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    nami

    tkrvでは蘭はるをメインに小説を書いています。梵ギャが好き。光のおたくなのでだいたいハピエンです。

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    nami

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    『共に朝を迎えることが何たるかをまだ知らない五条の話②』
    押五(雑高含む)
    ※五条の過去捏造してます
    ①→https://poipiku.com/7469204/12161

    黒鷲として生きる押五の立場、感情、距離感ってどんな風に交差するんだろうと整理したくて書いたものです。名前のある関係になるわけではないけど、寄り添ってたらいいな。

    ----

    共に朝を迎えることが何たるかをまだ知らない五条の話②五条弾という男は非常に器用な男である
    と、押都はそう見立てている。

    黒鷲たる者、影のように目立たず紛れ込み、つつがなく溶けるように人と交わり、抜け目なく情報を拾う。笑みの裏で心に刃を研ぎ澄まし、己を捨てて他人を演じきり、何をしても情報を持ち帰るのが務めだ。黒鷲は生間。生きてこそ任務は完結し、それを欠けばすべては無に帰す。心もまた同じだ。すり減らし、折れてしまえば任務など果たせはしない。
    心と頭を切り離せよ心まで削がれれば任務は果たせぬと、身寄りのなくなった五条に親代わりの師として再三厳しく言い育ててきた。

    五条はもともと里の外から拾われた子であった。だがその素養は里に根を張り代々黒鷲隊に連なる血筋の者に引けを取らない。むしろ外の風を知っている分、より柔らかく、より器用であった。
    しかしどれほど器用であろうとも心と体を完全に切り離すことは不可能だ。身体は拒絶を見せずとも心には必ず微細な波紋が残る。
    器用であることは喜ばしい。だがその器用さの裏で心が疲弊していくならば、それは看過すべきことではない。微かな違和感に対応する術を知らない五条は日ごと命を削っているように見えた。
    あの日拾ってこんなところへ連れてこなければもっと健やかに生きる道もあっただろうか――などとは思わない。五条は確かに生きようとしていたが、あの場で拾わねば尽きていた命だ。この後ろ暗い手で救い上げたのは天命だとも思う。であれば、清濁併せ吞んで忍として黒鷲として委細なく羽ばたけるようにしてやるのが拾った責務であり、押都の与え示してやれる明確な愛情だ。
    導いてやる術を考えていたある折、任務後に押都の前に戻ってきた五条はいつになく疲れた顔をしていた。
    大丈夫かと頬に触れて問うてみれば、五条は驚いたように目を見開いた後、ひと呼吸おいてへにゃりと笑った。
    小さく頬を押都の掌へすり寄せ「大丈夫です」と囁く。甘えるような仕草はまるで雛鳥が親鳥にすり寄るようで微笑ましい。口元を少し緩めた押都であったが、雑面越しに見下ろした五条の瞳にふと動きを止めた。
    細められたその目の奥で、どろりと濃く溶けた砂糖のような情念がゆらめく。
    甘く濃すぎる、心の奥に沈殿したもの。

    ああ、そうかと押都は悟った。

    ゆっくりと五条を抱き寄せる。
    驚きと戸惑いの色を浮かべて見上げてくる視線を雑面越しに受け止めながら、押都は静かに考えた。
    これこそが、五条の心の均衡を保つための最短手段なのだと。
     
