琺瑯鍋の中でコトコトと泡が鳴る。鍋の半分を満たす葡萄の粒から滲み出て来た水分がぷつぷつと鍋の縁に空気の玉を浮き上がらせている。砂糖と檸檬の果汁しか入れていない筈なのに不思議なものだ。
当然部屋は甘い香りで満たされており、それは慣れ親しんだものである故に不快感は無い。
「ユリウス」
そのとろとろ燃えるばかりの心許無い火を前にアルベールは傍らの彼の名を呼ぶ。作業を任されたとはいえ、調理法を把握している訳ではなく只指示に従っているだけだ。
紅い縁取りで白く泡となって固まる灰汁を網杓子で掬っては捨てているのだが、切りのないそれに不安さえ過ぎってくる。
「……粗方、取れたとは思うんだが」
「そうだねぇ。ならその鍋は火から降ろそうか」
その言葉に応えるユリウスは変わらず籠一杯に積まれた葡萄の粒を選り分けていた。流し場に置かれた袋には余りにも小さな粒や変色し潰れたもので溢れそうになっている。
これは全部先刻まで裏庭の葡萄畑に鈴生りに生っていたものだ。二人で朝から時間を掛けて収穫したものを、今こうやって調理している。あれだけ見事に育ち良く熟れていたものを破棄するのは何とも勿体無い気がするのだが、自分より葡萄に詳しいユリウスのことだ。歴とした理由があるのだろう。
訝しげな態度にでもなっていたのだろうか、彼は作業を止め、手を拭くと選り分けた葡萄の中から形の悪くない一粒を手に取る。そして、言われた通りに調理台の鍋敷きに鍋を置いたアルベールの肩を軽く叩くと振り向く口許に葡萄を押し付けた。
「……ゔっ」
厚い皮に歯を立てた途端瑞々しい果実の弾ける食感と共に得も言われぬ渋みと酸味が舌を刺激する。眉間に皺を寄せて呻くアルベールの反応に、予想通りの反応だとユリウスはくつくつ嗤う。
「折角時間を掛けて育てたものだけれどね、糖度が低いこれでは葡萄酒には向かないのさ」
だからジャムにするんだよ。と悪戯に微笑ったまま、ユリウスはアルベールの唇の縁をなぞる。冷えた指先に薄い皮膚から熱を奪われ、菫の奥の、更に強い濃色の瞳孔が視線を絡み取っていくのが背筋に走る寒気で解った。
――時間を掛けて私好みの味にしていくのは嫌いではないからね
耳元にそう囁く声が届いた気がする。他意のない目配せにこの後の予定を決められたような、そんな。
芳醇な葡萄の香りの中でアルベールは食欲とは別の生唾に喉を震わせた。