かおる桜で、素敵なティータイムを　らしくないなあ、と思った。
　とあるカフェの、春の新作発表のCMをたまたま寮の共有ルームで見たとき、斑はそう思った。桜をモチーフにした甘いドリンクは確かに彼によく似合ったけれども、当の本人が桜に対して良い思いを持っていないことを斑は知っている。だからそのCMを見たとき、持てる武器は何でも使って勝負をするのだなと感心した一方で、言いようのない胸のざわつきを覚えた。
　かおる桜で、素敵なティータイムを。君と一緒に。
　それを見てから数日後、今度は街の中でこれまた偶然こはくを見つけた。
　声をかけようとして、慌てて口を閉じた。こはくの隣には藍良がいた。別に遠慮なく絡みに行ってもいいのだけれど、他の人間がいるのならあまり締まりのない顔をするわけにはいかない。

For You　二十歳の誕生日、その次の日になる深夜一時のことである。散々飲まされて、歌って踊って笑ってどついて、ユニットの仲間やスタッフたちと羽目をはずしたこはくは、この時間になってやっと自宅に帰ってきた。
　ESの管理する寮を出たのは二年ほど前のことだった。最後までどうにも他人の多い空間には慣れなかったが、あの場所にも、去るには惜しいと思える程度には愛着も湧いていた。それでも寮を出たのは、自立した一人での生活を経験してみたかったから、そしてとある男の安心できる居場所を一つでも多く増やしておきたかったからだった。
　斑は現在、海外に拠点を置き、主にそちらで活動している。数ヶ月に一度帰国してESに顔を見せるが、すぐにまた海の向こうへ旅立っていく。海外に置かれたESの拠点となる場所を中心に活躍の場を広げているらしい。色々と葛藤や悩みもあるそうだが、帰ってくるたびにこはくにそんなことをこぼせるようになったのは、大きな成長とも言えよう。

帰るべき場所にてほころぶ花の香　一人で立つことには慣れている。ステージの上でも、日常生活においても、身軽で気軽に動けるおひとりさまという生き方を気に入ってもいる。無理に誰かに合わせることも、逆に誰かに気を遣わせてしまうこともない。力加減を間違えて周囲を傷つけてしまったり、距離感を間違えてこちらの事情に罪のない人を巻き込んでしまったり。そういったことも、もう御免だ。
　黒いバックパック一つを背負って、斑は星空を見上げながらのんびりと歩いている。
　数ヶ月に渡る海外でのライブツアーが無事に終了した。初めて渡航する国であったけれども、手応えは上々。ESが近頃目をつけている地域なだけあって、アイドル文化はよく浸透し、誰もが異国からやってきた新しい風を歓迎してくれた。一身に浴びた歓声と拍手とを思い出すと、寒さからではない震えが今も湧き上がってくる。

相手の好きなところを言わないと出られない部屋　目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。
　冷静に体を起こす。柔らかな手触りのベッドに寝かされていたらしい。というより、ベッドだけは寝入ったときのままの状態だった。
　横では、昨夜散々戯れた少年がすやすやと寝息をたてている。淡い桜色の髪は枕の上に流れている。あどけない顔をして眠るこはくを見、斑は静かに顔を上げた。
　向かって正面の壁には、時計が一つと大きな張り紙が一枚。
「どういうことなんだあ、これ」
　張り紙にはデカデカと『相手の好きなところを言わないと出られない部屋』と記されていた。

　叩き起こしたこはくと二人で部屋中を探索してみたが、どこにもドアらしきものはなかった。手の届くところ、目の見えるところに窓や換気扇といった外部と繋がっている箇所もない。

ほころびなぞりて、日々「こはくくんってさ、絶対スパダリだよ！　彼氏にしたらすごく大切にしてくれそうじゃない？」
　そんな会話を、自分より二組ほど前に並んでいる女子高生たちが繰り広げている。こはくは目深にかぶった帽子の下で静かに息を潜めている。何気なくしていれば、案外気が付かれないものなのだ。
「えーっ、そうかなぁ？　なんか結構厳しそうじゃない？　落ち込んでるときとかガツンと正論言ってきそう」
「そんなことしないよ！　こはくくんはね、全部優しく包み込んで『そやね、そらつらかったなぁ』って慰めてくれるんだって！」
「あんたこはくくんの何を知ってるのよ」
　その先の会話を聞くことはなく、こはくは手元のスマホに素早く『スパダリ』と入力した。検索結果が示す内容を読み込んでいくと、段々と黒いマスクの下は苦笑の形に変わっていく。

