朝靄に微睡む 自分のことを、不幸だとか、寂しい人間だと思ったことはない。ただ、来た道を振り返ってみたとき、決して平坦な道ではなかったとは思う。
たらればの話をしても仕方がないが、もしもう一度、任意の場所をスタート地点として生き直せたとしたらどうなるだろう。
薄い闇の中、まだ目覚めるには早く、眠り直すには物足りない時間に、君の顔を眺めている。当然、君はまだ眠っている。当たり前に、同じ布団で眠っている。
出会ったばかりの頃は、同じホテルの部屋で、別々のベッドに横になっていても、俺たちは互いの呼吸音に耳を澄ませていた。俺は君を最初からけっこう気に入っていたが、同時に、君のことをただの出会ったばかりの人間としても認識していたから、気を抜くことはなかった。君も、何かあればすぐに動けるように警戒していたんだろう。俺は次の日も仕事だったから早々に君との我慢比べをやめてしまったが、君はあの夜、いつまで起きていたんだろうな。そんな君が、俺と一緒のベッドに寝そべって、いま静かに寝息を立てている。
君の髪の色は、とてもきれいだ。手を伸ばして触れてみたくなる。咲き誇る桜を前にしたときと、似たような気持ちになる。
俺の何気ない言葉で、君は、苦手だった桜の花に対する気持ちが変わったと言う。不思議な気分だった。アイドルを仕事にしている以上、誰かの心を動かしたり、それこそファンに愛してもらったり、そういった目に見えない心のやり取りはこれまでに何度もあったはずだ。でも俺は、君の心に作用したのが俺の言葉だと知ったとき、言いようのない喜びを覚えたんだ。自分では気が付かなかったが、俺はもう、あの頃から君のことが好きだったんだろうな。
血色の良い頬が、柔らかな輪郭が、俺の隣で安心して無防備に眠っている。俺の隣を安心できる居場所だと信じ、理解して寄り添っている。
平坦な道でも、華やかな旅路でもなかった。それなりに楽しくやってきたけれど、つらいこともあったし、閉塞感に苛まれたことも、孤独にあえいだこともあった。
だが、もう一度やり直せたとしても、俺は同じ道を選ぶだろう。何度でもこの瞬間に辿り着くだろう。
君の体温に、慣れた。それが、今の俺の幸福だ。