お題:買い物「惚れ薬か……」
酒場のカウンター席。酔って管を巻きながら小瓶を揺らす。ピンク色の水面が揺れて小さな波紋が出来た。ラベルに書かれた惚れ薬の文字をなぞって溜め息をつく。小瓶を置いてまた一口酒を煽った。酒精が脳を焼く心地がする。
僕がこれを手に入れたのはほんの偶然だった。旅商人に呼び止められ、これが売れないと帰ったら怒られると泣きつかれたのだ。僕がそれを買うと旅商人は喜んで帰っていった。その背中を見送って、僕はすっかり気分がよくなったのだ。この篤行を理解出来ないアルハイゼンはまたくどくどと毒を吐くのだろうけど。そうだ、不本意だがこの話にはアルハイゼンが絡んでくる。
本当に不本意だが、僕はアルハイゼンに惚れ薬を盛ろうとしているのだ。しかし、大問題がある。アイツは聡い。その聡さでこのスメールを救ったくらいには聡い。そこは認めざるを得ない事実だ。食事に何かを盛ってもほんの小さなきっかけで気づく。そうしたら目も当てられない事態になる。誰だって好きな人に面と向かって恋を否定されたくはないだろう?僕だってそうだ。僕はデリケートな人間なのだ。
そういう訳で僕は酒場でひとり作戦立案をしていた。が、成果は芳しくない。大体、こんなものでアイツの心をこちらに向かせても虚しいだけじゃないか?
「マスター、おかわり……」
グラスを置いて注文する。こんな時は飲むしかない。飲んで忘れるんだ。アルコールが回って意識がふわふわとしてくる。カウンターの向こう側のマスターが何を言っているのかわからない。目の前が白んでいく。
「その必要はない」
森林のにおいがする。同時に低く静かに水面を打つような声がした。それが心地よくて、目蓋を閉じた。だから僕は小瓶を拾い上げる手に気づかなかったのだ。
目が覚めると見知った天井だった。自分の部屋だ。ベッドの上で眠っていたらしい。すっかり夜が明けている。多分またアルハイゼンに運ばれたのだろう。酒代をツケる手間も無くなったし、それはいい。(もちろん、僕のなけなしの名誉に誓って後で返すぞ!)
幸い二日酔いではないが、昨日の記憶があまりない。遡るように記憶を辿っていく。旅商人に出会って惚れ薬を買った。惚れ薬? そういえばと懐を探すも見つからない。酒場に置いてきたのだろうか。懐に手を入れたまま考えていると、ドアが開いた。
「起きたか」
アルハイゼンのお出ましだ。不機嫌なんだか無表情なんだかわからない顔をしている。僕は慌てて膝の上に手を置いた。懐に手を入れたままだと僕は物探しをしていますと言っているようなものだからね。
「君はいい加減自分の許容量を見極められるようになったらどうだ?駄獣でも自分が満腹なことはわかるだろう……まあいい」
あろうことか、息を吸って毒を吐くのが生きる糧のアルハイゼンともあろうものが僕への皮肉を横に置いた。そして腰かけカバンから何かを取り出した。それはピンク色の液体が入った小瓶で、惚れ薬と書いてある。
「あっ、君、それ!」
「忘れ物にならないよう回収したまでだ」
くそう、相変わらず手癖が悪い。何を探るにも遠慮のないコイツに何かを隠し立てするのは骨が折れるんだ。だが、僕が言い返す前にアルハイゼンは話を継いだ。
「実にくだらない」
いつも通りのトーンで言うアルハイゼンはどこか怒気を孕んでいる、気がする。いつも言葉の応酬を楽しんでいるようですらあるアイツにしては珍しい。
「このような手立てで誰の傾慕を得ようとしていた?」
吐き捨てるような言葉に頭が茹っていく。だって、誰にも、彼にも僕の想いを貶す権利などないはずだ。僕の表情が険しくなるのを感じ取ってもアルハイゼンは口を閉ざさない。
「君には、――?!」
反論しようと開いた口に液体が流し込まれた。急なことに驚き、喉につっかえる。肺が警笛をだして僕は咽上がった。しばらく咳き込んだ後、やっと口を開く。
「甘ッ?!」
口の中には絡みつくように甘い後味、アルハイゼンの手にある空っぽの小瓶。それが指し示す事実はひとつしかない。わなわなと叫びが喉元を上ってくる。
「〜〜! 君ってやつは!」
もう惚れてるんだから意味が無いじゃないか!安くなかったんだぞ!そう内心で地団駄を踏んでいるとアルハイゼンが僕を覗き込んでくる。その何もかもを見通すような目で見られると僕の恋心もバレてしまいそうで……あれ?
「好きになったか?」
薬を飲んだ後僕の様子が変わらないということは僕が前から好きってことじゃないか! そう気づいた僕を見るアルハイゼンは心底愉快そうに口角を上げている。本当にやな奴!
「……好きだよ」
せめてもの抵抗で前からとは言わなかった。アルハイゼンは黙ってそれを聞いて、しかし何も応えずに立ち上がった。どうやら仕事の時間のようだ。
「ちなみに、それは砂糖水だ」
「……は?!」
君ってやつは! ベッドから跳ね上がり、今度こそ目の前のふざけた奴を殴ってやろうと拳を握る。僕の拳をいとも簡単にひらりとかわして、アルハイゼンは振り返った。
「――それでも君に飲ませた理由を考える時間をあげるよ」