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    アロマきかく

    @armk3

    普段絵とか描かないのに極稀に描くから常にリハビリ状態
    最近のトレンド:プロムンというかろぼとみというかろぼとみ

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    アロマきかく

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    なんでこの二人森林浴できてるの?
    答えは解答編にて。だいぶあっちが作業の合間継ぎ足し継ぎ足しで書いてたから設定ズレてきてるので
    新装版ということで。誤字とかもあるしまとめて直すべ。
    いやぁ森林浴の約束ってフレーズだけで突っ走ったから見直すとぐっちゃぐちゃだな。

    #ろぼとみ他支部職員

    木陰に、ふたり いつからこうしているだろうか。ついさっきまで長く伸びていたはずの丁度良い木陰はいつの間にかその姿を変え、すっかり短くなっている。太陽は殆ど真上にあり、天を仰げば日差しは真っ直ぐこちらを照らしてくる。流石に眩しくて目を開けていられない。
     視界を塞ぐと周囲の音がより一層厚みを持って伝わってくる。微かな風に揺れてざわめく周囲の木々。葉と葉が擦れて囁くような音を立てる。それらが重なり合い、風が吹く音をつくる。
     木々と草が齎す独特の匂いが風に乗って鼻をくすぐり、嗅ぎ慣れないその匂いはまるでここが世界から隔絶されているのではないかと錯覚させる。鼻から大きく息を吸い込み、嗅覚で味わう。今まで嗅いだことのない新鮮な匂い。

     およそ地下では体験し得なかったことばかりがこの空間に詰まっている。
     記憶にはあるのに初めて身体で感じる、不思議な感覚。

    「すごいなぁ……世界って」
     感じたことをそのまま言葉にした。多分反論が返ってくるだろう、そう思いつつも。
    「凄いのはここだけだろ? 今頃あんたの中のAの記憶が、都市の病がどうだの言ってるんだろうぜ」
     大体思った通りの答えが帰ってきた。確かに言ってますけど。でも言いたいことは伝わっていると信じて。
    「都市の情勢なんかとは隔絶された、こんな別世界のような空間も存在を許されているんだな、って」
    「そうだな。まぁ位置的にはちょっと怪しいんだけどな。ここわりと外郭近いから」
    「っ」
     外郭といえば裏路地以上の魔境と聞き及んでいる。エノクとリサを保護できたことも半ば奇跡的だったのだ。
    「そんなとこでこんなのんびりしてていいんですか!?」
     眩しい光とは対象的な漆黒の色をした髪の男が慌てて身を起こし、アイロンのかかっていないよれよれのシャツについた細かい草を払い始める。慌てる男の隣で、無防備そうに寝転んだままの男がけらけらと笑う。
    「そんな慌てるなよエックス。Aあんたの記憶から拝借したんだぜ、ここ。随分と探したが、確かに外郭近くの割には安全そうだぞ。いい場所見っけたな」
     悪戯っぽく笑う男の髪は、ともすれば周囲の草と混ざっても違和感のない色をしていた。角度を変えて見てみると、日差しを受けて仄かに翡翠のような色で輝く。
     最初に会ったときから、ずっと印象的だった髪の色。何故だか初めて会った気がしなくて、思わず訊いてしまった。
    ――『僕たち、どこかでお会いしたことありませんでした?』――
     今考えれば完全にナンパの常套句そのものだということに気づいて、今更恥ずかしさを覚える。
     だがその恥ずかしい一言が、自身と彼の運命をまるっきり変えることになるとは思う由もなく。
    「よくこんな場所見つけましたね。Aの記憶って言いましたけど、どこいらなんです?ここ。確かになんとなくこういう場所でカルメンと話した記憶はありますけど……」
    「旧L社近郊」
    「……へ?」
     まるで予想もしていなかった返答に声が裏返る。

    「驚く程のもんか?旧L社は"調律者"がぶっ潰したんだ。当の調律者どのは結局無様に脳みそ引っ張り出されちまったがな」
     悪戯っぽい顔のまま、物騒なことをあっけらかんと言う。
    「もう調律者の手が入って壊滅した旧L社にしばらく動きがないか見張って、それでなんも起きないから監視するに値しなくなった。いわば灯台下暗しみたいなヤツだよ。もうこの周辺は無警戒だろうから、逆に安全だと思うぜ」
     ただ「森林浴をしたい」だけではどこが適しているのか、のんびりしている間に何者かに襲われやしないか。候補地はいくつかあれど、懸念点もいくつかあった。
     もしかしたら、ここの話を聞いたのはエックスからではなかったかもしれない。今となってはよく覚えていない。だがどのXから聞いたかは関係ない。重要なのはAの記憶の方だったから。
     エノクとリサを保護し得る環境。つまり外郭とはいえエノクとリサがなんとか生き延びることが出来る程度には安全だったということ。そして暫くの間、調律者の襲撃を受けるまでは大したトラブルもなく過ごせたこと。裏路地と外郭の間にあってこの環境。こんな絶好の穴場、当時のスタッフの誰が見つけたかまでは聞かなかったが、良い目の付け所をしている。
     そう聞かされて、エックスと呼ばれた黒髪の男はなるほど、と再度感心した顔で横になる。相変わらず日差しが眩しい。

    「せめてもう少し木陰に寄りません?目を閉じてもまだ眩しいんですよ、ここ。あと日が高くなったせいかちょっと暑くって」
     エックスがもう一度身を起こし、側で寝転ぶ印象的な髪の男に声をかける。
     声をかけた相手は、組んだ手のひらを枕代わりにして両足を投げ出した無防備な姿勢。背丈こそ高いがその体躯は細く、少し背の高い草に紛れたらそのまま隠れて見失ってしまいそうな、そんな儚さすら感じさせる。男の着るだぶついたパーカーとスウェット、そのシルエットと色でかろうじてそこに居ることがわかる。男の髪がさらさらと風に靡いて翡翠の光をちらつかせた。
    「ん、そっか。じゃちょっと移動すっかな」
     組んでいた手のひらを解して、ぐっと伸びを1回。そこから立ち上がる動作はエックスが思った以上に素早かった。いつ危機が迫るかわからないがゆえ、寝転んでいても直ぐ次の行動に移せるようにと、昔から染み付いている癖だった。
    「それとなエックス、黒って光を吸収するから余計暑いんだぜ」
    「そうなんですか? 一応薄手のやつ着てきたんですけど、やっぱりちょっと暑いのってそのせいなのかな」
    「あんた黒のシャツしか持ってねぇのかよ。俺が言えたクチじゃないけどな」
     ははは、と二人して笑い合う。先に立ち上がった男が手を伸ばし、もたついているエックスを立たせて周囲を見回す。

