春の織姫、明日の彦星これから1日間。
人生を賭けた戦いになる。男、桜木花道、ここは絶対に負けるわけにはいかない局面だ。
負けられない相手はルカワである。と言ってもバスケの話ではない。
オレは実はちょっと人には言えない秘密を持っているのだが、特にあいつに知られるわけにはいかない。明日1日、この秘密を守り通せるかの戦いなのである。
「明日部活休む。リョーちんには言ってあるから」
まんまるの月が浮かぶ部活の帰り道。自転車を押すルカワと一緒にゆっくり歩く。オレの言葉に珍しくルカワが目を丸くして足を止めた。今は春休みではあるが部活は毎日ある。練習時間以外でも朝練や居残り練習を毎日しているオレが突然お休み宣言をしたのだから、驚くのも当然だった。
「なんで」
「言えねー」
「なんでだ」
なんでも説明しなきゃなんねー理由はねーと言いたいが、オレとアイツはいわゆるその『オツキアイ』というものをしている。
なので聞いてくるのは当然でもあるけど、うまい言い訳も見つからないので、言えないで押し通す。
「…水戸は理由知ってんのか」
「……」
「知ってんだな」
長い付き合いだからな、知ってるけどな、でもいいんだ洋平に知られてもなんの問題もない。兎にも角にもルカワにだけは特に知られちゃいけねーんだ。
「言え」
「言わねー」
「てめーんち行く」
「ダメだ。今日はまっすぐ帰れ」
「じゃあ朝行く」
「じゃあオレが洋平んち行く」
なぜかこいつは洋平を目の敵にしているので、こう言ってしまえば渋々手を引くことが多い。顔には不満と書いてはあるが。
その表情のまま顔を近づけて来て、オレの下唇を喰んだかと思うとそのまま軽く口付けられる。
最近ようやく、ほんの少しだけ、慣れてきた、かもしれない行為ではあるが外でするのは、さすがにどうかと思う。
慌てて離れて口元を隠して睨みつける。
「浮気宣言すんじゃねー」
「してねーよ!」
あらぬ疑いをかけられた怒りに頭を小突いて、その勢いのまま走り出す。
「じゃあ、2日後の朝練で!!」
ルカワが納得したかどうかは別として、話はこれで終わりだ。
片手を挙げて別れの挨拶を告げてからその場から走り去った。
休みの日も一緒にバスケしてることが多いから、丸1日も会わないなんて、久しぶりだな、なんてちょっと感傷に浸りながら。
——
そして運命の日。
ルカワが9時の全体練習から出るとすれば、その前に来る可能性が高い。さすがに行動パターンは読めている。今現在は朝の6時。休みの日に出かけるには随分早い時間だけど、あいつが来る前に行動を起こさねばならない。
大きめのパーカーにちょっと緩いジャージのウエストを紐で締めて深くキャップも被る。目立つ頭は特にしっかり隠しておかなければなるまい。ボールとタオルを持って家を出て、近くのコートまでは走って体力作り。天才は部活は休んでも努力は休まないのだ、と意気揚々と玄関から駆け出した。
ストバスコートに向かう途中で見慣れた姿を車道越しに見かける。
あぶねーあぶねー。あいつマジでうちに来てやがる。
あのねぼすけキツネがわざわざ早起きして来てくれていることに少しだけ心は痛むが、これだけは譲るわけにはいかない。どうにかして撒かないと。部活帰りもうちに寄るだろうか。これは本気で洋平んちかな、と頭を悩ませつつ。
何はともあれ今朝はどうにかやり過ごせたことに少しだけ安堵してコートに向かう。
さすがに早すぎるせいかコートには誰もいなかった。ボールはいつもより少しだけ手に馴染まないが体は軽い。タンタンと軽いドリブルをしてゴールを見上げる。ジャンプシュートを練習するつもりだったけど、まずは庶民シュートからだな。
ドリブルをしながら数歩進んで、勢いよく助走をつけて跳ね上がる。そしてその勢いでキャップが落ちた瞬間。
「どあほう!!!」
よく知った声が背後から聞こえて手元が狂う。手から放ったボールはリングに当たって跳ね返り、見事にオレの頭を直撃した。
「いってぇえぇ…えーえー…」
乗ってた自転車を倒してこっちに走ってくるルカワが見える。逃げるか、逃げられるか。
頭を押さえて考えているうちにもう目の前までルカワが来てしまっていた。これは、もうしらを切るしかない。
「ドチラサマデショウカ」
視線を合わさないように俯く。キャップは落ちてしまったので、今更だが一応パーカーを被った。
「何やってんだ」
「バスケ…」
「説明、しろ」
「あ、ここ使いマスカ? ドーゾ! さよーならぁ…」
じりじりと後ずさって距離を取ろうとした途端、腰を掴まれて肩に担ぎ込まれる。いわゆる俵抱き。
「ぎゃあぁあああ」
