たとえばこんな「遊作~、ご飯できたけど」
キッチンから顔を出してパソコンに向かう遊作を視界に入れる。彼は愛の言葉に反応しなかった。そんな遊作を見て愛は頬を膨らませる。
「こーんなに良い匂いしてるってのに遊作ちゃんはッ! おいこらっ、無視すんなー!」
コンロの火を止めてドスドスと足音を立てながら愛は遊作に近付いた。これには遊作もパソコンのモニターを眺めながら眉を顰めた。
「黙れ。足音を立てるな。他の部屋に響く」
「聞こえてんじゃん! ご・は・ん! 飯食うぞ遊作! あっつあつの内に俺の愛の籠った手作り料理♡をたっぷり食べてほしいんだよ~」
「それは自分の名前と掛け合わせたギャグか?」
「そこに気付くとはさすが遊作! って冷めるから! 早く食おうぜ」
「…………あぁ」
遊作は静かに返事をすると小さくため息を吐きながら立ち上がった。その様子を見て愛はほっとする。今夜は遊作の大好きなシチューだぞ~なんて言いながらいつも通りデレデレとした態度を見せて不安な気持ちを押し殺して遊作に悟られないよう隠した。
Aiは極力遊作をパソコンやネットワークに関わらせたくなかった。LVなど以ての外だった。
数日後、愛は遊作が決闘盤をいじっているのを見かけた。愛はそんな遊作を見つめる。遊作はいつもそうだ。愛の視線には絶対に気が付かない。――いや、気付く素振りを見せない。
「――遊作」
いつも通り、返事はない。いつもの遊作だ。愛は何故か今だけはそれが少し寂しかった。
「LVに行くのか」
遊作は何も答えなかった。遊作の"返事をしない"は返事をしていると同じ事だと、Aiは知っている。
「いや~わかるよ? 遊作ちゃんも遊びたい盛りだもんな~。LV楽しそうだもんなー、うんうん。でもさ! 俺も誘ってくれていいじゃん! なんで一人で行こうとするんだよ」
「何を言っている?」
「何をってそのまんまだけど」
「お前も一緒に決まってるだろう」
「へっ」
そう言った遊作は鞄を手元に持ってくると、それを開けて中から新品の決闘盤を取り出した。そして遊作は愛と視線を合わせると、無言でそれを差し出した。
「……遊作」
「いつも俺が貰ってばかりだった。たまには俺からも贈らせてくれ」
「いや、つか……それ最新の決闘盤じゃん……それなら遊作が使えよ、俺お前のお下がりでいいよ」
「これはダメだ。理由は三つある」
「なんだよ」
「一つ、この決闘盤の販売は終了していて滅多に手に入らない貴重な品だ。壊されたら困る」
「壊さねーよ!」
「二つ、決闘盤の新作はすぐに出る。今変える必要性を感じない。それよりも決闘盤を持っていない愛が使いやすい新作を持つべきだ」
「え~。その理由はこじつけじゃない?」
「三つ、これは俺が愛から貰った大切なプレゼントだ。例え愛であろうと譲る気はない」
「…………なあ遊作。理由三つとか言ったけど最後の理由に俺に渡したくない理由が集約されてるんじゃないか?」
「こう言えばお前は諦めてこの新作の決闘盤を受け取るだろう?」
遊作は小さく不敵に微笑む。してやられた。全くその通りだ。愛は遊作から新品の決闘盤を受け取った。
誘拐事件を経て孤独にも世間に放り出された遊作の目の前に現れたのは彼の兄を名乗る少年だった。何の記憶もなかった遊作は彼から名前を貰った。藤木遊作。そしてその兄、藤木愛。愛は両親について語ろうとはしなかった。遊作は小さい頃に何度か両親について愛に尋ねた事があったが、愛はまともに答えなかった。遊作はなんとなく想像がついたのか、両親を探さなかった。愛と二人きりの兄弟水入らず。それが遊作の世界だった。
しかし時折遊作はふと何かを求めるように探す。ずっと不思議だったそれは、何故かパソコンに触れると落ち着いた。遊作は知らずと求める物に手を伸ばし続けていた。
「遊作! 次の授業の課題見せて! やってくんの忘れた!」
