ワールドエンド・アンチヒーロー「あ、また死んだ」
口に出したのは僕だったかアマミネくんだったか。わからないけれど、この言葉は特に拾われずに独り言になる。どちらが言った言葉にせよ、どちらも思っていたことだから拾い上げてまでシェアをするのは手間だった。
コンティニューの文字なんかもすっ飛ばして、アマミネくんの分身はさっき挽肉になった地点の三分前へと戻される。何度も何度も死んで、何度も何度もトラップにかかり、何度も何度もゾンビの集団にタコ殴りにされ、それをひとつひとつ覚えて次こそはと先に進む。敵の位置を覚えては殺され、鉄球の下敷きになってはタイミングを悟り、と、よくもまぁ挫けずに進めるものだ。
アマミネくんがやっているのはいわゆる『死にゲー』と呼ばれるものだ。どこまで真剣にやっているのかはわからないけれど、合間合間に僕を気にして視線を寄越している様子を見るに、さほど真剣ではないのだろう。僕は僕でアマミネくん本体よりもこのゲームに感心があって、つい視線はアマミネくんの手元に集中してしまう。同じ空間にいて、同じ時を過ごし、お互いを気にしているのに視線はあまり絡まない。そんな時間は悪くない。良くもない。つまり、普通。
マユミくん、遅いね。その一言もシェアする必要のない言葉だったから空気と一緒に飲み込んだ。僕らのこの時間がマユミくんが合流するまでの暇潰しである以上、アマミネくんは同じ事を思っているはずだから。
「あ、」
今度は言葉が重なった。先ほどの死因であるトラップを華麗に抜けたアマミネくんは突如せり上がってきた床に乗せられたまま呆気なく天井まで持ち上げられてぺしゃんこになってしまう。
「ほんと、徹底して初見潰しのゲームだな……」
そう呟くアマミネくんはどこか楽しそうだ。どんな死も一度経験すれば二度目は回避できるあたりは流石なんだけど、なんというか、ねぇ。
「アマミネくんはすごいねぇ」
「え?」
今度こそ僕はアマミネくんの目を見ていたし、アマミネくんだって僕を見る。その瞳の色は大抵ラムネを想起させるから、僕は少しだけ喉が渇く。
「そのゲーム、ずっとやってる」
ゲームに夢中になる感覚ってよくわからない。小さい頃に一度だけやったことがあるんだけど、一位を取れなかったからすぐにやめてしまったんだ。アマミネくんのやっているゲームには順位がないように見えるけど、そうなるといよいよ僕がやる理由ってやつがないように思える。
「ああ、結構面白いですよ。死にゲーって理不尽だけど、理不尽なくらいがちょうどいいっていうか」
「あはは、理不尽なら僕はやりたくないなぁ」
言ってからちょっと不安になる。この言葉を否定的に取られたらどうしようって、ちょっと困る。
でも、なんていうか、ちょっと言葉が止まらなかった。アマミネくんに聞いてほしかったわけじゃない。きっと誰でもよかったんだと思う。それこと壁に吐き出したっていい。ただ、いま目の前にいるのがアマミネくんだったってだけの話だ。
「……僕は、たとえゲームの中だって死ぬのは怖いなぁ」
ゲームは現実じゃない。代替の命は無制限のデータだ。やんなっちゃったらリセットボタンだってある。それなのに、僕はそれが、それすら、ただ怖かった。
「……百々人先輩は……んー、テトリスとかで一回ブロックの置き場所に失敗すると、もうどうでも良くなっちゃって自殺するタイプでしょ」
なんとなくわかる。ひとつ間違えるとその上に積み重ねられるのは間違いだらけだ。どんなに正しいものを選んだって、間違った土台がぐらぐら揺れると台無しになってしまう。
「どうだろう。やったことないけど、しないと思うよ。やり直したいのに死ぬのが怖くて、多分ずっと困りながら遊ぶんじゃないかな」
イメージしてみる、たった一度のミスでどうしようもなくなっていくカラフルなブロックたち。解けそうな一手が見当たらないわけじゃないのに、それは一等賞にはほど遠い。
「んー……」
もう一度アマミネくんの手元に視線を落として、「続けてよ」って声をかけた。
「僕は、ゲームはやらないかも」
アマミネくんはすいすいと仮想現実を進む。一度死んだところでは間違えない。でも僕もアマミネくんもわかってる。きっとこの先を抜けたら、もう一度アマミネくんは死ななければならないんだ。
「失敗するの、怖いから」
死ぬのが怖いから、って言った。生きる権利はまだぴぃちゃんの手元にあるだけなのに、僕は理不尽にも生きていたい。死ぬのが怖いだけかもしれないけど、仮想現実にまでそんな心を持ち込むなんて、いよいよもって具合が悪い。
「死ぬのが怖いって……別に、そんな取り返しのつかないものじゃないですよ。これって何度も死んでいい系のゲームだし」
死んで覚えるゲームなんだと彼が言うから、なんだか贅沢で溺れてしまいそうになる。何度やってもうまくいかなくて、ついに梯子を外された日のことを思い出す。僕はずっともがき続ける気だったけど、あの日々には知らない間に回数制限があったみたいだ。
「トライアンドエラーで進んでくゲームなんですよ。初見クリアは想定されてない」
その中でも屈指の難易度ですけどね、とアマミネくんは中途半端な息を吐いた。アマミネくんは全部のトラップに引っかかりながら進む。そんなに難しいのかを問えば、わざと全ての罠にハマって全貌を描きだしているのだと返される。
「別に現実で死ぬわけじゃないんで、大丈夫ですよ。デスペナルティもないんだから全ルート通ってみたくなるんですよね」
