今年も裏庭の桜さん、綺麗なお花咲かしてはるわ。
今年、いうけどカレンダーないから何年かわからへんし、幽霊いうのは暑いとか寒いとか感じへんから季節もわからん。
でもこの桜が咲いたら、絶対春やてわかる。
いつからか、裏庭に立ち入り禁止の看板置かれてしもて、あんまり人も来んくなってもうて、僕のせいで桜さん、見に来てもらえんで申し訳ないな。
そのお詫びやないけど、僕の話ちょっとだけ聞いてもらえますやろか。
僕な、神様に会いましてん。
僕が死んだあの日、僕は練習試合のために、金煌のみんなとこの高校に来てたんや。
試合前にちょっと素振りする場所欲しいなぁと思て、裏庭のこの場所貸してもろて、いつものようにバット振っとった。
そしたらいきなり心臓が痛なって、次の瞬間にはもうこの状態やってん。
何が起きたんかわからんかったけど、倒れてる僕にみんなが走って寄って、監督とヒナちゃんが大声で僕の名前呼んで、でもそれをこうやって、横で見てる僕がおって。
ああ、これ僕、死にかけとる思た。
何の理由かわからんけど、魂? みたいなもんが出てしもてるなぁて。
こんままやったらほんまに死んでまう、何とかして体に戻らんと! て思て、救急車に乗せられて行く自分の体について行こうとしてんけど……。
うん、そう。
この裏庭から、出れへんかってん。
幽霊やのに、心臓が苦しくなって、動けんくなってしもた。
その間に救急車は行ってしもうて、あとは桜さんも見とったやろ? いっぱいの人がお花供えてくれはったり、僕の両親が来て泣きながら手ぇ合わせて行かはったり。
何とか話ぐらい……いや、お別れの挨拶ぐらいできんもんかと必死で話しかけたけど、気付いてもらえんかったね。
親不孝やなぁ、僕……。
あと、チームのみんなもめっちゃ泣いてくれとったね。卒業した先輩らも、ここ東京やのにわざわざ来てくれはって。
ヒナちゃんと剛ちゃん、死にそうな顔しとった。
俺らのせいでて、言うとった。
関係あらへんのにね。悪いことしたなぁ。
ほんで、そんな人らの波が過ぎて、僕のために作ってもろた献花台も片付けられて、学校の生徒さんがまた来るようになってから、来たんや、あん人。
「裏庭ってここ? ……何でこんなとこで素振りしてたんだ?」
ええスーツ着て、お日さんみたいなキラキラの髪の毛なびかして、すらっと背ぇ高いあん人……めちゃめちゃ目立っとったやろ。
テレビに出とる人やから、生徒さんらもざわついとった。
有名人が一人で来よるんやもんな……そらそうなるわ。
「来るの遅くなって悪かった……でも、お前はここにはいないと思って」
いやおりますけど。めっちゃ後ろにおりますけど。
と思たけど、見えへんもんね。しゃあない。
「どうすんだよ、お前がいないと俺、野球辞められないんだけど」
そういや僕から3タテ5回取ったら野球辞めるいう話、した覚えあるわ。
ほんまは辞める気ないくせにね。
「しょうがねーから、続けるよ」
ちょっと笑ろとった、綾さん。でも辛そうやった。
「そうだ、俺からの第一号ホームラン、待ってるから打ちに来いよな」
手ぇ合わせて、一言言うて帰らはった。
そういえば約束した、第一号ホームランは僕が貰うて。
ほんなら今綾さん、誰にも打たれんとボール投げてはるんや。
僕に打たれんの待ったはる。
そう思て、その日から僕、生徒さんに声かけるようになったんよ。
あの日体から抜けてこうなったんやから、誰かの体に入れもするんちゃうかと思て。
一日……いや、一時間でもええ。1イニングあれば、ホームラン打てる。
試合に無理やり割り込んで、1イニングだけ打たしてもらうんや。
その思いでずっと声かけて回っとったけど、だーれも気付いてくれへんかった。
幽霊見える人て、意外とおらんのやなとがっかりしたわ。
でも諦めるわけにいかんかった。だって綾さん待ってはるもん。
そんなこと毎日繰り返しとったら、ある日な、すごいことが起こってん。
桜さんも見とったかな。
空のめっちゃ上の方からな、光のはしごが……そう、裏庭のあの辺、葉っぱの茂みの、あのあたりにピカ―って降りて来たんよ。
自分が幽霊なってもうとるぐらいやから不思議な現象に今更驚かんと思たけど、そん時はめちゃくちゃびっくりした。
遂に天国からお迎えきたかなと思た。
あー残念や、幽霊やっとるうちに野球やりたかった、綾さんのボール打ちに行きたかったなぁて、悔しかった。
まだ成仏なんてしたなかった。
せやから、登れ、言うみたいにピカピカしとるはしごを、見んかったことにした。
めっちゃ存在感あったけど、逆の方向いて素振りしとった。
そしたら何日か……三日ぐらい経ってからかな?
