言葉が並んでいる。その中でふと目にした言葉を読み上げた。
    「……ホットサングリア?」
    「果物とか砂糖を入れて、飲みやすくしたワインだな。それの温かいやつ。タケルにはちょっと甘いかもしれないけど、飲みやすくていいと思うぞ」
    ならば、とそれをオーダーする。円城寺さんとアイツも同じものを頼んだ。アイツがまた酒を頼んだので、円城寺さんが一緒に水をオーダーした。
    しばらくしたらコロリとしたグラスにたゆたう、紫色の液体が運ばれてきた。
    丸みを帯びた耐熱ガラスに液体と、少し紫に染まった果物が入っている。口をつけるとなんだか懐かしい味がした。記憶を辿って、心当たりが一つ浮かんだ。
    「ん、これ……」
    「どうした?タケル」
    「あ、いや。……飲みやすいな、って思って」
    とっさに思ったこととは別のことを言った。だって、俺は今日二十歳になったばっかりで、酒なんて飲んだことがないはずだから。
    それに、言ってたんだ。ナイショだって。燃えるお星様の味。
    おぼろげな記憶と味を、今だけはケーキのクリームで塗りつぶして、ちらりとアイツのほうを見た。
    ホットサングリアの果物、薄紫に染まったオレンジが咀嚼されて、喉を通る様がじり、と脳裏に焼き付いた。