「うるせー。なんでこんなちっさい女なってんのか説明しろってんだ」
ドスの効いた地を這うような不機嫌全開の声を身近で浴びて震えが走る。
あーばれた。これは完全にバレている。
「……説明スルノデオロシテクダサイ…」
「……」
「じゃないと説明しない」
「……」
ようやく地上に下ろされてルカワを見上げることになる。いつもは同じくらいの目線だというのに屈辱だ。お互い立っているのに見下ろされていて、頭上からの圧力にまるで正座を強いられているような気分になる。思わず俯くと頭から被っていたパーカーを下ろされて、まじまじと覗き込まれた。
「なんでバレるかなー…」
「わかんねーわけないだろ。ここに来てるのも想定内」
オレの今の姿は髪の毛こそ赤いものの、背はルカワの顎くらいまでしかないし、そもそも骨格も細くなってしまって、間違いようもなく女の体をしている。それをわかっていたから部活を休むと宣言していたのに、行動パターンを読まれていたのはお互い様だったようだ。
「いやこの見た目でよくわかったなってこと」
「だからわかんねーわけねーだろって。…つか服ぶかぶか」
上からパーカーの中を覗き込まれる視線を遮るように自分の胸元を掴む。
「うるせー」
家にある精一杯小さい、中学の時の服を着てもさすがににデカくてゆるゆるなのだから仕方ない。この姿になるのは年に1日だけだし、わざわざ服を買う気にもなれなかった。
そう、つまりは年に1日間こんな姿になってしまうからルカワを避けようとしたのだ。それなのにあっさり見つかってしまって何とも決まりが悪い。最初よりかは幾分機嫌が治ったらしいルカワの口調に少しだけ顔をあげると複雑な表情をしたルカワと視線が合った。
「後ろ乗れ、うち行く」
「は? なんで」
「いいから、乗れ。嫌なら担ぐけど」
「…乗ればいーんだろ」
今はなんせ体格差で分が悪い。ていうか今日は見つかった時点で正直詰みだ。
こんな朝の7時前から行っていいのかよとか色々文句を言ってみたが、何も聞き入れられはしない。自転車の後ろに乗せられて、すっかり大きくなってしまったルカワの背に(実際は自分が小さくなっているのだけど)コツンと顎を当てる。
「驚いてねーの?」
「驚いてるし隠そうとしたことに怒ってる」
と言われれば身を震わせて従うしかないのである。その自転車は二人乗り史上最高速度を叩き出し、オレはひたすら黙ってしがみつくしかなかった。
——
流川家ではそれはそれは大変な騒ぎだった。
「楓…そ、そのお嬢さんは一体…」
ルカワによく似たお母様に困惑とともに出迎えられて、申し訳なさでいっぱいになる。これまでの人生であまり大人から快く受け入れてもらった記憶のない赤い髪が気になって帽子を脱ぐこともためらわれた。それになんと言っても平日の朝である。
ルカワが家に連れてきた理由もわからず、なんとも言えずにいるオレを気遣うでもなく、ルカワは勝手知ったる自分の家の中にさっさと入っていってしまった。
「なんか服貸して。こいつが着れそうな奴、適当なのでいいから」
「ちょっと。楓? こんな朝から一体。ってえーと初めまして。お名前は…」
「は…え、えーと…はな…」
「花ちゃん…? え、まさか彼女? 拐われてきた?」
「い、いや拐われたわけでは…」
「あ、よかった。ちょっとあまりにもびっくりして。服はいいけどとりあえず上がって」
「オジャマシマス」とぎこちなくご挨拶をして、こっち、とルカワの手招きに従って家に上がる。
ルカワの家族にまさかこんな形で会うことになるとは思わなかったけど、好意的に迎え入れてくれることに少しだけほっとする。不自然な登場の仕方をしたオレを問い詰めるでもなく、あっさりと了承の言葉をくれるルカワの母親に、自由に育ちすぎたルカワの生育歴を少しだけ垣間見た気がした。
促されるまま2階へ上がって部屋に連れていかれたかと思うと、ポイポイと服を渡されて恥ずかしながら女性の前で着替えさせられた。今はオレも女の体ではあるが、恥ずかしいことは恥ずかしい。スカートはイヤだとか色々文句を言ったせいで、あまり変わらないラフな格好にはなったがサイズはぴったりになったので動きやすかった。
その後でルカワの部屋に問答無用で連れて行かれてベッドに座らされる。
審判のお時間である。
「練習行かなくていーんか」
「早く話せ」
「…年に1日間だけ、こーなる体質だ」
「は?」
「どうせ明日には戻るから忘れろ」
「忘れるわけねーだろ。なんでそんなことになってんだ」
ベッドに腰をかけるオレの前に腕を組んでルカワが立ちはだかっている。じりじりと距離を詰められればもう白状するしかなかった。