何と、はしごから人が降りて来はってん!
はしごを見んように見んようにと頑張っとったけど、この時ばかりはガン見した。
ひらひらした白い布みたいなん着て、茶色っぽい髪の毛が背中ぐらいまであって、そこまでやったら普通の人やってんけど、そん人なんと、はしごを手と足で降りるんやなくて、スーってエスカレーターみたいに浮いて降りてきてん。
これは神さんや、と一発で分かったで。
ほんで僕は身構えた。
成仏したないねんもん。
綾さんから第一号ホームラン打つまでは、成仏なんか絶対したなかってんもん。
せやから、地面まで降りて来はった神さんがこっち向いた瞬間に言うたってん。
「僕は成仏したないんです。お帰りください」
て。
神さんびっくりした顔して、ほんでからため息ついて、腕組みはった。
「困りましたねえ……いや、まあわかってはいました……はしごを降ろしたのに見ないふりして放ったらかしにする人は、なかなかいないですから」
神さんてめっちゃ普通の人みたいに喋るんやて、僕は拍子抜けした。
優しそうな声の女の人やった。
神さんて女の人やったんやなぁ。たまたまかな。色んな神さんおるもんな。って思たな。
「どうして成仏したくないのです?」
「約束あるんです。絶対守らなあかんやつなんです」
「あなたのように未練を残して死んだ人は、皆さんそう言います。ですが、もうそれが叶わないことは、わかりますよね?」
「わかりません」
神さん、ずっこけてはった。
けどすぐに持ち直して、僕に向かって優しく語りかけてくれはった。
「あなたはもう肉体がないのです。何かに触れることも、誰かと話すことも、もうできません。そんな状態で、どうやって約束を守るのですか?」
「まあ何とかなる思います」
神さん、またずっこけてはった。
なんやろ、関西の神さんなんかな。えべっさんとか。吉本新喜劇見てはるんかな。ノリええわ、て思た。
「神さん大丈夫ですか」
「……死んで幽霊になった人たちは、多かれ少なかれ皆さんショックを受けています。あなたのように楽観的で前向きな幽霊は非常に珍しいのです」
「そうなんですか。へぇ」
「あなたは、自分の境遇に絶望しないのですか? 何とかなると言いましたが、本当にそう思っていますか?」
「……」
絶望せえへんかと言われたら、そらしてる。
何回も何回も、何かを握ろうとして、失敗した。
誰に話しかけても、振り向いてもらえんかった。
泣いてる両親を、泣かせたまま、帰らせてしもた。
死にそうな顔してるチームメイトの、肩を叩いてやれんかった。
毎日泣いた。死んでから、毎日毎日泣いた。
幽霊やから涙は出んけど、悔しくて悔しくて、泣かずにおれんかった。
せやけど、あの日綾さんが来て、僕に「待ってる」て言うてくれはった。
あん人待ったはるんや。
神さんが言うみたいに、体がないから、もう約束なんか守れへんねん。
バットも握れへん。ホームランなんか、どうやったって打たれへんねん。
わかってんねん。
全部わかったはるはずやのに。
「待ってる」て、言いはんねんあん人。
生きてるあん人が、諦めんと僕を待ったはるんやったら、僕が諦めたらあかん。
絶対絶対、諦めたらあかんねん。
あの日から僕は泣いてない。
約束守る方法があるんやったら、何でもする。
泣いてる場合やないねん。
せやから僕、神さんに言うたんよ。
「どうにもならんて思たら、もう終わりやないですか。僕は自分からは絶対に諦めません。その……神さんパワーで、無理やり連れて行く言うんやったら……もうしゃあないですけど……」
「神さんパワーって」
「何とかなりませんか神さん……! 神さんて何でもできるんやろ……」
「何をして欲しいのですか?」
「体ください」
「直球ですね」
「くれますか?」
「あなたに体をあげようと思ったら、私が誰かを殺してこないといけなくなります」
「それはあきませんね……神さんに殺人はさせられへんし……僕のために生きてる人を殺すのはまずいし」
「あなたは優しい人ですね」
「へ?」
「誰かを殺してでも体が欲しいと言う幽霊は大勢いますよ。というか、ほとんどの幽霊がそうです。どうしてそう思わないのですか?」
