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    ニシン

    @xeno_herring

    九割九分、真桐です。
    様子がおかしいのは仕様です。

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    ニシン

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    もう今年も終わるんですね。へー早いや。私の気分はまだ10月です。
    酔っぱらいキス魔の続きですが、今回えっちなお騒がせキス魔は誕生しておりません。完全にカットしていい部分しかないですが、書いてしまったので載せます。
    読めりゃなんでもいい!という腹ペコヤギさんのような方だけどうぞ。

    #真桐
    Makiri

    東城会忘年会【東城会忘年会(前日譚+酔っ払い前まで)】
    ※過剰飲酒とキス魔 の続き


    □東城会本部 会長室

    会長室の扉が蹴り開けられ、「おう、おったおった」という無遠慮な声が響いた。鉄板の仕込まれている靴でしか出せない不気味な音が近付いてくる。

    「お帰りください」

    土地売買の契約書を読み込んでいる最中で忙しかった大吾は、無遠慮な来訪者にしっしと手を振った。
     
    「言われんでも忘年会の日付聞いたら帰るわ、いつやっけ」
    「今週末です。ではまた」
    「早ぁ。桐生ちゃん空いてるとええけどなぁ」

    大吾はそこで初めて、目を通していた書類から顔を上げ、「なぜ…?」という顔をした。
    真島の言い方ではまるで、桐生を忘年会に招待するように聞こえる。積もる話もあるし、会える機会が多くない大吾としては嬉しいのだが、なぜわざわざ東城会の忘年会に招待するのかが全くわからなかった。東城会の忘年会は数ある酒の席の中でも最悪だからだ。
    もう本当に、最悪なのだ。
    ゾウも死ぬほどの酒が運び込まれ、ウワバミの男たちが酔っ払う。食っては飲み、飲んでは食って、一年で一番デカい声で笑いながらとにかく騒ぐ。
    まさに人間版上野動物園。
    裏社会を仕切る男たちが、パンダのシャオシャオとレイレイに良識と人間性で負ける日である。

    「え、桐生さんを呼ぶんですか…?」
    「? そや?」

    当然やけど?という顔でスマホを弄っている真島を、信じられない気持ちで見つめる。桐生が所属していた頃と今では、宴会の質が変わっていた。
    それを知らない真島ではないだろうに。

    忘年会がどう変化したか。
    答えは単純。秩序の低下である。
    具体的に言うと、かつての上層部に多かった「うるさい」という理由で簡単に人を撃ったり刺したりする男たちが世代交代でいなくなり、定期的に訪れていた水を打ったような静けさと緊張感がなくなったのだ。
    この度を超した暴力があったからこそ、締めの挨拶までほぼ全員がしっかりと正気を保てていたのに。

    『別にお前の体に風穴開けたくらいでなんだよ』

    こういった発言は組織リテラシーの不安視へと繋がる、と匿名の声が上がり始めて早数年。教育機関での体罰が問題視されるようになったのと同様に、極道組織での私刑も問題視される時代になっていた。
    抗争が起きていないのに一定数の負傷者を抱えていた暗黒期を思えば、平和を手に入れたと喜ぶべきなのだろうが――……まぁそういった経緯で暴力が緩和された現在、忘年会の秩序は年々低下しているのだった。

    そんな組織の恥部発表会のような日に、曲がりなりにも元会長を招待するなど。常々疑問だったが、この男は一体どういう神経をしているのだろうか。
    大吾は今日も今日とて理解できない真島の顔を見上げ、その表情の中に答えを探した。

    「なぜうちの忘年会に桐生さんを…?」
    「は……えぇ…?」

    一方真島はそんな大吾の顔を見下ろし、コイツほんまに…?とびっくりしていた。
    何を隠そう東城会の忘年会に桐生を招待する案を出したのは、他でもない大吾だったからだ。

