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    こまつ

    @shimamorota

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    こまつ

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    豆本の中身です。
    詳細はこちらhttps://x.com/amoamyammond/status/1950335817701883990ご参照ください。
    タグはうそつかないので、リゾプロです。

    #リゾプロ
    lipoprocessing

    しらぬいひめ じつに奇妙なお客でした。
     彼(と言うように彼女には見えず)ら(と言うように個人客おひとりでなく二人組にこいちでした)は、とっても小さく、とてつもなくキュート、とにもかくにもいたいけでした。そのうえとびきりふくらかでした。玉座を模した豪華なソファの座面なんかよりもずっと。事実彼らはふかふかで――とそこまで言えるのはしかし、従業員の中で唯一、彼(と言うように片方ですが)に触れた花京院だけです。

     厳密に言うと「花京院だけ」は嘘です。彼らをソファにのせた者もいればおろした者もいるわけで、それは花京院ではありません。ですが、ものごとには、厳密さを追求すればするほど逆にとっちらかってしまう性質があります。そうなれば本末転倒です。本来「厳密さ」は、よりこまやかに分類カテゴライズするためのものなのですから。なので大胆に言い切ってしまうことも時に必要になってきます。花京院だけです。いえ、触れることを目的に触れたのはほんとうに花京院だけだったのです。ともかく、そんな彼らがいきなりがつんと入れたアルマンドは、キッチンでの短い協議の末、店にある最小のグラスに注がれることになりました。

     浮かれたマイクパフォーマンスが一段落つき、ダイヤモンドカットの華麗な十五ミリショットグラスが淡金の液体で満たされました。彼らは両面がの小指の先みたいなまるい手先を二つそろえて、重みのましたグラスをひっしと掴んでいました。抱きかかえると言ったほうがただしいかもしれません。ぷるぷるとこきざみに身をふるわせる愛らしさに従業員の大半は顔をゆるめ、同時に内心ひやひやしながら様子を見守っておりました。
     彼らがちょこんとおわす玉座の横に座った花京院もまた、おおかたと似たアンビバレントな心境で、いじらしい姿を斜め上から見下ろしていました。その視界にすんなりおさまったのは、真隣よりも、もう一つ隣のお客――ヘリンボーンの濃紺スーツにあざやかなブロンドが映える彼を、仮に「金姫」と呼ぶことにしましょう――でした。
     金姫は、たいそう美しい青色の瞳の持ち主でした。目玉には濡れたような光沢と、実質不透明だとは思えない透明感のようなものがありました。ふしぎなものだとつるりとした横顔の上の右目を花京院が盗み見ていると、ショットグラスの中のシャンパンゴールドを映したサファイアブルーの瞳が、クリスタルシャンデリアから降り注ぐプラチナホワイトの光とまじりあい、瞬間、魅惑的なエメラルドグリーンに輝きました。
     それは花京院のラッキーカラーで、おまけにとくべつ好きな色でした。時は今と花京院は金姫の均一に薄べったい耳に顔を近づけ、ありのまま今起こった事を話しました。最後にこそっと、このような美しいものにお目見えできたことこそがなによりの幸運ラッキーだとささやき添えることも忘れず。
     その時花京院は、金姫のブロンド――頭髪なのでそう形容しましたが、実際ひよこ色に近い――を目の前にし、思わず指を伸ばしました。息をのむほどすべすべでした。そのままそっと指をすべらせてゆくと、頭頂からうなじにかけて、ぽつ、ぽつ、ぽつ、ぽつ、と、四つの「なにか」が並んでいました。頭と同じひよこ色で、耳を縮小したような均一に薄べったい半月型のでっぱりです。むきだしであるのにやけに秘密めいたそれらの存在にはじめて気づいた花京院は、冒険心にかられて親指と人さし指できゅっとつまんでみました。花にとまった蝶の羽をつかむ子供の無邪気さで。
     金姫は、ぬいッと高い声を上げて震えました。
     「し、失礼!」花京院はぱっと指を離し、あわてて金姫の顔を覗き込みつつ謝りました。「 その、あまりにも姫がかわいらしくて、つい」

