■幻肢痛、あるいは独り芝居 猗窩座がこれまでに失ってきた手足たちがどこかで痛みを訴えたりしたらおもしろいな、それが杏寿郎のもとに残してきた腕だったらどうかな、という話でした。
タイムリミットのギリギリまで腕を引き抜こうとしてたあたり、腕を千切って逃げるという選択はもしかするとけっこう屈辱だったのかもしれないですね。太陽から逃げるだけでなく杏寿郎からも逃げたような形になってしまったので。あのあたりの猗窩座は鬼としての本能というか生き汚さみたいなのを感じてすごく好きです。
白状しますと猗窩座が杏寿郎の心臓を掴んで噛み付くシーンが描きたくてこの話を描いたので調子に乗って描き込みすぎてしまい、トーンを濃いめに貼って少しマイルドにしました。
■ハイエンドエンド これ……猗窩煉か?笑
零巻の内容をふまえて原作8巻や映画をみたときに、「ああ、彼はここで自分の魂の叫びを聞いたんだな」と思ったのでした。
知らんモブがたくさん出てきてすみません。モブを描くのが好きなのです……。
愈史郎に「自分を喰え」と申し出た隊士や、柱を生かすため無惨に特攻していった隊士たちの、その覚悟の途方もなさに私は思いを馳せます。
『一将功成りて万骨枯る』という言葉がありますが、鬼殺隊はまさにそうで、無惨を討った炭治郎や柱たち英雄の陰には多くの隊士の犠牲がありました。原作では名もなき彼らの墓にもきちんとスポットをあて、多くの勇敢な命の上に平和が訪れたのだということを示してくれますよね。鬼滅のとても好きなところです。
で、はたしてこれが猗窩煉なのかというと、煉獄杏寿郎の最後の魂の叫びを引き出したのは猗窩座だからやっぱり猗窩煉です(むりやり)。
余談ですが、この話の猗窩座はいい感じに描けた顔が多いです!
■劫波 猗窩座と煉獄杏寿郎の人生の時間があまりにかけ離れているところが好きで好きでたまらなく、猗窩煉のサビでもあるので、どうしてもやってみたい構成でした。紙がもったいないよ!と思われそうでドキドキしつつ描きました。ページ数詐欺になってしまい申し訳ないです。好意的な感想を比較的いただけたのでほっとしました。
猗窩座が上弦の伍になってるのは完全な捏造ですが、童磨がおそらく猗窩座をすっ飛ばして上弦の弐に駆け上がった横で、猗窩座はこつこつと順位を上げていたのかなあ(そうだとかわいいなあ)と思っています。このへんの数字、特にこだわりはないので雰囲気で伍にしたんですが。ファンブックで知りたかったな~!
ファンブックといえば、原稿中にファンブックが発売されたので、当初のネームでは黒死牟に敗北するシーンでウン十回目の負けみたいな台詞があったんですがあわてて消しました。どうしてそんなに何度もフランクに勝負を挑めると思ったのでしょうか。
黒死牟にボコボコにされる猗窩座は癖です。性癖のページだ(煉獄さんの鍔だ)
初期座くんの服が好きなのでここぞとばかりに捩じ込んでしまいました。それと今に始まったことではないですが尻尾もしつこく長いです。猗窩座尻尾保存協会会員です。
■カーテン・コール 前述の通り原稿中にファンブックが発売されたので、急遽ネームを切った話です。
猗窩座戦の最期を思えば当然なんですが、猗窩座が完全に消滅してしまった、地獄にさえ存在できないということへの動揺がわりと大きく、自分なりのアンサーというか決着のために描きました。短いですが。
彼は狛治の延長線上にいる存在というよりは、無惨によってまるごと作りかえられた人格なのかもしれません。あるいは、狛治の中の凶暴性、残虐性のみを取り出して煮つめたような、そんな存在です。
炭治郎と義勇VS猗窩座の戦いは、狛治VS猗窩座でもありました。であれば、狛治が猗窩座に奪われた身体を取り戻し、負けた猗窩座が消滅するのは自然な流れだと思います。人対鬼の決着として文句はまったくありませんし、その無常さに萌えている自分もいます。しかし百余年のあいだ彼なりに育てた心もあるはずで、それが全部なかったことになるのは単純に猗窩座のファンである自分がちょっと寂しいなあという気持ちでした。
炭治郎は会話の中で猗窩座の人間時代、赤子の頃について触れましたが、それは鬼も人間だった事実を忘れない炭治郎の優しさによるものです。杏寿郎はいい意味でその優しさを持ち合わせていません。「かつて狛治という人間だった鬼」であることなど、考えもしないでしょう。
あの夜、煉獄杏寿郎と戦ったのは紛れもなく猗窩座の魂と肉体であり、「嫌いだ」と突き放した杏寿郎にとって、猗窩座は猗窩座でしかないのだと思っています。
たった一夜かぎりの邂逅に、よくも悪くも猗窩座と杏寿郎はお互いに一切歩み寄ることなく、それから二度と出会いませんでした。杏寿郎から見た猗窩座は十二鬼月の上弦の参でしかなかった、それ以上も以下もない存在であることが、むしろひとつの救いのように私は感じます。
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いろいろと拙い本ですが、お読みくださりありがとうございました。また、この長い言い訳にまで目を通してくださってありがとうございます。どれかひとつでも気に入った話、シーン、絵があれば嬉しいです。
──花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、剪らなければならぬ。あの人を、一ばん愛しているのは私だ。どのように人から憎まれてもいい。一日も早くあの人を殺してあげなければならぬ──
太宰治『駈込み訴へ』より