    数日前、居酒屋の個室にて。
    酔っ払いの元会長から腰にクるべろちゅーをされた真島は、彼の唐突に訪れた安眠により据え膳を食いそびれ、遅れてやってきた大吾に鬱々とした声で一部始終を語り、それを聞いた大吾の「桐生さんを忘年会に呼びましょう」という提案に頷いた。
    大吾がかなり序盤で日本酒を六合頼み、途中からお猪口を使わずスポドリのように酒を飲んでいたのは見ていたが……まさかすっかり記憶を飛ばしているとは思わなかった。(ちなみに大吾は記憶を飛ばすために飲んだため、彼の目論見は成功したと言える。)

    そんなわけで真島と大吾はお互い「……?」と見つめ合っていたが、自分の有利に物事を運ぶことに長けている真島が、今回も一枚上だった。

    「はぁ……ホラ、見てみぃ」
    「これは…?」

    向けられたスマホを受け取る。
    動画には徳利を片手に頬杖をついている大吾の姿が映っており、手前から微かに聞こえる真島の声に嫌そうな表情を浮かべていた。
    伸びてきた革手袋が音量を上げる。

    『――に、どエロかったんやって。桐生ちゃんがサクランボの茎結べるの知っとったか?あんなキスされたら女も男も関係なく恋に落ちるで』
    『それで真島さんも恋に落ちたんですか』
    『アホ。俺は昔っからやて言うとるやろ。ずっとコイツのえっろい腰とケツとおっぱい見てきて……なぁ、やっぱボタン開けすぎやと思わんか?アカンやろ、これは』
    『半裸のアンタに言われたくないでしょうね。TPOをご存じないかもしれませんが、その恰好はいかなる場面でも人前に出ていい服装ではないですよ』

    立てられた中指が映る。
    画面の中の大吾はそれに胡乱な眼差しを向け、何も見なかったことにするように首を振った。

    『で、俺は桐生ちゃんが誰彼構わず即堕ちどエロキスを仕掛けるんちゃうかって不安なんやけど』
    『即……なんですって?』
    『はぁぁ……桐生ちゃんは…俺のこと好きやから酔った勢いでキスしてきたんやろか……それとも誰が相手かも分からんでキスしてきたんやろか…』
    『後者じゃないですか、知りませんけど』

    再び真島の中指が画面に映った。

    『…要は確かめられれば満足なんでしょう』
    『ウン』
    『ならちょうどいいじゃないですか』
    『何がや』
    『ほら、もうすぐ忘年会ありますし』
    『忘年会て、ウチの?』
    『ええ』

    画面の中の大吾がゆらゆらと頷きながら枝豆を手に取り、押し出された実はどこかへ飛んでいった。真島が姿勢を変えたのか、画面が少し揺れた。

    『え、桐生ちゃん呼んでええの?』
    『いいんじゃないですか、ほぼ身内ですし。本家の造りもご存知ですから便所に迷うこともないでしょう』
    『……桐生ちゃん居心地悪くならんかなぁ…』
    『ウチの奴らは二時間もすれば箸が転げただけで笑い倒しますから、居心地が悪くなるとしたら周囲の頭の悪さでだけでしょうね』
    『や、もし他の奴にキスし始めたらと思うとな……自分のせいで人が死んだら、酔っとってもちょっと気にするやろ、この子は』
    『それは俺も気にしますが』
    『んー…まぁ、俺がずっと傍におればええか』
    『そうですかね。というかさっきから何撮っ――』

    「これで終わりやな」
    「……」

    再生が終わった画面を見つめる。
    たしかに……そういえば…こういう会話をした覚えが、微かに、記憶の奥底にあった。悪夢の断片だと思っていたが、そうではなかったらしい。
    大吾は真島にスマホを返しながら唸った。
    この日酒を飲んだのは大吾自身の選択で、この発言も大吾の提案だ。決定的証拠を手に、愛想のいい笑みを浮かべている真島に舌打ちする。
    これは自分のミスだった。
    大吾は渋々、心の底から不服だという声で、「わかった」と言った。

    「ですが、いいですか。いくら確認するためとはいえ、無理矢理飲ませるのはナシですからね」
    「当たり前やろ。気持ちよく飲ませるだけや」

    真島が桐生に向ける想いを知った今となってはすべてが不安だったが、もうどうしようもない。大吾は機嫌よく部屋を出て行く真島の靴音を聞きながら頭痛薬を取り出した。とっくに規定量では効かないため、ざらざらと手に出す。
    ガリ、と錠剤を噛みながら、残り少ないコーヒーを飲み干した。