     この時花京院は、二つのあやまちを犯しています。完全なる無意識ではありませんが、意識的というには熟考が足りず、衝動に行動の舵をとらせたがゆえのあやまちです。慎重な花京院にしてはめずらしいことです。
     まずは、お客に無闇に触れたこと。触れること自体は、その店では禁じられていませんでした。かえってそれを望むお客も、それ以上を望むお客も大勢いました。しかし一方で、たとえばせっかくセットした髪が崩れるとの理由で、どこに触っても構わないが頭だけは接触厳禁というお客もいるのです。断りなく触れるのはマナー違反です。
     そして、金姫に対する一連の接近行為アプローチを、隣に座る、まっ黒の頭巾とロングコートのようなものを身につけたお客――仮に「黒姫」と呼びましょう――の前を無作法に横切り展開したこと。
     ソファと彼らの高低差や位置関係上、横切らざるをえなかったのです。だからといってあとで席を移り「さっきの君は……」とやるのは、花京院的に無し・・でした。こういう文句せりふは、その場でこぼすように吐いてこそ鮮度と真実味が際立つ、と信じていたからです。じつのところ、このところの花京院は若干必死でした。お客からの評判は基本よく、固定客の気前も悪くはないのですが、店のトップランカーたちが有する極太客の散財っぷりには及びません。自分には自分のやり方があると信じつつも、上位陣の豪快な売り上げの立て方を見るにつれ、それこそが正解なのではという迷いがふつふつと込み上げてくるのでした。だからそろそろワンランク上の自分への足がかりとなるお客を掴まねばと張り巡らせていたアンテナが、躊躇なくアルマンドゴールドをぶっこんだ初回客ビジターに反応し、どんな些細な契機も同僚ライバルに先駆けものにしようと勇み足になるのは当然のこと。無邪気が聞いて呆れるとしてもです。
     そんな花京院の謝罪を受けた金姫は、こころなし赤らんで見える頬をぷいとそむけ、さっきよりだいぶ低い声でひとこと、ぬい、と言いました。

     ところで、ここであらためて、「金姫」「黒姫」という仮称についてです。「彼」で「姫」 とはこれいかにとお悩みのことでしょう。その店、ひいてはそのの店においては、おもに名前を明かさない客を「姫」と呼ぶならわしになっています。しかしそれは、あくまで基本的に、女性客に対する呼称です。なので彼らはそれに該当しないはずですが、金姫には「彼」でありつつ「姫」と呼ばせる「なにか」が醸し出されていたのです。同時に彼は、とにもかくにもいたいけでした。もしも彼の「姫感」が「なにか」だけでなく、小ささキュートさふくらかさにも起因するのであれば、同じ形状のお連れ様をも姫と呼ばずに何と呼びましょう。といったところで、二人は平等に姫呼びされることになりました。特別扱いはいけません。

     さて、花京院が身体を引き上げた時には、金姫は今のできごとなどすっかり忘れたように、テーブルのほうを向いていました。ですがそのかわりに、黒姫がじっと花京院を見上げていました。
     花京院を見る黒姫は、いくぶんムッとしたような表情を浮かべていました。艱難辛苦に耐えるみたいに、波がたの線をえがいて結ばれた口。まっすぐつり上がった眉。金姫とおなじく光沢と透明感がある瞳はルビーのような赤で、野生動物のようにするどいまなざしのなかには、めら、と燃え立つほのおのゆらめきが見えるようでした。
     とはいえ彼(ら)は入店した時からムッとしたような顔をしていて、何が起ころうがその表情はぬいつけられたように変わらなくはありました。なので、花京院には黒姫の真意が読み取れませんでした。気にはなりましたが、なにはともあれまずは乾杯だ、と切り替えることにしました。

     途端、喉が不意にむず痒さをおぼえました。むず痒さは、たちまちチクチクとした痛みに変わりました。魚の小骨が引っかかったみたいな、いやな異物感です。ことなるのは、嚥下にともなうそれではなく、どちらかというと下から逆なでされるような具合だったことです。まずい、と伸ばした片手が乾絞かわしぼに届くのを待たず、花京院は盛大に咳こみました。こらえきれなかったのです。逆の手にグラスを持っていたのは幸いでした。花京院はそれをとっさに口の下に添えました。ごほっ、と思いのほか大きな音とともに、シャンパンゴールドの水面に、炭酸の泡よりも小さなあぶくがいくつも立ちました。それらの半分は赤い色をしていて、液面に水玉模様をえがいたあと、細い細い糸をグラスの底へ向けてのばしてゆきました。
     血だ、と気づいた花京院はぎょっとしました。あと半分は、細かい粒のようなものでした。目をこらしてみると、ものすごく小さな四角い銀色のかけら――ネイルアートに使う中ラメに似たものがゆらゆらと沈んでいくのがわかりました。 
     花京院はますますぎょっとしました。けれど、お客の手前無闇に騒ぐわけにもいかず、小さくない動揺を自分の中にこっそりおさめました。そしてとりあえず「失礼」と言いました。この短時間の二度目、軽すぎると思われる向きもあるでしょう。ですが、あまり深い反省を見せてもかえって場の雰囲気を壊してしまうことがあります。そのあたりのさじ加減はむずかしいところなのです。