    ***

    サングリアで思い出した記憶。それはもう十数年も前の記憶だ。親はいなかったけど、妹がいて、弟がいて、みんながいた。施設は俺たちのお城だった。
    それは星のきれいな夜だった。星を見たから覚えている。肌を刺すような寒さだって覚えてる。きっと、季節は冬だった。
    トイレに行った帰り道、俺は1人で廊下を歩いていた。夜の廊下を1人で歩くのはひさしぶりだった。普段はだいたい、妹か弟の付き添いだったから。
    廊下の窓に動く影を見て、ビクリと体を凍らせた。正直、おばけかと思ったから怖かった。アイツらにはおばけなんていないって言い聞かせていたけど、俺もあの頃は心のどっかでおばけはいるって思ってたから。
    影はすぐに人の形になった。栗色の髪。月明かりに浮かぶ大きな眼鏡。人影は先生だった。
    先生。背が高くて優しくて、少し変わった人だった。はじめて挨拶をしたのは春だった。ここに来る前は小学校の教員をやっていたと自己紹介をしたので、すぐにあだ名は"先生"になった。先生、と呼ぶと柔らかく微笑むところと、どんな質問にも答えてくれるところが好きだった。
    先生は近寄ってきて、窓ガラスをコンコン、と叩いた。鍵のところを指で指す仕草をしていたので、鍵をあける。
    窓をあけると、冷たい風が入ってきた。先生はいつもみたいに笑っていた。
    「こんばんは、タケルくん」
    「先生、何してるの?」
    「先生?先生はね、星を見ようと思ったんだ」
    すっと、先生が手を伸ばして言った。
    「タケルくんも一緒に見る?」
    驚いた。大人は夜になったら俺たちに寝なさいって言うから。
    「寝なくていいの?」
    「ダメだよ。だから、ナイショで」
    先生は上機嫌そうに笑う。俺は少しだけ悩んだけど、好奇心が勝った。窓枠に手をかけて外に出ようとしたら、先生の手が伸びて俺を抱き上げて外へと連れ出してくれた。
    そういえば俺は裸足だった。靴をとってくると言う前に、先生はトートから小さなビニールシートを広げてそこに俺を座らせた。そうして、羽織っていたコートを脱ぐと、それで俺をくるんでしまった。背の高い先生のコートは俺をすっぽりと包み込んだ。
    「寒くない?」
    そう言う先生は地べたに座ってしまったので、なんだか申し訳なくなる。体をずらしてシートの半分を譲ろうとすると、冷えるから上にいなさい、と頭を撫でられた。
    先生が俺じゃなくて空を見たから、俺も一緒に上を見た。外の明かりはあったけど、それでも、こんなに暗い空は見慣れなかった。夜は俺たちの時間じゃなかったから。
    暗い空にはいくつも星があった。あんまりにもあるからいくつあるのか数えようとして、14まで数えたところでよくわかんなくなってやめた。なんでだろう、14という数字だけを覚えている。先生は大きな星には名前があると教えてくれた。いくつか聞いたはずの名前は忘れてしまった。
    それだけじゃない。先生はいくつもいろんな話をしてくれた。何個かしてくれたはずの話だって、やっぱり俺は忘れてしまった。でも覚えている、いや、思い出した話もある。
    「星はね、うんと遠くにあってね。星だけじゃなくて、月も、太陽も」
    どれくらい遠くにあるの、と聞いたら、想像もできないくらい遠くだと先生は目を細めた。
    「だから、星の姿……光が届くのにはうんと時間がかかる。うんと時間がかかるから、その間に星がなくなっちゃうかもしれないくらい。だから私たちが星の光を見ているとき、もうその星は宇宙に存在しないかもしれないんだ。私たちはね、存在しない星を見ているのかもしれないんだよ」
    今は存在しない星の光。この話は記憶に残っていた。
    「……あの星も?今、見えてるのに、ないかもしれないの?」
    指さした星は煌々と燃えていた。
    「もしかしたらね」
    「先生にもわからないの?」
    「そうだよ。大人になったって、この世界にはわからないことがたくさんある」
    諦めたような言葉だったけど、先生は楽しそうだった。思い返せば、先生はいつも楽しそうだった気がする。
    俺がふーんと呟いて会話は途切れて、そこからしばらく、また星を見ていた。
    先生のコートのおかげで暖かかったけど、足先は冷えて、少しくしゃみが出た。
    それを聞いた先生がこちらを見て、すこし考えるようにしてみせたあと、トートから水筒を取り出した。蓋をコップ代わりに中の液体を注ぐと、わずかな明かりに湯気が浮かんだ。
    「あったまるよ。燃えるお星様の味がする」
    そう言って渡された液体はいい匂いがした。甘そうで、不思議な香り。
    一口、含んでみると、想像通りに甘くて、だけど経験したことのない不思議な味がした。甘いのに、苦い。暖かいのに、ぴりぴりして、熱い。
    飲み込んだ喉がカッと熱くなって、胃がぽかぽかする。不思議な飲み物。一口で、これが特別な飲み物だってわかった。俺たち子供の世界には、きっとないもの。
    「これ、なに?」
    「ふふ、ナイショ」
    飲み干したあとの蓋を受け取ると、そこにまた液体を注いで今度は先生がそれを一気に飲み干した。
    「夜更かしもだけど、この飲み物も秘密。だから、今夜のことは絶対に言っちゃいけないよ」
    水筒をしまいながら先生が言った。
    「アイツらにも?」
    「誰にも」
    そうして先生は俺のことを抱きかかえた。夜更かしは終わりのようだった。
    窓から廊下におろされてそれじゃあね、と手を振られる。
    秘密を胸に俺は寝室に戻って、すっかり冷えた布団に潜り込んだ。しばらくの間ドキドキしてたけど、どうしたって瞼は重くて、結局すぐに眠ってしまった。
    次の日、世界はいつも通りで、先生もいつも通りだった。

    秘密は日常に埋もれて、日常は流れて月日が重なり思い出になる。
    思い出は、ずっときっかけを待っていたのかもしれない。思い出した葡萄色の味。燃える星々の記憶。