「そら……僕のために誰かを死なしたら、僕みたいな幽霊がもう一人増えるだけですから……」
「その通りですね」
神さん、笑ってはったわ。
「死なせへんで、体をもらえる方法てないんですか」
「あなたがここでやっていたように、本人の許可を貰って体を借りる、というようなことをしている幽霊は、見たことがありますね」
「せやったら、そうします! 何年かかっても、体貸してくれる人探します!」
「ですが、あなたには時間がありません」
「……え?」
神さん、ちょっとだけ申し訳なさそうにしてくれとった。優しい神さんやねん。
「あなたの成仏を願う人たちの思いが、たくさん届いています。あのはしごは、その思いで編まれたものなんですよ。それが降りて来たということは、あなたが成仏する道が開かれているということなのです」
「それ……は……」
「成仏することを願ってもらえるのは、素晴らしいことです。願ってもらえなかった人にははしごが降りてきません。その方々がその後どうなってしまうのかは、誰にもわからないのです」
「……」
「あなたは優しい人。あなたの周りの人たちも、優しい人ばかりです。あなたはその思いを受け取って、はしごを登るのです」
「そうすると、どうなりますか」
「成仏、というのは仏教の用語ですが、魂だけのあなたを洗浄して、真っさらの状態にしてから、新しい体に宿します。また誰か、優しい人の子どもとして生まれるでしょう」
「それでは困るんです!」
つい大きい声出してしまったんよね。神さんごめんなさい。
「それでは困る……僕には約束が」
「ですがはしごを登らないとなると、あなたの成仏を願う人たちの思いを裏切ることになってしまいますよ」
「……」
「そうすると、あなたはその人たちとの縁を、捨てなくてはなりません」
「縁を、捨てる?」
「はい。あなたと、あなたの成仏を願う人たちが生前築いてきたつながりや、ともに過ごした思い出など、全て捨てなくてはなりません。縁を持ったまま魂を洗浄すれば、新しい体で生まれたとき、またその人たちとの縁が結ばれる可能性があります」
「……」
「強い縁であればあるほど、また結ばれる可能性が高くなります。新しい体で、新たな縁を結ぶのも、良いと思いますが」
「……じゃあ僕は、はしごを登らへんでここに残っても、約束のことは……」
「覚えていられません」
さすがにショックやったね。意味ないやんかて思た。
神さんは淡々としてはった。僕みたいな厄介な幽霊ばっかりおったら、お仕事大変やろなぁ。
「ですから、どちらにせよ生前の約束を果たすことはできません」
ぴしゃりと言われて、僕は考えた。
両親やみんなのこと考えたら、成仏して欲しいていう気持ちを有り難く受け取んのが筋や。
その気持ちは、素直に嬉しいし。
せやけど、綾さんは……綾さんは、どうなんねん。
あん人、ほんまは野球大好きやねんで。
周りには今すぐにでも辞めたい辞めたい言いまわっとるけどな。
小さい頃から見とる僕にはようわかってる。
野球好きやないと、あんなええ球放れへんねん。
綾さんの球には、野球好きで好きでしゃあないって気持ちがこもっとる。
せやから打つの楽しいんや。打ったとき、めちゃくちゃ気持ちええんや。
そんな綾さんが、僕を待ち続けるためにずーっと投げんの、しんどないやろか。
僕に第一号置いとくためにホームラン打たれんように投げんの、辛ないやろか。
絶対来ぉへん相手待つだけの野球で、綾さんほんまに楽しめはるやろか。
僕、綾さんに野球楽しんでほしい。
野球大好きなままでおってほしいねん。
「やっぱり、打たなあかん」
野球大好きな綾さんの球を、野球大好きな僕のバットで打つ。
それだけで、ええんやないやろか。
僕はそん時、覚悟決めてん。
「神さん、僕はやっぱり、はしごは登りません」
「いいのですか? 約束のことも、約束を交わした方のことすら、もうわからなくなってしまいますよ」
「ええんです」
「そうまでして残っても、体を貸してくれる人が現れるかどうかわかりません。現れない可能性の方がはるかに高いでしょう。それでもいいのですか?」
「はい」