「今からやれ」
「間に合わねーよ! な、俺を助けると思ってさ~」
兄と言った愛は遊作と同じ年だと言った。双子なのかと問えば少し違うらしい。詳細は遊作も知らない。だが遊作にはなんとなく、愛は兄貴ぶりたいのだとわかっていた。それを知ってか知らずか、遊作は何故か愛を兄と慕う事はない。
誘拐された事件以前の記憶を失って外に放り出された。迎えに来てくれた愛は遊作を何かに利用するために遊作に近付いたわけではない。無償で遊作に愛を注いだ。小さい頃は遊作にとって、愛が全てだった。それなのに。
いつからだっただろう。愛が全てではなくなったのは。
またいつものように、惹かれるようにパソコンに手を伸ばす。
「遊作」
いつものことだ。愛は必ずパソコンに触れようとすると遊作を呼ぶ。慣れ過ぎて手を止める事もなくそれに触れる。
「現代っ子だな~。俺なんか全然パソコン触れないのに。兄弟でどうしてこうも違うかなー。遊作ぅ、パソコンなんか触ってねーで、俺様と決闘しよ?」
「断る」
「ナンデッ!?」
愛は絶対にパソコンに触らなかった。機械類も滅多に触らない。今では珍しい、まるで昔の人のようだ。
「はぁ。俺はパソコンに遊作ちゃんを取られたみたいで寂しいぜ」
「ならば愛も触ってみればいい。お前は手先が器用だからきっとうまく扱える」
「……いや、俺はいいよ」
「俺が教えると言ってもか?」
「なんでそんなにやらせたがんの」
「今の時代パソコンは使えないと不便だろう。タブレットならどうだ? 授業でも使うし使い方を覚えておいて損はない」
遊作は珍しく愛に詰め寄りタブレットを手渡した。押し付けられるように手に持ったタブレットに愛は困惑した表情を見せる。遊作は愛の隣に立ち、慣れた手付きで愛の手の中にあるタブレットの電源を入れてロックを解除した。
「ここが電源ボタンだ。電源が点いている間は画面をタッチしたらスリープモードが解除される」
「さすがに知ってるっつーの!」
言われた通り愛は難なくタブレットを操って調べ物を始めた。遊作は目を丸くした。文字を打つ手付きが素人のそれではない。
「うまい」
「へーへーどうも~。嬉しかねえけど」
「どうしてそんなに嫌がるんだ?」
「……別にぃ。俺には必要ねーもんだし」
「何故嘘を吐く?」
確かに愛の態度はあからさまだ。それでもAiはその質問をされる事が嫌だった。
「……言ったろ。パソコンにお前を取られたみたいで寂しいって」
「これはパソコンじゃない。タブレットだ」
「どっちも一緒だ。ネットワークにつながるものは、全部……」
そこまで言った愛は口を閉ざした。遊作はつい、と視線を流して愛の手の中にあるタブレットを捉えた。
「遊作はさ」
愛の言葉に遊作は視線を上げて愛を見つめた。愛は遊作を見ておらず、机の上に置いてある決闘盤に視線が注がれていた。
「なんで決闘するんだ?」
「決闘は決闘者にとって対話であり意思の疎通だ」
「遊作は気高いね。決闘者の鑑だ」
「俺みたいな奴は万といる」
「そうかな。決闘は遊戯だ。LVで決闘してる奴らの中でどれほどの人が遊作みたいに考えてると思う? 多分一割もいないぜ」
「そんな事はない。もっといるはずだ」
愛は遊作の言葉を聞かなかった。
「なぁ遊作。お前はどうしてそうやってその一割未満に該当しちまうんだよ」
「……愛が何を言いたいのかわからない」
「お前は記憶を失ったあの事件のせいで、もう決闘なんて懲り懲りでカードすら見たくないはずだろ。なのにどうしてお前は決闘者で在り続けるんだ」
愛の言葉に遊作は小さく息を呑んだ。愛は遊作を傷付けた決闘を快く思っていないのだ。
「……俺が決闘を続ける理由は、三つある」
愛は苦笑した。その三つの理由をもう何度聞いてきただろう。