    「まだまだたっぷり隠してる口説き文句たちが、姫に会いたがって暴れちゃったみたいだ」

     あえて軽薄にきざなことを言い片目をつぶった花京院を、金姫は無言でじっと見上げました。次に、横の黒姫を見ました。そしてまた花京院を。そして黒姫。花京院。黒姫。そうして数度全身ごと視線を行き来させ、最終的に黒姫に固定し、どこかもの言いたげなまなざしを向け続けました。その間、黒姫は花京院に背を向けたまま、ぴくりともしませんでした。
     姫たちのふるまいは気になりましたが、それよりも無様なところを見られてしまったことと、満を持して吐いた言葉が殺し文句としてもジョークとしてもすべったことへのいたたまれなさが先に立ち、花京院は情けない気持ちでいっぱいになりました。回りくどすぎたかもしれない、そういうとこだぞ、と内省しました。その時にはせり上がるような異物感はおさまっていましたが、単に別の居心地の悪さに上書きされて軽減されたように感じただけかもしれません。いったい何だったのだろう、と花京院は考えました。奥歯の詰め物が欠けたのだろうか。前日の接客中、好物のチェリーを口にした時、不注意で種をがりっとやってしまったのです。痛みはなかったけれど、その拍子に金属コーティングの一部がはがれかけ、それが今、身を屈めたタイミングで喉の奥に落ちて引っかかり、細かい破片で粘膜を傷つけて痛みと咳を引き起こしたのかもしれない。わずかな出血はその部分から、もしくは口内のどこかからかもしれない。そう考えて、粗相をしたグラスをそのまま黒服に渡しました。何もなかったように新しいグラスが運ばれ、シャンパンが注がれました。同僚たちは、とくに誰も花京院の異変を気にしてはいなさそうでした。とりあえず、この程度ですんでよかった、と思うことにしました。

     無事、乾杯です。姫たちは大盃の儀で盃を乾すように、ショットグラスを上体ごとぐいと傾けました。元通り背筋が伸びた時にはグラスの中身はいくらか減っていて、にもかかわらず、結ばれた口のまわりはさらさらにかわいていました。減ったシャンパンがどこに消えたのかは、水と帽子と新聞紙の古典マジックのように、消した者のほかは誰にもわかりませんでした。

     姫たちはあきらかに慣れていませんでした。けわしい表情は緊張のあらわれにも見えました。無口なうえ、使う言葉は、ぬい、の一種類でした。コールでマイクを向けられた時も、とまどいながら店に響かせたのは、ぬい、だけでした。二人でこそこそ話す時にはその高低トーンや間に変化バリエーションが見て取れましたが、意味を理解できるものは店の中にはおりませんでした。徐倫一人をのぞいては。徐倫がナンバーワンを張っている理由はいくつか思い当たるけれど、結局のところ聞き上手で喋らせ上手だからだ、というのが花京院的見解です。業界において外見ルックスよりも物を言うと評される話術は「褒め」でも「語り」でもない。本質的に人は話したがり聞かせたがるものなのだから、と。
     諸々とくべつな姫たちには通常の指名制システムが適応されず、毎晩来る超極太客が不在だったことを幸いに徐倫が固定でつきました。あとは数人での分担です。徐倫の手にかかると、あれほど無口な姫たちが、ぽつりぽつりと話しだしました。ぬい、ぬい、と小ぶりな身振りをまじえて懸命に話す姫たちに、うんうん、わかるよ、そうだよね、中間管理職はそこがさ、と徐倫は首を振りました。親身な傾聴にアルコールが拍車をかけ、いつしか姫たちの口は滑らかに回りはじめました。それなのに、承太郎ときたらひどいものでした。そうして徐倫が丁寧にあたためた姫たちがぬいぬいと盛り上がるたび、やかましい! と怒鳴るのです。言ってることがわからない、イカれてるのか? とも言いました。寄せる、ということをしない男ですが、それにしたって、と花京院は呆れました。まったく、これで次席ナンバーツーなのだから、とどのつまり人を惹きつけるのは遺伝的要素なのか? だったら甲斐ないものだ、と捨て鉢な溜め息をつきたくもなりました。怒声が飛ぶたび、かわいそうな姫たちはやわらかな身をぎゅっとこわばらせていましたが、そのつどすばやくフォローする徐倫のおかげでまたふんわりとゆるみ、徐々に調子を取り戻しながらぬいぬいと機嫌よく喋っては、やかましい! を浴びることを繰り返していました。それはある種、二人コンビの刑事から交互に受ける飴鞭尋問にも似て、姫たちはより徐倫への好意を深め心を開いていくようでした。ただ「言ってることがわからない」のは事実です。徐倫はときに通訳めいたこともしましたが、人見知りの姫たちはなついた徐倫にばかり話しかけるので、同席者はひたすら徐倫の相槌だけを聞く時間を過ごすことになりました。徐倫のはからいで会話に加わったのはエルメェスだけでした。その時のテーブルは、ひときわ和気あいあいと華やいでいました。