    □東城会本部 大宴会場

    襖をすべて外しただだっ広い和室に、スーツや袴を身につけた男たちが集まっていた。
    数年前に一度だけ立食形式にしたことがあったが、酔い潰れた男たちの屍があちらこちらに散らばって大層鬱陶しかったため、それ以来、元より席移動の少ない着席形式に落ち着いた。こうすれば屍が散らばらなくて後片付けが楽なのだ。
    幹部たちはすでに思い思いの場所に腰を据え、常識ある大人のような声で会話に華を咲かせている。
    そんな中で、グレーのスーツは一際目立って見えた。

    「桐生さん、来てくれたんですね」
    「ああ、大吾か」

    ぱっと振り返った桐生が柔らかく目元を緩ませる。
    大吾はそれに軽く会釈で返し、周囲を見渡した。

    「座る場所をお探しで?よければ俺の席に来ませんか」
    「いや、俺は……」
    「俺が桐生さんと飲みたいんですよ。もし先約があるなら引きますが、どうです?」

    桐生は大吾のあたたかな気遣いにくすぐったそうに笑い、「なら邪魔しよう」と言った。
    組員たちの挨拶に軽く頷きながら奥の席へ向かい、腰を下ろす。
    もっと嫌な注目のされ方をすると身構えていたのだろう。桐生の不思議そうな顔で疑問を察し、「桐生さんが来るってことは事前に伝えてあったんですよ」と教えた。

    「真島さんと話していた時に、桐生さんにもお越しいただこうとなりまして。ウチの連中もだいぶ代替わりしましたから、そいつらに四代目の顔をしっかり覚えさせるいい機会だと思ったんです。ま、俺がゆっくり話したいってのが本音ですけどね」

    大吾は嘘と真実を混ぜながら話した。
    今日の会が終わってからまともな記憶を保持できる人数なんてたかが知れている。しかしそういった大義名分があったほうが、桐生も納得できるというものだろう。
    目論見通り桐生は「そうか」と頷いて、「気ぃ遣わせちまってないならいいんだ」と過去を懐かしむ声で言った。

    「ところで、こないだは悪かったな」
    「」
    「どうした?」

    ぎゅいんっと心臓が嫌な軋み方をした。
    咄嗟に桐生の顔を見れば、不審そうに眉を寄せている。

    「あ、や、全然……先日はお疲れだったようで…」
    「ああ。お前が来る前に寝ちまったって、後から兄さんに教えてもらったんだ」
    「へ、へぇ……あー…その、あの日から真島さんと何かありました…?」
    「いや?兄さんとはあれから一度街で会ったきりだが……もしかして何か迷惑かけてたか?」

    不安そうな眼差しに、キスの件は一切覚えていないのだと確信する。
    真島にとっては迷惑というか、天国というか…。
    どう誤魔化したものかと思ったが、ここでようやく、真島の姿が見えないことに気が付いた。
    大吾にとって、真島の姿は見なければ見ない方が健康に良い。自ら探すなんて選択肢は持ち合わせていなかったため、今まで気が付かなかったのだ。
    確か真島は「俺がずっと傍におればええ」とかなんとか、片想いの身分にしては随分重すぎることを言っていた気がする。まだ酒が入る前で桐生がまともな状態とはいえ、あの執着心の塊が片時でも傍を離れるというのは不自然だった。

    「迷惑はかけてませんよ。それよりあの人はどこに?てっきり一緒かと思ってましたが」
    「ああ、兄さんなら裏に行ったぞ。先に確保しておかないといい酒からなくなる、とか言って」
    「なるほど」

    大吾の「インフルエンザで欠席とかかな」という淡い期待は打ち砕かれたが、ギリギリ顔には出さなかった。



    配膳を任された組員たちが次々に料理を運び込み、酒を注いでいく。
    慌ただしく動く男たちの背後からスーツに身を包んだ真島の姿がちらりと見えたかと思えば、その影はすいすいと男たちの間を通り抜け、あっという間に大吾と桐生の前に姿を現した。
    一升瓶を三本抱え、もう片方で小ぶりの酒瓶をいくつか指の間に挟んでいる。