と言っても体質だと、そういう枠から外れた人間がこの世にはいるのだとしか言いようがない。
「生存本能? みてーなやつで…。春の…一定時期になると雌になる」
「春…生存…雌…?」
頭の上にたくさんの疑問符を飛ばしたあと、ものすごい悪人面でフッと笑ってオレの耳元に顔を寄せてくる。
「ハツジョーキにメスになんの?」
低音で耳に直接吹き込まれるように囁かれれて、思わず腰が抜けそうになった。違う、決してルカワに屈したわけじゃない。強いていうなら本能なのだ。強いオスに惹かれる本能。今は姿形がこんなだから、そう感じるだけなんだと自分に言い聞かせて、ルカワをどうにか引き剥がして距離を取る。
「てめーは部活行けよ。オレはこんなんじゃ行ってもどーしようもねーし。あの公園に練習しに戻るからよ」
「オレも休む」
「だめだ。なんか怪しまれるだろ」
「どーせバレてる」
「うっせ」
「……午前の練習終わったら帰ってくる。それから相手してやるから午前中は家で静かにしてろ。1人で公園で練習すんな」
「…………ワカッタ」
どうにかルカワが折れたので、仕方なくオレもそこで妥協する。
突然お邪魔したことと、服を借りたことにお礼を言って、流川の家を後にする。
また自転車の後ろに乗せられて、ちゃんと捕まっておけと言われれば、振り落とされては困ると流川の背中にしがみつく。
両腕と額に感じる体温に熱い息を吐いて、背中に顔を押し当ててバレないように匂いに浸る。そういえば恋人ができたら自転車に2人乗り、なんていうのもアコガレだったな、なんて思いながら。
——
宣言通り午後にはまたルカワが家にやってきた。
「午後は行かねーって言ってきたから」
と自分都合の予定変更を携えて。
「行けよ!」
「行かねー!」
とオレんちの玄関で不毛な押し問答。正直言うとひとりでいるのもつまらないし、嬉しい気持ちもないわけではない。どう言ったってこいつが折れることはないので、特に分が悪い今日は早々にこっちが折れざるをえない。
「…ルカワ、昼飯食った?」
「食ってねーからどっか食いにいこ」
ん、と言って手を差し出される。少しだけ右に傾げられた顔が妙に甘さを醸し出していて照れ臭い。ルカワとお付き合いなんてものをしてから、手を繋いで歩いたことなんて数回しかない。しかも当然夜遅く、人目がない時にこっそりとだ。
「手、繋いでデートすんのが夢だったんじゃねーの?」
「!?」
そういえば付き合いたての頃、彼女ができたらあれしたかったこれしたかったと話したことがある気がする。まさかそれを覚えていて言ってるんだろうか。このルカワがオレの些細なぼやきを覚えていたってのか。意外すぎる。
「それならてめーが女の子になるべきじゃねーの?」
「オレはそんな体質じゃねーし、別に普段からやったって構わねー。てめーが勝手に世間の目ってのを気にしてんだろ」
「ふぬ…」
なんか言いくるめられてる気もするが、確かにどうせオレだってバレるわけもないし、普段できねーことやってやると開き直ることにする。
「ファミレス行こうぜ。オレでっけーパフェ食べたい」
メシにならねーとか文句が聞こえたけど、バカめ、デザートに決まってるだろうがと言い返して、ルカワの手を取って歩き出した。
ちなみに手を繋いでデートが夢だったんじゃない。登下校だ。惜しかったな、キツネくんよ。
——
そのまま手を繋いでファミレス行って、普段なら3口くらいで食べ終わってしまうようなハンバーグで腹一杯になって、これは得だと感動しながらパフェも頼んで、甘いものがそんなに好きじゃないルカワの口に無理やり放り込んで、「あれ?これはアーンってやつでは?」と後で気付いて赤面した。いや違うんだ、やりたかったんじゃない、やってもらいたかったんだと誰にでもなく心の中で言い訳して、それでも着々と『やりたかったこと』をこなしていくのがむず痒かった。
「あと何」
主語なく無愛想に言われるのも今日は何故かムカつかない。うーんと悩んで見せて。
お付き合いができたら何をしたいんだったか。手を繋いで、一緒に学校から帰って、休日にデートして。そういえば自転車の2人乗りも候補にあったけど、すでに昨日やっている。色々な理想のお付き合いが頭をよぎったけど、どれも全くぴんとこない。
「ルカワ、やっぱりバスケしよーぜ」
デートらしい時間はファミレスだけで終わり。やっぱりこいつとはそれが一番いい。そんなデートプランにルカワが小さく頷いた。