    あれから幾度も肌を重ねている。正しいかどうかは測りかねるが。




     
    『タソガレドキ領内にて間者あり』
    行為を終えた直後、夜気に馴染ませながら響いた矢羽音は、国境で潜伏調査を行っていた反屋からの急報であった。
    反屋が潜伏していたのは先の土井半助の一件に乗じてドクタケから切り取った領地だ。治める者が変わればそこに必ず混乱が生まれる。秩序が揺らぐ端をつかみ、不穏分子の動きを探るのは黒鷲隊に課せられた主要な役目のひとつであった。
    急ぎ確認のうえ組頭へ報告をと身支度を整えつつ、押都はちらりと部屋の奥の五条を見遣った。まだ情事の余韻をまといながら、彼もまた早々にこの場を後にするため身を清めようと手拭いへ手を伸ばしている。
    任務明けでどれほど消耗していようと常にすぐ動ける体勢へと戻ろうとする。それが五条弾の習性のようなものだった。だが、その顔には珍しく疲労の翳りが差している。初めて抱き寄せた日もこのような顔をしていたような気がして、無意識のうちに手が伸びる。手拭いの水を切っていた指先へ制すように触れると、冷えた指が微かに震えた。
    「任務続きだっただろう。私はこれから出るが、お前はここに残ってしばらく休んでいろ」
    五条は驚いたように目を丸くしてぱちぱちと瞬きを繰り返した。
    その反応に押都は小さく思い至る。そういえば、この部屋に居座ることを許したのはこれが初めてではなかったか。
    押都は「帰れ」とも「残れ」とも言ったことはない。けれど、事が終われば五条は決まって潔く立ち上がり、余韻を残す間もなく部屋を辞していった。これまで幾度身体を重ねようとそれはあくまで任務の一環。情人同士でもないふたりが朝を共にする意味などないので、五条の振る舞いは当然と言えば当然である。
    「……よろしいのですか」
    囁くような問いは、ひどく細い声だった。
    押都は改めて思う。五条は常に聡い。己の立場をわきまえ、境界を越えぬよう慎重に振る舞う。
    しかしその振る舞いを見ていると、己の中に沈殿する渇望を知らぬのではないかとも思う。知らぬものは求めることすらできぬ。
    五条弾という男は非常に器用な男である。
    しかし器用さの裏には自身の疲弊にも心の渇きにも気づけぬ脆さが隠れている。
    「ああ」と一言短く返せば、小さく息を呑んだ五条が眉を下げてへにゃりと笑った。

     
     
    一刻ののち、小さな灯明が揺れる詰所で雑渡と押都は向かい合っていた。部屋の隅には反屋が控え、深々と頭を垂れている。始めるよと言わんばかりに小さく息をついた雑渡が「それで」と促す。
    ゆるりと向けられた視線の先で背筋を正して、反屋は膝を揃えると口を開いた。
    「領地内の寺院で、妙な僧が出入りしておりました」
    押都が顎をわずかに引く。その小さな仕草を合図に反屋は言葉を継いだ。

    間者の正体に気づいたのは、領地内で幅を利かせる某寺院を見張っていた折のことだった。寺は檀家を多く抱え、僧たちも俗世に通じた振る舞いを見せるため外来者が多い。嫌が応にも情報が集まるそこを監視するのは間諜の定石だ。
    男は地方から来た行者だと言う。しかし僧ならば指の腹は祈祷で擦れ、細やかに磨耗しているはずのところ男の指先は硬く盛り上がっていた。
    体裁を変えることはできるが、生身の身体細部は変えることはできないもの。そういった部分にこそ注視すべきが間者の性分だ。
    僧の手ではないな、と。反屋は胸中でそう断じた。あれは刀を握る者の手だ。
     