    「いっちゃん上等なのかっぱらって来たでぇ」
    「多くないか」
    「ええやん、宴の席やし」

    真島はそう言ってにっこり笑い、桐生の隣に腰掛けた。
    桐生は普段からの過剰接触で距離感は狂わされているようで、肩が触れる近さでも何も言わず、ちょっと身じろぎしただけだった。
    隻眼が満足げに弧を描いている。
    大吾が真島の長期的策略の一端を目にしてドン引きしている中、「失礼します」と声が降ってきた。
    ピシッとアイロンがかけられたスーツから視線を上げると、胸に光るタイピンに東城会の代紋。そして銀フレームの眼鏡に辿り着いた。キッチリ撫でつけられたグレーヘアは寸分の乱れもない。
    よく研いだ剃刀のほうがこの人より親切にしてくれるだろうな、という印象を抱かせる男が立っていた。

    「敷原(しきはら)か」
    「お疲れ様です、会長。もしお手伝いできることがあれば何なりと。うちの者を外に控えさせておりますので」

    敷原は野良犬を見る目で真島を見下ろしてから、大吾の前に膝をついて親切な笑みを向けた。敷原は初対面から真島のことが嫌いだったから、こうなるのはいつものことだった。
    なぜここまで不仲なのかは簡単な話で。
    証券会社から極道入りという特殊な経歴を持つ彼は真島と初めて顔を会わせた日、「どうぞよろしく」と手を伸ばす前に、

    『ウワ!なんやお前、嫌な税理士みたいな見た目やな。それとも国税の取り立てか?御上は非力な国民に重税課すだけじゃ飽き足らんで、国民の最低限度の生活っちゅー保障から外した俺らからも巻き上げたいんか。ははぁそりゃどうも、勤勉なことで。昨今の徴税見とるといつVATの導入を宣言されても驚かんけども、お宅ら夜道には気ぃつけた方がええと思うで。
    ほんで……あぁ、そうそう。査察なら一日遅かったわ、昨日でどこも上納金納め終わっとるからな。事前調査せな無駄足になるって勉強できたことやし、帰ってインシデントレポートでも書きや。ほなお帰りはあちらや、お疲れさん』

    と捲し立てられ、その瞬間から真島に対して抱く感情の七割は嫌悪、残りの三割は殺意というステキな構成に落ち着くこととなったのだった。
    まぁ一般的なコミュニケーションの価値観を持つ人間ならば、誰であろうと友好関係を築く気にはならないだろう。

    ちなみにこの日真島は虫の居所が悪く、頭の片隅で(そういやえぐい金稼ぐ新人来たとか言うてたな…)と思い出してはいたが、結局留まることなく煽りきった。
    だからこの件に関しては120%真島が悪いのだが……仮に初対面の挨拶がスムーズにいったとしても、几帳面な敷原と無茶苦茶な真島の相性はどう足掻いても最低だったから、遅かれ早かれこうなることは必然だった。

    そんなわけで。
    幹部の中でピッタリ同い年なのはこの二人だけなのだが、同級生のよしみなどはなく。
    なるべくして東城会きっての犬猿の仲となっていた。

    「はっ。子分がおらんと何にも出来ん分際で偉そうに」

    敷原は視線すら合わさずに刺々しく言い放つ真島を一瞬見てから、すぐに横に座る桐生に目を向けた。
    礼儀をわきまえた大人の微笑みを浮かべる。

    「四代目、お会いできてよかった。この手癖の悪い男からお噂はかねがね。敷原組組長の敷原と申します。以後お見知りおきを」

    桐生は自分にも礼儀正しく頭を下げる年上の極道に「あぁ」とぎこちなく頷いて、少し困った顔をした。

    「俺はもう一般人だから、そんな丁寧にしなくていい」
    「そうは言われましても。お嫌かもしれませんが、四代目という冠は今もあなたの頭上で輝いているのですよ。それに伝説の極道とも名高い。ぜひお話を聞かせていただきたいものです」
    「む。そうか…」
    「ええ。私は少々…いえ、およそ八割方、四代目の横に居座っている男と意見が合いませんが、あなたへの尊敬の念はこの男に引けを取らないと自負しております」
    「そ、そうか……」

