その起源は星「きみ、反吐が出るほど献身的だな」
シミュレーターでの戦闘。
ほんの少しだけ難易度を上げてもらったところ、少しどころか相当な苦戦を強いられてしまった。
設定をしてくれたダ・ヴィンチちゃんには軽いノリで謝られて、私も軽いノリでやりすぎだよ、などと返してしまったのだが。
自室に帰ろうと廊下へ出るなり、このオベロンの反応である。
「自分を大事にしていない、とでも言いたいの?」
「そう捉えるなら、そうなのかもしれないな」
オベロンと会話をすると、どうも虚偽と正誤がこんがらがってしまう。
少しだけ靴の音が反響する、白く広がるカルデアの廊下。今日のタスクも終わったので、夕食を摂るために食堂へ向かうところだった。しかし、外では珍しく虫の姿で追いかけてきたオベロンの圧のようなものを感じてしまい、仕方なく行き先をマイルームに変更する事に。
こんなの、食堂でする話ではない。
「んー、オベロンから見たらそうなのかもしれないけど、自分ではわからないかな。やり方を変えるつもりもないし」
「きみねぇ……」
ごく不快そうな顔をしつつ、困った様子のオベロン。たまにこうして憤る様子を見る事があるけれど、それはいつも私を想ってのことだった。それが、なんだか少し可愛い。彼の捻れた性質に振り回される事も多いけど、たまには振り回してみたいな……なんて思ったりもしていた。
「仮にも人類最後のマスターが、替えのきかない存在が、こんな命知らずでいいわけ? もはや笑えるよ」
「そこはオベロンが決めることじゃないし」
ふと、隣を歩く虫が視界から消えた。一瞬歩みを止めたようだったけれど、慌てて私を追いかけてくる。
なんだろう、この爽快感。
自分の事は自分で決める。珍しくそんな正論をぶつけてしまったのだ、反論の余地も無さそうな雰囲気。確かにオベロンから向けられる執着のようなものは、正直嬉しい。それに誰よりも私を見てくれていて、大切にもしてくれる。でも、私にだって譲れないものはあるのだ。言い合いになると大体は論破されてしまうけれど、今日の私は強いのかもしれない。
気が付けば、目的地に着いていた。扉のロックを外して部屋に入るなり、身に付けていたタオルやら上着やらを放り投げて、シャワーを浴びる余裕もなく背中からベッドにダイブした。耐え難い眠気に簡単に屈してしまい、起きた時の事など考える余裕もなく目を閉じてしまう。
「おいきみ」
不機嫌な声にそう言われて目を開けば、目の前には眉根を寄せた奈落の虫の姿が。
「なに? 眠らせてよ……」
ぎし、とベッドが軋む。私の上に覆いかぶさるオベロンは、酷く冷たい目で私を見下ろしていた。その目に、もう苛立ちのようなものはない。今は多分もう、完全に怒っている。
その右手が、突然私の左手首を掴んだ。痛いくらいに強く掴まれて、その上ぐっと引っ張りあげられる。
「なんだよ、この痣」
「知らない」
「これだけじゃない。脚も、背中も、顔だって……」
「知らない」
正直眠らせて欲しかった、その位には疲れていた。
確かに私は危険を顧みず戦闘をしたかもしれない、結果あちこち怪我をしたかもしれない。
それでも、勝ったのだから。
結果勝てたのならそれでいい、過程はさして気にしていない。とにかく今をやり過ごして、今この時を生きていく事に必死なのだ。
それでいい。少なくとも私は、そう思って生きている。
「……そんなに、そんなに自分を大事にできないのなら」
眠気に、抗えない。
「きみを、今度こそ奈落に引き摺りこんでやる」
思わず、ぱちりと目が覚める。
「死にたいのなら、俺の空洞の中で死ね」
─────ああ。
私はこんなにも弄れた愛情に包まれて、それでもなお人理のために戦い続けたいと思うのだ。
「お生憎様、そういうのは……そういう逃げ道は、必要ないから。私は私のために戦って生きていくし、死ぬつもりもないし」
ぎり、と歯を食いしばる音がした。
「それに、例え奈落に落とされたとしても、私にだってちゃんと輝ける星があるの。残念ながら奈落で発狂する事も、道を見失う事もないよ」
眠気の消え去った私は、キッパリとそう答えた。
そのまま暫し睨み合っていたのだが、私は折れなかった。そして折れた虫はひとつ小さなため息をつき、私を解放する。
ベッドに埋もれている私の脇で、そっぽを向いて座るオベロン。表情はさっぱり見えないけれど、きっと少し悔しがっているのかな、いやそうであって欲しいなと思ってしまう。
「きみの星の話なんて、初耳なんだけど」
「まあ、言ったことないし?」
本当に今日は調子がいい。振り返ることも無く背を向けるオベロンに、言い放つ。
「私は星でできているから」
「……なんだそれ?」
思わず振り返ったその困惑する顔を見て、少し微笑ましくなってしまった。やっぱり今日のオベロンは、なんだか可愛い。思わず口元が緩んで、じわりとあたたかい気持ちが溢れてくる。
「色んな人の『思い』で今の私があるの、始まりでこそ平凡なひとりの人間だったけどね。ロマニや、ダ・ヴィンチちゃんや、カルデアのスタッフ……たくさんの『輝ける星』が私を創ってる」
それが、私を導いてくれる。
「だから私は強いよ。絶対に負けない」
例えどんな暗い地獄でも、どんなにつらい現実でも、それが私を照らし導いてくれる。
「それでも、それでも私が心折れそうになったら」
背を向けていたはずの虫と、目が合った。
「その時こそ本当に、私を奈落に連れていってね」
彼は、にやりと口角を上げる。いつも通りの不敵な笑みで、それなのに少し……清々しさすら垣間見える、そんな笑みを見せて。
「……ああ、勿論だとも」
そう言って背を向けたオベロンを見て、なんだか妙に安心してしまった。すると再び襲い来る眠気に抗えず、瞼を下ろす。少しずつ薄れゆく意識の中でふと、ひやりとした硬い感触を指先に感じた。それはきっと、暗い世界に灯る光に引き寄せられた虫の、硬く冷たい人ならざる異形の手。
そんな手を握れば握り締め返されて、互いの体温が混ざりあっていく。
私の熱と輝きを識ったきみの優しい執着を噛み締めて、今度こそ深い眠りに落ちていった。