    ***

    最近、チャンプを見かけない。
    二日、三日の話じゃない。かれこれ数週間か、下手すると一ヶ月くらい。どこにいるんだろうと考えて、屋根のある所だといいと思った。雪が降らないかが心配だった。いつの間にか暦は二月になっていた。
    はじめは姿が見えないな、なんてアイツと話してて、一週間も見ないうちに不安になった。口には出さなかったけど、アイツだってきっと心配してた。
    最近は毎日やらなくなっていた朝のランニングを増やした。毎日コースを変えて、道端や路地裏にチャンプの姿を探した。それでも見慣れた毛並みを見つけることはできなかった。
    チャンプに倣うように、アイツの姿も定期的に消えた。俺や円城寺さんがいくら探しても見つからなかったけど、仕事やレッスンの前にはちゃんと戻ってきたから誰も何も言わなかった。きっとアイツもチャンプを探しているんだってこと、みんなわかっていた。
    プロデューサーはまたアイツが外をふらふらと出歩くことを心配していた。だけど一言だけ、夜は寮か誰かの家で寝ていることを確認して、アイツが面倒くさそうに首を縦に振ると、それ以上はもう何も言わなかった。

    一度だけ、チャンプを探すアイツの姿を見たことがある。
    目線がふらふらと彷徨って、足があてどもなく動く。どこか焦燥感を感じされる背中はこちらに気がつく様子が一切ない。その姿を俺はぼんやりと眺めていた。
    何かを探している人間をまじまじと見たのは初めてだった。きっと、チャンプを探している時の俺もあんな感じなんだろう。いや、それだけじゃない。アイツらを探す俺だって、きっと。
    なんだが、酷く胸が苦しくなる光景だった。やるせなくて、いたたまれなくて、捜し物が見つかりますように、って願わずにはいられない。
    もしかしたら、アイツらを探している俺を見るアイツもこんな気持ちになったのだろうか。そう思ってすぐにその考えを打ち消した。アイツが俺のことをそこまで見てるなんて、自惚れだ。でも、三年という月日は俺が少しだけ自惚れてしまう程度には長かった。

    『死期を悟った猫は姿を消す』
    聞いたことがあった。きっと、円城寺さんも知っていただろう。円城寺さんだけじゃない、朱雀さんとか、山下さんとか、隼人さんとか、きっと、みんな。
    それでも、誰もそれを言わなかった。
    俺は先生の言葉を思い出していた。存在しないかもしれない、星の光の話を。

    ***

    三連休の初日。溜まってた雑用を終えて買い物に出かけた。やりたいことがあった。空の色が茜色に変わっていた。
    さっき、生まれて初めて酒を買った。店員に身分証の提示を求められた。大人には、見えないのだろうか。
    がさごそと買ってきたものをちゃぶ台の上に出していく。多分、狭い台所には乗り切らない。
    赤ワイン、オレンジ、パイナップルの缶詰、シナモン、りんご、はちみつ、大きいタッパー。
    レッスンの合間に円城寺さんにお願いして書いてもらったメモと照らし合わせて確認していく。買い忘れはない。