「……何年も、何十年も、一人きりですよ。誰とも話せず、誰にも見えず……そうして自我を失って、形を保てなくなり、ドロドロに溶けていった人を、大勢見てきました」
さっきはしごが降りて来んかった人はどうなったかわからんて言うてはったの、僕に気ぃ遣ってくれてはったんやて、こん時気付いた。
ほんま、僕んとこ来てくれはったんが、こんな優しい神さんで良かった。
「……」
「あなたもきっと、そうなります」
「僕には、野球があるんで」
「せっかくはしごがあるのに」
「それはまあ……申し訳ないんですけど」
「何のために……覚えておけない約束のために、どうして……」
「ええんです。僕が約束忘れても、野球さえやれれば、きっと届くんで」
あん人に。
「では、私は戻ります」
「おおきに、神さん」
「いきなり全ての記憶が消えるわけではありません。はしごが少しずつ消えるにつれて、薄い縁から切れていくでしょう。はしごが完全に消えたとき、全ての縁は捨てられます」
「わかりました」
「……あなたが形を保ったまま、約束を守れることを願っていますよ」
「大丈夫です、自信あります」
神さん、にっこりしてはったわ。可愛い人やったなぁ。
それから神さんは来た時とおんなじようにして、浮いたままはしごを登って行きはった。
すぐに神さんは見えんようなって、はしごだけがピカピカ残っとった。
ちょっとだけ、ほんまにちょっとだけ、これで良かったんかなて思たけど、一人で僕を待っとる綾さんの姿を思い浮かべたら、これ以外ないわて思た。
「それでこちらが、その消えかけのはしごになります」
桜さん、見えるかな。
桜さんの場所からやとちょーっと見えづらい場所にあるからなぁ。
でもまあ、ピカピカ光っとるなんかがある、いうぐらいはわかるやろ?
桜さんに話聞いてもろたんはな、そういうことやねん。
もうすぐ全部のはしごが消える。
そしたら僕、何もかんも、忘れてしまうんや。
厳密には何もかもやない。僕の成仏を願ってくれた人との縁が切れる、言うとったから、それ以外のことは覚えとるんちゃうかな。
野球のやり方まで忘れてしもたら、最悪やもんなあ。
「もう、思い出されへんくなるんや」
初めて買うてもろたグラブ、大事に大事にしたなぁ。
使うんもったいのうて、ここぞというときにしか使わんぞと思とったら、サイズ変わってもうて指入らんなっとった。反省して次のグラブは使い倒したる思て、お父さんにキャッチボールしよて毎週末言うとった。速攻穴開いた。
バット使うようになってからは、とにかく打ちとうてしゃあなかった。
壁に向かってひたすら打ったな。芯に当たるとめちゃくちゃええ音して、その音が聞きとうて暗くなるまで壁打ちしとった。ボール見えんくなって初めて暗なったん気付いた。お母さん、呆れとったな。
枚方のチーム入って、野球する仲間ができて、毎日楽しくて楽しくて夢中で野球やった。
ほんであの日、初めてホームラン打った。
すごかった。それまでの人生でやってきた、何より気持ちよかった。
綾さん、すごい顔しとった。打たれたん、初めてやったんやて。
そっからあの気持ちええのまたやりたくて、打って打って打ちまくった。打率凄いことなってシニアではちょっとした有名人になってもうて、せやけど綾さんの方が話題になっとったな。ほんますごい人やで。
誰のん打つより、綾さんの球打つのんがいっちゃん気持ちよかった。
甲子園で三連続打ったんも、最高に気持ちよかったな。
野球大好きな綾さん。
それを素直に言えへん綾さん。
僕を待っとる綾さん。
大丈夫。
全部忘れても、野球がある限り僕らは繋がっとるよ。
「綾さんの球、絶対打ちに行くから、野球大好きなままでおってや」
ピカピカの光、もう見えへんね。
桜さん、僕の代わりに、覚えとってな。
――――――――――――――――
「お兄さん、僕に体貸してもろてええですか」
「ウォ―――――ッマジだ透けてる」
「僕、野球したいんで、お兄さんの体貸してもろてもええですか」
「そんなにやりてーんだ、野球……」
「もっかい野球さしてもらえんねやったら」
全部忘れても、野球がある限り。
「僕はもうなんもいらん」
必ずあなたに届くから。