     適度に葉が陽光を遮り、なおかつ然程暗過ぎもしない場所を見繕い、腰を下ろした。
    「あー、ここいいな。音が気に入った」
     さっさと寝転んで目を閉じて、吟味するように感覚を研ぎ澄ませていた男が満足そうに呟く。
     じゃあ僕も、とエックスも隣に寝転がる。今度は眩しくないし、暑くもない。適度に吹く風が熱気を押し流し、微かに冷ややかな空気と木々の匂いを運んでくる。それと同時に周囲の木々や草が囁くように耳を擽る。静かすぎず、煩くもなく。
    「確かに、いいですね。ここ」
     緩やかに時間が過ぎていく。日が落ちるまでずっとこうしていたいな。
     こんなにのんびりとした時間は自身の記憶の中では知っていたが、実際に体験してみて改めて実感する。
     Aさんも、かつてはこんな体験をしていたのか。
     ふと、隣で寝転ぶ男がやたら静かなことに気づく。流石に寝たら風邪をひくのではないか。声をかける。
    「……ダフネさん?」
    「んあ?すまん、ちと寝てた」
     間延びした声でダフネと呼ばれた男が答えた。
    「寝てたわりに反応早いですね」
    「いつでも起きられるように気ィ張っちまってるんだろうな。本当はもっと心置きなく眠ってみたいもんなんだが」
     物心ついた時にゃそういう生活だったしな。そう付け加えた。
    「……その、すいません」
    「何で謝るんだよ。気にする所あったか?」
    「なんか、その、なんとなく」
    「はは、何だそりゃ」
     おそらく、裏路地生活の名残だけではないのだろう。彼の境遇がちらついて、口ごもってしまった。
    「あぁ、あんた俺に遠慮してるんだろ。そういうの無しだっつったよな?エックス、あんた前からそういう所あるぞ」
     全部バレている。苦笑いするしかなかった。

    「ちょっと反応がなくなったからって過敏すぎだぞ。もしかしてあんた、怖いんじゃないのか?」
    「……ちょっと、だけ」
    「ほらまただ。前も言ったよな?嘘は身体に毒だ、って」
    「本当に、ちょっとだけですよぅ……怖いは、怖いですけど」
     ずっと、誰かを失うことを恐れてきた。誰かが危ない目に遭うのが、誰かを自らの指示で危ない目に遭わせるのが嫌だった。それで誰かが傷つくことが怖かった。自分自身が傷ついていつか壊れてしまいやしないか。それが怖かった。
    『誰かを失うこと』だけは、今までは避けることができた。1日をやり直すことができた。
     今はもう、できない。管理人でなくなった今、自分はただのヒトだ。何の力も無い。
    「俺は何処にも行かないよ」
     エックスの方に顔を向けて、ダフネが諭すように語りかけた。
    「俺はずっとここにいる。何処にも行かない。絶対に」
    「……じゃぁ、点を飛んじゃうかもしれないってのはどうするんですか」
     若干ふくれっ面になりながらエックスが訊く。呆れながらも確信に満ちた声でダフネが答える。
    「俺が点を飛ぶってことはつまり俺が死ぬってこったろ。俺はもう死ぬつもりなんてないからな」


     数え切れないほどの死を重ねてきた。大抵は避けられない死。時には自害することもあった。
     死ぬことにはすっかり慣れた。でも本当は死にたくなんてなかった。死ぬ度に新たな点で目を覚ます。常に死と隣合わせのL社で、ずっと。
     とある点で、親友……だと自分が勝手に思っているXと出逢った。ずっと死にたくないがために生きる術を積み重ねてきただけだったのに。自分の経験が皆を助けている。彼はそう言った。それが自分の生きてきた意味になり、ただ死なないために生きてきただけの人生が大きく変わった。


    「なあエックス」
     ぽつりとダフネが問いかける。
    「森林浴、気持ちいいか?」
    「とっても」
     たった一言、素直に答える。どんなに飾ってもそれ以上のものは伝わらないだろう。
     いつかの約束。見せかけではない、本当の森林浴をしたい。なんとはなしにそう零した。
    ――『約束するよ。あんたを森林浴へ連れてってやるって』
     ダフネとの約束。以前、いざ二ヶ月の業務を終えて休暇で外へ出たらどうするかと訊かれて、何をするでもなく皆の行きたいところへ一緒に行きたい。エックスはそう答えたことがあった。
    「そいつぁ良かった。必死にここを探し当てた俺の苦労も報われるってもんだ」
     外へ出たらどうするか。ダフネもエックスと似たような答えだった。
     行くべき場所、行ってみたい場所、興味を惹かれるもの……咄嗟に浮かばなかった。休暇があることはわかっていたが、いざどう過ごそうかと考えてみると何も思いつかない。
     ひとりは仮の記憶を植え付けられた元々空っぽの器。本来はその仮の記憶から形成された人格すらも奪われ、存在が消されるはずだった。ひとりはただ親友と決めた相手の最期の願いを叶えることしか頭になかった。そもそも”今後”どうしたいかという発想が存在しなかった。


     親友が死んだ。
     向こうがどう思っていたかは解らないが、自分は親友だと思っていた。
     生きる意味を与えてくれた親友が、数々の死と重圧と知らない記憶に苛まれ、自ら職員を死に追いやらねばならない状況に耐えきれなくなり、ついには心が壊れてしまった。
     親友は最後に外の空気を吸いたい、そう言っていた。外に出してやる、だから一緒に外の空気を吸おう。今思えば既に何が出来るわけでもない状態で。ただ閉じられた扉の向こうにある静寂に訴え続けた。緊急時の手動開扉手順を思い出し、必死にこじ開けたときには全てが手遅れだった。
     全身の力が抜けて軋むベルトの音と共にぶら下がる親友の姿を、ただ見上げるしかなかった。
     それからは、”あいつ”に外の空気を吸わせるためだけに動き始めた。返事の返ってこない、自分の一方的な約束。外の空気を吸わせてやるという約束。
     そのためには、”代わりのX”が必要だった。


    「思ってた以上に時間の流れって早いんだな」
     L社本社の社屋内は、時の流れが社外よりも遥かに遅かった。エックスが言うには、少なくとも外の時間で10年以上は地下にいたらしい。社内の時間で言うと、1万年をゆうに超えるとも。エックス自身は「失敗したら記憶消しちゃうので、そこまで実感はないんですけどね」なんて言っていたけども。あれは強がりだ。少なくとも記憶同期とセフィラたちとの会話による想起で、Aの記憶は着実に蓄積されていく。
     辛い記憶ばかりを積み重ねることがどれほど苦痛か。ダフネだからこそ解ることだった。