    「数日監視したところ広く人脈を探っている様子。どこの手の者かは未だ不明ですが、ただの斥候ではなく有力者に取り入ろうとしている形跡がございます」
    低く落ち着いた声で告げながら、反屋は床に落としていた視線を少し上げた。意志の強そうな瞳が真っすぐに押都を捉える。
    「今は?」
    「入れ替わりに椎良が監視を」
    押都は言葉を発さず頷くと、反屋から雑渡へと視線を移した。
    ゆらゆらと曖昧に振れる灯を受けて、陰影を濃くした包帯の隙間から細められた片目が覗く。
    「早々に領地を取り戻したいドクタケの手の者か……あるいは、戦後の揺らぎに乗じた他国の間者か」
    低く静かにそう呟いて、雑渡は思案するように頬へ手を添えた。
    武力で切り取ったばかりの地の民は、新たな主を量りかね心が揺らぎやすい。そこへ巧みに言を弄する間者が入り込めば火種は容易に燻り始める。領内の有力者を味方に引き入れ、戦の口実を作るというのは単純明快でありながら実に有効な手段だ。
    「間者を生け捕れば確実に相手の手の内を引き出せましょうが、戻らぬとなればこちらに疑念が向くことも。しかし野放しにして人脈を築かれるのも厄介でございます」
    反屋がそう報告を終えて居直った。
    再び詰所に静寂が落ちる。しばし間を置いたのち、雑渡はふむ、と低く唸った。
    「間者は泳がせたままで良い。虚実織り交ぜた餌を与え持ち帰らせて炙り出す」
    「それが最上かと」
    押都もまた短く同意を示した。 送り込まれた間者に偽の情報を掴ませ、敵陣へ持ち帰らせる。いわゆる天唾の術だ。その虚偽の情報を得て裏をかいたと信じ込む間者の、さらにその裏をかくことで優位に立つ。
    「お前と椎良は引き続き監視せよ。寺には五条を潜らせる」
    「承知しました」
    一礼して立ち上がった反屋はすぐさま詰所を後にした。
    部屋に残ったふたりの影を壁に映しながら不規則に火が揺れる。ぱちりと小さな音が散ったのを合図に、雑渡は大きく息を吐いた。
    「土井殿の件がやっと落ち着いたと思えばこれなんだから……また時間が取れなくなっちゃうな」
    苦笑しながら頭をかき、ふと視線を宵闇に泳がせる。
    「陣左を部屋に置きっぱなしにしてきちゃったよ。ちゃんと休んでるといいんだけど」
    「聡い高坂のことですから、組頭が戻られた時にはいつでも動けるようすでに身支度を整えている頃では」
    雑面の奥で目を細めて言葉を返せば、雑渡は「そういうところが良いんだよねぇ」なんて盛大に惚気てくつくつと喉を鳴らして笑った。
    押都はその様子を横目に、同じく自室に残してきた若き忍の姿を脳裏に浮かばせる。
    それを知ってか知らずか……否、察しているのであろうが、少しの含みを持たせた声で雑渡は問うた。
    「そういや五条、確か前の任務から帰って来たばかりじゃなかった? 大丈夫?」
    「今夜はよく休むよう、下命申し伝えております。英気を養っているかと」
    「ふーん……」
    気の抜けた返事。揶揄うような視線は組頭ではなく弟分としてのそれだ。これだから昔馴染みはいけない。うっすらと心の底にたゆたうモヤを見透かされているようで、どうしても尻の座りが悪くなる。ほんの少し肩の力を抜いた押都は内心で軽く息を吐いた。
    「まぁ、大事にしてやんなよ」
    部下としてか、あるいは――余計な詮索をされる前にこの場を離れるのが得策だ。
    視線を受け流すように軽く頭を下げて部屋を去る押都の思惑を察してかどうか、無言で兄貴分の背中を見送った雑渡は飄々と目を細めた。
     
    詰所から自室へと戻れば、まだ薄暗い室内にはすでに五条の姿は無かった。寝具は整えられ、人の居た気配だけがほのかに残る。
    休んでいろと言ったのに、と短く息を吐いて押都は雑面の下で目を細めた。それこそ先ほど高坂のことを聡いと評したばかりだが、五条もまた同じくいつでも動けるようにと今頃備えている事だろう。
    押都は何かを確かめるように静かに畳まれた敷布に手を置いた。もうとうに人肌の温もりなど残していない。指の触れた先にあるのは、昨夜の余韻ではなくただ空虚な布目の感触だけだった。