    二枚目のメモには手順が書いてある。キレイな字で書かれたそれに従って手を動かしていく。
    『果物を洗って切る』
    たしか、店で飲んだサングリアの果物は皮がついていたはずだからそのまま切ればいいはずだ。
    りんごを水洗いして切る。トントン、という男道ラーメンに響くようなテンポのいい音は俺には出せない。がこ、がこ、と重たい音が一人きりの家に響く。
    そういえば、りんごの芯はどうやってとるんだろう。少し迷って、小さくしたりんごを横に倒してそのまま包丁をいれた。小さな欠片が、さらに小さくなった。
    オレンジも切っていく。芯がない分楽だと思うが、どの方向から切っていいのかわからない。適当に切ってみたら見慣れた輪切りの形になったので助かった。そのまま切っていく。2つめのオレンジを切るとき、さっきどの方向から切ったのかをすっかり忘れて、もう一度悩んでしまった。
    そうして小さくした果物と、缶から出したパイナップルをタッパーにあける。缶詰のこの汁はどうしたらいいんだろう。メモを見るが書いてない。液体だし、甘そうだし、悪いようにはならないだろう。とりあえずそのままいれる。
    蜂蜜は大さじ1。だけど家には大さじがない。家庭科の授業で見た大さじって、ちゃんとした器具だったはず。ないものはないから、家にある一番大きなスプーンをつかった。
    シナモン。どうみても木の枝だ。このまま入れていいんだろうか。やっぱりメモには何も書いてない。少し悩んでそのままタッパーへ放り込んだ。
    こうして賑やかになったタッパーにワインを注いでいく。円城寺さんのアドバイスで、紙パックのワインを買ってきた。円城寺さんは瓶のワインはあけるのが大変だと言っていた。
    とくとく、と音を鳴らして色とりどりの果実が紫の液体に沈んでいく。昔に見た、海の底の絵本みたいだ。甘い、果実のいい匂いがそこらに満ちていく。
    蓋をして、冷蔵庫へ。一晩かそこらでできるらしい。
    明日の夜は星を見よう。そう決めていた。水筒にホットサングリアを詰めて、星空の下でそれを飲もうと決めていた。

    ***

    翌日。三連休の二日目。
    朝からいじっている端末の履歴は『星 見えるところ』みたいな検索履歴で埋まっていた。
    昨日の夜、ベランダから星を見た。本当は今晩、ベランダから星を見ながらサングリアを飲もうと思っていた。
    でも思ったより空が狭くって、がっかりしてしまって。ベランダから見上げた空は、あの記憶の空と上手に重なってくれなかった。
    星を見るなら何もないところがいいな、とぼんやり思う。遮るものの何もない空。想像は膨らむ。記憶の空よりも深い空を夢想する。明かりのない冬の空はどれだけ暗いのだろう。
    そんなふわふわとした空想をしていたら、粗雑な音で現実に戻された。玄関のドアがあげる悲鳴みたいな音。こんなドアの叩き方をする人間を、俺は1人しか知らない。何度言ってもインターホンというシステムを覚えようとしない人間。間違いない、アイツだ。
    意識してゆっくりと扉をあけると、思った通りアイツがいた。ただ、どこか覇気がない。
    「何の用だ」
    「……昼飯」
    そう言って押し付けられたビニール袋には、商店街の総菜が乱雑に詰め込まれていた。適当に買ってきたのだろう。とりとめも、脈絡もない。
    袋をのぞき込む俺の横を、音もなくすい、とアイツが横切る。勝手知ったると言うように部屋に上がり込むアイツに内心でいつも通りため息をついて、開けっ放しだった玄関のドアを閉めた。