    「知ってはいたはずなんですけど、やっぱりこうして実際に感じてみないとわからないことってありますよね」
    「この風の気持ちよさとかな。……はは、また寝ちまいそうだ」
    「地下じゃ味わえませんよ。こんな感覚」
     早速隣で寝息めいた音が聞こえてきた。ただ木々のざわめきに身を任せて力を抜いているだけかもしれない。あるいはまた気を張りながら寝ているのかもしれない。寝たら風邪をひくかもしれないけれど、気の向くままにさせてあげよう。エックスは横目でちらとダフネの顔を見る。そこには今までに見たことがない、彼にしてはあまりにも無防備そうな横顔があった。


     目を閉じるのが怖い、とダフネが言っていたのを思い出す。目を閉じて開いたら、そこは別の点かもしれないから。目を閉じると、皆の死にゆく姿が思い起こされてしまうから。
     自分の中のAの記憶だって、すぐ思い出せるのは辛い出来事ばかり。辛い記憶が少しずつ積み重なって、やがてそこにあっただろう楽しかった記憶が追いやられていく。
     じっくりと記憶を掘れば確かにそこにある、希望に満ちていた記憶。研究が進んだ記念にカルメンとワインのボトルを開けたり。ふてぶてしくも太陽のように眩しい笑顔を浮かべて優秀な人材ダニエルを紹介してきたり。あの赤い霧ですらも篭絡してしまう手腕には感心しつつも半ば呆れていたのを……知っている。これは自分の記憶じゃないから、知っているだけ。
     自分自身の真の記憶は、それこそ2ヶ月程度しか存在しない。管理人として就任する前の記憶は、全て仮の記憶。いくつかのバリエーションから適当に選択され、辻褄の合うようにねじ込まれた本来は存在しない記憶。
     そのことに気づいたのは、ひと月ほど業務を進めた頃だった。日付の上ではひと月に満たないが、何度か記憶貯蔵庫に戻ってやり直しをしているから実質ひと月程度。
    ――自分はAが再び戻ってくるまでの、仮の器でしかなかった。第三者の視点からAがセフィラたちにしてきたことを俯瞰するだけの役割でしかなかった。たったひと月だけの人生。そこにはあまりにも密度の高い楽しさと幸せと、そして辛さが詰まっていた。苦しいこともあったけど、それも含めて忘れたくない。”X”のままでありたい。そう強く思ったのを覚えている。
     たったひと月だけの人生はそこで終わるはずだった。Aのなかに溶けてしまうはずだった。
     突然の”記憶同期”とやらの開始。わけもわからないまま次々と想起されるAの記憶。割り込んでくる記憶の中で自分自身が薄まっていくのを感じ、諦めていた。僕はやはり器に過ぎなかったのか、と。
     そうはならなかった。ダフネが自分の意識を引き戻してくれたから、自分は今ここにいる。


     エックスもゆっくりと目を閉じて、その場の空気に身を任せる。浮かぶような沈むような、何かに包まれているかのような。さわさわと流れる音が、子守唄のように聞こえる。
     思ったより早いはずの時間の流れは、この空間だけ揺蕩うような緩やかさを持って流れていた。
     いっそ自分も寝てしまおうか。こんな機会そうそうないし、風邪をひいたらそのときはそのときだ。


     親友と一緒に、親友のぶんまで、外の空気を吸いたいがためにずっと生きてきた。そのためには”親友の代わりになるX”が必要だ。自分ひとりじゃ駄目だ、親友にこそ外の空気を吸わせないと。だからこそ、親友の身代わりとなりうるXを求めてきた。親友に近い性質を持ったXを。親友の依代とするために。
     結構な数のXを支えてきた。ある日を境に突然人が変わったようになった。かつての管理人Aを想起させる……いや、まさに管理人Aその人だった。XはAの器でしかなかった。自分が親友だと信じていたあいつも。
     XをAにさせてはいけない。かつての管理人Aを知っているからこそ、強く決意する。Xの姿を取ったAが――本来はAが身体の持ち主であることは頭では理解していても――Xの姿をした”管理人”が、職員を使い潰すような冷酷で冷徹な指示を出すのは……絶対に見たくない。それに、自分はXと約束したのだから。AにむざむざXを奪われてたまるか。
     それからは、只々『どうすればAに飲まれずXの意識を維持できるか』の方法を探った。案を試しに実行するにしても必ず27日目に起きる以上、27日目まで生き延びなければならない。そのための下準備も苦労した。
     一番苦労したのは人間関係だった。職員間のトラブルで管理人に気を遣わせるなんて以ての外だし、それにようやく見出した”確実にXを引き戻せる方法”を実行するには協力者が必要だったから。ただ支えるだけではなく、力になるだけではなく、信頼される必要があった。それをどうするかが一番頭を悩ませた。
     結局、覚えている知識の限りを使って怪しまれない程度に”提言”したり、多少無茶な作業も率先して行うことで”頼りがいのある職員”という立場を取ることにした。未知のアブノーマリティに率先して作業する。大分記憶が抜けていることを改めて思い知らされたが、27日目まで生き延びるぶんにはわりかし何とかなった。
     管理方法や鎮圧指示のヒントも出した。最初のうちは直ぐ怪しまれたものだが、そのうち言葉を選ぶことにも慣れてきて、比較的自然な形で管理人、ひいては職員全体の雰囲気を誘導するまでに至った。大抵の点で確立した、”頼れる職員”としての立場。いくらチヤホヤされようが、特に何の感慨もなかった。そうなるように誘導したのだし、全てはXを維持するための、親友の願いのためだったから。


     途中で起きてしまったせいだろうか、ずっと目を閉じていてもどうにも眠れない。こんなにも心地良いのに。
     多少なりとも睡眠を取っておかないと、いざという時に動けない。念願叶って外に出られたとはいえ、相変わらず安全とは程遠いのだから。ここいらまでは来ないと踏んではいるが、もし掃除屋にでも見つかったら身を隠す間もなく喰われるだろう。
     外に出る際、管理人権限をフルに使って使えそうな分だけE.G.Oをパチってきておいて良かった。管理人エックスは何度も「本当にやるんですか?」を連呼してたし、コービンには物凄い勢いで睨まれたが。
     せめて雨露しのげる場所を陣取るまでは、身を守る術の一つや二つ持っておくべきだ。環境を考えたら一つや二つでは足りないかもしれない。もう抽出はできないから、破損したらそこで終わり。無茶な使い方は出来ないな――
     自虐的に嗤う。せっかくの約束、せっかくの森林浴。隣ではエックスが暢気な顔でこの空気を堪能している。そんな状況にあっても自分は身を守る手段ばかり考えてしまうのか。どれだけ繰り返しを経てL社内での生活に慣れきっても、完全に染み付いた昔ながらの癖は取れる気配がない。