酒と嫉妬と兎と君と　斑は酒に強い。まだあまり飲酒経験は多くないが、成人してからこのかた酒の席での失敗というものをしたことはないし、同年代のアイドルたちと飲んでいても、最後には酔い潰れた彼らを運ぶ力仕事さえこなせた程度には強かった。自分の限界を見誤らない自信があったとも言う。しかし、今朝の部屋の惨状を見る限り、どうも昨夜、自分ははじめてあまりよろしくない酔い方をしたらしかった。
　共に酒を煽っていたのは天城燐音である。彼と酒を飲むのは初めてだった。
　良い店を知っていると言われ、連れて行かれたのは彼がいつもパフォーマンスを披露している居酒屋だった。あまりにも楽しそうに彼が酒を煽りつつ歌ったり踊ったりするものだから、つられて斑もついつい羽目をはずしたのだ。「ここならESの目もそう届かねェぞ、好きにやれ」と囁かれて、どこから持ち出したのか渡されたギターをかき鳴らし、やがて小さなステージの上で持ち歌まで披露してすっかり良い気分になってしまった。

エンドロールに君の名を　こはくが三十五になった年の春、法律が変わった。日本でも同性婚が認められることになった。
　周囲はにわかに騒がしくなった。ある一組が結婚を発表すると、何組も駆け込むようにそれに続いた。
　SNSでは終日、誰と誰が親しげであったからもうすぐ結婚するのではないかとか、仲の良い同性アイドルグループは世間に誤解を与えないように互いにもう少し距離を取るべきではないかとか、様々な意見が飛び交った。インターネットに慣れ親しんでいたこはくは、そのときはじめて自分からインターネットと距離を置いた。
　こはくの周囲でも結婚報告はちらほらあった。どのカップルもこはくは笑顔で祝福した。良かったな、お幸せに、仲ええもんなぁ。そんなことを言ったような気がする。

いただきます　嫌な仕事だった。仕事だから嫌でもやった。
　朝から雨が降っていた。静かに腹の探り合いをしたミーティング、癖のある煙草の匂い。媚びへつらうような笑い声と、こちらを品定めする蛇のような瞳が、すべてが片付いた深夜になっても頭から離れなかった。
　一人、悪人が消えた。それだけの夜だった。
　言葉少なに手配したビジネスホテルにチェックインすると、斑はこはくを置いて近くのコンビニに足を運び、適当に食糧を買い込んだ。カップ麺を二つ、おにぎりを四つ、ガムを一包み、ミントタブレットを一つ、水と緑茶を一本ずつ。
　部屋に戻ると、想像より大荷物で現れたのだろう斑にこはくは目を丸くしたが、黙って備え付けのケトルでお湯を沸かし始めた。

お気に入りまくら　こはくさんは俺のお尻が好きである。
　このことに気がついたのは、出会ってから一年と少しが過ぎた頃だった。
　俺たちは同じユニットの仲間として短くも濃い青春を過ごし、やがてその形を失いながらも、互いの手を離すことができずに距離感を探り探り共に過ごしていた。
　寮の俺の部屋は同居人が三人もいてなかなかこはくさんを招くことはできなかったが、逆にこはくさんの部屋は簡単に二人の時間を作ることができる。もちろんジュンさんを交えてのんびり過ごすのも悪くないが、俺はこはくさんが「今日一人なんやけど」なんてメッセージをくれるのが楽しみで仕方がなかった。
　この子の前では無理をしてテンションを上げる必要もないし、かまってほしいときはちょっかいをかければ、嫌そうな顔をしつつも応じてくれる。肩の力を抜いて、表情を取り繕わずにそばにいることのできる関係というのはありがたいものだ。