    程なくして黒鷲隊の詰所に淡い朝の光が差し込み始める。
    柔い光を受けて桟を縁取った障子が開き、姿を現した五条は案の定すでに身支度を整えていた。昨夜の名残を微塵も表に出さず、端然と上官の前に座している。
    「――監視と報告は椎良と反屋に任せる。お前は寺院に潜り、虚偽の情報を掴ませ持ち帰らせよ」
    「承知致しました」
    深々と頭を下げた五条は静かに息を整え、視界の端で押都の様子を窺った。
    「小頭、」
    即座に発つものかと思っていた五条が、呼びかけてきたことを怪訝に思いつつ押都は視線を向ける。
    「昨夜は……お部屋に居残ることをお許しいただき、ありがとうございました」
    これまでにない声色だった。控えめだが胸の奥から滲む熱を抑えきれないような、微かな震えの混ざった声。
    ほんの僅か、返す言葉に詰まる。
    伏せられたままの五条の表情はうかがえない。しかし押都の脳裏には、いつぞやに見た煮詰め溶かした砂糖のように、どろりとした情念が浮かんだ。
    五条の言葉の端に滲む渇望を拾おうと思えば拾えた。しかしすぐ傍らにある情念を意図的にすり抜けるように受け流して静かに「任務を果たせ」とだけ返す。
    その言葉が、任に発つ五条に向ける最適解だと思った。
    任務を全うせよ、すなわち生きて帰れ。役に立ち無事に帰ればまた触れてやれる。そう示すことこそ押都の理に適った方法だった。
    押都の言葉を頭の中で反芻させながら五条は目を伏せた。高坂の言葉を思い出す。恋慕う者と迎える朝とはいかなる尊さか。その尊さをまだ理解できぬまま、だが確かに芽生えた小さな願望を抱いてひとたび頭を下げ、軽やかに部屋を後にした。


    ***
     
     
    境内には僧たちの朗々とした読経の声が絶えず響いていた。鐘の音や木魚の拍子が折に触れて耳を打つ。
    見習い僧として寺院へ潜り込んだ作務衣姿の五条は、人目につかぬ端に控え、掃除や雑務を淡々とこなしつつ間者の動きを窺った。
    見るに、間者が主立って接触を図っているのは年嵩の住職だ。古くから寺を取り仕切り、世俗との往来にも通じたその僧は、寺院ひいてはこの土地有数の権力者の一人でもある。
    なるほどなと確信を得た五条は、慎重に言葉を選び、うやうやしく礼を尽くしては僧の心に取り入った。
    とりわけ功を奏したのは、五条が都での作法や言い回しに通じていたことだ。粗野な田舎坊主ならば口ごもる場面で、気の利いた言葉で当意即妙に応じては自然に雅な言葉を差し挟み、作法や祭礼のしきたりにも違和感なく応じる。住職はその様子に目を細め、大層気に入った様子でよく五条を呼びつけるようになった。
    これならそれとなくこの僧との世間話を伝手に間者へ情報を流すことができる。有力な住職からの情報となれば信用度も高くなるはずだ。
    チョロいなぁなんて思っていた五条だが、しばらくして頭の上に疑問符が浮かび始めた。住職が折に触れては五条の肩や腕に手を置きじわじわと間合いを詰めてくるのだ。
    住職は一見雅事を好む好々爺ではあったが、衆道を肯じる好色爺でもあった。こうして気に入った行者にお手つきするのも手慣れた様子だ。これもまた徳を積む一環だなどとのたまう住職の好き者っぷりにマジかと軽く引きつつ、好機だとも思った。閨に持ち込めば間者の目の届かぬところで情報を引き出せる。
    心中でしたり笑いをした五条は、これ幸いと僧の手を取った。