    冷凍して置いた米をレンジで温めて、そのまま容器ごとあいつの前に出す。横着じゃない。茶碗が足りないだけだ。
    そういえばもう昼時か、なんて思いながら、自分も冷凍された米を温めて横に座った。
    「いただきます」
    「いただきます」
    すい、と伸ばす箸が同じ総菜に伸びる。認めたくはないが、俺たちの食の好みは近い。
    「野菜食えよ」
    「オマエが食え」
    普段通りの食事。普段通りのやりとり。食事をはじめて気がつく。思ったより、腹が減っていた。
    ちゃぶ台の上に並ぶ様々な総菜。コイツは三年かけて少しずつ変わった。
    一年目、俺の家に上がり込むことを覚えた。
    二年目、手土産を持ってくることを覚えた。
    三面目でようやく、買ってくる総菜の彩りやバランスを覚えた。肉ばかり買ってきたあの頃が少しだけ懐かしい。
    肉が終われば野菜にも箸がのびる。そうして、たくさんあった総菜は全部俺たちの腹の中に収まった。
    米を入れていた容器を水にひたして、総菜のゴミはそのままビニール袋に突っ込んでいく。
    手伝おうとしないアイツを眺めると、手の甲に一筋の赤い痕を見つけた。
    「それ、どうしたんだ」
    衣装で隠れるような場所だったのは幸いか。昔のコイツならともかく、珍しいと思った。
    「どっか引っかけたのか」
    「んなダセー真似、誰がするかよ」
    舌打ちでも聞こえてきそうなほど不機嫌な声。何があったのかと思ったが、聞く気は無かった。コイツは言いたいことがあれば勝手に話すし、言いたくないことはテコでも言わない。三年、三年だ。それなりに弱さも見せあった。信頼と呼べる何かを俺はコイツに感じてたし、相応のものを返されていると自惚れている。
    つけっぱなしだったTVからCMが流れ出した。そのタイミングでコイツはポツリと口を開く。
    「後ろ姿が」
    「うん」
    「……後ろ姿が覇王にそっくりの猫がいたから、勘違いして抱き上げたんだよ。そしたらこうだ」
    悲しそうというよりは、自嘲気味に手の甲を掲げてみせる。笑いたきゃ笑えよ、と言ったきり、またコイツは黙ってしまった。
    三年かけて知ったことがある。コイツはいつもいつもやかましいわけじゃない。それは新たに知ったコイツの一面なのか、三年かけて成長した変化なのか、俺にはわからないことなのだけれど。コイツは時折、とても静かだ。
    わからないことはまだ多くて、それでも、関係は確かに変わった。俺たちは不器用にだけれど、悲しみを共有することができるようになった。言葉は少なかったけど、きっとそれができていた。少なくとも俺はそう信じていた。
    俺たちの目下の憂鬱は姿を消したチャンプだった。たとえば帰り道にお互いの視線がふと逸れて、猫のいそうな所を探してしまう。そんなことがなんだか滑稽で、悲しかった。
    チャンプを見つけたと、一瞬でも思ったコイツは、そうじゃなくて傷ついたんだと思う。
    気持ちはわかる気がした。俺も、アイツらの面影がある人間を見ては、勝手に期待して勝手に落ち込んだりするから。あの、誰のせいでもない、どうしようもない気持ち。
    そうやってしばらく感傷を共有するなかで、思いついたことがあった。少しだけ迷って、そのまま口にした。
    「なぁ、これから星を見に行かないか?」
    「は?」
    「いいだろ?」
    明日はコイツも休みだったはずだ。だから、夜更かししたって大丈夫。名案だと思った。それはきっとうんと幸せで、幼稚な発想だった。どうにかして、この憂鬱を晴らしたかった。
    面食らっているアイツに決まりだ、と告げて、冷蔵庫からサングリアを取り出して鍋にあけた。これを温めて水筒に詰めて、星空の下で飲むんだ。コイツと一緒に。
    いいだろ、と、顔も見ずにもう一度問い掛けてみれば、勝手にしろと返される。
    「まだ星なんて出てねぇだろ。昼だぞ」
    「遠くに行くんだ、今から」
    気分が高揚していた。コイツの手を引いて、うんと遠くに行きたかった。
    部屋にはサングリアの香りが満ちていた。

    ***

    思い出した景色がある。何もない、ただただ広いその景色。俺は初めてサンドボードをやって、アイツはラクダに乗って始終上機嫌だったっけ。そこなら、きっと夜空が深い。記憶の星空より、きっと。
    新幹線に乗って、バスに乗って、着いた頃には夜になっていた。あんなに駅弁を食べたのに、俺たちは腹が減っていた。
    その辺のファミレスに入って腹を満たす。オーダーしたハンバーグを食べてる間、水筒のサングリアがぬるくなっていないかが心配だった。
    砂丘に向かう途中、ディスカウントストアで水と電気式のランタンを買った。コイツは酒に弱いから水がいるだろう。ランタンは、なんだか冒険みたいだったから。
    夜の砂丘には誰もいなかった。いや、いたとしてもわからなかったと言うのが正解かもしれない。それくらい真っ暗で、ランタンがなければ足下だって怪しかった。
    ランタンを手にざくざくと進んでいく。なんもねぇな、とアイツが呟く。そういえば、夜の砂丘を見るのは初めてかもしれない。懐かしいな、そう返したが返事はなかった。ざくざく、このまま、どこまでも進めそうだった。ぽっかり空いたような暗がりにはゴールなんてどこにもなかった。確かに共有した憂鬱と、打ち明けられない憂鬱。どちらも抱えたままで行けるのなら、それでもいいような気がしていた。

