ねこのはなし「猫を飼わないか?」
そう言った。ソファーで溶けてるアイツは少しだけ驚いたようにこっちを見た。きっと、賛成してくれると思っていた。めんどくさそうに、「チビが世話すんなら」って、そう言ってくれると思っていた。
だって、アイツだって猫が好きだから。好きって言葉をアイツは使わないけど、アイツの目を見ればわかる。目は口ほどに物を言う。猫を見ている時の目は、他の生き物を見ているときとは明確に違う。そして、これは俺が自惚れてしまう原因なのだけど、俺と、円城寺さんや四季さんを見る時の目も、違う。最初は、こんな目をしていなかった。七年かけて、告白をして、体を重ねて。
俺のことを見るアイツの目は、変わった。
だから、猫が好きで、俺のことが好きなアイツは、この提案を断らないと思ってた。だけど、返事は一向に返ってこない。
あまり長くはない、それでも少しだけ不安になってしまうような沈黙。アイツの表情を見ると眉間にシワができていて、なんだか難しい顔をしている。アイツはこういう顔をするようになった。おとなになったんだな、って思う。
眺めていたら、視線が逸れた。バツが悪そうに、アイツが言った。
「覇王にメシやってた時みたいに、その辺の猫にメシでもやってろよ」
俺は、俺たちはチャンプがいなくなってから、猫にエサをやることをやめていた。
「……野良猫に餌付けするのと、飼うのは違うだろ」
野良猫の餌付け。それは違うと思っていた。俺はきっと、猫を可愛がりたかったわけじゃなくて、責任を持ちたかったのかも知れない。
アイツと、一緒に。
アイツは多分断りたいんだろう。それでも言葉を濁しているのは、きっと俺のせいだ。
俺が、子供がほしいと言ったからだ。
俺たちには子供はできない。それでも、親のいない子供を引き取って家族になることはできる。でも、それをアイツは否定した。理由は聞けなかったけど、あの時の会話は思い出したくもない。
あんな明確な拒絶、ずっと生きてきて初めて味わった。足元がガラガラ崩れていくくらい不安になって、それを見たアイツが、条件付きで手を差し伸べた。俺はすぐさまその手を取った。それ以来、子供の話はしなくなった。
だから、代わりに、猫。
正しいか、間違っているか。そう聞かれたら俺は間違っていると答えるんだろう。それでも、猫が飼いたかった。きっと、それを見抜かれていた。
ただ、アイツは正しいか、間違っているかで物事を決めたりしない。きっと、俺の気持ちと自分の気持ち、それだけを判断材料にして結論を出す。それでも言葉にならないんだ。だからやっぱり、本当に嫌なんだと思う。
「……チビが猫飼いてぇのはわかる」
あの時みたいな明確な拒絶はなかった。妥協点を探るように沈黙を保ったあと、観念したようにアイツが呟いた。
「…………オレ様はな、オレ様がいなきゃ生きてけねーイキモノは嫌いなんだよ」
そう言って、目を閉じてしまった。会話を終えたいというアイツの合図。こういう時、すぐに引き止めないと、アイツは本当に寝る。
嫌い。違うだろう。それは、怖いっていうんだ。そう教えてやりたかった。きっと俺の考えは、正しい。
俺が面倒を見るから。そう言えばよかったんだろうか。でも、俺にはそんなこと、言えなかった。俺は、アイツと一緒に猫を育てたかった。一緒に、命を背負いたかった。
でも、猫の話よりも気になってしまったことがある。話が逸れるとわかっていても、口にしてしまった。
「……いなくなる予定でも、あるのか?」
「あ?」
不安になった。普段は考えないようにしているけど、アイツがふらりといなくなる想像を、たまにする。夢に見る。うなされて、起きる。普段よりもアイツを求める。アイツはきっと、そうして熱を欲する理由を知らない。
「……オマエは、オマエがいなくなったら生きていけないイキモノが嫌いなんだろ?」
「だから、そう言って、」
「俺はどうなんだ?」
「…………は?」
「俺はどうなんだよ」
最初は戸惑いで、次が悲しみで、今は、なんなんだろう。泣きたい気持ちと、アイツをぶん殴りたい気持ちが、ぐるぐると肺を掻き回す。
「俺にとってのオマエを、なんだと思ってるんだよ。俺がオマエを失って、大丈夫だとでも思ってるのか?」
ああ、話題が完全に逸れた。それでも、吐く息すべてが言葉で揺れる。それくらい、俺は悲しいことを言われた気がしたから。
「……別に、死にゃしねーだろ」
「なんでそう思うんだよ」
「なんでって、それは……」
「答えろよ!」
大声を出してしまった。なんで、そう思うのか。オマエがいなくなったら生きていけないイキモノ。それは、猫の話だったか、俺の話だったか。見失う。
「……なぁ、オマエはいなくなる予定でもあるのか?」
「ねえよ。けど、」
「なら!」
いっそ、あの時みたいに拒絶してくれたらよかったんだ。そうしたら、同情のようなオマエの手に縋ることができたのに。
「なら、ならさ。ずっと一緒にいてくれよ。それでさ、猫を飼って、俺たち二人の子供みたいに可愛がって、三人で暮らそう? なぁ、俺、そんなに変なこと言ってるか?」
返事はないと思っていた。それでも、それなりに長い沈黙の中で俺は答えを待った。
「……チビは死なねー。ってか、死ねねーだろ」
「だから、なんでそう思うかって、」
「チビは、チビのチビ共を見つけてねーからな」
自嘲気味な笑い。こんな表情をアイツはするんだな。なんだか、気付かされる。
立場は一転した。今度は俺が黙る番だった。いやだ、やめろ。こんなの、ズルい。
俺がアイツらを見つけたら、コイツはいなくなる気なんだろうか。
もう、猫の話なんてできなかった。オマエがいなくなったら、なんて話もできなかった。本心を、無責任な言葉に乗せて伝えることしかできなかった。
「……俺はオマエの前からいなくならない」
「……どーだか」
「俺は、オマエがいなくなったら、死ぬほど悲しい」
手に触れることはできなかった。コイツは一言、死なねーくせに、って笑った。見慣れない、歪んだ笑みで。