そのほうが楽しいのだと、口にはしないが伝わってきた。アマミネくんってたまにこういうときがある。神様の真似事、みたいな。
「うん。でも僕は怖いんだ。死ぬ、っていうのが、怖い」
言葉の問題なんだろうか。僕はもう失敗したくなくて、死っていうふわふわとした概念が怖い。本当は生きてちゃいけないのに、今は保留にされているだけ。何回の失敗が許されるかわからないから、なるべく失敗したくない。
だから、たとえゲームでも、ちょっと嫌だな、って。
「んー……別に百々人先輩を否定したいわけじゃないんですけど、そこまで『死』って怖いものじゃないですよ」
アマミネくんは少しの思案を溶かして僕の瞳を射貫いた。僕はアマミネくんに何も教えていないのに、彼は確信に踏み込もうとしてくる悪癖がある。
「たとえばコレなんかは死ぬ代わりに次の回に有益な情報を残せるし」
そういうゲームだから、それはそうだろう。
「あとは……ほら、神様って一回死んだら生き返るケースがわりとありますよ」
「……キリスト様とか?」
「ですね。なんというか死って、わりと重要なファクターっていうか」
もちろん本当に死んだらマズいけど。独り言のように呟いて僕を見る。液晶の中のアマミネくんはコントロールを失って、棒立ちになっている。
「言い方とか、捉え方次第ですけどね。……ほら、春が死んだら、夏がきますよ」
「春が、死んだら……」
なんて物騒な物言いだろう。呆気にとられた僕を無視してアマミネくんは続ける。僕が耳を塞いで意識を閉じてしまえば独り言になってしまう言葉を、僕のためだけに大切に紡ぐ。
「例えば、『生まれ変わる』っていうじゃないですか。アレって見方を変えたら一回死んでるわけだし」
本当に、どうして教えていないのに彼は僕の心臓に居場所を作ろうとするのだろう。ぴぃちゃんの言葉と、それに付随する希望を思い出す。アマミネくんの言い分を通すなら、あの日に僕は一度死んだ。
「物理的な……っていうのかな。取り返しのつかない決定的な死ってのは確かにあるけどさ。ゲームしたり、寒さに震えたり、告白に失敗したり。俺たちみたいな学生の言う『死』なんてのは、これくらいの軽さでいいと思いますよ」
数秒の後、爆発音がした。アマミネくんが驚いてゲーム画面に視線を戻す。
「……一定時間同じ箇所に留まると発動するトラップがあるのか……知らなかった」
また死んだ、とアマミネくんが呟いた。なんだか呆気ないほど薄情で笑ってしまう。
「なんか、ひどいね」
「生まれ変わるってのはこういうことですよ。何回か、死んでみないと」
アマミネくんの言葉はすこしだけゾッとするけど気分がいい。無数の屍の上で傍若無人に、彼は天才として生き続けるのだろう。
「……もちろん言葉のあやですからね。絶対に死んだらダメです」
放っておいたら爆発して死んじゃうのに。アマミネくんはまっすぐに僕の目を見て口をひらいた。
「ねぇ……春が死んだら、どこに行きたいですか?」
「春が……死んだら……」
「季節が死んで、せっかく生まれ変わるんです。俺たちも便乗して、手っ取り早く生まれ変わって、どっかに行って遊びましょうよ」
簡単に死んで、簡単に殺して、もしも、簡単に生まれ変わって、なんどでも挑めるのなら。
「海でも、山でも、川でも」
「……三人で?」
「そりゃそうですよ。三人がいいでしょ」
どこにでも行きましょうってアマミネくんは言う。どこまで行ってもいいかもって思う。でも、三人ならどこでもいいかなって思う。
「……暑いから、マユミくんの家にでも行こうか。あがりこんで、お菓子を広げて、一日中映画を見るの」
「それ、いいですね」
映画みたいなタイミングでタイムリミットの爆発音がなる。会話は終わったことになって、アマミネくんはまた仮想現実で死に直す。
アマミネくんの隣で、少しだけひとりぼっちになって僕は考える。ぴぃちゃんの手で僕は生まれ変わった。じゃあ、今までの花園百々人って死んじゃったのかな。あんなにも恐れていた死はすでに訪れていた。殺された僕は、あんなにも恐れた結末はどこに眠っているのだろう。
「……じゃあ、ぴぃちゃんって人殺しってことにならない?」
傷つきたくて言葉にした。意味を理解したアマミネくんが少し意地の悪い笑顔を見せる。
「じゃあ……世界を変えるには……生まれ変わらせるには、世界を殺さないと」
「やだな、本当に、物騒」
先に笑ったのは僕だった。アマミネくんは双眸を細めるだけで僕を見てるんだかゲームを見てるんだかわかったもんじゃない。
アマミネくんはとんだ悪党だ。僕も、マユミくんも、とんでもない殺人事件の片棒を担がされた共犯者になってしまった。
そんな盛大な計画を前に、僕は何度死んでしまうのだろう。
「……アマミネくん」
「なんですか? 百々人先輩」
悪くない。でもまだ少し怖いから、少しずつ水をかけて心臓を慣らすように、ゆっくりと。
「僕もそのゲーム、やってみたいな」
まずは無制限の失敗をこの手に。
「……難しいですよ?」
「でも、楽しそう」
「楽しいですよ。ネタバレしないでおくんで、たくさん死んで苦労してください」
その分ゴールは格別だと彼は言う。苦労したぶんだけ、自分自身の死体の数だけ高い場所から景色を見下ろせると。
「……まだアマミネくんもクリアしてないくせに」
アマミネくんは笑う。それがセオリーなんですよって嘯いて、僕にコントローラーを握らせた。