この街にやってきてしばらくの話いつも走ってやってくる彼は、朝から館に顔を出す日に遅れてやってくることがしばしばあった。
特に深く気にしてはいなかったが、環境に慣れないにしても館にくるようになってから、疲れが見えることが増えている。
話を聞くと、本部からは近いが、人が多い地域から離れた場所に住んでいるらしい。
本部から離れた館に直行する場合は、早めに家をでるらしいが、どうも起きれないことや、寝付けないことが続くとか。
「すみません、自分の不注意なんで、以後気を付けます」
朝起きることが特別苦手というわけでもないらしい。経験不足による未熟さはまだまだあるが、基本的なコミュニケーション能力はある。部下として手放す判断はまだ早いと、珍しく仕事以外で動いてみることにした。
「最近、現場の仕事も少しずつ増えているけども。なにか気になることでもある?」
「気になることは…慣れてないんで、あるとは思うんですけど…悩むほどでは」
「君が寝る間も惜しんで勤しむ趣味があるならば、止めはしないけども」
「な、ないです!早めに寝ようとはしてます!」
「他のケイに相談してみたらどうだい。医療チームは新人のケアサポートもしてくれるだろう」
「…その…わかりました」
なにか言いたげだが、口を閉ざした。
自分の元に来ること自体が影響している可能性もあるか、と口には出さないが浮かんでいた。
「まだこの街に来て間もないだろう、休みがほしければ今ならとれると思うよ」
「そうですか…ありがとうございます」
どこか散漫としている。
休息が取れていないようだが、そこまでケアするほど人に献身的でもない。だが、また部下を失い上からつつかれるのも好ましくない。
らしくないと思いつつも、彼の背中はここにきた時よりも、元気がないように見えた。
たまたま夜、街で彼と会った。
「お疲れ様」
「お、お疲れ様です。Oracleさん」
今日は早めに仕事を切り上げさせたからか、私服で街中を歩く彼は、帽子を被り両手にビニール袋を持っていた。買い物帰りのようだ。
「ここから近いのかい?」
「いや、もう少し中心部から外れたところです。家の回りは買い物する場所がなくて」
ここから外れたところ
中心部から離れたところは、場所によっては閑散とするか、治安が別の意味で悪化しているか、だ。
「…場所だけ教えてもらってもいいかい?念のために」
「え、えっと、ここから…」
「持つよ。街はずれなら、念のため見回りもかねて、ね」
「いや、そこまでは…」
そう渋る彼の前に手を出すと、こちらの様子を見て恐る恐る渡してきた。普段はこうするのはする柄ではないが、なんだか、何かある気がする。
「ここまで離れてるのか」
「普段は走ったりしてるんで、そんな気にならないですけども」
しばらく歩くと、人通りは減り、少しずつ暗がりが増えてきた。この周辺は人も少なければ、そもそも空き家ばかりが多く、荒廃した家がそのまま残されている。
「…一人で暮らしてるのかい?」
「えぇ、その…この街の外からきたんで」
「家はどこで借りたんだい?」
「本部から、近いアパートを紹介してもらったんです。狭いですけど、生活できないわけではないんで」
そんな制度もあった気がするが、大抵は最低限の生活ができるであろう環境を手配していると聞いた。この街の組織は、街の外の人間にも手厳しい。
何かある気がする、この違和感の答えがでた。
彼が足を止めた先にあるのは、二階建てのアパート。錆び付いた階段と、溢れ返るポスト。
二階の角から二番目の部屋、というが、その部屋を目でおった瞬間、すべてがわかった。
「……ここに住んでどれくらいたつ?」
「えっと、研修が終わった頃からですかね…Oracleさんの下につく少し前、なので1ヶ月くらい…?」
「それまでは?」
「…知り合いに泊めてもらっていて…あ、変な人ではないです!この街にきたときに助けてくれた医療関係者の知り合いで…」
街の外からきた、といったからか、変に弁解しようとしているが、知りたいことはそこじゃなかった。研修期間中は問題なかったのも、これが原因だったのかもしれない。
「急で悪いけど」
「え、なんですか?」
「手当ては申請するから、すぐに引っ越した方がいい」
「え?引っ越しですか?」
「こっちで探しても構わなければ、すぐに手配するから、荷物だけまとめてくれ」
「ちょっと待ってください、なんでですか?」
「…君はこのアパートにいて、何も思わないのかい?」
「何もって…古いですけど…別に住めないわけじゃ…」
住む環境を指摘されているのかと思い、少し怪訝な顔をしていたが、その様子だと本当に気づいていないようだった
「このアパートで、他の住民と会ったことは?」
「ありますよ、挨拶しても無視されることが多いですが」
「日が昇ってる時間で?」
「昼間とかですか?ないといえば…ないですけど…」
「……この街にはね、空いてる住居でよからぬことをする人間の方が多いんだよ」
「…危ないってことですか?」
少しずつ察したようだが、最後まで説明すると今夜の宿に困るかもしれない。ただ、それを確認したところで余計なことでしかないだろう。
「君は霊的存在を信じるタイプ?」
「えっ…信じるもなにも…見えないけど…そういうはなしですか…?」
顔を青くしているが、これまで見えていないのであれば、今後も見えないだろう。
口角をあげると少し拍子抜けしたような顔をしていたが、残念ながら期待を裏切る言葉を続けることになる。
「そうだねぇ、館に連れてこないでくれるのなら、住んでても構わないけども」
数日後、彼がでてからアパート調査したところ、姿を眩ましていたドロの情報が、いくつか更新されたらしい。ついてこないことを願うばかりだ。
「おはようございます」
「おはよう、今日は早いね」
最近は足取りが軽いようで、遅れることはほとんどなくなった。夜もよく眠れているらしい。
「はい、おかげさまで」
「それはよかった」
「…あの、Oracleさん。他の人から聞いたんですけど」
「ん?」
「Oracleさん…ここまでしてくれるのはいままでなかったって…その…ご迷惑をおかけしたのなら、すみません…」
少し目線だけを落として、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。誰かが余計なことをいったのだろう。
「…部下の体調管理に問題があれば、上長も詰められるのは当然だ。ここまでする部下がいなかっただけだよ」
「…すみません、今後気を付けます」
「これは僕の一人言だけど、いままでで一番長く勤めた部下は、1週間だよ」
「え?」
拍子抜けした顔を最後に、背を向けた。
なにか言いたげだったようだが、罪悪感を抱くよりもやってもらいたいことはたくさんある。
「それじゃあ、この書類、お願いしてもいいかな?」
本部にもっていく書類を手渡すと、彼は顔をあげ、大きくうなずいた。
前を走る人間は、うつむいている暇などない。