    ……勿体無いな。心の中で呟く。目を閉じないよりは閉じたほうが多少なりともマシだろう。そう思って、静かに目を閉じる。
     パーカーがにわかに吹いた風をはらむ。元々細いシルエットを隠すためにかなりだぶついたものを着ているから、ちょっと強めに風が吹くとふわりと膨らむ。当たり前だが、地下では風なんて吹かない。たまにアブノーマリティが吹かすこともあったが、それだって自然的なものではない。裏路地でドブを漁っていた頃だって勿論風は吹いた。こんなにも透き通った風ではなかった。
     切るのを面倒がって伸ばしっぱなしにしていた髪が靡く。一度だらしないからとコービンに言われて無理やり情報チームのヘアサロンでカットさせられた。
     この目立つ色の髪は裏路地じゃ格好の的だった。背丈のせいで余計に目立つ。己の容姿と体躯をひたすらに恨んだ。何に使うか知ったものではないが、たまに髪を買い取る物好きが居た。はした金にでもなるならと、売るために伸ばして纏めて、フードに隠して。髪が短くなるのは売るために切る、そのときだけだった。
     一度カットしたときも、あまり短くはしたくなかった。わかっていても何となく勿体なかったのと、親友と一緒に過ごした、あのときの長さが良かったから。
     L社内においても生活するうえで多少邪魔に感じることはあった。『よく見ると綺麗な髪の色してますね』何気なく言ったであろう親友の一言。あいつの言葉をできる限り大事にしたかった。だから、”入社時”の長さで留めておいた。
     オフィサーじゃなく、管理職としての”入社時”。少なくとも今よりは短かった。社員証に載っているいつ撮ったのかもわからない顔写真を見せて、「このくらいの長さで揃えてください」とだけ。あとでコービンにドヤされたな。「もっと短くも出来たでしょうに」とか何とか。

     微かに風が吹く。この髪の長さで良かった。外の空気を吸うだけじゃない。頭から爪先から髪の先まで、全身で外の空気を堪能している。

    「気持ちいいな、エックス」
     思わず声に出していた。慌てて”エックス”を見る。さっきとまるで変わらない、暢気に瞼を閉じた無防備な顔。きっと寝ているに違いない。誰も見ていないはずなのに、なんだかばつが悪い。もしかして見ているのか、それとも笑っているのか。
     あんたは今、外の空気を吸えているのか。日差しを堪能できているのか。……どうなんだ、エックス。


     誘導する手段を確立してからは、大分27日目以降も生き延びられる回数が増えた。最早何人のXを引き戻してきたかわからない。あとはAの影響を少なくしつつ、2ヶ月の業務を終えれば。だんだんと希望が湧いてきた。
     希望は、46日目で呆気なく打ち砕かれた。セフィラコアの抑制。次の目標ができた。
     何度失敗してきただろうか。一際厄介なのはホドのミッションだった。親友に近いXたちは職員を気遣うあまり、こちらから提言しないとほとんど残業をさせない。紫の白昼に潰されたトラウマで、白昼が来る前に業務終了するXもいた。職員が育たず、鎮圧ミッションもまともにこなせない。いつかのXはひたすらビビってコンテナを選び抜いた結果、脱走するアブノーマリティがWAWくらいしかいないなんて状況もあった。
     アブノーマリティを観測するだけでは作業量的には全然足りない。何かにつけ理由をこねくりまわして、なんとか残業させるように促した。多少露骨な形になっても、鎮圧しやすいアブノーマリティを選ばせたりもした。その結果職員が死んで、管理人のメンタルが削れる。もう親友の二の舞いにはさせまいと、メンタルケアもできる限り配慮した。
     夕暮の鎮圧そのものはやり直して回数をこなして、比較的楽な深紅で達成することが多かった。肝心の夕暮そのものを倒したあと、黎明ピエロによる脱走祭りもまぁ大概大変だったが。

     そこからはその点のX次第。セフィラコアが崩壊して抑制が必要になったとしても、腰が引けて手を出そうとしないXも多かった。繰り返すうちに、このXはコア抑制に乗り気じゃないな、と察することができるようになった。一応説得もしてはみた。それでも響かなかったときは……その点を捨てた。オフィサーに支給される拳銃を適当な死体から、ときには掠め取ってでも拝借しておいて、業務時間外に咥えて一発。拳銃を確保出来なかったときは頸動脈を包丁で刺したりもした。
     業務外で苦しい死に方なんて極力やりたくはなかったのだが、死にたくないなんて言っていられる状況ではなくなってきていた。上層のコア抑制を達成する目処がつきはじめていたのだから。
     
     肝心のコア抑制そのものもまぁ苦戦したものだ。ホドの抑制で死ぬのなんてしょっちゅうだった。
     一応イェソドの抑制はそれなりに成功率が高かった。普通あの流れだとマルクトから行きたくなると思うのだが、どうもどのXもこぞってマルクトを恐れていたようだった。初っ端の出会いが”メンタルの限界を迎えたオフィサーを処分する”場面なせいもあったのだろう。その印象が強く、どこか機械的な言動・挙動も相まって、俺が付き合ってきたXたちは尽くマルクトの抑制を後回しにしていた。管理人の認知フィルターがなまじ年頃の娘っ子としてエリヤの姿をマルクトに反映させてたから、そのギャップもでかかったのかもしれない。
     幸い……かどうかはわからんが、この点でのオフィサー、オリーブは管理人が匿うことで難を逃れた。匿い方がよりによってなぁ……。離れ業ってレベルじゃねぇぞ。

    ――なのでマルクトのクリファ顕現を見たのは、今の点が初めてだった。他のセフィラ達と比べてもやたら悍ましい姿、ぬらぬらと何本も蠢くどす黒く太い触手。普段見る機械の姿に慣れていたから正直相当ビビった。妨害内容も厄介だったが、アーニャの機転でなんとかなった。
     一時停止があってもまともにメモを取ることすらままならない精神状態だったのは、後から見せてもらったメモを見て痛感した。作業が一つ行方不明だったり、前のメモを参照して指示を出したりしていたと聞かされたときは思わず天を仰いだ。よくもまぁ死ななかったもんだ。
    ……そして、今の点のXが、上層セフィラのコア抑制を全て成し遂げた。ようやくスタート地点に立てたという感慨が溢れてきて、思わず両の手を握り締め、しばらく笑いが止まらなかった。ようやく己の境遇を人に打ち明けることが出来る。そう思ったら、涙も止まらなくなっていた。