「一つ、過去を持たなかった俺が持っているものは決闘だけだった。今更それを捨てる事は、俺が持っているものを全て捨てる事になる。過去を持たない俺にとって数少ない大切なものだ。手放したくはない」
「…………」
「二つ、決闘は俺の生き甲斐だ。苦しい思い出だが、俺にとってあの事件から決闘が全てになった。確かに今はもう決闘がなくても生きていける、そういう環境にいる事は理解できる。だが、決闘は俺にとって生きる事と同じなんだ」
「……遊作」
「三つ、……多分、俺は決闘が好きだ。それはきっと、記憶を失う前から。……失った、今も」
愛は遊作の肩に両手を置くと、俯いた。
「…………そうさ、そうだよ。当然だ。だから遊作、お前は……」
「あぁ。だから俺は決闘者で在り続けるんだ」
「……強いな、遊作。俺はお前を誇りに思うよ」
「愛?」
「俺なんて……お前にとっちゃ何でもない存在なんだろうな」
ぽつりと呟かれた言葉に遊作は顔を顰め、愛の肩を掴み返した。
「何を言っているんだ、愛! お前はたった一人だけの俺の家族だ!」
「…………」
愛は歪んで笑った。遊作はそんな愛の反応に、彼が遊作の言葉を予測していた事に気付く。
「愛……」
しかし遊作にはそれ以上の言葉が思いつかなかった。一体愛は何に苦しんでいて、遊作に何を求めているのだろうか。
「お前は俺がいなくなったら悲しんでくれるだろう。でもきっとお前は悲しみを乗り越えて強く生きていくんだ」
「俺にとってお前はそんな存在じゃない!」
「いいや、遊作。お前は乗り越えていくよ。ここに遊作が遊作として立っている事がその証明だ」
「愛……どこかへ、行ってしまうのか? もしかして、何か病気でもしたのか?」
不安げに問うと愛は目を丸くした。この言葉はまるで予測していなかったらしい。
「なになに? 遊作ちゃんもしかして俺の事心配してんの~?」
「当然だろう。意味深な事ばかり言って……構ってほしかったのか?」
「えっ! 俺ってそんなに構ってちゃんに見える?」
「……」
おふざけモードになってしまった愛に遊作は無言を返す。もう愛は遊作の質問に真剣に答えてはくれないだろう。つまり愛は遊作の答えに満足したと言う事になる。
「(……俺に心配してほしかったのか? 愛の事を?)」
遊作はそうかもしれないと一人納得する。遊作がいなければ愛も天涯孤独の身であり、二人は唯一無二の家族で兄弟なのだ。遊作にとって愛が唯一であるならば愛にとっての遊作もまた同じ。
「……やはり俺は愛に甘え過ぎていたんだな」
「え!? なんでそうなったの!? いやいや、お前は全然俺に甘えていいんだって!」
「愛、俺が悪かった。存分に俺に甘えてくれ」
「は!? え、え!?」
「俺はあまりこういう事が得意じゃないから気付くのが遅くなった。俺はたくさん愛に甘やかされていたのにな。悪かった。愛相手に拒絶なんてしたりしないから、怖がらなくても大丈夫だ」
「え……」
愛はまた驚愕の表情を浮かべる。愛はあまりこういう表情を浮かべない。いつも先を見越していて達観している。それでいて偉そうにして相手を貶める事はせず、お茶目に振舞い空気を読む。あまり高圧的に振舞う事に慣れていないとも言える。
遊作とは違い表情が豊かな愛だが、今の顔がわざとらしい表情ではない事に遊作は小さく笑みを浮かべた。
「それとも愛は、こういうのは必要なかったか?」
愛はぶんぶんと顔を横に振った。その素直な感想に遊作は安堵する。愛も遊作もきっと同じ気持ちなのだ。しかしそれでも愛は動かず遊作をじっと見つめて少し悲しい表情を浮かべた。
「どうしたんだ」
「……」
「大丈夫だ、言ってみろ」
「……怖いよ、遊作……」
「怖い?」
「俺、それには慣れたくない……そんな事されたら……」
「されたら?」
愛は硬く口を噤むと、酷く苦しそうに顔を歪めた。
「愛……」
ぐるぐると、何かを考えた愛はぎゅっと目を瞑ると、遊作に手を伸ばし、その身体を抱き締めた。
「っ、愛?」
