死にゆく恋に泥む玉章[前編] ラクール城の外に出ると、強い日差しが目を焼いた。エナジーフィールドを通さない剥き出しの恒星の光は久しぶりで、まだ慣れない。エナジーネーデにいた期間はそう長くはないのに、便利な環境からはなかなか抜け出せないものだな、とクロードは思った。
橋を渡り、城下へ向かう。人々の話題は突如として途絶えた魔物の侵攻で持ち切りだ。事情を知るクロードはその理由を知っている。ソーサリーグローブ――クォドラティックスフィアを生み出した十賢者をクロードたちが討ち倒したからだ。だが、何かがおかしい。人々の話に耳を傾けていると、違和感を感じる。何より、町の装いが武具大会開催前のままであることに、クロードたちは困惑した。違和感の正体を確かめる為にクロードは一人ラクール城へ向かい、レナも仲間の半分を連れてクロス大陸に向かった。落ち合う先は神護の森だ。
ラクールに残った仲間と合流する為、クロードは大通りから少し奥まった待ち合わせ場所の飲食店に向かった。
店に入るとすぐに店員に声をかけられた。待ち合わせであることを伝え、店内を見渡す。クロードが窓際によく目立つ長身を見留めるのと、その向かえ側に座るプリシスが大きく手を振るのとは殆んど同時だった。
「早かったわね」
席に近付くとプリシスの隣に座るチサトが言った。
「王様には会えなかったからね。クロスみたいなシステムだったら話は違ってきたのかも知れないけど」
チサトに応えながら、クロードは無言で黒い固形物をフォークで崩す男の方を見た。崩れたスポンジから溶けたチョコレートが溢れ出す。フォンダンショコラだ。だが、問題は男の食べるケーキではない。現実から逃避する為にケーキの特定に努めている場合ではない。
席は四人がけだ。プリシスとチサトは並んで座っている。クロードの視線に気が付いた男は、無言のまま窓際の方へ詰めてくれた。口は咀嚼で忙しそうなので、無言になるのは仕方がない。仕方がないが、矢張りそこに座るしかないのか。クロードは少し遠い目をしながら思った。
「……ありがとう、ディアス」
諦めて座ると、メニューを差し出される。見れば、プリシスやチサトの前にも食事の皿が置かれていた。確かに昼時だ。得心がいったクロードはメニューを受け取り、ページを捲る。
「ここのお店、ベシャメルソースが美味しいって有名なんだって」
目の前のラザニアを掬いながらプリシスが言った。隣のチサトもクリームパスタを食べている。横目でディアスの空いた皿を盗み見ると脂で汚れた鉄板が見えた。ベシャメルソースが美味しい店だからといってベシャメルソースの料理を注文する必要もない。クロードも肉料理のページで手を止めた。ステーキはないようだったが、ハンバーグがあった。少し迷って、やめる。何となく、一人で食べても意味がないように思えたからだ。結局、クロードはクロックムッシュを一つ注文した。
「やっぱおかしいよね。王様がエル大陸の捜査隊に任命した武具大会の準優勝者に会わない、ってのは」
覚えてないわけないじゃん。行儀悪く頬杖を突いて、ココット皿の縁にこびり付いたチーズを削ぎ落としながらプリシスが言った。それまで無言だったディアスが、クロードの隣で小さく顎を引く。
「オレもじいさんのところに顔を出して来たが、初対面のような反応だった。それどころか、武具大会すら開催されていないような口振りで追い出されたな」
「そっちもか。ぼくもまぁ、似たようなものかな」
城内の兵士たちが話す様子からも、武具大会は未だ開催されていないようだった。武具大会に出場するディアスの為に剣を用意した鍛冶師の反応に、疑念が確信に変わって行く。
「ミラージュ博士もタイムパラドックスに関して言及してたものね。七億年前のネーデから流れ着いたレナみたいなケースもあるし、惑星一つ移動させたんだもの。何が起きても不思議じゃないわ」
「確かに、ネーデと衝突する直前のエクスペルを転移させるとは言ってましたけど……要するにぼくらの少し過去に来てしまった今の状況は、星の歴史からしてみたら数ヶ月は誤差の範囲ってことで雑に引っ張ってきた、ってことですよね」
ネーデの慌ただしい最後を思い出す。崩壊の迫るネーデで、過去の位相から惑星一つ転移させ、更にはクロードたちが脱出出来たことは奇跡に近い。それが奇跡ではなく、滅びゆくネーデ人の技術と善意であることも理解している。理解はしている。だが、つい口をついて出てしまった。
「ネーデ人、大雑把過ぎません?ソーサリーグローブとかもそのままなんじゃないですか」
「市長が大雑把なのは認めるけど、全てのネーデ人が大雑把みたいな括りはやめてよね」
「チサトさんも大雑把じゃないですか」
「……やめてってば」
チサトは頭を抱えた。
「もー。クロードってばあんまりチサトをいじめない。それに、取り敢えずソーサリーグローブは大丈夫なんじゃない?魔物の侵攻、止まってるんでしょ」
プリシスの指摘を受けて押し黙る。城下でも城内でも前線基地への魔物の襲撃が止んだ、と話題になっていた。武具大会前の熱気が霞むほどだ。
「サイナードがいれば、すぐにでもエル大陸に確認しに行けたんだけどな。あとは船だけど」
今のクロードは武具大会の準優勝者でもなければ、エル大陸の調査隊の一員ですらない。ラクールホープすら完成していないようなのだから、当たり前だ。クロス王からの許可証はあるが、特例措置は期待出来ない。
考えあぐねるクロードの前に注文したクロックムッシュが置かれる。したたるベシャメルソースの下から覗くハムとチーズのホットサンドは軽食ながら食べごたえがありそうだ。
「どうする。レナたちとの合流を急ぐか?オレは前線基地の様子も見ておくべきだと思うがな」
クロードにカラトリーケースを手渡しながらディアスが言った。確かに、最前線であれば精度の高い情報が手に入る。
「あー。わたしは親父の様子が気になるかな。大丈夫だとは思うんだけど、一応さぁ」
クロックムッシュにナイフを入れるタイミングで、プリシスの家族の身を案じる声が耳に届いた。気持ちは解る。セリーヌがレナと共に先にクロス大陸に渡ったのも同じ理由だ。
「二手に分かれればいい。前線基地に向かうのはオレ一人でも充分だろう」
「じゃ、チサトはわたしと一緒にリンガね」
話がまとまっていく中で、切り分けたクロックムッシュから溶け出したチーズにベシャメルソースが混ざって行く様子を、クロードはぼんやりと眺めていた。
「そうね。わたしは土地勘もないし……クロード、あなたはどうするの?」
「ぼくは」
尋ねられて、言い淀む。
心は決まっていた。可能性に気が付いてから、ずっと心の隅に引っ掛かっていた。あとはタイミングだけだった。
緊張で手が震える。滑り落ちそうになったフォークを握り直すと、皿に当たって硬質な金属音が響いた。
「ぼく、アシュトンを迎えに行かないと」
クロックムッシュを凝視したまま、その一言をやっと絞り出す。もう迷いはなかった。