    「なぁ、エックス」
     ”存在しないエックス”ではない、自分の横で暢気な顔をして寝ているエックスを呼ぶ。
    「なんだ、やっぱり寝てんのか? おいエックス、風邪ひくぞ」
     寝転がったまま、エックスの肩を少し揺らす。
    「……ぁー……あぇ、ダフネさん……? あ、僕寝ちゃってましたか?」
    「人には風邪ひくぞっつっといて、自分も思いっきり寝てンじゃねぇか」
     起き抜けの間抜けな声で、エックスが目を覚ます。この反応は昼寝どころじゃないな。少しだけ呆れる。
    「だって気持ち良すぎて……もう風邪ひいちゃってもいいからどうにでもなーれ、みたいな感じで、ふわーって」
     これだよ。この暢気さがエックスなんだ。たまに語彙が吹っ飛ぶところとか。

    「まだ、俺がいつか居なくなるかも、とか思ってるか?」
     ダフネが問う。
    「……居なくなってほしくない、とは思っています」
     歯切れの悪い答え方。居なくなってほしくない。もしかしたら居なくなってしまうかもしれない。きっと、そう続くのだろう。
    「なんだか嫌な予感がして……うーん、違うなぁ。不安が拭えないっていうのかなぁ」
    「まだ言ってら。何処にも行かないっての。何なら手でも握るか?」
    「え?は、え……はい」
     ダフネがエックスの脇腹付近に手を差し伸べる。それを見て、若干恥ずかしげにエックスがその手を掴み、どう握ったものかとしばしの間もぞもぞと手を動かし、ようやくしっかりと握り返す。
     握り返したダフネの手が予想していたよりもずっと骨ばっていて、エックスが目を丸くする。
    「共同浴場では何度も見てきましたけど……なんだか、すごく」
    「細いか?」
    「あ、いやその、……はは」
     ストレートに思っていたことを返されて、苦笑いしかできなくなった。
    「堪能しようぜ。せっかくの”あんた”との約束なんだ。”あいつ”との約束も一緒にやるか?いっぺんに果たせるぞ」
    「ダフネさんは、欲張りですね。相変わらず」
    「そう。欲張りで、我儘で、身勝手で、あとは依存と執着の塊だ」
     ダフネが若干声音を弱める。その様子に不安を感じて、エックスが握る手に少し力を込める。
    「まぁのんびりと目でも閉じて寝ながら聞き流してくれよ」
     拭いきれない不安を抱きつつ、エックスが目を閉じる。存在を確かめるように、きゅっと手を握り直した。


    「あんたがあいつの身代わりじゃない……”あんた”として見え始めたのはいつからだったかな。上層コア抑制の前あたりからだったか。そうだな、何となくそう意識するようになったのは上層コア抑制のあたりだ。まだ、あいつの影と重なってたけどな。コア抑制に挑戦しようとするXを何人も見てきたけど、あんたが一番……強かった。何だろうな、決意、ってやつが」
     一呼吸置いて、ゆっくりと続ける。
    「それまでは、あいつの身代わりとしか見てなかった。今更だよな、悪りぃ。期待は持ってた。でもその期待は、あのときは――あいつとの約束を果たすに値するXだ、っていう期待でさ。失礼にも程があるよな、ほんと。最初からヒトとして見てねぇんだからさ……」
     段々小さくなる声に、申し訳無さが混ざっているのを感じ取る。
    「全ては、あいつとの……俺の一方的な約束を果たす為。ただそれだけ……のはずだった。全部話した日にさ、あんな突拍子もない話を皆受け入れてくれたろ。実際誰にも話せずにずっとやってきてさ。今まで誰にも果たせていない上層コア抑制を終えたときは、最低でも”管理人”には全て話そうと決めてた。だいぶ前からな。どの点においてもそう決めてたんだよ。……でも、なかなか上手く行かなくて」
     エックスがこっそりと目を開け、ダフネの様子を窺う。じっと真上を見ている。遠い目をしている。そう感じた。
    「最初に会った時さ、『前に会ったことありましたっけ?』みたいなこと、言ったろ。もしかしたらあの時点でもう期待していたのかもしれない。下手したらあんたがあいつの生まれ変わりなんじゃないか、と思ったことだってある。それから少し様子を見て、日を経るごとに、あんたがあいつにどこもかしこもそっくりなのがわかって。――あんた、薬研軟骨好きだよな?」
    「え、えっと、そうですね、コリコリしてるのが好きで……そういえばそんな話もしましたね」
     突然話を振られて戸惑ってしまう。懐かしいな。あったなぁ、そんな話。
    「気づいてたか? 俺あんときさ、あんたと焼き鳥食ったことなかったんだぜ」
    「……あ……それって、親友の……?」
     好きなものの話になると夢中になってしまうのはどうしようもないらしい。薬研軟骨のコリコリっぷりを語るのについ力が入って、まるで気が付けなかった。冷静に考えれば明らかにおかしかったのに。
    「そ。あいつの好物が薬研軟骨でさ。あんたがあまりにも似てたから、つい、な。ポロッと言っちまった。あんたが完全に重なってたんだよ……あいつに。ヤベッて思ったね。あの時誰かが『一緒に焼き鳥食べたんですか?』とでも言い出しゃ、一発アウトだったかもしれん。もしくは、あんた自身が『なんで好物を知ってるんですか?』とかな」
     食の好みまで同じ。言い出し方が自然体すぎたせいもあるのだろう。まるで親友に直接話しかけるかのように。それほどまでに、重なっていた。
    「もうほとんど、あいつと同一視してた。逆に言えばあんた自身が全く見えてなかった。今だから謝れる。本当に、すまない」
    「そんな、別に謝るようなことでも……」
     人には人の事情がある。相手がどういうつもりでも、自分は気にしていないから。
    「んや、今だからこそ謝らなくちゃいけないんだよ。あんたがあんたとして見えている今だからこそ」
     何も言い返せない。何も間違っていない。何か否定したかったが、否定する個所が見つからない。
    「謝らなくて……いいのに……」
     エックスとしての意見だけはせめて伝える。自分に向けられた言葉である以上、自分の言葉で返さないと。
    「一区切りついたあとのケジメってやつさ」
    「……」
     何故、今のタイミングで切り出すんだろう。