    半月の夜。ホゥホゥと鳴くヨルノズクの声を頼りに、五条は寺院の筋塀を越えて裏手の藪へ入った。
    さわさわとそよぐ夜風に紛れながら草をかき分けてしばらく進むと、藪の隙間から見知った顔が覗く。
    軽く手を上げた反屋を一瞥しながら五条は袂から小さく折った紙を取り出した。差し出されたそれを反屋が手早く受け取り、しっかりと懐に仕舞われたのを確認して、五条は口を開いた。
    「住職いわく、あの男の口の端に出る符牒はこの地の者には無いものだと。となると十中八九ドクタケ領の外から来た人間だ。タソガレドキとドクタケは内々に盟約固めを進めているらしいと吹聴しておいたから、二領に向けて守り固める領に注視を」
    「もうそこまで調べがついたのか」
    子細はそこに書いてあると懐を指さす五条に、反屋は大きな目をさらに見開き感嘆の声を漏らした。
    五条の任は虚偽の情報を掴ませる事だ。しかしその上で間者の身の上に迫る情報を取得してくるというのは期待以上の働きである。賞賛する反屋を横目に、五条は肩を落として何かを思い出したようにうんざりとした表情を浮かべた。
    「あの色ボケ坊主、ほんと最悪。閨であっさり色々吐くのは良いんだけど、しつこいんだよね」
    「はは、流石。よくやったよ」
    カラカラと笑う反屋に、他人事だと思ってさぁとジト目を向ける。
    ヒュッと吹きすさぶ音がして、軽口を交わすふたりの間に一陣の風が吹いた。夜気に混じって藪の香りとわずかに湿った土の匂いが舞う。
    目を細めて風がやむのを待ったふたりは、一瞬の沈黙を経て互いに居直った。先ほどの気安い笑みとは一転した忍の顔だ。
    「俺は一足先にこれを小頭に」
    「ああ、俺も一両日中には戻る」
    「気を付けろよ」
    そう言い残して反屋は藪の奥へ音もなく消えていった。月影に消えるその姿を見送って五条もまた小さく息を吐き、踵を返す。
    音もなく走り抜け、寺院の裏手に回る。再び筋塀を越えて降り立つと、静まり返った境内が目の前に広がった。
    夜明け前の薄明かりが掃き清められた石畳や苔むした塀を淡く照らす。しんしんと降るような月明かりを見ていると不意に出立前の一夜のこと、残された部屋の静けさが脳裏をよぎった。床板に染みついた熱。部屋に色濃く残った空気。残滓のような匂い。
    ああ、早く――と空を仰ぐ。
    見習い僧としての立場を崩さぬよう雑務に紛れ、あとは機を見てタソガレドキへ帰還するだけだ。

     
     
    しかし翌日、境内の空気は異様に張りつめていた。
    巡回の僧兵の数が急に増え、僧坊の出入りも慌ただしい。何事かと気を張れば、あの修行僧に扮した間者を住職が詰問している姿が見えた。欲を掻いたのか、人脈繋ぎに精を出しすぎて動きを訝しがられている様子。
    やられたな、と五条は心中で悪態をついた。自分が忍であると見破られたのではないが、あの間者のせいで寺全体の守りが一層固くなってしまった。もはや悠長に潜む余地はない。
    早々に寺を去ろうとした五条を、住職は執拗に引き止めた。
    五条を手元に置こうとするその執着心に苦笑しつつ内心で舌を打つ。目立たずを信条とする黒鷲隊にあるまじき状況。僧の執着を招き、余計な尾を引いてしまったことは紛れもない落ち度だ。あの間者同様、要らぬ欲を掻いてしまったと自分を叱咤しながら手早い出立の段取りを組みなおす。
    正面から自然に去る腹積もりだったが、厳しい修行に耐えた見習いが夜逃げ同然に姿を消したという筋書きを立てる方が良さそうだ。
     