    「どこまで歩くんだよ」
    そう言われて、じゃあここでいいかと腰をおろした。目的地なんてどこにもなかった。星が見えればいい。
    見上げた空は広くて、暗くて、少しだけ不安になりそうだった。記憶の星空より、うんと深い。暗い海に星が散っている。数えてみようかと一瞬だけ思って、やめた。数え切れない星がぼやりと光っているから、釘付けになる。
    「きれいだな」
    そういった声も吸い込まれてしまいそうな空だった。反響しているのは星の光だけだ。
    「悪かねえな」
    そう言ってアイツがすぐ横に腰をおろした。距離が近くて、すこし違和感がある。まるで、数年来の友人みたいだ。
    そうだ、サングリアを飲もう。十年来の秘密を今夜、コイツと共有するんだ。
    水筒の中身はまだ温かかった。熱いくらいだ。中身をあければ、あの日みたいに湯気がふわりと明かりに映る。
    一杯飲んで、もう一杯を注いでコイツに手渡した。アイツは酒と知っているのかいないのか、サングリアを一気に飲み干した。
    「燃える、お星様の味」
    「はぁ?」
    「そう言ってたんだ。昔、先生が」
    そして、先生はこれを秘密だと言ったことと、昔こうやって星を見たことをぽつぽつと話した。伝えなかったことは、この秘密を打ち明けるのはきっとアイツらだと思っていたってこと。相手はオマエなんかじゃないって思ってたこと。
    先生が誰なのか、コイツは聞いてこなかった。きっと、共有した秘密の重さだって理解していないんだろう。俺はそれくらい律儀に、この秘密を守っていたってのに。
    かわりばんこにサングリアを飲んで、星を見ていた。夜が明けないんじゃないかと思うくらい、空は深くて夜は長かった。