    「あいつは……コア抑制までたどり着けなかったから。だからコア抑制に挑もうとするあんたが、段々あんたに見えてきたんだと思ってる。あいつとは結構長い付き合いしたように語ってるだろ?……中央本部まで、もたなかったんだ」
    「えっ」
    「意外だろ。記憶貯蔵庫チェックポイントは散々使って何度も戻ってたから、まぁ実質的な日数としてはそこそこ長いんだろうけど。それもアブノーマリティ観測埋めや装備集めじゃない。俺にモノ教えるため・俺が他の職員と交流できるようにするため、あいつが奔走した結果だ。目的が目的だからな。対して装備も集まってないし、職員もろくに育ってはいなかった」
     あの時語ってくれた”親友”との思い出と惨劇。内容の密度が濃かったから、せめて中層までは進んでいたかと思っていた。
     上層の時点で、取り返しがつかなくなっていた。中央本部が開くのが21日目だから、おそらくは20日も経っていない。そんなに早い時点で取り返しがつかなくなってしまったのなら。
    「それは……絶望も、しますね……。二ヶ月業務しないといけないのに、20日弱で、取り返しのつかない状態になって……」
    「あんたはあいつにそっくりだからさ、解るだろ。どんなにヤバい状況だったかがさ」
     性格もそっくりで、ガバっぷりもそっくり。自分が上層の時点でそうなってしまったら。
    「わかります。僕だったら絶対無理です」
    「原因はもうひとつあってな。……Aの記憶だよ。あいつは、俺にとって初めての”管理人X”だったんだ。まだ点を飛び始めた頃は管理人は最初からAだってのは話したよな。そのせいで気づかなかったんだ。Xの中のAに」
    「あ……」
     エックスにも思い当たる節はありすぎるほどある。血の風呂を収容した時の訳の分からない夢、いざ血の風呂を見た時にひどく悲しくなったこと。地中の天国を『見たくない』と何故か強く思ってしまい、結局目を逸らした結果職員を全滅させてしまったこと。雪の女王になんとなく視線が吸い寄せられるけど、触りたくはないという矛盾した感情。――そして、無名の胎児収容時に垣間見た――
    「あいつはな、あいつは……全部踏み抜いちまったんだ、地雷を。Aにとっての地雷を。あんたにも多分経験があるんじゃないか?特定のコンテナに何故か吸い寄せられるような感覚と、コンテナを選んだ時の記憶が抜け落ちていたことがさ」
    「はい、丁度それを思い返していました。当時はどれもこれもわからなかったけど、今はあのときのよくわからない感情や記憶の意味が、わかりますから。そしてそのたびにダフネさんが僕に声をかけてくれていたことも……思い出しました。知ってたんですね。全部。僕の体調不良の原因を」
     とっくに目を閉じて聞き流す段階は過ぎていた。エックスがダフネのほうへ顔を向ける。
    「きっと僕が親友さんのようになってしまうかもしれない、そう思ってずっと気を遣ってくれてたんですよね。……僕は、声をかけてくれたダフネさんの気遣いを、全部……」
     エックスの繋いだ手が震える。ダフネがしっかりと握り返してくる。
    「いい、いいんだ。もういいんだエックス。全部過ぎたことだろ。また思い出すのもキツいだろ。それに、――」
     ダフネが茶化した様子で、
    「ここで吐かれたらシャレんなんねぇからな」
     耳まで真っ赤になるエックス。必死で抗議する。
    「さ、さすがにもう吐きませんよぉ!人のことをマーライオンみたいに……!」
    ――ふふっ。どちらともなしに笑いあった。

    「エックス」
     ぽつりとダフネが呼びかける。顔を向けようとするエックスに慌てて、
    「ああ、そのままでいい。そのまま寝とけ。――寝なくてもいいから、目は閉じとけ。頼む」
     どきりとした。何をするんだろう。最後の一言を無碍にするのも申し訳ないなと、とりあえず目は閉じる。
     握り返してくるダフネの手の感触で、そこに彼がいることを確かめる。
    「約束、果たさせてくれて……ありがとうな」
     改めて言うことでもないでしょうに。
    「あんたをさ、その……」
     どうにも歯切れが悪い。若干ながら手汗をかいているのが伝わってきた。
    「……あーー、えーと……親友扱いしても……いいか?なんか、その、ハハ。相手の意見も聞かずに自分が勝手に親友だって言い張ってるのもおこがましいし、さらに親友作ろうとするのも……ちょっと、アレだけどさ」
    「僕はずっとダフネさんのこと親友だと思ってましたけどね?」
     ちょっとだけ嘘を吐く。ダフネの恥ずかしがりようが面白くなって、からかってみたくなった。
     大切な友人だとはずっと思っていた。本当は親友認定したいが、ずっとダフネにとって最初のXである”親友”への想いが強すぎて、改めて親友として扱っても良いものか。お互いが同じことを考えていた。
     きっと今頃、耳まで真っ赤になっているんだろうな。見られたくないからって、もう。
     さっきからずっと恥ずかしげに唸っているダフネがいい加減かわいそうになったので、改めて言い直す。
    「勿論、僕もダフネさんのことを親友だと思ってますから。だから、ふたりはプリ……親友ですよ!」
     勢いで繰り出しそうになるネタをなんとか抑える。抑えきれていない。どうもシリアスになるとネタで誤魔化したくなる。今回はこれでも頑張った方だ。
    「はは……その、すまん。ありがとうな、エックス」

    「面と向かって言うのって、こんなに小っ恥ずかしかったんだな。あいつに関しては、本当に俺が”親友だと思ってる”だけなんだよ。ずっと親友って言い続けてきて、今更言うのもなんだけどさ。あいつがどう思ってるか訊く前に……居なくなっちまったから。だからさ、」
     ちょっと言いづらそうにしつつ、ダフネがわざとらしく咳払いを一つ。
    「両者合意のもとによる正式な親友はあんたが初めてなんだ、エックス」
    「それじゃ、あらためて、親友としてよろしくお願いしますね、ダフネさん」
    「ああ、……よろしくな、エックス。……ありがとう」
     ……すまない。声に出さずに呟く。

    「……どこへも、行きませんよね」
     握り返してくる感触を確かめながら、エックスが念を押す。
    「行かないさ。俺はずっとここに居る。今更嘘吐くこともないだろ?」
     ダフネの握り返してくる手がふと弱まったとき、

     一際強い風が吹き抜けた。

     飛んでくる草や落ち葉から思わず顔を守る。

     握り返してくる手の感触は確かに感じる。
     感じたはずだった。

    「……ダフネ……さん?」
     恐る恐る呼びかける。木々と草の擦れる音が答えるのみ。
    「ダフネさん……ダフネさん!」
     異常を感じて焦燥に駆られる。
     日はすっかり傾いて、仄かに紅色を差している。

    「ダフネさ……あれ……?これ……」
     ほんの十秒前ダフネが寝転がっていた場所に、周囲の木々に似つかわしくない樹が一本。
     幹も枝も他の木々と比べて細く頼りなく、だがしっかりと根付いていた。
    「ずっとここにいるって……いなくならないって……そういう意味じゃないでしょう!」
     生えたばかりではない、もうずっと何年も前からここに生え続けているような、

