きっと仕方の無いことなのだ。私は王族で彼は騎士。そもそも結ばれることすら難しかったはずの恋だもの。だから今こうして彼と密接な関係を持つことができているだけでもありがたいことだと。これ以上を望むのは浅ましいことだと。ざわつく心に何度も何度も言い聞かせる。
でも。それにしたって。
(そろそろハグくらいはしてみたい……!!)
は、はしたないかしら!?こんなことを思ってしまう王女なんて。でもカラムと正式な婚約者になってもう一ヶ月になるのに!一緒にお茶をしたり散歩をしたりすることのみに留まっているのは流石に、流石にペースが遅いのでは!?
もちろん、王族としてちゃんと弁えてはいるつもりだ。本当の夫婦になるまでは身体を、身体を!か、かっ……さねるところまでいくのは!よろしくないことだってわかっている。……でもハグくらいまでなら、もう進んでしまっても大丈夫なのではなかろうか……?うぅ、なんとなく落ち込んできた。カラムのことは信じているのに。私に魅力がないとか、そういうネガティブな理由で手を出してくれないわけではないことだって、わかっているのに。
あのカラム隊長だもの、私のペースに合わせてくれていることは間違いない。つまりカラムが未だ待ってくれているということは私は……私は!きっと!絶対!今ハグしたらキャパオーバーで爆発してしまうということで……!!
私もこれでも自身のそういうところくらいは察しているつもりだ。なにせ前世から数えて云十年生きてきている中で本格的なお付き合いは今回が初めてで、この精神年齢で恋愛初心者にも程があるレベルなのである。しかもお相手は年上。こちらに余裕などあるわけがないだろう。
まあそうは言いつつ、彼との接触がまるでないかと言えばそういうわけでもなく。エスコートしてくれる中で手や腕に触れることもあれば、お話をしながら私の心を落ち着かせるように、この手をその男らしい両手で優しく包み込んでくれたりもする。いずれも婚約者になるより前から時々してくれていたことではあるけれど……待てよ、そもそもよく考えたらダンスを踊る時などにはハグレベルに密着していた。ダンスの時に平気だったならハグも平気な気も……いや、婚約者になってからだとちょっと心境も変わってくるのかもしれないし……あら?そういえば防衛戦の後カラム隊長に私──
「プライド様?」
「っはい!!!」
突然思考の海から引き上げられて肩を跳ね上げる。私のその様子を受けて慌てて謝るカラムに問題ないことを伝えるが、内心穏やかではなかった。私ったら本人とのお茶会中に本人を前にして考え込んでしまっていたの!?
「しばらく百面相をされていましたが何か心配事でも……もしや予知を?」
「いっ、いいえ予知では!すみません、なんでもないんです……」
「本当に……?」
心配そうな顔でこちらを覗き込んでくるカラムと目が合うと、考えていた内容が内容だったものだから顔が猛烈に熱くなってくる。ど、どうしよう、こんな顔じゃ何を考えてたかなんてバレバレじゃない!案の定ハッとした顔になったカラムは頬を少し染めて考えるように視線を逸らしてしまった。ああああああ絶対バレた!!ごめんなさい!!
耐え切れずにとうとう両手で顔を覆うと、カタンと物のズレる音がして、そのすぐ後には彼の気配が傍まで近づいた。何を言われてしまうのかと息を飲む。
「プライド様」
「……はい」
「お手を取っても?」
「…………っどうぞ」
もうどうにでもなれ。未だ熱い頬をそのまま曝け出して両手を差し出せば、跪いてこちらを見上げていたカラムは手袋を外した手でするりと受け取ってくださって。それがあまりにもスマートなものだから内心悲鳴を上げながら目を瞑ると、そんな私の緊張を解すように手を擦り合わせて温めてくれる。
「そろそろ、少し先に進んでみましょうか」
「!!!!」
そこまで悟られて!?思わず目を見開けば優しい笑みを浮かべた彼が眼前に飛び込んできた。……うん、なるほど、完全にバレてますこれは。きっと私から言わせることのないようにと気遣ってくれたのだろう。……流石カラム隊長だ。本当に本当に敵わない。
先に立ち上がった彼が私の手を引いて立たせてくれる。花々に囲まれた庭で二人きり、手を取り合って見つめ合う。……既に心臓が破裂しそうだ。
「どうかご無礼をお許しください」
その言葉に頷いた瞬間、クンッと腕を引っ張られ、そのまま私はカラムの胸元に飛び込んだ。急な勢いにびっくりして目を丸くする私を置き去りに、彼の腕が私の背と腰に回される。驚いた拍子に一瞬止まった私の心臓は、間近に感じる彼の鼓動と匂いを認識した途端急激に走り出した。
「かっ、カラム、」
「愛しています」
「っ!」
耳元で愛を囁かれ、震える。カラムの頬が、すり、と私の首筋に触れるのを感じて、変な声が漏れてしまいそうになって慌てて唇を閉じる。恐る恐るその背に手を回すと腕の力がより強められ、隙間がない程に互いの身体が密着した。二人の鼓動がじんわりと重なっていく。
「お慕いしております……同じ気持ちを返していただけている今を、同じ時を隣で過ごすことの出来る今を、嬉しく思います」
──その言葉でふいに思い出した。
私は以前、カラム隊長に抱きついたことがあったのだと。防衛戦後、私を傷つけた責任を取るために騎士を辞そうとしていたのをどうしても思い留まってほしくて、私は縋り付くように彼を引き寄せたのだ。
なんだ、ハグするのも本当は初めてではなかったのか、どれだけ自分はあの時無意識だったのかと、そう冷静な部分で思いつつ、何かが込み上げてくるのを悟る。彼から伝わってくる温もりに、当時の感情が鮮明に甦ってくる。彼が離れていってしまうかもしれない気配が悲しくて、感謝している自分の心が上手く伝わらないのがもどかしくて……生きていてくれたことに、その体温に安堵して。
(生きていてよかった。貴方も。……私も)
もぞもぞ動くとカラムは腕の力を弛めてくれて。離れる身体に寂しさを感じてしまう前に、私は少しだけ背伸びをして彼の頭を抱き寄せた。彼が私に合わせるように少し屈んでまた抱き込んでくれる。幸せだ。だって彼も私もこうして生きている。今はこんなにも近くにいてくれる。
とうとう零れたそれがカラムの肩口へと落ちた。すすり泣く私にまた腕の力が強まり、優しい掌が私の髪を梳いていった。