維新小話【はじめちゃんが鶏競で一文無しになるだけの話】
藍の暖簾をくぐると、狐目の男がカコン!と出入りを伝える木を打った。目から下は濃紺の布で隠れており、布には白糸で縦に『御用』と刺繍されている。
「おや、街の人気者が来たね」
揶揄いを含んだ声から、斎藤とはそれなりに気安い仲なのだろうと伺える。
男が座る後ろの違い棚には地面へ垂れ下がる蛇腹本や瓶詰めされた色とりどりの羽、刀や鉄砲にイノシシの首の剥製、草木で染められた絹布や大小様々な玉飾りなど、雑多なもので溢れかえっていて、一見すると万屋のような店構えをしている。
それらが全て、受付台の左右に吊り下がっている藍色の大きな提灯にぼうっと青く照らされ、怪しい雰囲気を醸し出していた。
「ご注文は」
「五千で頼む」
「毎度」
男は布の下で咥えていた煙管を煙草盆へ置き、天秤の片方に真っ赤な分銅を乗せた。真鍮の天秤を吊り下げる台座は樫で出来ており、繊細なツタの模様が彫ってある。
斎藤がもう片側へ半紙に包まれた小判を乗せれば、天秤はピタリと水平を保った。
男は「確かに」と言って後ろのイノシシの口の中へ手を突っ込む。屋号の書かれた木札を取り出し、流れるような字で「五千」と書き込んだ。木札の左下をパキリと小さく折って、破片を赤いガラス瓶の中へと入れる。
そうして男の周りに散乱している紙の束から1枚、枠が書かれた和紙を抜き取って、木札と共にこちらへ寄越してきた。
「お連れさんは」
「ワシはやらん」
「結構。どうぞごゆっくり」
受付台の左側の柵がガコンと動き、奥へと続く道が伸びた。
狐目の男がひらひらと手を振る。
スタスタと先を歩く斎藤は、慣れているのだろう、提灯の青い光が届かない通路を迷いなく進んでいく。自分の指先すら闇に飲まれる暗さで、西谷は壁に手をつきながら後を追うので精一杯だった。
2つ3つ扉の開く音がしてさらに歩みを進めれば、唐突に目に刺さるほどの眩しさが襲ってきた。
咄嗟に手を翳して光を遮る。
段々と慣れてきた視界に最初に映ったのは、広い室内の中央に置かれた煌々と光る楕円の台だった。竹で形どったニワトリに和紙を貼り付け、中に火を灯した模型が台の中心に四方を向いて飾ってある。
これが、オレンジ色のまばゆい光を部屋中へと届けていた。
この巨大な台の周りにはいくつかの円柱が立っており、1つの柱に1羽、木檻に入れられた鶏が乗せられている。その鶏を、斎藤と同じ和紙を持った男たちが1羽1羽じっくりと見ながら歩き回っていた。
鶏には様々な種類がいたが、それを見る男たちも様々だった。
上等な着物に身を包み、お供を従えてゆっくりと歩く男。刀傷まみれで血の滲んだ着物を纏い、睨み付けるように見る男。真っ青な顔で何度も様子を見て周り、脂汗をかく男。
地べたに座り込み紙に数字を書いていた男は、垢で汚れた着物で何度も顔を拭いながら「これで無理なら…首を…」とブツブツと呟き続けていた。
ここに至る過程で既にだいぶ疲れていた西谷は、それらをぐるりと見渡して、やっと知っている賭場らしい光景に出会えて息を吐いた。
表にいた『御用』の男は抜け目のない男のようだった。
そこらの賭場でよくある、借金で賭けをして負けて返せなくなる、なんてことは許さないのだろう。ほとんどの男たちが、鬼気迫る表情をしているのがその証拠だった。
ちなみに西谷が行った事のあるのは骸街の賭場だったため、イカサマをして斬り捨てられた骸やその肉を啄むカラスなどがいたし、薬物をキメて魂が抜けてしまった男もいた。
