【玲i明Webオンリー】燦燦たる友情にある日の朝。
起床からしばらく経ち、自室から廊下へ出ると仕事や学校へ行った人が大半なようで、寮の廊下は静まりかえっていた。
お茶でも淹れようと思い共有ルームのキッチンへ足を向ける。誰もいないだろうと思っていたところに、ソファに座る黄緑色の頭が見えた。
見覚えのあるウェーブがかったその髪に、自然と心が躍って声をかける。
「日和さん」
「あ、巽くん。今日は一人?」
自分より幾分か多忙なはずの日和が、一人でこんなところにいるのを見るのは初めてだった。誰かと待ち合わせているのだろうか。
「ええ。今日は午後から仕事ですので。日和さんも共有ルームに一人でいらっしゃるのは珍しいですね。大体ジュンさんとご一緒な気がしますが」
「ジュンくんは午前中ソロの仕事で、午後から学校に行くみたいだね。逆にぼくはお休みだから暇を持て余してて…一人の時間も悪くないんだけど、なんだか悪い日和。凪砂くんもAdamの仕事だし。さっきまでメアリと遊んでたんだけど…ここにいたら誰か通りかかるかなと思ったんだよね」
「そういうことでしたか。お茶でも淹れようと思って来たのですが…よければ日和さんもいかがですかな?」
「本当?じゃあお願いしようかな」
ということはジュンとはすれ違ってしまうなと思いながら、せっかくここで会ったのだから二人分のお茶を淹れることにした。提案を受け入れてくれたことにほっとして、何を淹れようか少し悩んだ。
「緑茶と紅茶どちらに…ああ、日和さんとのティータイムですので紅茶にしましょうか」
「あ、二人だけのフレイヴァー活動だね。よければ部屋から茶葉持ってこようか?」
「いえ、先日いい茶葉を買ってキッチンの棚に置いておいたんです。そちらでいいでしょうか」
「巽くんセレクトなら間違いないね!じゃあそれでお願いするね」
キッチンの棚を開けて、先日しまっておいた紅茶があるのを確認する。日和の紅茶の好みはサークル活動で把握している。これも日和の好みの味のはずだ。
お湯を沸かしている間にキッチンとソファとで会話をする。ソファの背もたれに腕と顎を乗せて視線を投げてくる日和はオフの時もアイドル然としていて素晴らしいなと感心する。
「この間ジュンくんが『巽先輩と同じクラスなんて変な感じだ』って言ってたね。ずっと憧れてた人だから、嬉しいんだよね、きっと」
「はは、俺も不思議な感じですし、嬉しいですよ。嬉しいというか…助かっている、といいますか」
ふつふつと音をたてはじめるケトルに耳を傾けながら、玲明学園の教室の風景を思い浮かべる。
「助かってる?」
「ただでさえ学年が違う上に、色々あった方が大半ですから。避けられている方もいらっしゃいますし、話しかけてくださる方も…なんというんでしょうか、同情、というか。そういうものが見えてしまって。その分ジュンさんはあの頃と何も変わらず接してくださいます。だから、登校してジュンさんの顔を見るとほっとするんです」
教室以外でもそうだ。いつも明るい笑顔で、まるで犬の耳やしっぽが生えているのではないかと思うほどの忠誠心を持って接してくれる。
入院明けに「風早先輩」から「巽先輩」と呼び方が変わっていたのも、より親しくなれたようで嬉しかった。
今は学年も一緒なのだから、先輩呼びでなくても構わないけれど。いつからか自然と敬語が身についた今の彼には難しいかもしれない。
専ら今の目標は「巽先輩」から「タッツン先輩」呼びへの変更だろうか。藍良が付けてくれた渾名は案外気に入っているらしい。
「そうなの?ジュンくんも意外なところで役に立ってるんだね」
「ジュンさんは本当に、可愛いですし格好良いですな」
「ははは!巽くん、ジュンくんに対してそう思ってるの?まあ、見ていて飽きないよね、あの子」
「なんというか、動物の耳が見える感じですな。タコ部屋で過ごしていた時から、ジュンさんの眼差しは変わらなくて。そこがありがたいですし、羨ましくもあります」
同じタコ部屋で過ごした勿忘草色の髪の彼と同じ、蜂蜜色の瞳。あまりに真っ直ぐで、眩しくて。今もそれは変わらない。その瞳と同じものを見ていたら、あんなことにはならなかったのかもしれない。
