嘘吐きは恋泥棒の始まり 山下次郎は油断していた。
さらに踏み込んで言えば、うかれていたのだ。
三十路にもなって、うかれていた。
それはひさしぶりになる、同僚であり恋人関係でもある天道輝と一緒の仕事だった。
もちろん二人の関係は周囲に言いふらしているわけではないので、他の人間と仕事をするときと姿勢が変わったわけではなかったはずだが、気が緩んでなかったかと言われると自信がない。
言い訳をさせてもらうなら、ありがたいことにお互いが多くの仕事を抱える身なので、会えるのが本当に久しぶりだった。だから例え仕事でも顔が見れるのは嬉しかった。本当に、本当にひさしぶりに顔を見た気がした。ひさしぶり、だなんて言えばそうでもないぜ、と返されてしまったが。年を取ると時間の経過が遅くなると言ったのはどこのどいつだ。天道と付き合いだしてからというもの、月日が経つのは本当にあっという間だ。
仕事は天道のレギュラー番組に出演させてもらう形だったので、ゲスト扱いということになる。
その番組の内容は、大人の男を目指す天道が、ゲストに大人の男を招いてその人の日常から大人の男らしさを学ぶ、というもの。
こちらとしては招かれるほど自分が大人の魅力に溢れているとは言いがたく少しばかり緊張していたのだが。番組そのものはただただ天道とゲストが楽しく、ゲストがいつも通う店に行ったりだとか、よくやることを一緒にしたりだとか、行きつけの店で飲んだりとか、気になる、やってみたいことをする、と言うのが主な番組なので、緊張はどこへやら、非常に楽しむことができた。というか、なんというか、平たく言ってしまえばたんなるデートだった。
日課であるラジオ体操を二人でしたあと、食事は自炊派ということで二人で仲良く料理。そしていきつけの店である猫カフェでかわいい子たちと戯れて、最後にちょっと良い雰囲気の店で年相応の酒を楽しむ……このコースを惚れた相手とするのだ。これで気が緩まない男がいるなら教えてほしい。
だから、すっかり忘れていたのだ。今日がエイプリルフールであることに。
そして浮かれたまま打ち上げに出て、大人の男とはほど遠い飲み方をして、酒に弱い天道に合わせて早めに退散した。
上機嫌で家に帰ると、スマートフォンに通知が一つ。天道からのメッセージだった。
『山下サンおつかれ!今日は楽しかったな!』
彼はいつも元気だ。画面の向こうの笑顔がありありと想像できる。自然に緩む口元を抑えつつ返事を返す。
『そうだね~こんだけいい思いしてお金までもらえるんだからありがたいよ。また呼んでほしいな~なんて』
『315プロの年上達、みんな呼び終わったらな!ところで……』
意味深な文末。
『なに?』
『今日はエイプリルフールだよな』
『ああ、すっかり忘れてた。それで?』
『俺、今日一つだけあんたに嘘ついたんだ。なんだかわかるか?』
それっきりメッセージはなかった。自分はと言えば、返す言葉も見つからずにただ目を丸くしていた。
それが数時間前の話。未だに山下次郎は天道が吐いたという『嘘』を探すべく脳内で今日の記憶を反芻している。
何が嘘だったというのだろう。ラジオ体操の時、彼は自分は運動が得意だと言っていた。これが嘘か……違う。彼は運動は得意だ。俺と違って。
料理を作ってるときもそれっぽい発言はなかったはずだ。確か、好きな食べ物の話とかしたっけ。そんなに変なことは言ってなかったと思うし……。
猫カフェはどうだろう?猫と戯れるてんどうせんせいを見てたから、話半分に聞いてた話があるかもしれない。嘘を吐かれているとしたらここか?
酒の席は?いや、酒に弱い彼が酔った状態でうまく嘘を吐ける気がしない。でもそんなに飲んでなかったし──。
そこまで考えて、思い直す。今日のこの一連の流れはデートではなく撮影なのだ。どんなに、デートみたいだとうかれてしまっていても、だ。
仕事なのだ。撮影中に嘘を言うか?
だとしたら撮影の合間の会話だろうか。山下サンをこの番組に呼べてよかった、とか。そういうのが嘘だったらおじさんは泣いてしまうよ。
あーでもない、こーでもないと悩む意識を引き戻したのは、ピロリンという気の抜けた端末の通知音。
差出人は渦中の人だった。
『よう!どれが嘘だかわかったか?』
なんて楽しそうな声色だろう。文章だけでわかってしまう。絶対に悪戯な笑みを浮かべているに違いない恋人に降参の意を示す。
『ずーっと考えたけどわかんなかったよ。ねぇ、いい加減教えて』
『それならよかった!』
「は?」
思わず声が出た。
『今日、あの時からずーっと俺のこと考えててくれたってことだろ?』
なにかわいいこと言っているのだろう。彼は。はい、考えてましたよ。
『それが狙いだったんだ』
混乱する頭に響く、まぬけな通知音。ピロリン。
『嘘ついたって、あれが嘘だよ。今日一日、俺は嘘なんてついてないからな』
『……………してやられたってわけかぁー』
やられた。そうだった、忘れがちだが天道輝という男、元弁護士の名に恥じぬ頭脳をしている。頭がいいのだ。
つまり、まんまと手のひらの上で踊っていたわけだ。彼の思い通り、ずーっと彼との一日をプレイバックしていた。
『……ひさしぶりに山下サンにあって、ちょっと悪戯したくなったんだ。俺のこと、ずーっと考えててくれてありがとな♡』
真っ赤なハートの絵文字が憎らしい。時計を見ればまだエイプリルフールは続いてる。
端末を叩いて、今日初めての嘘を吐く。
『てんどうせんせいのそういうとこ、ホント嫌い!!』
一瞬で帰ってくる返事。
『山下さんは嘘が下手だな』
ああ、本当にかなわない。
そうだよ、と一言。メッセージを送った瞬間にエイプリルフールは終わりを告げた。