     賢明で幸運なお客たちと同様、姫たちも明朗な会計を頃合いに済ませ帰ることになりました。
    「今日はごめんね。次は挽回させてほしいな」
     花京院は金姫に顔を寄せて言いました。事故アクシデント好機チャンスと連絡先を聞き出すような打算の一面がなきにしもあらずでしたが、純粋な気持ちでもありました。自分の行動で不快な思いをさせたうえ話し相手にもなれず、申し訳なかったと感じていたのです。何だかんだ花京院は気遣いにたけた優しい男でした。金姫はぬい、と言いました。そんな二人の様子を、黒姫がじっと見つめていました。
     送り指名を受けたのは納得の徐倫、そしてなぜか花京院でした。「エルメェスじゃなく?」「君」「どっちの?」「彼」 黒姫の指名のようでした。豊富な話題を駆使して散々盛り上げたお客の送り指名を、ろくに話さずそっぽを向いていた承太郎に掻っ攫われる経験を何度もしている花京院からすると、驚くべきことでした。たびたび見つめられていたことを思い出し、もしや気に入られたのか、次に繋がるかもだ、と気分を良くしました。
     しかし上機嫌もつかのま、店の外まで姫たちをエスコートする途中、おさまっていたあの喉のイガイガがぶり返してきました。顔をそむけた花京院は手のひらに向けて咳をしました。今度は手のひらに、霧吹きで噴射したような細かい血液と、薄く硬い銀色の小さな破片が飛び散りました。花京院は一気に青ざめました。これはもしかしたら病気かもしれない、とおびえ、不安ですこし泣きそうになりました。ですが、こぶしをぎゅっと握りしめて異変をとじこめ、失礼、と言いました。そんな花京院の先を黒姫は知らん顔で、ドアーめがけてぽてぽて進んでいきました。
     四人は店の外に出ました。花京院は不安を隠してしゃがみ込み、足元にたたずむ黒姫に「今日はありがとう。また会えるかな?」と笑顔を向けました。黒姫は低い声で、ぬい、と言いました。それは、正真正銘黒姫から花京院に向けられた、はじめての言葉ぬいでした。意味はわからないにしてもなかなか嬉しいものだ、と花京院は一瞬不安を忘れて笑みを深め、ゆっくりと立ち上がりました。

     姫たちは寄り添って夜の街を歩き出しました。「タクシーは?」「いいって」
     ちょっぴり酔っ払っているように左右に揺れながら、金姫が黒姫の耳元に顔を寄せ、向き直った黒姫が金姫のまるい手をとるのが見えました。
    「徒歩? 駅まで? あの歩幅あしじゃあ相当……」「どっかそのへん寄ってくんじゃない? なんかそわそわしてるし」
     しらんけど、と徐倫は呟いて、大小とりどりの建物がひしめく街をそれとなく見回しました。
    「彼ら何してる人なの」
     花京院は、ゆっくり遠ざかる後ろ姿を見ながら徐倫に尋ねました。丁重に見送っていた徐倫は、振り返った姫たちに一転いたずらな笑顔で投げキッスを送ったあと、テレクラ? と答えました。
    「テレクラって……あの?」花京院は思わず徐倫に顔を向け尋ねました。「他にある?」「え、それは経営、運営、じゃあなくて、雇われ……サクラみたいなこと?」「『今日何してたの』って聞いたら、そう言ってた」「テレクラ、って?」「そう」「じゃあただの趣味っていうか」「『普段何してるの?』にも『休みの日は?』にもそう言ってた」「テレクラ、って?」「そ」「二人とも?」「うん」「いやでもあの言葉、身体もだけどテレクラは」と食いさがる花京院に向き直り「できてるんならできてるんでしょ。そういうもんよ。あんま話す気なさげだったから、それ以上追求しなかった」と徐倫は言って顔を戻しました。そういうもんかと花京院が徐倫を追って道に目をやった時には、姫たちの姿はあとかたもなく消えていました。