     
    宵闇を待って五条は寺院を離れた。組みなおした筋書き通り、厳しい修行を苦に見習いがひとり逃げたにすぎない痕跡を部屋に残して。
    ついでに住職のお手つき修行の内容についても書き置いてきたので、好色爺の実態も白日に晒されれば良い気味だ。
    内心舌を出しながら木々の隙間を縫って走り去る。
    ふと、一瞬。
    月影の遮られた気配がして振り返った。見返りざまに、微かな月光のひらりと舞う人影を捉える。
    闇に溶けるような藍鼠色の装束。組頭ほどではないとはいえ、長身の体躯。口布をして目元しか見えないとはいえ、その動きや佇まいは高名な忍のそれであると五条には一目で分かった。ドクササコのすご腕忍者だ。嘘みたいにこの場にそぐわない二つ名がよぎって、五条の体が少し強張った。
    その影を追うようにして、寺の方向から例の間者の男が走り抜けてくる。なるほどあれはドクササコの手の者だったかと思いつつ、状況の悪さに眉を寄せる。あの間者は僧から睨まれていたはずだ。それが姿をくらましたとなれば……
    そう考えるのと、寺から僧兵の声が上がるのは同時だった。
    松明の炎が赤々と夜気を裂いて寺院の境内が一瞬にして騒然となる。静かに里へ戻るだけだったはずがこの混乱だ。五条は喉の奥に苦いものを飲み下し、やり過ごそうと藪に身を潜めた。
    「裏山に逃げたぞ!」
    「追え! 逃がすな、囲め!」
    僧兵たちの荒い息遣いと鎧のきしむ音がザクザクとこだまして、眠っていた鳥たちがギャアギャアと枝から飛び立つ。さきほどまでの夜のしじまはどこへやら、一変して喧騒が響き渡った。
    藪から間者の動きを追っていた五条の近くを、必死の形相で駆ける間者と僧兵らが通り過ぎていく。
    なかなかにすばしっこい間者に焦れたのか、血の気の多い僧兵のひとりが小刀を構えると間者の背を狙って投げ放った。ヒュっと鋭い風切り音を残して、小刀が一直線に闇を裂く。あわやその背に命中と思った次の瞬間、走る間者の後ろに影が舞い込んで、ガキン!と甲高い金属音と火花が散った。
    軌道が逸れた刃が横薙ぎに閃光を走らせる。
    ほんの一瞬の出来事だった。逃げる間者の背後に舞い込み、短刀を弾くすご腕忍者がこちらをちらりと一瞥した。視線がかち合って瞬時に血の気が引く。咄嗟に身を翻すのと刃先が脇腹を裂いたのは同時だった。バレていた。あの場に潜んでいることを知って、あえてこちらに弾いてきたのだ。
    痛みにかまけて立ち往生するわけにはいかない。熱い痛みに眉をひそめながら五条は迷わず藪を蹴った。
     
    藪を抜け、山道の斜面を駆け下りる。脇腹を押さえ呻きをかみ殺すように歯を食いしばるが、半身は次第に重くなっていった。血に濡れた衣が脚に貼りつき、動きが鈍る。耳に飛び込んでくるのはまだ遠くで響く僧兵らの声と、夜鳥のかすかな啼き声。
    「……ちっ」
    苛立ちを隠しもせず舌打ちして五条は必死に駆けた。じわじわととめどない出血に、確実に足が言うことをきかなくなっていく。黒鷲隊の忍びが任務を終える前に果てるなど笑い話にもならないと己を鼓舞しながらただひたすらに走った。
    やがて山道が途切れ、路肩が開ける。そこに倒木が横たわっているのを見とめるや、身を潜めるように飛び込んでもたれかかった。
    ほんの僅か気を緩めたのが良くなかったのか、熱を帯びた痛みが脇腹から全身へと広がる。五条は大きく息をついて力なく肢体を投げ出した。
    呼吸がしやすいようにと顔を上げれば、か細く光る繊月が頭上にあった。ちぃちぃと遠くで虫が細く鳴いている。
    静かで暗い夜だった。
    拙い月光が静かに光を落とす。傷を負った付近がどくどくと鼓動を打つように痛み、そのあたりだけやたらと熱を持っているのに指や足先はひどく冷たい。
    あぁ路肩で行き倒れていた両親も最後こんな心地だったのかなと、重くなっていく頭をゆっくりと巡らせてた五条は、押都の腕に救い上げられたあの日のことに記憶を馳せた。
     