    桐生は頭脳明晰を絵に描いたような男から手放しで褒められ、む…だの おぉ…だの口ごもりながら照れた。
    桐生が初対面の男にかけられる言葉は「死ね」「くたばれ」「ぶっ殺す」の三つで構成されているため、褒め言葉への耐性がほとんどゼロになっていたのだ。
    当然真島がそれを見逃すはずもなく。
    照れ照れしている桐生の片肘を掴み、敷原をキツく睨みつける。

    「桐生ちゃんが迷惑しとるやろ。さっさと自分の取り巻きんトコ戻れや」
    「言われなくてもあなたと飲む酒は毒になりそうなので戻りますが、他の連中にもそうやって威嚇しているのですか?それともまさか……池の鯉のように酒と料理を待っているだけの彼らは、四代目を前にして挨拶のひとつもしていないとか?」

    突如後方に向けられた溶けない氷のような声にシン…と静まり返った宴会場はその静寂がバレないように慌ててざわめきを取り戻したが、数秒後、気まずそうな表情を浮かべた男たちが後ろに並んだ。
    敷原はちらりとそれを振り返り、心底呆れた声を出した。

    「まったく、常識を疑うな」

    断っておくと、誰も桐生をのけ者にしたくて挨拶しなかったわけではない。顔見知りの幹部は当然言葉を交わしたし、後で一緒に飲もうと誘いもした。
    だが新顔の幹部たちは、どうしていいのか分からなかったのだ。
    会長のゲストなのか、真島の連れなのか。四代目として接したほうがいいのか、そうじゃないのか。なんだか桐生も気まずそうな顔をしているし、ならばある程度酒が入ってお互い気が緩んでから話そうと、そう思っていただけだったのだ。
    大吾もその気遣いを汲み取っていたから何も言わなかったが、敷原はとにかく礼儀と規律を重視する。
    陰で「一人国税局」と呼ばれている男にとって、礼儀を欠いて成り立つ心遣いは縁遠いものだった。

    「その、敷原…といったか?」
    「なんでしょう、四代目」
    「俺は今日兄さ……真島に呼ばれて顔を出しただけなんだ。だから本当に、そんなに畏まらなくていい。後ろの奴らも」
    「四代目がそう仰るなら」

    敷原は頷き、後ろに並んでいた若い幹部たちはほっとした顔で、各々頭を下げながら席に戻っていった。

    「では本日は、僭越ながらお名前で呼ばせていただくことにします」
    「ああ。気ぃ遣わせて悪かったな」
    「私こそ出過ぎた真似を、失礼いたしました。ぜひまた後ほど」

    敷原は大吾と桐生に綺麗に微笑み、真島を一瞥もせずに自分の席へと戻っていった。

    「チッ……けったくそ悪い」
    「いい奴そうだったがな」
    「桐生ちゃん、騙されたらアカンで。あれは人の皮被った守銭奴や。近付いたら預金が減るからな」

    大吾はこの一部始終を黙って見ながら「桐生さんがいると真島も敷原も扱いやすいな…」と思っていた。
    いつもなら、ゴングが鳴ったら少なくとも5分間は舌戦が繰り広げられる。今日は敷原の畳みかけるような嫌味も、真島の殺意に満ちた返事も、桐生のおかげで大して聞かずに済んだ。
    桐生さん幹部会にも出席してくれないかな…と半ば本気で考えていた大吾は、会場の準備が整ったと耳打ちされ、頷いた。

    いよいよ忘年会が開始される時がきた。

    咳払いし、立ち上がる。
    ぱんぱんと手を叩けばさっと会話が止まり、全員の視線が向けられた。
    ずらりと行儀よく並ぶ男たちを前に盃を持ち、「全員、一年間よくやった」と労いの言葉をかける。