     月のない夜の街にはネオンの明かりだけがいくつもともっていました。まばたきをすると、冷めないアスファルトの熱気にゆがむ空気の中で、明かりは増えたり減ったりつながったりしました。
    「不知火みたいだな」と花京院は呟きました。
    「しらぬい?」
    「新月の日に、南のほうの海で見える現象さ。光の異常屈折で、たった一つの漁火がいくつもの火にばらけて見えたり、ひとつながりの帯のみたいに見えたりするんだ。ちょうど今頃の時期だよ」
     こんな場所とこにもあるなんて、と生ぬるい夜風を味わいながら、花京院は文献でしか見たことのない幻想的な光景に思いをはせました。なんとなくしんみりと口をとじた花京院の横でひとしきり神妙に黙ったあと、徐倫はしみじみと言いました。
    「……こーんなに話題は豊富なのにねェ」
     返す言葉もない花京院の肩を徐倫は笑って軽く叩きました。二人はそろって店に戻りました。



         *



     それから三日後のことです。
    「何かついてる」
     送り指名で店の外に出ていた花京院の足元を、別のお客の見送りを終えた徐倫が指さしました。直径一センチに満たない、丸くて黄色い染みのようなものが、深緑のスラックスの裾に二つ並んでいました。花京院は屈んでみました。服の布とは違う材質のものが貼りついているようです。
    「シール?」
     はがして指先にのせてみると、予想通り、片面には粘着があり、反対の面にはそれぞれ「S」と「I」の文字がプリントされていました。
    「何だっけこれ、どこかで……」と首を捻る徐倫が、不意に「あれだわ」とフィンガースナップを しました。「頭巾の飾りよ。ちっちゃい黒いの。丸いの一個に一文字ずつついてた」
    誰のことかもどれのことかもすぐにわかりましたが、文字が書いていたことまでは花京院は知りませんでした。さすがに徐倫はよく見ています。
    「はがれかけてたのかな」
    「そんなふうには見えなかったけど。もしかしてあんたへのメッセージなんじゃない?」
    「S、I、……?」
     首をひねる花京院の横で、徐倫は取り出したスマホをすばやくあやつり「システムインテグレーション、国際単位系、ケイ素の元素記号……」と呟きながら、すこし間をおいて言いました。
    「スペイン語かイタリア語の、『はい』」
    花京院はびっくりしてたずねました。「彼らってスペイン人かイタリア人だったのかい?」
    「さァね。でも、リゾット、って書いてたから、あの丸いやつに。R、I、S、O、T、T、O。イタリア人なんじゃん?」
    「たしかにリゾットはイタリア料理だ。スペインならパエリアだからな」
    「けどリゾットとパエリアって別物だし、そもそも日本人だからって着るモンにいちいち寿司とか書かなくない? てゆうかあのコたち、何人なにじんとかいう問題じゃなくない?」
     言い出しておいて反論してくる徐倫に言いたいことはありましたが、意見はごもっともでした。納得しかけた花京院に、徐倫が言いました。
    「質問への返事じゃないの? 『 [[rb:S i .> ああ]]』」
    「質問? 彼へのかい? まともに会話できてたのは君だけじゃあないか。僕はろくに言葉を交わしも――」と言ってから「いや」と思い直しました。「『また会えるかな?』って聞いたな」
     ぬい、とひとこと返された時です。
    「それじゃん。やるじゃん。よかったじゃん」と徐倫は決めつけて、スマホをしまいました。
     やっぱりけっこう気に入られていたのか、と花京院はシールを見つめました。「 だったら、そのRISOTTOってのは何だろう? 名前?」
    「名前伏せる客がそんな大っぴらにぶらさげて来るゥ? ブランドかなんかじゃあないの」
    「それなら看板ロゴが欠けてちゃあ形無しだ。へたをすると別の変な意味になったり」
    「パチンコ的な?」と言いながら徐倫はふたたびスマホを出しました。「ええっと、『ROTTO』はねェ……イタリア語で『壊れた』だって」
     眉をひそめつつ「潰れた、破れた、折れた、割れた、ぼろぼろの、苦労などに慣れた、すれっからし」と他の意味を淡々と読み上げていきます。
    「変どころかだ」花京院は切なくなりました。
    「案外ぴったりかも。気苦労多そうだったから」