     そんなローリエの樹月桂樹が、一本。

    ――嘘は吐いてないだろ――

     どこかから、そんな声が聞こえた……気がした。



     ――



    「……りにん。……管理人。”初日”から居眠りはいただけませんね。昨夜は緊張で眠れませんでしたか?」
     あれ?何故……初日?
    「眠気覚ましがてら、あらためて研修プログラムを受け直してみてはいかがでしょう。眠いまま作業に入ってミスをされてはかないませんし、何事も初心が大事と言いますし。……コーヒーをお淹れしました。よろしければどうぞ」
     一口啜る。知っている。この味を僕は知っている。
    「……美味しい!ありがとうございます、”アンジェラさん”」
    「研修は私がナビゲートします。準備はできていますので、いつでも開始できますよ、管理人」



     何回も、何十回も、何百回も挑戦して……乗り越えられなかった。
     ここまできて。まだ何かが足りないのか。それとも現状の収容環境が良くないのか。
     阻まれ続ける。絶対に、絶対に誰も死なせずに外へ出るんだ。絶対に……!
     最早意地以外の何物でもなかった。何千回を数えるかというところまで行った。
    「無理……だよ、もう、無理、僕には……無理、だったんだ……!」
     ごめんなさい、みなさん。49日目まではなんとかたどり着けたけど……これを乗り越えられる力が、僕には、足りません。

     管理メニューの最初に、観測レベルを引き継いで1日目から……って項目が……あったような。
     1日目から、収容するアブノーマリティを厳選して……装備も、もっと完璧にして……!

     漆黒と純白が織りなすコートが数多の目を光らせて駆ける。

     資料はちゃんと読まないと、コービンさんに怒られちゃう。
     えっと、現在の観測レベル・所持E.G.O、コア抑制状況を引き継いで1日目から始められる……!?
     つ、つ、つ、強くてニューゲーム!?

     羽飾りのついた重厚な装飾の袖が重いゼンマイを回す。

     あ、注意事項。ちゃんと読まないと。
     職員の状態は新しい環境になります。初期に雇用されている職員も現在の……状況とは……異なります……
     じゃあ、今の職員さんたちは。初期に雇用されている職員も異なるって、それじゃあ、それじゃあ……!

     ゼンマイを回す。力を込めて、ただ回す。

     でも、このまま何万回やり直したって……僕の力じゃ、49日目は越えられない……!!
     ホクマーさんとビナーさん、両方単体のコア抑制でもどれだけやり直したか覚えていない。
     同時なんて反則だよ……47日目の時点ですごく嫌な予感はしたよ、したけどさぁ!

     ゼンマイを4回回し終え、エネルギーが迸る。上手いことタイミングを合わせないと。

     本当に下層のコア抑制をセットにしてくるなんて……ズルだよ……試練を相手するときすらも一時停止できないから下手したらその時点で死者が出てしまう。調律者を一時停止なしで?あの量の暴走を対処?1.5倍速で爪の相手!?
    ――無理だ。僕には、無理だ。少なくともこの収容状況では。
     みんなは、許してくれるだろうか。僕だけが1日目に戻って、実質的に皆を49日目ここに置いて行くことを。
     許してくれなくてもいい。僕は、誰ひとり欠けずに休暇を迎えたいだけだったのに。本当は今いる皆と休暇を楽しみたかった。
     今いる皆、誰、ひとり……。

     頼むぜ、マジで。失敗したら多分終わる気がする。俺も、管理人も。他の皆も。

     管理メニューのトップに戻る。『最初から始める』。
     現在の観測状況を引き継いで、最初から始めますか?……
     ……”はい”

     発動。祈る。只々祈る。どうか上手く行ってくれよ――



     1日目への巻き戻しは特殊な処理が必要だから時間がかかって……もうずっと49日目に挑戦し続けてたから疲れて居眠りしちゃってたのかな……。
     あれは本当に夢だったのかな。なんだかすごくリアルすぎて……
     でもさすがにダフネさんが樹にはならないでしょ。さすがに。……ならないよね?

     初心に帰る。マルクトちゃんさんの抑制でも大事だったな。
     美味しいコーヒーを飲み終えて一息つく。
     もう一度研修を受けて、初心に帰ろう。

     こほん。映ってる?映ってるね?OKOK、2回目ともなれば慣れたものよ。
     ご唱和ください、僕の名を!
     管理人エエエェェェェェェーーーーーーッックス!!!

    ……よし、真面目にやるか。
     モニターに研修に付き合ってくれる職員が表示される。
     当たり前だけど、知らない名前ばかり。見たこともない職員。
    ……あれ?モニターの映像、こんなシンプルだったっけ?
     とりあえず、教育用ウサギロボに、本能作業をお願いします、っと。

    ――『おう、任された』――



     心臓が跳ねる。理解が追いつかない。頭を抱える。
     ん?今何か変なことしたっけ?あれ?あれ?だって、え、無理じゃん?え?今、1日目、研修、中、……???
    『おーい、管理人固まっちまったぞ。モニターの認知フィルター切ってやってくれ』
     おかしいな、なんだか聞き慣れた声が聞こえるし、え、モニターの?認知……フィルター……?



     はっと顔を上げて、モニターを凝視する。
     見慣れた印象的な色の髪。隈の刻まれた、見慣れた目つき。不健康そうでこちらが心配になってくる顔色。やたら背ばっかり高くて細っこくて頼りない、『おい管理人?』
     
    ――”月桂樹の女神”の名を持つ男が、そこにいる。

    「……これ、夢の続きで、いいですか?」
    『寝言は寝て言え管理人。あとさっき何つった』
    「あの、もっとちゃんと寝たほうが……いいかなーって……その……」

     モニタールームの扉が開く。最も望んでいた顔がそこにあった。
    「だ、だ、ダフネ、さんっ、なな、なんで、なんでここに、皆を49日目に置いて、僕だけ、逃げて、きたのに……」
    「ウルテク使った」
    「それっ、古い、ですよぉぉ……うぅぅ」
    「あーー、管理人は絶対使わないって言ったけど、……逆行時計使わせてもらったわ。すまん。だいぶ賭けだったけどな」



     コービンには話したけど……あのあとちゃんと管理人にも話したよな?ほら、逆行時計収容して、調査した日のことだよ。
     俺がゼンマイ5回回してどっか行って、TT2プロトコルで巻き戻したら戻ってきた、あん時の。
     そう、”何も無い場所”。普通なら時計を発動させた職員は死亡するだけらしいんだが、俺が使うと何も無い場所に放り出されるっぽくってな。あんたの1日目に戻るタイミング見計らって丁度いい感じになるように発動したんだよ。
     それで思った通りまたあそこに放り出されてさ。前も言ったようにマジで何も無い。感覚もないし思考もないし。多分俺死んで、まぁ死ねないから意識だけあそこに放り出されるんだと思うけどさ。そんで何も出来ないからしばらくぼーっとしてると、声が聞こえてくるんだよ。前も言った、例の綺麗な声がさ。『まだ駄目、戻って』って。声を聞いた瞬間、声のする方向に戻りたいなーって気分になって、そうしたらここよ。