途中すれ違った人たちの視線を感じたり、女の人の悲鳴が聞こえた気がして、オレはより帽子を深めに被ったりしたけど、ルカワは何も気にしていない様子だった。まあ注目されることに慣れているんだろうけど。
そのまま朝も行った公園に逆戻りして、いつも通りに1 on1…とは行かなかった。普段でさえ分が悪いところに勝手知らない体だ。
身長だって多分リョーちんよりちょっと高いくらいしかない。そう思うとリョーちんすげーなと思うけども。
結局シュート練習に変更してお互いに別のリングに向かって練習をしていた。
「随分跳ぶんだな。ちいせぇのに」
軽やかにジャンプする自分を見てルカワが近寄ってくる。
「こうなってる時は身体能力は上がってる感じがする。軽いんだやたらと」
「猫みてぇ」
物珍しそうに見つめるルカワにいたずら心が湧いて、ルカワめがけて勢いよく駆け寄って正面から飛びついてやる。
「ぶっ」
「おーでけぇ! これならゴリよりでけーかも!」
腕と足で巻きついてやって、頭ひとつ分ルカワよりデカくなる。
「……」
オレの胸に顔が埋もれてしまって、何を言いたいのかはわからないが、その様子もまた面白くて身を震わせて笑う。
いたずら成功に気をよくしたのも束の間、低い呻き声が聞こえてきたから慌てて降りようとするけど、今度はルカワにしっかり前抱きにされて、少し降ろされたかと思うとそのままキスをされた。
あまりの恥ずかしさに耐えられず、大暴れして最後には頭突きを喰らわせて脱出した。頭突きの威力は衰えてなかったらしい。
結局日が暮れるまでバスケして普段とあまり変わらない生活で、でも今日はルカワは自転車を持ってこなかったから、バスケしてる時以外はずっと手を繋いで歩いた。普段できないこととをやったといえばそのくらい。
そのままオレの家まで着いてきて、最初あんなに秘密にしなければと警戒したのが嘘のように驚くほど穏やかな1日を過ごした。
——ここまでは。
家に着いてからルカワの様子がおかしい。背後からずっとオレを抱え込んで全く身動きができない。その上後ろからあちこちにちゅーしまくりだし、不埒な手があちこち…足とか腹とか、色んなところを触りまくりっている。
「だー!ベタベタ触るな。変な触り方すんな」
「ナンデ」
そもそもだ、そもそもオレたちはつまり健全なお付き合いしかまだしていない。こんな触れ合いはしたことがないのだ。
普段以上に触れてくる流川に、女の方が良いのかと妙に勘繰ってずきりと胸が痛む。
「だって今までそーゆーことしたことないのに。やっぱり女がいーってなったら困る…ダロー…」
語尾が小さく窄んでしまったオレを無理矢理振り向かせて、ちゅうと少しだけ長めのキスをされる。
「ならねー」
「わかんねーだろ」
「わかるに決まってる。中身がてめーだったらなんでもいー」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられながら耳元で熱っぼく囁くから、変に意識させられてこっちの熱量も急速に上がる。
「信じられるかよ」
「わかった。じゃあ男に戻ったら速攻ヤる。そしていつかこっちでもする」
「そーゆー話じゃ」
「そーゆー話だろ」
「将来ちゃんと孕ませてやるよ」
「ふぬ…」
こんな時にばかりこの現象の真意を正確に把握してしまったルカワにまともな言葉を発せなくなってしまい、顔がますます熱らせることしかできなかったのに
「早く戻れ。性別がどーとかよりバスケが一緒にできない方が問題」
と追い討ちをかけられて、オレはもう体育座りになった足の隙間に、顔を隠すより他になくなってしまったのである。
——
春休みが明けたころ。
湘北高校内では『流川楓が女の子を連れて歩いていた』との話題で大変な騒動になっていたし、その後の流川家では度々盛り上がりを見せていた。
「ねえ、はなちゃん。今度いつ連れてくるの?」
流川の母親も初めて連れてきた息子の彼女、というものに興味は尽きない。
「1年後、かな」
「は? 何七夕みたいなこと言ってるの。彼女なんじゃないの?」
そのツッコミはもっともであったけど
「彼女、じゃない。嫁」
そうはっきりと告げられた言葉に家族は何も言えなくなってしまった。とはいえずっとバスケしか興味がなかった息子の急激な成長に、両親からは戸惑いつつも歓喜の声が上がったのである。
めでたしめでたし。
ーーーーーーーーー
webオンリー限定だと思って自分だけが楽しい話を書きました。
花道は将来🐯の子を産んで、大きくなると人型になる…みたいなケモ化設定もあったんですけど盛りすぎなのでやめておきました。
ゆるゆる設定なので深く考えないでいただけると嬉しいです。