雨の日今日は雨だった。
たくさんの傘が道を埋め尽くし、すれ違うたびにぶつかった傘が踊るように回る。
雨の日は、傘のお出かけ日和。
そんな日は人ではなく傘が歩いているように見えるから、屋上から街を眺めるのが好きだった。
雨音に紛れて着信音が鳴る。今日は一件だけ仕事が入っていたはず。
傘の大行進を横目に、電話に出た。声は聞こえない。
「今日は雨だよ、絶好の傘日和だね」
ぼつぼつと雨が傘を叩く音だけが聞こえる。
耳を当てたスマホからはなにかノイズが聞こえる程度で、雨の音でかき消される。
このBGMをずっと聞いていたい、心地よい雨の音楽祭。そんな雨の話をするとたまに怒る人もいる。乙女の楽しみを少しくらい聞いてくれたっていいじゃないか、つまらない。
「街の中はたくさんの傘がお出かけしているよ、黄色くて、水玉の傘とかじゃないと、埋もれちゃうかも」
傘をクルクル回すと、水しぶきが自分を囲うように地面に飛び散る。
少し傘にたまった雨水を落とすのもちょっと面白い。水たまりに線を描くことができるから。
「あ、水色でもかわいいかもね!でも、雨の日はどんより暗い色が多いから、明るい太陽みたいな黄色がいいな」
『君の髪色のように?』
一瞬だけ、言葉につまった。少し後ろを見たが、人の姿は見当たらない。くすくす笑うと、同じようにスマホの向こうからも笑い声が聞こえた。
『遮ってしまってすまない、黄色が好きなのかと』
「黄色の傘は好き、お花が咲いているみたいで。道路がお花畑になるから」
『この街に花が咲くのは面白い。でも残念ながら、黄色の傘は持っていなくてね』
パシャ、と水たまりを通る音がした。
雨音の中で聞こえた、かすかな音。普段相手の言葉を待つことなんてしない、これは私の天気予報。でもその日は、珍しく途中で言葉が途絶えてしまった。
大通りから離れた、この建物の下にある路地裏に黒い傘があった。車の通れない路地裏で、一人で立っている。
『黄色い傘じゃないと話せないかな?』
「雨の日だもの、今日はどこででも傘が売っているよ」
「そっか、残念。僕折りたたみしか買わないんだよね」
雨音に混じって、男の人の声がした。
電話越しと、背後から聞こえる声が全く同じ。ちょっと強引なお客は好きじゃないな。
視界の先にうつる傘は、大通り沿いから近づいてきと他の傘と並んで歩きだした。なんだ、傘の待ち合わせなら仕方ないなぁ。
「残念だなぁー、黄色い傘を持ったお兄さんも見て見たかったのに」
振り返ると、黒い傘を指した男の人が立っていた。
お兄さんといったものの、ロングコートの袖から覗く白手袋や、傘の下で笑っている顔を見るとお兄さんよりちょっと年上かも。
「そう?似合うかな」
「髪色にも近いから似合うんじゃない?それか赤の水玉もかわいいよ、リボンとお揃い」
そういうと、リボンタイをおさえて笑っていた。リボンタイに白手袋、どこかで聞いたような容姿をしている気がする。誰だっけ、なんかの館。
「今日は、何をお求めで?」
プツリと電話を切ると、相手もゆっくりスマホを下ろした。
傘の下でゆっくりと瞬きをしたその瞳は、さっきよりもずっと私を見ているようだった。