そこに比べれば、この賭場は動く金が大きいだけあって“清潔”だと言えた。
紙に数字を書いた者は、それを頭上でひらひらと振る。
そうすると人の間をすり抜けて、受付の男と同様、顔の半分を布で覆った初老の男が受け取りに来るのだ。
この男の布には『無用』と刺繍されており、受付にいた『御用』の男とは違い無口な男だった。藍色に身を包み、腰には白い麻の袋が下がっている。この男はこの競鶏場で何十年も働いており、常連の男たちからは「ご無用さん」と呼ばれていた。
ご無用さんはここのルールであり、調停役であり、この場で唯一暴力を行使していい人間だった。金持ちも貧乏も荒くれ者も権力者も、この場では誰もご無用さんに逆らってはいけないのだ。
地べたに座り込んでいた男が震える手で紙をゆらゆらと揺らせば、ご無用さんが静かに人の間を縫って来た。節くれ立ったかさついた指で紙を取り、珍しい色をした瞳で一瞥したあと、腰布に手を突っ込んでじゃらじゃらと搔き回す。
青い石を取り出し、座り込む男の膝の上にぽとりと落とした。
そうして回収した和紙を丁寧に4つに折り畳み、懐へと入れるとまた足を引きずりながら男たちの間をゆっくりと巡り始めた。
ただの付き添いの西谷は、入口近くの壁に背を預けてそんな様子をぼーっと眺めていた。ご無用さんの差し出す石の色は白色だったり青色だったりと様々で、見ている限り規則性はない。
恰幅のいい男が赤い石を渡されたところで、鶏の柱をぐるりと周っていた斎藤が戻ってきた。
西谷の隣へ来てしゃがみこむと、紙に数字を書き始める。
鶏のことなど何ひとつ分からなかったが同じ様にしゃがみこんで手元を覗けば、2番の欄に300という数字が書かれていた。
「なぁほんまに大丈夫なんか?それ」
右肩上がりの字が2番の鶏の五連単一位予想欄を全て埋めてゆくのを、信じられないといった顔で見る。西谷にとって賭け事とはたまの気晴らしでやるものであり、間違っても自分の私財を全て注ぎ込んで行うものではない。
あまり口を出して弟のように可愛がっている斎藤に「ウザイ」という顔をされるのも嫌だったため、受付で賭けた大金には目を瞑っていたが。
斎藤の賭け方には、あの自由奔放な沖田でさえ深刻な顔で「アイツは金ちゅうもんをキレーな葉っぱや石ころと同じ程度のモンやと思うとる」と言っていたのを思い出した。
一位予想の鶏に五鳥単全て賭け終わり、続けて三鳥単の項目にも300の数字が並んでゆく。
「俺が競鶏で負けたことがあったか?」
手元から視線を動かさないまま、静かな声音が返ってくる。
「ウン、あるから聞いとんやけど」
「通しで勝っていれば負けじゃない」
賭け事に慣れ切ってしまった最低男の言い分だった。
書き終えた斎藤が「ご無用さん」と宙に声を掛ければ、ご無用さんはすぐに目の前へ現れる。斎藤が差し出す紙をジっと眺めた後に、またじゃらじゃらと腰布を揺らして今度は緑色の石を取り出す。
「ご無用さんならどれに賭ける?」
斎藤は緑色の石を受け取ってまじまじと見た後に、自分を見下ろすご無用さんに紙を渡しながら聞いた。
「2番以外」
ご無用さんは低く訛りのない声でそう言って斎藤から紙を受け取り、ニコリともせず去っていった。
斎藤はその背を見送った後スっと立ち上がり、賭けたレース前にも関わらずさっさと出口へと歩いて行く。斎藤が何も言わずにどこかへ行くのは日常茶飯事のため、西谷はよっこらせと立ち上がって後を追った。