    結ぶことなく夜ごと溶け消える糸ばかり紡いできたように思うが、あの夜から確実に、随分と色々手織ってきたように感じる。初めてあの背に小さな腕を回して縋った夜から、織って織って織って。
    「押都さま、」
    小さく漏れ出た言葉がシンとした闇に吸い込まれて消える。
    任務を果たせと、発つ前に告げられた一言を思い出す。短いそれは突き放す言葉ではない。黒鷲で生きる押都が、同じく黒鷲で生きていく五条に向ける最大限の愛情であった。
    帰ったら朝までこの部屋に置いて欲しいと申し出てみよう。脈々と紡いできた糸を朝に結んで、目を覚ました時あの方がいらっしゃるのがどれほど尊いものか。今ならわかるような気がした。
    死して報せを落とすは恥、道半ばで斃れるは無念。
    「戻らなきゃ」
    掠れた声で己に誓い直す。全身を覆う痛みを押し殺し、五条は倒木にもたれた背を無理やり起こした。震える指先に力を込め、膝を引きずるようにして前へ。
    膝を突き倒れそうになるたびに己を叱責するように歯を食いしばった。一歩を重ねるごとに押都の言葉を繰り返し思い出す。
    (……もう少し……)
    夜明け前の冷たい風が頬を打った。東の空がわずかに白み始めている。谷合を抜ければ里が近い。
    脇腹から伝う血は止まらず、指先はすでに冷え切って感覚を失いかけている。息は途切れ途切れで、足元は覚束ない。それでも五条は、あの日木の洞で宿した、朽ちかけた焔のような生への執念を瞳に燃やしていた。
    押都の認めた生き汚さを以って気力を振り絞り、けもの道を転がる様にして谷道へと辿り着いた。
    整地されたこの一本道の先がタソガレドキ忍軍の里だ。
    霞がかった視界が滲んで揺らぐ。膝を突いた五条の耳の奥で血の鼓動がやけに大きく響いて力が抜け落ちていく。
     
    「五条!」
    瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。
    呼ぶ声に振り向く気力ももはや湧かなかったが、聞き馴染みのあるそれはおそらく椎良の声だ。続いて慌ただしく砂利を踏みしめて反屋の声も近づいてくる足音。
    「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
    「すぐ治療場に――」
    「椎良、止血を! 俺が担ぐ!」
    かすかに耳に届くやり取りが波のように寄せては引いた。遠くなる意識の中、残る力を総動員して声を絞り出す。
    「間者、ドクササコ」
    最後まで声に乗せて発せただろうか。五条にはそれを確かめる術も気力も持ち得なかったけれど。動かぬ体を必死に抱き起こしながら呼びかけていた反屋が一瞬動きを止めた気配がした。たぶん届いたな、と霞む意識の奥でへらりと笑った五条は、暗闇に沈むように意識を手放した。


     
     
    ふわりと意識が浮上して、ぱちりとはじけるように瞼が上がった。
    途端、視界一杯に光が飛び込んできて白んだ景色に思わず目を細める。
    じわじわと明転した視界に色が戻って、見えてきたのは驚いたように目を見開く椎良の顔だった。
    ものの数秒はわはわと唇を動かした後、栗毛色の髪を跳ねさせながら五条がおきた!と叫ぶようにして後ろを振り向く。すると、その背後から間髪入れずに反屋がすっ飛んできた。
    「五条、お前……、……よかった」
    言葉を一瞬詰まらせた反屋は、まだぼんやりとした五条の顔をしかと見ながら眉を下げた。
    何が何だかと思考が追い付かないまま、起きた!生き返った!と騒いで医師に知らせてくると走っていた椎良を見送る。ぱちぱちと瞬きを二度三度と繰り返した後、半開きになった襖を眺めながら俺死んでたの?と問えば、傍らに座した反屋から三日三晩意識が無かったのだと返ってきた。
    曰く、一両日中には戻ると言っていたはずの五条がなかなか戻らないのを心配して寺に向かおうとしたところ、路肩の草場で血濡れになった姿を見つけたという。
    反屋の言葉を聞きながら、生きてたんだなぁなんて人ごとのようにそう思ったあとふっと力が抜けた。思わず安堵の息が洩れる。任務を果たせたという確信と共に、浮かぶのはやはり押都の姿だった。
    バタバタと廊下から足音が聞こえる。椎良が戻ってきたのだろう。あんな忍らしからぬ騒がしい足音をさせては小頭にお叱りを受けそうなものだ。そんなことを考えていると駆け込んできた椎良に続いて見慣れた雑面も駆け込んできた。
    一瞬呆気にとられた後、思わず破顔した五条は腹に走る痛みを抱えながらいたいいたいと笑って医師に大目玉を食らったものだ。

     