    今更だけれど、シートを買うのを忘れていた。まぁ、砂はさらさらしているしいいだろう。
    ぼんやりと空を眺めてどれくらいになったんだろう。時間の感覚がわからなかったが、時計を見るのは面倒だった。時間なんて、どうでもよかった。
    横でうつらうつらとし出したコイツを見るに、もう夜は遅いのだろうか。それとも、ただコイツが酔っているだけか。
    「……覇王」
    「チャンプな」
    酒で蕩けた、吐息のような言葉。
    「覇王、見つかるといいな」
    「ああ」
    少しだけ、意外だった。チャンプの話を俺たちがするのは久しぶりだったし、情報交換のような話じゃない、こんな願望のような話を俺たちは初めてしたから。
    ふと目線を空からコイツに映すと、その蜂蜜色の目はずっと俺のことを見ていた。
    「三年、探してるんだよな」
    つらそうな目をしていた。コイツは確かに、俺の心の柔らかい部分に触れようとしていた。俺が星を見に行こうと告げたときから、きっと何かを感じていたんだろう。
    三年なんかじゃない。もっと、もっと、ずっと探し続けてる。そう言いかけてやめた。コイツが心の柔らかな部分に踏み込むのが下手なように、俺だって自分の繊細な部分をさらけ出すのはヘタクソだった。それでも、きっと滲んだ悲しみがコイツに伝わって、コイツの言動を揺らしているんだ。
    俺たちは変わった。俺たちは不器用にだけれど、悲しみを共有することができるようになった。言葉は少なかったけど、きっとそれができていた。少なくとも俺はそう信じていた。俺は、ずっと抱えてきた気持ちを吐き出してしまいたくなった。
    「……先生が言ってたんだ。存在しない星の話」
    こくり、とアイツが頷いた。
    「星はずっと遠くにあるから、光が届くのに時間がかかるって。だから、光が届く頃にはもうその星は存在してないかもしれないって」
    俺たちの頭上で光り輝く星。そのどれだけが今、存在しているんだろう。
    「俺たちはさ、もうどこにもないものを見て、手を伸ばしてるかもしれないんだ」
    わかってる。先生はそんなつもりで俺にこの話をしたわけじゃない。それでも、思わずにはいられなかったんだ。チャンプがいなくなった日からずっと。いや、もしかしたらもっともっと前からずっと、ずっとこわいんだ。
    「…………チャンプがもう、どこにもいなかったらどうしよう」
    アイツらが、とは言えなかった。それでも、きっと伝わった。アイツが短く息を吸うのがわかった。
    「星が今も存在してるかなんて俺たちにはわかりっこない。何が違うんだろうな、チャンプが今もどこかにいるって保証、そんなのどこにもないのに」
    悲しみは正しく伝播しただろうか。俺の苦しみは、どんな形でアイツに届いたんだろう。
    何度か悲しみを共有したことはある。それでも、いつまでだって俺たちはそういうのがヘタクソなんだ。
    どちらからともなく目をそらして、また星空を見上げた。こうやって、ずっと上だけを見ていられたらいいのに。
    「確かめらんねぇことなら考えても無駄だろ」
    目も合わせずに声を聞く。応える。
    「探すこと自体が、無駄だったとしてもか?」
    そんなこと、思ってない。思ってないよ。だけど、取り憑いた不安の種が口を開く。無駄だなんて思ったこと、一度もないのに。
    「だって、そうしなきゃ後悔すんだろ」
    後悔したくないなら、探すしかないだろ。言い聞かせるようなアイツの声。きっとアイツだって不安なんだ。アイツは知っているのだろうか。『死期を悟った猫は姿を消す』
    「わかってる」
    わかってる。だけど、こうやって弱音を吐くことが無駄なことだとは思わない。三年で俺も変わった。迷いとか、弱さとか、そういうのを口に出すようになった。
    ぽすり、とアイツの肩に頭を預ける。呼吸が聞こえそうな静寂と距離。
    「胸を貸してくれないか?」
    しばらく肩を借りて、ジャケット越しの温度に欲が出た。もう少し奥の熱に触れていたくなった。こんなことを思うのも、頼むのもはじめてだ。思った以上に酔ってるのかもしれない。
    アイツは俺のことをくだらないとも、情けないとも言わなかった。ただこちらに向き直って、両手を広げて「ん」と言った。偉そうな顔だったから、少し笑ってしまった。コイツだって、きっと酔ってた。
    向かい合って抱きつく。ふわり、酒の匂いがする。もう俺たちは酒が飲める。大人なんだ。でも、今の俺たちはきっと、三年前の子供だった俺たちよりうんと情けなくて、弱くて、幸福だ。
    鼓動は一人分、自分の心音しか聞こえない。それでも確かに感じる熱がある。背中に腕を回してぎゅう、と抱きしめた。
    「神様がいたらいいのに」
    神様がいたらいいのに。神様がいて、あなたの探している人はちゃんとこの世にいますよ、そう言ってくれればいいのに。見つかる保証なんて望まない、ただ、それだけでいい。
    遡れば願いなんていくらでもある。それでも、神様がそう約束してくれるだけでどこまでだって歩いて行けるのに。
    「そんなもんいてもいなくても、やることは変わんねえよ」
    背中に回ると思ったアイツの手が、俺の頭に触れた。ガシガシと頭を撫でられる。ヘタクソだな、って思った。慰めるとか、慈しむとか、本当にコイツはそういうことがヘタクソなんだ。
    「そうだな」
    わかってる。俺のすべきことは三年前から変わらない。オマエが示してくれた道は未だに続いてるんだ。歩みは止められない。
    ふと空を見上げると星が滲んで一つの大きな灯りになっていた。あれ、と思ってまばたきをしたら頬に涙が伝った。俺は泣いていた。
    俺を抱きしめて、俺に抱きしめられてるあたたかな生き物。このあたたかい生き物が何かを溶かしてしまったみたいに、涙はしばらく流れ続けた。
    アイツは何も言わなかった。俺はぼんやりと、コイツが泣くところを想像していた。コイツは俺よりももっとずっと、胸の中の柔らかい部分を他人にさらけ出すのが苦手だったから、いつかコイツがその弱さを誰かに打ち明けられるときがくるなら、それは俺に向けてだといいって、心からそう思っていた。俺が、プロデューサーでも円城寺さんでも隼人さんでもなくてコイツでなきゃダメなように、コイツが何かを打ち明けるときに側にいるのは俺がよかった。
    「……ありがとな」
    泣き止んだタイミングで体を離すと、こいつは一言バァーカ、と言った。
    俺は涙を拭ってまた空を見た。コイツはそっと、夜や猫や孤独のように俺に寄り添っていた。