    「てな感じなんだが。わかったか?」
    「い、今北産業……」
    「何も無い場所から
     綺麗な声で
     戻ったらここだった」

    「なんでぇ……?」
    「俺自身何となく予想はついてるんだが。ま、ネタバラシは後に取っとくほうが楽しみが増えるだろ?」
     悪戯っぽい目つきと声。表情こそほとんど変わらないが優しい声音で諭すように。
    「言ったろ?どこにも行かないって。ずっとここに居るって。な、親友」
     管理人が目を丸くして動かなくなる。あーまた固まっちまった。
     
    「そうそう、モニターの認知フィルターだけどな。あんたの網膜に仕込んであるのとは別にモニターにもちゃんとフィルターはかかってるらしいんだよ。そっちはちゃんと職員の死亡表示もデフォルメされるっぽいぜ?つまりモニターの認知フィルター、ずーっとオフだったってこった。何でそうなってるかは知らないけどな」

     管理人はまだ理解が追いついていない様子。無理もないか。相当やり直して、もうぶっ潰れる寸前だったからな。あんなに短期間で多数のやり直し、しかも千はゆうに超える。完全に潰れる前に1日目こっちに来てくれてよかった。
     あのまま続けたら、きっと……。俺だってE.G.Oのお陰で殆ど死ぬ危険性はない代わり、皆が死にゆくのを見続けてきたんだ。やっぱ慣れねぇって、あれは。しかも短期間に何百回・何千回と見てるわけだ。よくも今までメンタルがもってくれたもんだ。
     職員の方も心配だな。実際なんべんも死にまくってるわけだから。下手したら一人二人精神汚染度がヤバい域のヤツもいるかもしれん。そこはまぁ……ホクマーがなんとか処理してくれるだろ。多分。
     俺だけズルして一人追っかけてきちまったしなぁ。実際タイミングがズレたらずっと何も無い場所あそこに留まるか、別の点に飛んでたかもしれないかの滅茶苦茶な賭け。いずれにしろ今のエックスには会えなくなっちまう。
     コービンは特に事情知ってるからなぁ。「またあなたは相談もなしに一人で無茶して」とか何とか言われるに違いない。すぐ呼び戻してやるからさ、そん時にたっぷり説教垂れてくれ。
    ――まぁ、少しずつ戻していこうや。ホクマーに頼んでさ。

     あぁ、管理人にドッキリ仕掛けたら予想以上の反応になっちまってすっかり忘れてた。
     認知フィルターの仕込みありがとな、アンジェラ敏腕秘書さん。この様子なら、多少の暇つぶしにはなるんじゃねぇか?



    「ほら管理人、ぼけっとしてないで業務行くぞ業務。あとアーニャとコービン呼び出すからな、LOB足りねぇから一人ずつがいいか?どうせなら”前”みたいに明日纏めて呼ぶか?ホクマーに掛け合ってこないといけないから早めに決めておいてくれよ」
    「あっ、はい、それじゃまずは……えーーっと……罪善さんに、洞察、お願いします……」

     ふっと笑みが溢れる。
    「おう、任された」
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    🙏😂🙏✨✨✨💘💞💞💞
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    アロマきかく

    DOODLEたまにはサブ職員さんの解像度を上げてみよう。
    49日目、オフィサーまでも一斉にねじれもどきになってその対応に追われる中、元オフィサーであったディーバにはやはり思う所があるのではないか。そんな気がしたので。
    甲冑で愛着禁止になったときも娘第一的な思考だったし。
    なお勝手に離婚させてしまってるけどこれは個人的な想像。娘の親権がなんでディーバに渡ったのかは…なぜだろう。
    49日目、ディーバは思う 嘔吐感にも似た気色の悪い感覚が体の中をのたうち回る。その辛さに耐えながら、“元オフィサー”だった化け物共を叩きのめす。
    「クソっ、一体何がどうなってやがんだよ……ぐ、っ」
     突然社内が揺れ始めて何事かと訝しがっていたら、揺れが収まった途端にこの有様だ。
     俺がかろうじて人の形を保っていられるのは、管理職にのみ与えられるE.G.O防具のお陰だろう。勘がそう告げている。でなければあらゆる部署のオフィサーばかりが突如化け物に変貌するなどあるものか。

     もしボタンを一つ掛け違えていたら、俺だってこんな得体のしれない化け物になっていたかもしれない。そんなことをふと思う。
     人型スライムのようなアブノーマリティ――溶ける愛、とか言ったか――が収容された日。ヤツの力によって“感染”した同僚が次々とスライムと化していく。その感染力は凄まじく、たちまち収容されている福祉部門のオフィサーが半分近く犠牲になった。そんな元同僚であるスライムの群れが目前に迫ったときは、すわ俺もいよいよここまでかと思ったものだ。直後、管理職の鎮圧部隊がわらわらとやって来た。俺は元同僚が潰れてゲル状の身体を撒き散らすのを、ただただ通路の隅っこで震えながら見ていた。支給された拳銃を取り出すことも忘れて。
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    MOURNINGコービン君から見た緑の話。
    と見せかけて8割位ワシから見た緑の話。未完。
    書き始めたらえらい量になり力尽きて改めて緑視点でさらっと書き直したのが先のアレ。
    コービン君視点、というかワシ視点なのでどうしても逆行時計がなぁ。
    そして33あたりから詰まって放置している。書こうにもまた見直さないといかんし。

    緑の死体の横で回想してるうちに緑の死体と語らうようになって精神汚染判定です。
     管理人の様子がおかしくなってから、もう四日が経つ。



     おかしくなったというよりは……”人格が変わった”。その表現が一番相応しい。むしろそのまま当てはまる。
     Xから、Aへと。

    「記憶貯蔵庫が更新されたらまずい……それまでになんとかしないと……」
     思い詰めた様子でダフネが呟く。続くだろう言葉はおおよそ察しがついていたが、念のため聞いてみる。
    「記憶貯蔵庫の更新をまたぐと、取り返しがつかないんですか?」
    「……多分」
    「多分、とは」
    「似た状況は何回かあった。ただし今回のような人格同居じゃなしに、普段はXが表に出ていてAは眠っている状態に近い……っつってた、管理人は。相変わらず夢は覚えてないし、記憶同期の際に呼び起こされるAの記憶は、Aが勝手に喋ってるのを傍観しているような感じだったらしい」
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