茶葉を量ってポットに入れ、お湯を注ぐ。
「……確かに巽くんがソロでやってた時の写真や映像を見ると雰囲気が違うよね。髪が長いのはもちろんだけどーー…なんというか、今は楽しそうにやってるよね」
日和の言葉に一瞬手が止まる。そんなことを言われたのは初めてだ。
お湯を零さず注げたことに安堵して、ポットの蓋をしてタイマーをセットする。
「楽しそう、ですか」
「楽しいでしょ?ぼくもそうだったんだよね、最初は良かったんだけど。笑顔でステージに立ってるのが辛くなっちゃって。…だから今は本当に楽しいんだよね」
そういえば、日和も夢ノ咲学園であの革命に関わっていたと聞いたが、彼の内心について詳しく聞いたことはなかった。
天祥院英智という革命児の隣に立って手を貸し、傷付いて。一度は表舞台を降りた。
ーーまるで、自分とあの子のようだと思う。もちろん、こちらの革命は失敗に終わったけれど。
ジュンというパートナーと出会って、日和はまた再起した。ジュンの前では決して言わないようだが、尽くしているのはジュンに見えて日和の方だ。Eveの二人は良い出会いをしたと思う。
だから、彼もきっと。新しい仲間たちに支えられて成長していくのだろう。自分がALKALOIDという仲間と出会えたのと同じように。
仕掛けていたタイマーが高い音で鳴った。昔を想ってボーッとしていた頭が覚醒する。
タイマーを止めて、ティーセット一式を日和の座るソファ前のテーブルへ持っていく。
「…ええ。楽しい、ですね。いい仲間に恵まれました。一度折れた甲斐があったと思っていますよ、今は」
ポットからカップに紅茶を注ぎ、ソーサーに乗ったカップをコトン、と日和の前に置く。カップの中の紅茶はいい色で、まだ火傷しそうなほど湯気を立ち昇らせている。
カップを置いて身を引こうとした時、ふと頭に日和の手が触れた。
「わ、日和さん…?」
優しく撫でられて、少し気恥ずかしくなる。日和はさっきと変わらず優しく微笑んでいる。
「…ううん。頑張ったし、頑張ってるね、巽くんは」
「…!」
ALKALOIDでは、いつも自分が言う側だからだろうか。甘やかされるとどうもむず痒くなる。
あの頃はただがむしゃらで、頑張っているという意識もなかったけれど。改めて言われるとその言葉が胸に沁みる。決して褒められたくてやっていたわけじゃない。沢山の人を傷つけもした。結局は自分のエゴでしかなかったというのに。
「…いいえ、そんなことはありませんよ。俺は、俺の出来ることをしているだけです。まあ、多少無理はしたかもしれませんが」
柔らかく暖かな手のひらが頭から離れていく。眉根を下げて日和を見ると、ふふんと勝ち誇ったように顎を上げた。
「ぼくでよければ、友人としていつでも話は聞くからね!でも、学園ではぼくは力になれないから、いくらでもジュンくんをこき使っていいからね」
「はは、こきを使うことはないですが…。そうですね、頼りにしています」
いつも振り回されている、と文句を言いながらもどこか楽しそうなジュンの姿を思い浮かべる。
結局彼は世話好きなのだろう。特に恩のある人には尚更。
「きみはもう、差し伸べられた手を拒んだりしないでしょ?…ぼくもね、ジュンくんに手を差し伸べた側なのに、ぼくが助けられた気になったんだよね。最初はぎゅっと拳を握りしめてなかなか手を取ってくれなかったんだけど、開かれて握ったその手があまりに温かくて。だから巽くんも、遠慮しないで手を伸ばして。ジュンくんはきっと応えてくれるし、あの子の温かさに救われると思うよ」
(ああ、だから…)
だから、彼の手は温かいのか。彼もまた温もりを分け与えられた側だ。そしてそれをより多くの人に分け与えようとしている。その温かさに、愛という名を付けて。
「…あなたたちは、本当に…」
「?」
もう今でも充分、救われている。自分が堕ちた後の玲明を支えてくれている。それだけで肩の力が抜ける気がした。
「…いえ、紅茶が冷めてしまいますので、いただきましょうか」
「あ、そうだね。用意してくれてありがとう。…うん、いい香り。さすが巽くんだね」
「紅茶を淹れられるようになったのはフレイヴァーの活動のおかげですよ」