その先を「駆け落ちの日」
「らしいで、今日」
「へえ。ちなみにこはくさん、意味はわかるかあ？」
「馬鹿にすんなや。今グーグル先生に聞いとる」
　くすくすと肩を揺らして笑う斑は、ソファに深く身を沈めてテレビを見ていた。斑がどんなものを見るか、はじめこそ興味があったがこの男の見るものには一貫性がなかった。演劇を見ているときもあれば、ニュースを聞き流していることも、かと思えば動画投稿サイトに上げられたゲームの実況動画を見ていることもあった。
　今日の気分は洋楽らしい。作り込まれたMVをただぼんやりと瞳に反射させながら、斑はこはくの言葉を待っている。
「えー……駆け落ち。とは。メリットとデメリットを調べてみました」
「ングッ、ふふっ、」

幸福な不在証明　サンタクロースがよいこのもとへプレゼントを届けにやってくる。幼い斑は早々に、それを嘘だと見抜くことができた。
　自分のところへプレゼントが届かないのは道理である。出来の悪い三毛縞の長男坊だ。サンタクロースなる人物だって、きっと自分にわざわざ贈り物など届けには来ないだろう。
　しかし、奏汰のところへ来ないとはどういう了見だ。彼は確かに未熟であるし、できないことも多いけれど『よいこ』であるはずだ。
　二人でこっそり読んだ絵本の中、クレヨンのようにぼんやりとしたタッチで描かれた白ひげの、恰幅の良い老人は奏汰のところへもやって来なかった。であるならば、これはただの嘘っぱち。伝説か、体のいいおとぎ話なのだ。

　12月26日、11時24分。斑が目を覚ましたのはもう昼近く、日も高く上った時分であった。

ぬくまる　秋も深まりだした頃、こはくとジュンの寮室にこたつが設置された。
　「まだ早いだろう」とか「いいなぁこたつ、うちの部屋も買わない？」だとか、様々な会話がちらほらと寮内でも成されたので斑も彼らの部屋のこたつの存在は早い段階で知ることになった。
　やがて二人と親交のある面々が部屋を訪ねるようになった。遠目に、藍良や真、茨などの背中が彼らの部屋に消えていくのを見たことがある。藍良はアイドルグッズを、真はゲーム機器を、茨は仕事用だろうか、書類の束とPCを手に扉の向こうに消えていった。
　そんな彼らの後ろ姿を見送りながら、斑は悶々とした日々を過ごすこととなった。
　斑はこはくと恋人関係にある。ユニット解散後、二人で居心地の良い距離を探っていたらいつの間にかこうなっていた。

당신이 좋아하는 것아, 라고 생각했을 때는 이미 늦었다. 뻗은 손을 포기하고 떨어뜨리고 반대쪽 손을 이마에 대고 하늘을 올려다봤다.
세상의 끝을 보는 듯한 얼굴로, 녹슨 기계 인형처럼 어색하게 츠카사가 고개를 돌렸다. 코하쿠는 먼 곳을 바라보며 한숨을 한 번 내쉬었다.

마음을 전할 때 마다라가 '화내지 말고 들어라'고 미리 말했던 것을 코하쿠는 아직도 잘 기억하고 있다. 그의 말은 진짜인지 가짜인지 구분하기 어려웠다. 농담인지 진심인지 금방 알 수 없었고, 나중에 혹시 그때 그 말이 이런 뜻이 아니었을까 하고 되새기게 된다.
하지만 그렇게 가르친 것을 마다라 역시 소중하게 기억하고 있었던 것 같다.