    結局そのあとはずっと星を見てた。というより、見るしかなかった。帰りのバスなんてもうとっくにない。
    立ち寄ったファミレスは24時間営業じゃなかったし、ホテルとかそういうのを探すのが面倒だった。別にコイツ相手ならいいかなって思ったのもある。コイツ昔はしょっちゅう外で寝てたし。
    迷いとか、そういうのを吐き出すだけ吐き出して見上げる空はキレイだった。わくわくして、少しだけおしゃべりになって、とりとめのない話をちょっとだけした。
    気がついたら途中でコイツが眠りだして、俺は酒を飲ませたことを少しだけ後悔したけど、自分も眠たいことに気がついて単純に夜が遅いんだと気がつく。
    できれば、朝焼けまで起きていたかった。昇る太陽を見て、コイツを起こして、一緒に一日を始めたかった。そんなことを思いながら気がついたら眠っていた。

    次に目を開いたときには世界が眩しくて、俺たちは朝焼けの中にいた。
    砂が、朝日を受けてキラキラと光っている。朝焼けは金色、砂は薄紅色。不思議な景色だった。
    その美しい光の中でコイツはぐーすかと眠っていた。叩き起こそうかと思ったけど、やめた。俺はずっと朝日を受けて輝く銀色の髪を見ていた。奇跡みたいな世界の中で、ただコイツのことを眺めていた。体は冷え切っていて、一度だけくしゃみがでた。2月の空気は冷たくて、それでもどこか幸福だった。

    三連休も最終日。
    朝一のバスに乗って、新幹線に乗って、それでも帰ったら昼を過ぎていた。あんなに駅弁を食べたのに、腹が減っていた。
    かわりばんこに風呂に入って砂を落とす。着替えを貸したらチビの服かよ、と文句を言っていた。俺は背が伸びたのに、コイツはいつまでだって俺をチビ扱いする。
    俺が風呂を上がると、コイツはテレビを見ていた。
    「男道ラーメンに行かないか?」
    声をかけたらおー、ともあー、ともつかない同意が返ってくる。
    コイツと一緒に男道ラーメンでラーメンを食べよう。そんで、余った時間で一緒にチャンプを探そう。勝手にそう決めていた。きっと、アイツだって付き合ってくれると思った。
    玄関をあけると、冬の風が冷たい。並んで一緒に歩く。日々は続いていく。
    コイツが示してくれた道は、未だに続いてる。

    いつもの道を通るとき、にゃあ、という聞き慣れた声を聞いた。
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