日和に続いてカップに口をつける。美味しく淹れられてよかった。体が温まる感覚に、ほっと息をつく。
「日和さん」
「ん?」
日和ときちんと話をしたのはESに入ってからだ。ジュンから「わがままなお姫様みたいだ」と聞いていたし、ステージ上の姿は誰もを魅了するアイドルそのもの。
サークル活動でも英智と騒がしくしていることが多く、彼と話をする時間がこんなに穏やかなものだというのを初めて知った。
ほっとするとどうでもいいことばかり思い浮かんでしまって、ついぽつりと呟いてしまった。
「お互いにあの頃出会っていたら、どうなっていたでしょうか」
良き友となっていたか、ライバルになっていたか。彼も当時は革命する側だったようだが、自分に賛同してくれるかはわからない。そしてジュンのことも、『彼』のことも、もっとちゃんと支えてあげられたのかもしれない。
済んだことを悔いてもしょうがないと割り切っていても、未だに疼く足が割り切れていないことを証明している。
「…ふふっははは、どうなってただろうね?お互い尖ってたでしょ?あんまり仲良くなれなかったかもしれないね?」
「今はお互い丸くなったと?」
「そう思わない?」
「まあ、俺の場合は隠居老人になった感じですが」
「もう!こんなにピチピチなのに老人なんて言うものじゃないね!悪い日和!」
ムッと頬を膨らませる日和にすみません、と返して日和の返答に妙に納得した自分がいた。
出会ったのがあの頃なら、日和と英智のように会うたび嫌味を言う仲だったかもしれない。
「…きっとお互い温かいものをもらったから、丸くなれたんだね」
「?」
「ぼくは完璧だった。完璧なアイドルだった。もちろん、今も自分の出来ることを精一杯やってはいるけど。夢ノ咲にいる時に思ったんだよね。あんまり高いところにいるのも良くないって。だからジュンくんと同じ目線に立ってやってみることにしたの。巽くんも知ったと思うけど、意外とドン底も悪くないよね」
眉根を下げて、はにかむように笑う日和の瞳は恋する乙女のようで。
天使が堕天使となって羽根をもがれて堕ちた先が、泥だらけで一日を懸命に生きる、愛の深い少年の元で本当に良かったと思う。
冷たい講堂の床に転がって、人々の憎悪に満ちた眼差しと講堂の眩しい照明が暗転して、無機質な病室で目覚め、天井を見つめて絶望に暮れた自分とは、違うのだ。
「……確かに完璧ではー…十全ではなくなったからこそ、見えた景色があります」
「うん、そうだね。何かを失ってから気付くこともあるよね。…それに、何か欠けた君の方が釣り合う人もいるんじゃないかな」
「え?」
「ううん、何でもないね。とにかく。巽くんは一人で抱え込む気質だから、あんまり無理はしないこと!頼れる人が沢山いるんだから。たまには甘えないとね?」
少し、一人で走りすぎた。それはもちろん、一人で走れると思っていたからだったのだけど。いつの間にか一人で走りきらなければいけないと、意固地になっていた。助けを差し伸べる手を、全て振り払って。
こんなに、こんなにも手を差し伸べてくれる存在があることにやっと気づいて、少しだけ甘えることを覚えて。
「いつも気にかけてくださって、ありがとうございます。ALKALOIDでは甘やかす方なので、こうやって甘やかされるのはなんだか気恥ずかしいですな」
「誕生日的にぼくの方が少しお兄さんだからね!いくらでも甘えてくれていいね」
えへんと勝ち誇る貴族の次男坊にふふっと笑う。
「…それに、ね。きみのおかげだから」
「?」
「ジュンくんがぼくに尽くしてくれるのは、巽くんがいたから。ほら、大切な人の大切な人は、ぼくの大切な人でもあるでしょ?…だからね、ぼくはきみを大事にしたいと思うんだよね」
「日和さん…」
「だから、これからも仲良くしてほしいね!」
太陽のように眩しい笑顔に見つめられて、また心が温かくなった気がした。
ユニットメンバーは友人よりも家族に近い。ジュンは可愛くて頼れる後輩だし、HiMERUとは対等な友人になれたと思っていたけれど、最近は「友人ではありません」の一点張りで寂しく思っていたところだった。
こうして『対等な友人』として手を差し伸べてくれたことが、何よりも嬉しかった。
「…ええ、よろしくお願いします」