餌付けをしてる交渉人「……オマエら、またやってんのか」
大股でソファに座るミハイルと、その足の間に座り込んだ見た目だけはいい男。丁寧に整えられた爪でテーブルに乗ったピオーネをつまみながら、その体重をミハイルの胸板に預けている、レナートとかいう交渉人。
何度か見たが、見慣れない光景だ。長いこと友人をやってきたが、ミハイルのこんなバカ面を拝む日がくることになるとは。
「お? なんだ。羨ましいか?」
低く威圧感のある声はどろどろに砂糖がまぶさっていて、子煩悩の父親に情欲を足すとこんな感じになるんだろう。本心でも冗談でも通用しそうな言葉に少し頭が痛くなる。羨ましいわけ、ないだろ。
「そう思うならよっぽど脳がイカれてるぞ。仕事以外でソイツと関わりたくない。一人で食う飯のほうがうまいだろ」
「なんだよダニーくん。相変わらず名前で呼んでくれないんだな」
ミハエルの代わりに答えたのはレナートだ。大げさにセリフを吐いて悲しそうな顔をして、喉の奥でケラケラと笑っている。コイツは俺の友人にはいなかったタイプだし、今後友人になることもない種類の人間だ。神経質そうな目、軽薄な口元、弱そうな体躯、華美な装飾品に悪趣味なスーツのすべてを貼り付けて微笑む性悪だ。数回の会話しかしたことがないが、俺はコイツには極力関わらないと決めている。だが、我が友人ミハイルは真逆の感想を持ったらしい。
「ああダニー、オマエは愛する人と食べる飯の旨さを知らないんだ。ガールフレンドとかいたことなかったもんな」
「オマエに紹介してないだけだ。それに、そんな軟派な付き合いもしてなかった」
俺たちの友情にそんな溝があったのか。そう大げさに嘆いてみせる口元にレナートがピオーネを運ぶ。ぱくりとそれを頬張って飲み込むまでの間に立ち去ってしまおうかと思ったのだが、レナートのニヤついた目を見ていると、背中を見せるのは負けな気がした。
「……友人かと思ったやつが大型犬になってるとはな。おいオマエ、犬に餌付けして楽しいか?」
「ああ、最高に楽しいね」
金の指輪で彩られて、華奢で白い指が今までピオーネを含んでいた口元をなぞる。一気に場の空気が色めいて、やっぱり立ち去るべきだったと後悔した。
友人は触れられた唇をそのままレナートの首筋に埋めようとして、手の甲でたしなめられている。当たり前だ。人前だ。そう思ったのも束の間、レナートの唇がミハエルの耳元に近づく。それなら小声でいいだろ。俺を巻き込むな。それなのにこの性悪はハッキリ、俺に聞こえる声で言うんだ。「夜までお預けできるか?」って。ミハイルの返答も最悪だった。「待てない」
本気で馬鹿らしい。馬に蹴られて骨折でもしてしまえ。太ももさすりあってるんじゃねえよ。
「はあ……とにかく、書類はここに置いたからな。質問もないんなら俺は帰る」
いや、質問があっても帰る。そう思う間もなくレナートの薄い唇が開いた。
「もう行くのか? このわんちゃんのかわいいところ、トップブリーダーの手並みでも見ていけよ。オマエの手からピオーネあげてもいいんだぜ?」
こんないい子になったミハイル、見たことないだろ。そう言って笑う。
「俺の犬がどんな芸をするか、見てけよ」
「断る。友人だったとはいえ、犬に興味はないんだ」
ああ、でも。
「……ま、それが本当に犬ならな」
そう言えばレナートもミハイルもはじかれたように笑いだした。俺は鼻で笑うこともせず、その賑やかさに背を向ける。
どうやら俺の心配事も織り込み済みの遊びみたいだ。レナートだって俺と同じように、あれが犬なんかじゃなくて狼だってわかってる。知らないんなら忠告してやるつもりだったが、あの悪趣味な男は狼に食い散らかされるのが好きなんだろう。
「ほんと、悪趣味だな」
廊下を歩く。残りの書類を早く回してしまわねば。しかし、果たしてレナートはミハイルのどこまでを知っているのだろう。知らないで狼を囲っているなら、ミハイルの元カノが吐いた愚痴のいくつかを教えてやればよかった。夜のしつこさとか好きなプレイとか、そういう俺が一生知りたくなかった情報を。