    容態も快方に向かいようやく床から抜け出した頃、五条は黒鷲隊小頭の部屋を訪ねた。しんしんと月の光が落ちる、静かな夜だった。
    深々と頭を垂れたまま名乗れば、短く入れ、と促される。開いた襖の隙間からは机に向かい文を認める押都の姿があった。
    一言断って部屋へ入れば、動かしていた筆を止めた押都が五条に向き直る。
    面を上げた五条はまっすぐに見据えながら口を開いた。
    「遅くなりました」
    「いや、ご苦労だった」
    簡潔だった。だがその一言に安堵も信頼も全てがない交ぜになって滲んでいるようで、それだけでもう、五条は命を懸けた意味を見出す。
    「なぜ間者はドクササコの者だと」
    「折悪く、帰路ですご腕と相見えました。間者が僧たちから疑念を向けられ脱出が困難になったため救援に来たのかと」
    「交えたのか」
    「いえ、やり過ごそうと身を潜めていましたが」
    そう言葉を区切った五条は、まだ傷口が完全に閉じてはいない腹にそっと手を添えて困ったように眉を下げた。
    「しかし向こうはそれすら感づいていたようで、弾いた刃がこちらに」
    月輪の手練れでも相手になるものが何人いるかという相手だ。あれが第一線の戦忍なのかと、瀕死の目にあわされた相手だというのに判断力と技量には素直に感嘆する。願わくば二度とお目にかかりたくない相手だ。
     
    ふいに、音もなく押都が腰を上げた。ゆるりと影を落とすように五条のそばへ寄ると、押都の掌がそっと腹に触れる。
    傷を気遣うように添えられた指先は驚くほど温かかった。その所作ひとつで胸の奥まで撫でられるような心地がして、五条の心が疼く。
    「よく、生きて戻った」
    どんな褒賞にも勝る言葉だ。その一言と、ひととき触れる温度があればもう全てが報われる。
    面越しに細やかな感情を測ることはできないが、音もなく絡み合う視線に五条の胸は熱くなった。喉元まで出かかった言葉を出すか出すまいか、躊躇するように薄い唇を開いては閉じを何度か繰り返す。
    しばしの沈黙の後、意を決したように小さく息をついて意を決したように口を開いた。
    「あの、押都さま」
     ゆっくりと胸に秘めていた願いを吐き出すように続ける。
    「朝まで、この部屋に置いていただけませんか……貴方と共に朝を迎えてみたいのです」
    一瞬の静寂。
    押都は雑面の奥でふっと息を吐いた。
    「腹の傷をまず治せ。話はそれからだ」
    淡白だが許容の余地を含んだ響きだ。それに満足げに笑った五条は「はい」と答えてみせた。
     


    共に朝を迎えたとて、この関係の何が変わるというわけでもない。
    それが忍として、黒鷲として生きるという事であり、それがこの時代を生きる二人の均衡だ。
     
    けれど結ぶことの何たるかを知ったその糸は、確かに朝の方角へと伸びている。
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    😭👏
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    nami

    DONE『共に朝を迎えることが何たるかをまだ知らない五条の話②』
    押五(雑高含む)
    ※五条の過去捏造してます
    ①→https://poipiku.com/7469204/12161

    黒鷲として生きる押五の立場、感情、距離感ってどんな風に交差するんだろうと整理したくて書いたものです。名前のある関係になるわけではないけど、寄り添ってたらいいな。

    ----
    共に朝を迎えることが何たるかをまだ知らない五条の話②五条弾という男は非常に器用な男である
    と、押都はそう見立てている。

    黒鷲たる者、影のように目立たず紛れ込み、つつがなく溶けるように人と交わり、抜け目なく情報を拾う。笑みの裏で心に刃を研ぎ澄まし、己を捨てて他人を演じきり、何をしても情報を持ち帰るのが務めだ。黒鷲は生間。生きてこそ任務は完結し、それを欠けばすべては無に帰す。心もまた同じだ。すり減らし、折れてしまえば任務など果たせはしない。
    心と頭を切り離せよ心まで削がれれば任務は果たせぬと、身寄りのなくなった五条に親代わりの師として再三厳しく言い育ててきた。

    五条はもともと里の外から拾われた子であった。だがその素養は里に根を張り代々黒鷲隊に連なる血筋の者に引けを取らない。むしろ外の風を知っている分、より柔らかく、より器用であった。
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