    「今年は西と抗争が起きるんじゃねぇかと思った時期が四回ほどあったが、全員よく下を抑えてくれた。季節が変わる度に起こる火種にその都度地獄を飲んだ気分にさせられたが、大きな問題もなく一年が終えられたことを嬉しく思う。さっさと酒を飲みたいと書いてある顔を前に長話はできないから、小言と堅苦しい挨拶は新年に取っておこう。
    ――今日は無礼講だ。全員、存分に楽しんでくれ。乾杯」

    全員の「乾杯」が重なり、部屋が少し揺れた。
    大吾はさっさと座り、真島に注がれた酒を少し掲げてからクッと一息で飲む。その様子に穏やかに笑った桐生が「いい挨拶だったぜ」と言った。

    「今日は全員酒を飲むことしか考えてませんからね。あまり長話すると暴動が起こる」
    「ふっ、仲がいいんだな」

    目を細めながら酒に口をつける桐生の言葉に「仲がいい…?」としばらく宇宙を背負ったが、結局何も聞かなかったことにした。
    桐生の感想は時折、大吾の理解の範疇を軽く超えるのだ。






    「――でなぁ、そん時大吾がせっかく手に入れた契約書破りよって…」
    「あれは事故ですよ。誰だってあんなところにメンフクロウがいるとは思わないじゃないですか」

    機嫌の良い真島はつまみをチマチマ食べながら失敗談を面白おかしく話して聞かせ、大吾も穏やかな声でそのバトンを受け取った。桐生は普段聞くことのなかった東城会での様々な出来事に驚き、笑い、時に懐かしみながら酒を傾けた。

    代わる代わる大吾に挨拶へ来る組員たちも交え、穏やかな時間が過ぎる。
    時折酒を飲んで気分が良くならないタイプの男がくると、真島が「面倒やからさっさと死ね」と丁寧に酒を注いで潰した。
    真島が潰した人数がちょうど5人になった時、新参の男が徳利片手にやってきて「会長、俺…」とぐずぐず鼻を鳴らし始めた。泣いている成人男性は職業柄見慣れているから、誰ひとり驚くことなく視線を向ける。

    「どうした」
    「おれ、怖いんです、情けないってわかってるんですけど…」
    「何が怖いんだ?」
    「み、未来が…」
    「未来が怖ぃい?なんやそれ。お前、年金でも欲しいんか?」

    酔っ払いの泣きごとを鼻で笑った真島は、「ホラ、飲め飲め。飲めばしばらく悩みが二日酔いだけになるわ」と男の徳利の底を持ち上げ、アっという間にまた一人潰した。
    これで六人目。
    大吾はその鮮やかな手際を見ながら、宣言通り桐生には無茶な飲ませ方をしないんだな、と感心した。どうせ真島の事だから、桐生と公衆の面前でイチャつくためなら酒にクスリでも混ぜて酩酊させるとばかり思っていたからだ。

    乾杯から二時間が経ってもまだ大半の男たちが理性を保っているし、想像していたよりもずっと平和だ。

    「よかった…」

    大吾はほっと胸を撫でおろした。









    三時間も経つと無茶な飲み方をした男たちは早々に離脱し、その他の男たちもすっかり上機嫌になっていた。あちこちでゲラゲラと笑い声が上がり、その度にどっと空気が揺れる。
    桐生は顔馴染みの席を回っており、それに付いていくかと思われた真島も、別の場所で普段会う機会のない幹部たちと軽口を言い合っていた。
    そんな中、大吾の傍には唯一普段と変わらない様子の敷原が来ており、しかし会話の内容はいつもの堅苦しい仕事の話ではなく、もっと砕けた話題だった。

    「会長はクレテック煙草を試したことはありますか?」
    「いや……?なんだ、それは」
    「うちのカシラが最近好んでる煙草なんです。丁子…グローブが混ぜられていて、火をつけるとそいつが弾けて音が鳴るんですよ。煙が重いので好みは分かれますが、私はわりと好きでした。どうです?よろしければ一本」
    「いいのか?なら貰おう」

