その先を「駆け落ちの日」
「らしいで、今日」
「へえ。ちなみにこはくさん、意味はわかるかあ?」
「馬鹿にすんなや。今グーグル先生に聞いとる」
くすくすと肩を揺らして笑う斑は、ソファに深く身を沈めてテレビを見ていた。斑がどんなものを見るか、はじめこそ興味があったがこの男の見るものには一貫性がなかった。演劇を見ているときもあれば、ニュースを聞き流していることも、かと思えば動画投稿サイトに上げられたゲームの実況動画を見ていることもあった。
今日の気分は洋楽らしい。作り込まれたMVをただぼんやりと瞳に反射させながら、斑はこはくの言葉を待っている。
「えー……駆け落ち。とは。メリットとデメリットを調べてみました」
「ングッ、ふふっ、」
「笑うなや、んふっ、あはっ、」
「いかがでしたか? って最後に書いてないかあ?」
「うるさ、ふふっ、あっ書いてある」
「なっはははは」
検索結果を朗読すると、斑が笑いながらごろりと身体を横たえた。
スマホを握るこはくの手をちょっと持ち上げて、器用に頭をこはくの膝上に置いて。満足そうに、長く息を吐いた。
「で、なんて書いてある?」
「……周りになんにも言わずに家を出ること?」
「家出?」
「結婚を親に反対されたりして、どうにならんかった二人がこっそり家を……」
「うんうん。つまりこの状況、割と近いものがあるんだよなあ」
思わずこはくは、斑の顔をまじまじと見た。翡翠の瞳はすっと細くなって、片方の眉がなめらかにひょいと上がった。そんな顔をすると、着ているものはパジャマなのに、妙にサマになる。
「距離が近い、っちこと?」
「おお、そんなことを言ったっけなあ。でもほら、似てると思わないか。俺達はいま世間様とは離れて、他の誰からの連絡もおおよそ無視してこの部屋の中だけで完結している」
大袈裟だ。確かに今、こはくも斑もこの部屋から出ずにそろそろ半日以上だけれども、それは別にやましいことがあったからではない。
年末年始に怒涛のスケジュールをこなし、世間も落ち着き始めた一月の半ば。やっとオフの日が重なった今日という日を、かなり自堕落に過ごしている。それだけの話だ。
必要最低限の連絡だけ取れるようにして、あとの通知はすべて切った。昨夜この部屋になだれ込んだあとは同じベッドで泥のように眠って、眠って、気がつけば昼近くだった。斑が億劫そうにスマホをいじってピザを頼んでくれたので、こはくはトイレに立つついでに玄関先でピザを受け取った。ボサボサの頭のまま。
テーブルの上にはピザが入っていた箱が少しひしゃげて置いてあって、空き缶が数個転がっていて、適当に口を折り曲げられたスナック菓子の袋が放置されている。
「これが……駆け落ちした人間の、部屋……?」
疑問たっぷりに発したこはくの言葉に、何が面白いのか大男は楽しそうにケラケラと笑った。そしておもむろに笑みをおさめると、静かに腕を伸ばした。こはくの頬にかかっていた髪をそっと耳に掛けた腕が、そのまま首に巻き付いた。
「キスでもしてみたら、それらしく見えるかもなあ。どうだあ?」
感じたことのない温度の空気だった。だからその質問への答えは、好奇心でもあったのだとこはくは後に今日の日を思い出す。
「……ためしてみよか」
欠け落ちた互いの何かを埋め合わせるように、今、唇が触れる。