お高いところのポテチはうまい「すごい、ふわふわだ」
百々人が手に取ったパジャマは柔らかなレモンイエローをした手触りのよいものだった。飼ったこともない愛玩動物を想起させるような温かみのある生地はふわふわとしていて、顔を埋めると気持ちがいい。
以前秀が仕事でパジャマパーティをしたことがあるのだがそれが思いの外好評だったらしく、プロデューサーから新たに選ばれたメンバーでまたパジャマパーティをすることが決まっていた。百々人はまた年の近い、さらに言えば高校生のメンバーが選ばれると思っていたのだが、メンバーには輝もいるらしい。夜更かしをするなら、と彼がコーヒーを淹れてくれる約束をしたので百々人は楽しみにしているが、苦笑いをする春名と興味のなさそうな漣には輝がひいきにしているセレクトショップでコーラを買ってきてくるそうだ。俺が好きでやることだからと言い張る天道さんにぴぃちゃんが必死に経費で落とすように説得していたっけ。そんなやりとりを思い出しながら、そういえば自分もお菓子を買うなら経費で落とすように言われていたことを百々人は思い出す。若里くんがドーナツを買うなら自分はしょっぱいものがいいか、と自然に決まった役割の中で何もしないつもりの漣のことを考えると何も思わないわけではないが、彼の性格上しっかりと領収書をもらってちゃんと手続きをするとは考えにくいので、ぴぃちゃんや周りの人間の手間暇を考えたらいまのままでいいとも思う。
「本当にふわふわですね。……でも結構シルエットはシンプルかも」
俺は猫耳だったのに、と呟く秀に「需要じゃなかな」とは言わずに「天道さんもいるからじゃないかな」と返す。おそらくプロデューサーには思惑があるのだろうが、それを考えるよりも仕事に集中して成果をあげたほうがいいだろう。
「どうですか? 百々人さん」
「うん、ぴったりだよぴぃちゃん」
撮影で使用するパジャマを試着して百々人はくるりと回ってみせる。それを見て鋭心が「よく似合っている」と笑った。
「本当にふわふわだね。ぴぃちゃん、ぎゅってしてみる?」
言うが早いか百々人は手を広げながらプロデューサーの元に駆け寄った。プロデューサーはまるで我が子のように百々人を抱きしめて「本当ですね」と背中を叩く。しばらく百々人はプロデューサーに抱きついた後、振り向きざまにこう言った。
「アマミネくんもぎゅってしてみる?」
「え? 俺ですか?」
「うん。気持ちいいよ」
俺はいいですよ、と言うつもりだったのかは知らないが、「俺はい、」あたりで秀は百々人に抱きしめられてふわふわの生地に顔を埋めることになった。百々人はあやすように秀の頭を撫でて「気持ちいい?」と問いかける。
「……はい。ふわふわですね」
観念した様子の秀はふわふわを享受する気になったらしい。しばらくは秀にくっついていた百々人だが、自分たちを見守る優しい視線に気がついてにこりと笑う。
「マユミくんも」
「……は?」
「マユミくんもふわふわにしちゃうよー」
「いや、俺は、」
大丈夫だ。そう言って持ち上げられたやんわりと百々人を止めるつもりであっただろう手は秀とプロデューサーに取り押さえられた。
「もうみんなでふわふわになりましょう」
「鋭心先輩だけふわふわしないなんてダメですよ」
百々人は半ば十字架にはりつけられた状態の鋭心の胸に飛び込んで背中に手を回す。両手を解放された鋭心はその手をどこに持っていったらいいのかわからない様子で、まるで降伏する犯人のように手をあげていた。
「ふふ、これでマユミくんもふわふわになっちゃったね」
「……ああ」
鋭心はしばらく手を彷徨わせていたが、百々人はそれに気がつくこともなく興味を移す。仕事には大人びた感じでいくのがいいのか、それとも視聴者もふわふわにしてしまうような振る舞いがいいのか。プロデューサーに相談を始めた百々人をまだ現実味がない様子で見つめる鋭心に、秀がしみじみと口を開く。
「百々人先輩はスキンシップ強めですよね」
「……ああ」
「……鋭心先輩はスキンシップ慣れてませんよね」
「……今後善処するつもりだ」
「いいんじゃないですか? 俺もそんなに慣れてないし……」
スキンシップ慣れしてないほうが需要ありそう。
そう真面目に返す秀に、鋭心は「需要か……」と呟いた。
それが一年前の話。
「アマミネくん……助けて……」
「無理ですね」
「いやだぁ……ふかふかにされちゃう……」