Summer Panic여름이 한창이다. 쏟아지는 햇살이 모래사장을 반짝거리게 하고, 뜨거운 바람이 바닷바람을 몰고 온다.
　왜 이렇게 더운 날 이른 아침부터 촬영을 해야 하나 싶지만, 이것도 일이니 어쩔 수 없는 일. Double Face에 들어온 특이한 계통의 일이었다. 뭐랄까, 의외의 아이돌 유닛을 이용해 어떤 브랜드의 수영복 홍보를 하고 싶다고 한다. 한여름에 밖에서 놀고 있을 것 같지 않은 유닛이라는 점에서 백기를 든 것이 바로 자신들이었다.
　고학은 파라솔 아래에서 내리쬐는 햇볕을 원망스럽게 올려다보며 일광욕을 하고 있다.
　이 일을 적극적으로 받아들인 것은 마다라다. 앞으로 미디어 노출을 늘리고 싶어서 다양한 색깔의 일을 찾아다니며 코하쿠를 찾아왔던 것이다. 예전 같았으면 독단적으로 일을 받거나 거절했을 텐데, 요즘은 코하쿠와 제대로 이야기를 나누려고 한다.

3주년을 축하합니다"2인 1조 유닛은 다 그런 것 같은데, 합동 라이브 같은 데서 사람들이 북적거리면 자꾸만 상대방을 쳐다보게 되지 않나요　신경 쓰지 않으려고 해도 어딘가 모르게 오히이 씨를 찾고 있는 제 자신이 있거든요."
"괜찮아요. 저는 그렇지 않은데 말이죠. 역시 Crazy:B이기도 하고, 별로 의식해 본 적이 없네요."
　그런 건가요. 잘 모르겠지만요.
　그런 대화를 나눈 건 일주일 전쯤이었다.
　뉴디 소속의 여러 유닛이 참여한 야외 라이브에 코학도 Double Face로 서 있었다. 이 무대를 위해 만들어진 의상은 화려하진 않지만 심플하고 산뜻한 느낌의 한 벌이다. 흰색 바탕에 은은한 금색과 녹색의 곡선이 흐르고 있다. 소매를 접은 듯한 반소매 의상을 입고 뛰어다니다 보면 왠지 어울리지 않는 일을 하고 있는 것 같은 묘한 기분이 든다. 쏟아지는 햇살 아래 공연은 무난하게 지나간다. 유닛의 경계를 넘어 아이돌들은 합창을 하며 공연장을 마음껏 뛰어다녔다.

잠자는 남자코하쿠는 오랫동안 마다가 잠든 모습을 본 적이 없었다. 그는 매우 활동적이어서 함께 움직일 때는 항상 코하쿠보다 먼저 일어나고 코하쿠보다 늦게 잠들었다. 일 때문에 같은 방에서 밤을 보낸 적이 몇 번 있었는데, 어느새 코하쿠는 잠들어 있었고, 일어나면 그의 침대는 깨끗하게 정돈되어 있었다.
　그래서 이 남자가 이렇게까지 잠을 더럽힐 줄은 몰랐다.
"......"
　아직은 어두운 방 안에서 고학은 누운 채로 벽을 가만히 바라보고 있다. 힐끗 벽시계를 보니 아직 다섯 시 전이다. 충분히 두 번 정도 잠을 잘 수 있는 시간대다. 다만 그 전에 화장실에 가고 싶다. 참을 수 없을 정도는 아니지만, 가급적이면 가고 싶다.

봄은 여전히 푸르다(뭐야. (너 그 때와는 다른 사람 같다).
　보이는 한없이 밝은 초록빛의 바다, 그 한가운데서 무대를 노려보았다. 커다란 팔다리를 활짝 펴고, 이 세상에 한 치의 그늘도 허락하지 않을 것 같은 표정으로, 그것은 마치 큰 남자가 즐겁게 노래하며 춤을 추고 있다. 그 모습은 아무리 고개를 돌려봐도 거대한 몸과 목소리로 아이들을 위협하고 떨게 만들었던 그 남자와 겹쳐지지 않는다. 해맑은 미소와 감미로운 노래소리는 사랑이라는 것이 넘쳐흐르는 것 같아서 반감이 들 정도였다.

　나는 패배한 것이 아니다. 그렇게 다짐하며 소년 시절을 보낸 시설을 나온 것은 올 봄이었다. 마지막으로 돌아본 눈에 비친 것은 새 건물이었다. 몇 년 전 완공된, 찬란한 미래의 희망을 키우기 위한 건축물. 어린 시절을 보냈던 낡은 건물은 완전히 불타버렸고, 그 무렵에는 그 자리도 깨끗하게 정리되어 있었다.