「主、湯冷めしてしまいます。せめて何か羽織って下さい」
「まって、今は手が離せないから」
適温の湯船から出てきたばかりの身体からはほかほかと湯気が立っている。濡れた髪を包んだ頭部のタオルは湿り気を帯び、床では拭き残した雫をマットが吸い込んでいた。まともに布を纏わず、衣服を着ると言う人間らしさからかけ離れた姿の彼女はしゃがみ込んで通信端末へ熱視線を送りながら指を滑らせている。
「主、」
「待ってってば、もう少しなの」
焦れたような声色で近侍が再度声を掛けると、気を散らしてしまいそうだと食い気味に返答が投げ返された。はあ、と呆れたような溜息は聞き慣れているお蔭で彼女に何の影響も生まない。たしたしと液晶に指を忙しなく押し当てては連打し、時には滑らせて目的の位置からずれた動きが見えるとああもう、と悔しそうな声を上げる。すっかり湯気の消えた身体は徐々に冷え始めていたが、そんなことは知らないとばかりに目の前の電子板にしか集中していなかった。
「よしっ、後少し、ッわ、何!?」
「そのまま続けていて構いません。いつまでも肌を曝し続けて風邪を引かれるくらいなら俺が御召し物を着せて差し上げます」
彼女の背後に移動した近侍はそのまま脇下へと手を差し込んで持ち上げ、無理矢理に立ち上がらせると襦袢を広げて狭い背中を押し込んだ。抵抗する間もなく包み込まれてしまい、不意打ちの行動に文句の一つでも言ってやろうと振り返った彼女はしかし、至近距離にある顔を見て何も言えなくなった。普段通りの端麗な澄まし顔だが、その瞳には確かに怒りの色がある。そこまで怒るか、と思いながらもそろりと顔を正面に戻して画面を見つめ直した。
「全く、どうして服を着てからすまほを触らないのですか。夏とは言え、人間は冷えれば体調を崩してしまうんですよ」
「だって通知が光ってるんだもん」
「だからと言って裸のままでいる必要は無いでしょう」
「……露出サービス!」
物凄い勢いで近侍の眉間に縦皺が入った。しまった滑ったぞ、と思ったものの後の祭りである。
「え、えへ……でも嬉しいでしょ?」
「……俺だってね、」
「うん……?」
「俺だってねえ、できるのなら普通に劣情を催したいですよ。しかし、貴女が人らしい行為を放棄している危うい場面で起つわけが無いでしょう。それよりも俺が補って差し上げなければと思う気持ちが前に出過ぎてしまって、結果このような有様なんです!」
後半へ向かうにつれて声高になっていく主張に対し、すみません、とか細い声で呟きながら液晶の電源を落とすしかなかった。
「湯上りには!服を!着て下さい!」
「はい……」
これが後に忠臣の顔も三度まで、の由来となるとかなんとか。嘘ですが。