恋よりはありえる。 最近、アイツの夢を見る。
真っ暗な部屋に、切り取った額縁のようにモニターの明かりが光っている。それは暗闇に溶け込むような机に乗っていて、ぼんやりと浮かんでいるようだ。
机の前には椅子がある。モニターの光で半分くらいは見えるけれど、足下が底無し沼のように真っ暗だ。そういう、落下を伴うような不安定さの上に、体育座りをしたアイツが乗っている。
俺はそれをぼんやりと見ている。手は思い通りに動くし、きっと声を出そうとしたら好きな言葉を投げかけられたはずだ。それなのに、俺はそれすら怠って、ただモニターの無機質な光に照らされるアイツの髪がちかちかと輝くのを眺めていた。
歩けば近寄れる。近寄れば、真綿から羽化した虫が羽を動かしたような音が絶え間なく聞こえてきて、耳鳴りみたいだ。そういうどうしようもない音はコイツを見つめているうちに意識の外に追い出されて、俺は完璧な沈黙の中でコイツを見つめる。コイツは俺の存在なんて知ることをせず、モニターをじっと見つめていた。
近寄ってわかったが、机の上にはキーボードが乗っていた。それを、きっと世界中の誰にも理解できないタイミングで、コイツは気まぐれに押す。そうすると、モニターには文字が打ち込まれる。長い間そうしていたんだろう。モニターには文字が浮かんでいた。
『jwlどswlshxあえk』
こういう、意味のない文字列が並んでいる。五秒だか、五分だか、五時間だか、引き延ばされた時間の中で、ゆっくりゆっくり文字は増えていく。
ふと、気が付く。
『sjrlbpっふぁxたけ』
たけ、だって。偶然に、『た』の後に『け』が続く確率ってどれくらいなんだろう。そうしてそのあとに、奇跡的に『る』だなんて続く確率は。
また、一瞬みたいな永遠の後にコイツの指先を見つめる。コイツの白く骨ばった指がキーボードを弾く。一度、二度。
『たけぬ』
なんだよ、たけぬって。
コイツは俺の夢の中でも思い通りになったりしない。そうして、また意味のない文字列が続いていく。
『たけぬswkう゛ぉあsjrwhx』
ぼんやり、夢の終わりまでそれを見つめる。いつの間にか現れた椅子に腰掛けて、ぼんやり、ぼんやり、考える。それならコイツの指先が、『あい』と動く時がくるのだろうか。
なんだか、『たける』よりは簡単に、それは実現するように思えた。俺は『たける』って言葉を諦めて、コイツの『あい』を待っている。夢が終わるまでの永遠みたいな一瞬に、嘘みたいな奇跡を待っている。