    大吾は茶色の紙に金色が巻かれた煙草を咥え、敷原の差し出した火で息を吸った。
    瞬間、ぱちぱちと弾ける音が鳴る。

    「お、本当だ」
    「ふふ」

    目を見開く大吾に、敷原も「失礼」と言いながら一本咥え、ライターを翳した。すぐに敷原の煙草からもぱちぱちと音が鳴り始める。
    煙は甘く重たいものだったが、喫煙率99%の空間で今更変わり種の煙草を気にする者なんていない。
    二人はぱちぱちと音を立てながらゆっくりと煙を吸い、ゆるゆると真っ白な煙を吐きながら穏やかに会話を続けた。

    「そういえば、今日は景蔵さん来てないんですね」
    「酒が飲めないのに来ても意味がないって辞退したからな」

    景蔵さんというのは真島や敷原よりも年嵩の古参幹部だ。
    無類の酒好きだったが健康診断で肝臓の数値が引っかかり、「こんなのは信じられない」と憤って更に五ヵ所の病院で検査した結果、すべての医者に「このままだと五年で死ぬ」と太鼓判を押され、泣く泣く断酒の道を歩むことになったのだ。

    「俺には教えてくれなかったが肝臓の数値、相当悪かったらしいな」
    「基準値が40で、彼は900だったと聞きました」
    「ははは、立派な病人じゃないか」
    「彼はそれでも飲もうとして自分のカシラに説教されて、不貞腐れたまま私のところに来て「なんとかならねぇか」と駄々こねていましたよ」
    「ふふ、それで?」
    「なんともなりませんよ。肝移植という手がありますが二割で死ぬことを伝えたら、「俺の運のなさを舐めるなよ」と言いながら帰っていきました」
    「ああ、あの人ならその二割を引いておっ死んじまうだろうな」

    大吾は身内のささやかな不幸でアハアハと笑い、敷原も喉の奥で笑った。
    景蔵さんは東城会の幹部にしては珍しく公平で、珍しく人間に優しく、珍しく明るい性格をしていたため、みんな彼のことが好きだった。
    そして全員、大好きな景蔵さんの運のなさを肴に酒を飲むのはもっと好きだった。
    彼は絶望的に運が悪いため、とんでもない確率の不運を引いて、更にとんでもない確率の災難を引き寄せ、その二つの相殺で生きているような男なのだ。
    言い換えれば、ネタに尽きないのである。

    「なんだ、お前ら。楽しそうだな」
    「おや、桐生さん」

    そんな悪運まみれの様々な武勇伝でアハアハ笑っていたら、ほんのり頬が赤くなった桐生が戻ってきた。手には茶碗を持っており、甘いお菓子が山盛り入っている。

    「どうしたんですか、それ。ハロウィンですか」
    「若い奴らにもらったんだ」
    「よかったですね」
    「甘いものがお好きなんですね」

    いつになくほわほわと柔らかい空気を纏う桐生に、大吾も敷原も丸っこい声を出す。
    桐生はどさ、と力を抜くように敷原の隣に腰掛け、んん、と口の中で何かを言ってから「なに話してたんだ」と微睡む口調で言った。

    「景蔵さんの話ですよ。桐生さんもご存知の」
    「そういえば今日見てねぇな」
    「ええ。あの人、肝臓悪くして断酒してるんです」
    「40が基準値のところ、彼は900あったので」
    「きゅうひゃく…」

    桐生はそのとんでもない数字に口元を歪ませ、心配するような真面目な顔を作ろうとして、堪えきれずにあははと笑った。

    「ははは、…んふ、それは来られないな」
    「ええ、900はダメですよね」
    「ふふふ、本当に」

    男たちは穏やかに笑い、桐生の貰ってきた甘いお菓子を食べて「これは酒に合う」「これは微妙」と、酒に合うお菓子ランキングをつけ始めた。
    もう全員たっぷり会話をしたし、酒もたらふく飲んで、すっかり満足していたのだ。あと一時間くらいで帰ろうかな、という雰囲気で、でもせっかくの宴だしな、と腰を落ち着けていた。

    ……それが間違いだったと、大吾はこの日を振り返って思った。この時さっさと退散しておけば、年末に本家が野戦病院と化すこともなかったのだ。

    しかしまぁそれは後日分かることであって、今はただ上機嫌に酒を傾けていた。



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    はよキスしろや。と私も思ってます。
    キスの描写から逃げてるせいでこうなってます。
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