    「だったら余計、そんな言葉ぶらさげて生活するなんて気が滅入るじゃあないか。次に来るのを待たずに届けてあげたほうがいいかな」
    「連絡先知ってんの?」
    「いや。でも手当たりかければぶつかるんじゃあないか? 根気と金さえ惜しまなきゃあね」
     ぴんときていないような徐倫に、花京院はすこし得意げに言いました。
    「あの日も、普段も、休みの日にまでしてることだ。唯一本人から聞いた君が忘れてどうする?」
     本気ではありません。やりこめられがちな相手から一本とってやろうという魂胆でした。ですが徐倫はにっと笑って「それがさ」と言いました。
    「『明日は?』には『誰にもわからない』って」
    ぐうの音も出ない花京院に、妙に老成してんのよねー、あれでいて、と徐倫は言いました。
    「……彼らはいったい何だったんだ?」花京院は思いきって言いました。
    「さぁ。優しい魔法であれ・・に命が宿ったとか。あるいは本当は人間で、おそろしい呪いであの姿にされたとか。新月の夜にだけああ・・なるの。あるいは満月の夜にだけ人間になる。その場合は本態があれ・・で、人間は仮の姿。あ、でも満月の力で人間に戻れる・・・、ってパターンもあるわね。あるいは、ただただたまたまああだった・・・・・・・・・・・・・
    「どれもそれなりに真実味があるな」
     不知火みたいに、と徐倫が言いました。「光源しんじつはひとつでもね」
    「ちゃんと聞いていたのか」
    「こういうとこよ」と徐倫は胸を張りました。
    「こいつの真実は結局どれなんだろう」と指先のシールを見た花京院に、徐倫が「あっ」とひらめき声をあげました。「『し』かも。シンプルに」
    「し?」
    「死」と立てられた親指の先、整えられた爪の上で、ネオンを反射しきらめく蝶のかたちのラインストーンが、徐倫の首を横切り飛びました。
    「身に覚えが……」と言いながら、花京院の喉にひいていた痛みがよみがえってきました。歯医者にはまだ行っていませんが、指を突っ込んで自分で触診してみた上の奥歯の詰め物に欠けている気配はありませんでした。「なく、は、ない」
    「ウッソ。ヤッバ。ファイト」
     一刻も早く病院で診てもらわねばと思う一方、重い病を宣告されたらと考えるとおそろしく、なかなか足が向きません。花京院はふと、もしかしたらあの二人は死神で、死を予告して回っているのかもしれないと思いました。予告は前座、次に来る時が本番です。それこそが不知火のようにひろがった奇妙なお客の正体の真相に思えて、花京院は一気に蒸し暑さを忘れ寒気をおぼえました。
    「また会えるかななんて言わなきゃあよかった」
    「言ったからにはって考えんのよ」お客にはあれほどなさけぶかいのに、徐倫はいともそっけなく言ってのけました。「そういうとこよ」
     こういうとこか、と思いつつ、首席トップの強みか性格か、ずっと言いたい放題の徐倫に花京院はここらでひとつ釘をさしておきました。「大先輩だぞ」
    「年下じゃん」「でも君の父親は僕と同い年だ」
     彼らは彼らで奇妙な存在なのです。あの奇妙なお客のことをあれこれ言えないほどに。それでも今宵、皆にひっそり微笑むのは、まごうかたなき三日月でした。きっちり暦どおりに、あるいは、ただただたまたまだったのかもしれません。



    (おしまい)
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     厳密に言うと「花京院だけ」は嘘です。彼らをソファにのせた者もいればおろした者もいるわけで、それは花京院ではありません。ですが、ものごとには、厳密さを追求すればするほど逆にとっちらかってしまう性質があります。そうなれば本末転倒です。本来「厳密さ」は、よりこまやかに[[rb:分類 > カテゴライズ]]するためのものなのですから。なので大胆に言い切ってしまうことも時に必要になってきます。花京院だけです。いえ、触れることを目的に触れたのはほんとうに花京院だけだったのです。ともかく、そんな彼らがいきなりがつんと入れたアルマンドは、キッチンでの短い協議の末、店にある最小のグラスに注がれることになりました。
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