三分の二 デカフェのドリップコーヒーパックを二つ取り出して、並んだ二つのカップにセットする。最近はコンビニでもデカフェを置いてくれているのがありがたい。切らした時にすぐ買いに行けるし、そして味も悪くない。
アラフォーとアラフィフの境となる今、カフェインを夜に摂ればどんな明日が待っているかなど、十分に身をもって知っているのだ。
──十年、いや五年前までならカフェインどころか酒を浴びるように飲んでも平気だったのにナ。
若狭はそんなことを思う。
気持ちはいつまでも若いつもりでいても、からだは時間と共に変化してゆく。それが少し寂しい気もするし、しかしどこか心地よくも感じるようになった。
若狭はドリップパックからこぼれないようお湯を注ぎながら、若い時分に思いを馳せる。
あの頃自分たちは、喧嘩だ揉め事だと、常に目まぐるしく回る世界の中にいた。血気盛んで勢いがあり、それがどうしてカフェインを気にするような今にたどり着いたのか──人生とはまったく不思議なものである。
昔から今への軌跡を辿って、口元がやわらかな弧を描いた──そのとき。
「まじか!」
リビングのソファーでテレビを見ていた真一郎が大きな声を上げた。
「どったの? 真ちゃん」
若狭は淹れたてのコーヒーを二つ手に持って、そちらへと歩み寄る。
「あ、オレのも淹れてくれたのな、サンキュー。これアレ? この前のお中元で貰ったやつ?」
「違ェ。これはコンビニのデカフェのやつ」
「あー、夜だしな」
「そ。真ちゃんが眠れなくなって、明日寝不足にならないためのオレからの優しさ」
カップをひとつ手渡して、若狭は真一郎の隣へと腰を下ろした。
「それで、なにが『マジか!』なの?」
「あ、それそれ。テレビ見てみろよ、ワカ」
真一郎が目線で促して、若狭もそちらへ目を向けた。
テレビには「あの頃のブーム!」というテロップが下部に表示され、ポケベルが紹介されている。
「うわー、ベルか。懐けェな」
「だろ? じゃなくてこれさ、九十五年に流行ったもの紹介してんだけど、このVTRに移る前にMCがさ、『今からちょうど三十年前に流行ったものがこちら!』って言ったんだよ」
先ほどより落ち着きを取り戻した真一郎がコーヒーを啜りながら若狭に伝えると、今度は若狭のほうが「マジか」と口にした。
「ビビるよなー。オレらの青春時代、もう三十年前だってよ。つい最近のことみてえな感じするのにな」
居酒屋で飲んでいるサラリーマンを彷彿させる台詞に、若狭は思わず笑った。
「まあ、真ちゃんはもうアラフィフだし、オレもアラフォーだしな」
「まだ誕生日きてねえだけだろ。タメなんだからワカももうアラフィフだっての」
「誕生日きてねえからアラフォーなんだワ」
ムニッと頬を摘まれるが、若狭はそれに動じず言い返す。すると、アラフィフ男性はムムッと眉根を寄せた。
それを可愛いと思ってしまうのだから、恋とは本当に盲目である。
「てかさ、オレらが出会ったのが十五ん時で、んでそれから三十年経ったってことは、人生の三分の二一緒にいるんだナ」
頬を摘んだままの指をそっと引き離して、若狭はまなじりを下げた。
血気盛んなあの頃から、いろんなものが変わった。ポケベルはガラケーを通り越してスマホになり、その日その日を生きて夜を走り回っていた自分たちは、明日の仕事のためにカフェインを控えるようになった。
それでも、変わらずに真一郎は隣にいる。
変わりゆく日々が少し寂しくとも、それでも愛おしく思えるのはきっとこれが理由だ。
「マジか。三分の二」
「マジ。三分の二」
「スゲェな。三分の二かぁ」
真一郎はそういうとテレビに再び視線を送った。
そして視線はそのままに、「これからも一緒にいような」と若狭に告げる。
若狭は真一郎のほうを見た。
テレビを見ている彼の耳が真っ赤に染まっている。
「人生三分の二も一緒にいて、まだ照れんのかよ」
「うるせえな」
「そうだね。これからも一緒にいようよ」
「……おう」
真一郎はテレビに視線を向けたまま、若狭の肩に手を置いた。そして、ぐっと引き寄せられるその力に抗わず、若狭は真一郎のほうへとからだを預けた。
End