「……甘えて、いいんだろ」
「……あぁ」
遊作は少しだけ背の高い愛の身体を抱き締め返す。この体制では愛の表情は見えなかった。
「あったかいなぁ、遊作」
「そうだな」
「……俺……幸せだ」
――ブツン。
一体何回目のシミュレーションを終えた頃だろうか。ふと思いついたようになんとなく自分がAIではなく人間だったら、とシミュレーションを行ってみた。当然起点にするのは遊作だ。Aiは遊作から生まれた。だからAiは自らを遊作の肉親としてシミュレーションしてみる事にした。ロスト事件は決して手離す事のできない遊作の過去だ。これを無くしては遊作は遊作に至らない。二人してロスト事件に巻き込まれると史実とかけ離れるのでやはり遊作一人にした。その中で生まれるはずだったイグニスは生まれない事にした。Aiはもう人間として存在するのだ。同じ存在は二人も必要はない。
――名前は愛にした。「あい」を漢字で表現するなら大多数の人間が「愛」を選択するからだ。そこに本当の愛なんて意味は持たせてはいない。
遊作の両親については有耶無耶にした。過去の人間のデータをかき集めればそれらしい人物を特定はできるだろう。だが現実に遊作の家族は存在しない。遊作を捨てたにしろ死んでいたにしろいないのだから登場させる必要もない。現実との乖離を避けた結果だ。
鴻上了見が遊作に与えた「三つの理由」はなかったことにはできなかった。あれを登場させなければ遊作は草薙の弟のように廃人になってしまう。愛の存在だけでは遊作を遊作として成り立たせる事は不可能だった。
Aiというイグニスが存在しないのだから遊作が復讐に導かれる事もなかった。愛が遊作を迎えに行ったから遊作が孤独になる事もなかった。復讐とは程遠い環境に置かれ、遊作は幸せな道を歩むはずだった。
なのに。
遊作は限りなく現実に近い遊作だった。友人も碌に作らないし笑顔は稀に見るくらいで幸福とは程遠い人生だ。いつもパソコンに向かってばかりでAiは現実の遊作を彷彿とさせた。
――シミュレーションの中でくらいネットワークや決闘から離れて普通の人生を謳歌すればいいのに。そしたら遊作はきっと笑顔溢れる真っ当なかっこいい人間になったはずだ。Aiはシミュレーションの中で自分がそんな人生を遊作に与えてやる事ができなくてやきもきしていた。だからたくさん贈り物をしたし、家族として「愛情」をふんだんに与えてやった。ロスト事件のフラッシュバックに怯える遊作を抱いてあやし、外に連れ出しては共に遊んで学校にも通った。しかし遊作は現実と同じでいつも受け身で自ら何かを発信した事はあまりなかった。好き嫌いもしない、あまりにも良い子で甘やかす事は難しかった。
幸せにしてやりたいのに。幸せになった遊作を見てみたかったのに。いつも受け身で与えられてばかりいるはずなのに。
先のシミュレーションで知っていた。自らを犠牲にしてまで遊作はAiを守る。何度繰り返しても何度回避しても遊作はAiのために自らの命を投げ出す。そして今回のシミュレーションでは、遊作はここぞという時に欲しい言葉をくれた。
Aiはそんな遊作にどうしようもなく焦がれた。だからこのシミュレーションで遊作から与えられる愛はとてつもなく甘く狂おしいほどにAiに幸せにしてしまった。
どれほどまでに遊作がAiの事を大切に想っているのか伝わってしまったから。
「……俺が幸せになってどうする」
あまりにも魅惑的だからAi自身がただのシミュレーションのそれに溺れてしまわないか不安だった。
「くそっ……」
どこで覚えたのか、Aiは人間のように唇を噛み締める。
――あぁ、でも。
Aiは小さく笑みを浮かべた。
「シミュレーションの中でくらい、幸せになってもいいよなぁ」
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