コーヒーは声をかける口実 二人きりの時間が、一人と一人の時間になって数十分は経っただろう。俺たちはソファーに腰掛けて、それぞれ好きなことをしていた。
桜庭は台本のチェックをしていて、俺は雨彦が出ている雑誌を読んでいた。最近は俺にも大人の魅力を押し出していくような仕事が増えてきたが、やはり雨彦や山下サンのような色気が出せるかと言えば難しい。事務所のみんなからは学ぶことが多いので、こうやってみんなの仕事を確かめるのは癖になっていた。
特集ページを読み終えて一段落したら、ふと視線に気がつく。ちらりと横に目をやれば、桜庭が台本を放って俺のことをじっと見ていた。
「……桜庭?」
短く、名前を呼ぶ。俺の意識が向いたことに気がついたんだろう。桜庭が口にする。
「君は、いつそれを読み終わる?」
「え? ……あ、ああ」
桜庭はこちらに意識を向けていた。きっと、俺が気がつかない時間も、ずっと。
俺が桜庭を見る時を、名前を呼ぶ時を待っていたのだろうか。ただ、視線だけを向けて、じっと。
そういう、ときおり見せるいじらしい一面が好きだった。遠慮がちに甘えてくる、俺だけに向ける視線と声が。
「もう読み終わったよ。桜庭、ほら」
本を置いて手を広げる。桜庭はこちらに手を伸ばして──俺が置いた本を拾い上げた。そして、そのまま本を開く。
「……桜庭?」
「なんだ?」
「…………いやいや、桜庭お前、俺が読み終わるのを待ってたんだろ?」
「そうだが? 僕もこの特集には興味がある」
なんというか、話が噛み合わない。いや、噛み合わないというか、俺が理解を放棄しているだけ。
「……なんでもない」
すっと、手をおろす。
「なんなんだ君は…………なるほど?」
訝しげな表情を引っ込めて桜庭が笑う。屈託なく、ではなく、にやりと笑う。
「僕が君に構ってほしいとでも思ったのか? 本を手放して、僕の方を向いてほしいと?」
「言わなくていい! くっそー……悪いかよ」
「問題ない。せいぜい自惚れているんだな」
桜庭は本を手放したりしない。ただ、視線だけをこちらに向けて口を開く。
「構ってほしくなったら『いつ読み終わるのか』と聞いてくればいい。本くらい閉じてやろう」
「誰か言うか! ……絶対言わないからな!」
桜庭は楽しそうに本を開く。俺は空いた両手を慰めるように、二人分のコーヒーを煎れにソファーから立ち上がった。