百々人は鋭心に抱きしめられながらシアタールームのソファーに沈んでいた。秀は数ヶ月前に爆誕したこのバカップルを見ることもなく、適当かつ真摯な返事を返してポテトチップスを食べている。
「秀にもやったことだろう」
「やられましたね」
「僕の方が長いこと確保されてるんだけど……」
百々人の不満げな声を無視しながら鋭心はポップコーンに手を伸ばそうとするが、百々人を抱えている以上それは叶わない。しかしそれは百も承知なのだろう。伸ばした手をそのまま百々人の頬に伸ばし、萌え袖と呼ばれる部分の布をぽふぽふと当てる。
「ふかふかにされるよぉ……」
「前に俺をふわふわにしてきたじゃないか」
「俺もふわふわにされました」
「いつの話をしてるの!?」
同じことをしているだけだと鋭心は言う。先日のことだが、今や定番となったパジャマパーティの企画に鋭心は選ばれた。そうしてこのふかふかのパジャマを得て今に至る。流石に鋭心は事務所で後輩を抱きしめることはなかったが、こうやって泊まり込みで映画を見にきた後輩をふかふかにするために寝巻きを事務所から受け取ったパジャマに変えた。そうして秀をふわっとしたあとに、百々人をふわふわにすると宣言して百々人を抱っこしてから数分が経つ。
「いやー、顔のいい男のスキンシップって大変なことですね」
「わかってるならマユミくんをとめて」
「俺は百々人先輩にも同じこと思ってましたよ」
最初こそスキンシップの増した鋭心に驚いていた秀だが、鋭心と百々人とお付き合いを始めた結果だと知ってからはそういうものだと自分を納得させて過ごしている。たまにこうしてなぜかカップルに巻き込まれることになってしまうのだが、それはこの先輩たちが自分を好いていてくれていることに他ならない。
だからなんだかんだ秀はこういう時間が嫌いではなかった。ポテトチップスは変わらずにおいしいし、別に二人は人前でハメを外すタイプでもないのでいいかなぁと呑気に構えながら秀は再びポテトチップスに手を伸ばす。
「もーふかふかになりました! おしまい!」
百々人は鋭心の腕から逃れて秀のそばに避難してきた。繊細な雰囲気で誤魔化されがちだが、百々人は比較的上背のある男なのでそれなりに力はある。だから多少は力で劣るとはいえ鋭心の手から逃れることは可能であって──つまり、さっきまで大人しく抱っこされていたのはそういうことであり、そういうことであるから秀は何も言わない。
「百々人はスキンシップが減ったな」
「マユミくんが増えたんだってば」
「どっちもどっちですよ」
鋭心はスキンシップが増えたし、百々人は減った。鋭心としてはお付き合いを始めて増えることはあっても減る理由がわからないと首を捻るが、秀としては言わせてやるなという感想しかない。それでも理由が知りたいと言う鋭心に絆された百々人は一言「照れくさいから」だと端的に理由を述べたのだが、鋭心はそのあたりの機微に疎い。
「愛しあった人間とは触れ合いたいと思うものではないのか」
「愛しあっ……いや、わかるよ? わかるけどさ、」
単純にタイプが違うだけなのだろう。恋人になって照れがなくなるか、照れるようになるかというそれだけの話だ。そして、鋭心と百々人は決定的にタイプが違う。
「キミはそうかもしれないけどね、友達にするスキンシップと恋人にするスキンシップは違うの」
そう言って百々人は秀の肩に頭を預けた。秀の「うっわ巻き込まないでくださいよ」という悲鳴も虚しく、鋭心はじとりとした目線を秀に向ける。
「鋭心先輩、あれですよ。百々人先輩は鋭心先輩を愛しているからこそ軽率な行動をしなくなったわけで、」
「……わかっている」
「ほらぁ! 鋭心先輩が拗ねちゃったじゃないですか!」
もちろん冗談だとはわかっているが、彼が恋人のスキンシップを得にくくなったのは本当だ。鋭心はそんなことで気を損ねるような人間ではないが、持ち前の演技力でしっかりとした憂いの表情を作り上げ、秀を挟んで百々人の反対側へと腰掛けた。そうして、空いた秀の肩に頭を預ける。
「昔はよかった……」
「昔は僕のこと好きでも嫌いでもなかったでしょ」
「それは百々人もだろう……そういえば、百々人はいつから俺のことが、」
「俺を挟んで恋バナしないでくださーい」
ポテチ食べられないんですけど。秀がそうぼやけば百々人が秀の口元にポテチを運びながら笑う。
「はい、あーん」
「百々人先輩わざとやってるでしょ」
「秀……」
「俺もうツッコミませんよ」
勝手にイチャイチャしてください。そう言って屈んだ秀の後ろで、鋭心がポテトチップスを噛み砕く音が聞こえた。