入ってきた時とは違い等間隔に暖かな色の灯篭が並んでいる通路を歩けば、青い光に包まれた受付の横へと出てきた。
『御用』の男は1つに括った長髪をくるくると指に巻き付けて暇そうにしていたが、斎藤と西谷の姿を見て顔を上げた。
「あれ、お早いお戻りで」
「ご無用さんと合わなかった」
「あらら」
西谷はそれが何のことだか分からずに首を傾げると、『御用』の男が教えてくれた。
「中にいた『無用』はね、負ける鶏は絶対に外さないんですよ。無口な奴ですが賭け終えた後なら聞けば答えてくれますよ」
「え、じゃぁはじめくんて今…」
「一文無しだが」
一瞬で文無しになった男が、それが何か?とでも言いたげな顔で振り返った。
◇
【三番隊がだらだら話してるだけの話】
西谷と石尾田。渋くてカッコイイと(一部で)評される男二人に囲まれてあれこれ世話を焼かれても、斎藤は一切気にせずジっと地図に目を落としていた。
「なぁはじめくん、何に迷っとるん?」
「斎藤ぉ、そんなモン一輝にやらせときゃええやろ?」
左右から纏わりつかれても眉ひとつ動かさない。むしろ、
「ちょっとうるさい」
「そんなぁ、はじめくんがわし等のこと呼んだから来たんやんかぁ」
「俺を呼んだ上に放置か?うん?偉なったなぁ」
西谷は突き放された犬のようにきゅーんと鳴き、石尾田は声を低くしながらも斎藤の傍を離れようとしない。
「や、呼んでない」
そう、斎藤は一言もこの男達を呼んでいなかった。
勝手にやって来て、勝手に騒いでいるのだ。
しかしそんなことも日常茶飯事なため、斎藤も気にすることなくシッシと手を振る。この二人の話を聞いていると頭がおかしくなるからだ。ただでさえ複雑な地図を見ているというのに。
ようやく取込み中なのだと気付いたのか、石尾田が頭がぶつかる近さで地図を覗き込んでくる。ふわりと沈丁花の香りがして、少し癖のある毛先が斎藤の首筋を擽った。濃いサングラスの下に走る裂傷がよく見える距離だった。
「ん、こりゃ洛外の先の地図か」
「なんやぁ、お散歩でもするんか?」
西谷も、斎藤の肩に顎を乗せて地図を見る。
のんびりした声は甘ったるく、それが耳元で聞こえたせいで一瞬肩が震えた。
「あ、あぁ。どうやら盗賊集団がこの村を占拠したらしい。ウチの隊と一番隊の合同任務だ」
「え!一番隊も来るん!?」
西谷の声が上がる。
西谷は沖田を煽って戦うというのが大のお気に入りだからだ。
「ああ、でも全員じゃないぞ。指揮は俺が任されているから、わざわざ沖田が出て来ることもないんじゃねぇかな」
「あ?斎藤が出るんなら沖田も出るやろが」
「せやなぁ、あの沖田クンが来ぉへんわけないわ。なんなら一番隊全員置いて1人で来るんちゃうか?」
「そんな馬鹿な事はしねぇだろ」
「するやろ」
「するやろなぁ」
西谷が斎藤の背をずるずると伝って、べちゃりと床に寝そべった。そのまま斎藤の腰帯をぐいぐいと引っ張り、コラッと叱られる。
「ほんで?斎藤はウチからはどんくらい連れてく気ぃなん?」
地図を既に見飽きたのか、石尾田も斎藤の膝を枕にして指のささくれを引っ張りながら聞く。
「この村は細道が多いから、三番隊は20人もいればいいと思う」
「ふぅん、当然俺は入っとるよな?」
「わしも行くでぇ~」
「この日は八番隊との任務もあるだろ、そっちにも人を割かねぇと…」
「えー!ヤダヤダヤダヤダ」
「ぐぇっ…」
背後から回された西谷の腕が信じられない強さで締め付けてきた。