バスボムより効果あり「飲みすぎました!」
「……」
「明日もお仕事です! が、お風呂に一人で入れる気がしません!」
大口を開けて笑う男を見て、こはくは本日三度目の大きなため息をついた。一度目のため息は彼からの帰宅時間の連絡があった際に済ませ、二度目は帰ってきたと思ったら玄関先で倒れ込んでいるのを見たときにこぼれた。
人脈とはどの業界でも大切なものである。特に斑のように、一人でアイドルとして活動する人間においてはなおさら。であるから、こはくも、彼が多少無茶をして横のつながりを作っていくことについて、責めるつもりは毛頭ない。しかし、限度というものはあろう。
「……」
「頼りになる相棒に頼みがあります! なあ、いいだろう、こはくさん。門限はぎりぎり守ったんだから」
ただの言葉遊びだ。門限などというものをこのマンションの一室、二人が暮らす小さな城に定めた記憶はない。そもそもお互い帰ってきたり、こなかったりなので、わざわざどちらかが予定を合わせないと、なかなかここで顔を合わせることもない。そんな繋がりでも残しておきたいと思った二人の温度は、変わらずにこの部屋に染みついているのだけれど。
じっと、男の瞳を見つめる。ゆらりと揺れた深い緑が、やわらかく眇められた。再び斑が口をひらいて、「……なあんてなあ」などと言う前に。
「おっと?」
こはくは彼の腕を掴むと、ずんずんと部屋の中へ引きずるようにして連れて行くことにした。
「おおっと」
有無を言わさぬ勢いで上着を剥いで適当に椅子の背に引っ掛け、バスタオルとフェイスタオルを引っ掴み、ついでに斑の常用するスキンケア用品の入ったかごも小脇に抱える。驚き半分、好奇心半分といった顔をする斑の腕を引いて脱衣所に入ると、ひとこと「ぬげ」とだけ伝えて彼の寝間着を取りに寝室へ戻る。脱衣所に再び顔を出すと斑がのそのそと下着を脱ごうとして腕に引っかけていたので、こちらも引っ張って脱がせてやった。
「おお」
そして自身のスウェットの裾をまくると、しっかりした足取りの斑にわざとらしく肩を貸してやってこはくは風呂へと足を踏み出した。
「……こはくさん、やっぱり」
「阿呆、遅いわ。ほれ、さっさと身体、洗ってしまうで」
「いやー……」
「酔っぱらいの戯言なんぞ、真に受けるわけないっち思ったんやろけどな」
シャワーから水を出して、手に受ける。十分に温まったことを確認してから、一言声をかけ、気まずそうに椅子に腰掛けた斑の頭から静かにお湯をかけてやった。
「……」
「何年ぬしはんの相棒やってきたと思ってんねん」
ほどかれた琥珀色の髪に、優しく指を通した。彼の髪は、水気を含むと驚くほど繊細な触り心地になる。それを知っている程度には、ともに過ごしてきた。
「……ふふ」
「なんじゃ」
「あったかいなあ」
君は、と続けて彼がこぼした言葉は、水の音に負けて掻き消えてしまった。先程とは違い、すっかり身体の力を抜いた斑はこてんと首を傾けてこはくを呼んだ。
「なに」
「きもちいい」
わざとらしい艶めいた声に、一瞬くらりときた。本当に、どうしようもない男だ。
「……明日仕事あるんやろ」
「あはは」
本日四度目のため息とともに、一日の疲れが排水口に吸い込まれていく。