徒桜の贈り物*
「大佛どこ行ったんや…」
多くの人々が行き交う遊歩道の片隅で神々廻は一人立ち尽くしていた。
桜の名所と言われているらしい公園は広い遊歩道の桜並木に加え屋台や飲食スペースなどが設けられていて、すっかり日も落ち夜へ移り変わった今も夜桜を楽しむ花見客で大変賑わっている。
何故そんな場所に来ているのか──全ては大佛の〝ある一言〟から始まった。
***
仕事を終えて帰路に就く車中、助手席の窓からぼんやりと外を眺めていた大佛が不意に「あ…」と短く声を上げた。
「神々廻さん、止めて」
「なに?トイレか?だからさっき行っとけ言うたやん」
「違うもん…見て、あそこ」
「いや脇見運転さすな」
「あそこの公園、お花見会場になってる。お花見したい」
「お前疲れたからはよ帰りたい言うて…」
「お花見。行こ、神々廻さん」
少しも譲らない大佛に仕方なく折れた神々廻は混雑の方へと進路を変えた。
駐車場は当然満車と思われたが運良く空いていたスペースに無事車を収め、早く行きたそうにそわそわしている大佛に釘を刺す。
「ええか?一人でフラフラしたらあかんよ。はぐれたらすぐ電話せぇ」
まるで子供を相手にしているかのように言い聞かせてくる神々廻の言葉を静かに聞いていた大佛だったが、「神々廻さんうるさい…」と漏らしたことにより更に十分ほど説教が延びてしまったのだった。
***
「あんだけ言うたのに結局はぐれるやん」
大佛に電話をかけるもコール音が響くのみで一向に出ず、やれやれと肩を竦めた神々廻は行き交う人々の波を器用にすり抜けながら公園の奥へと進んで行く。
これだけの混雑であっても見慣れた姿を見つけ出すのは意外と簡単で、ちょうど屋台の切れ間の向こう側、桜の樹の下で蹲っている背中が目に入った。もしや気分でも悪くなったのかと足早に歩み寄る。
「大佛」
一言声を落とせばこちらを見上げる底知れない真っ黒い瞳とかち合った。
「神々廻さん…どうして置いてったの……?」
「いや…すまんて…」
にじり寄ってくる大佛に気圧された神々廻は「お前が勝手にいなくなったんやろ」とは言えないまま視線を泳がせる。
「…で、何しとるん?具合悪いか?」
「ううん、元気。…誰かがね、桜の枝折ったの。ここに落ちてた」
再びその場に屈んだ大佛が指差す先には三十センチはありそうな桜の枝が置かれていた。
「こんなに綺麗に咲いてるのにかわいそう…」
どう声を掛けたらいいのかと言葉を詰まらせている神々廻を余所に、大佛は落ちていた石で樹のそばの土を削り始めた。そんな背中を見下ろしていた神々廻は隣に並ぶとネイルハンマーで躊躇なく小石交じりの土を掘り返していく。
「こっちの方が早いやろ」
「それ…いいの?さっき綺麗にしてた」
フローターを待つ間、神々廻は手持ち不沙汰に仕事道具を磨いていた。大佛はといえば石を蹴りながらうろうろしていたはずだが意外と周りを見ていたらしい。
「そういや新調しよ思てたしな〜。最後使い込んでやった方がこいつも浮かばれるんちゃう」
「…そう」
持っていた石をぽいっと投げ捨てた大佛は抱えた膝に顎を乗せ、神々廻が穴を掘る手元を眺めている。ある程度掘り進めたところで「こんくらいでエエか」という問いに静かに頷き、穴に沿うようにそっと枝を置いて土を被せた。そして両手を合わせる。
「拝むな。死んだわけちゃうやろ」
「神々廻さん知ってる?桜の樹の下には死体が埋まってて、その養分で綺麗に咲くんだって。この子の下にさっき殺した人達埋めたら綺麗で濃いピンク色の花になるかな」
「あかんて。万が一なんかの実証とかで掘り返して、ほんまに死体やら骨やら出てきたら一般の人がびっくりしてまうやろ」
真っ直ぐに神々廻を見上げていた瞳は些か残念そうに伏せられた。
公衆トイレに立ち寄り、土で汚れた手を爪の間まで綺麗に洗い落とした二人は再び雑踏の中に身を置く。
「もうここ閉まる時間やし、花見ながら車戻…おい大佛ィ、勝手にフラフラすな~」
隣を歩いていたはずの大佛との距離がだんだんと開いたかと思えば、とうとう足を止めて一点を見つめている。声をかけても一向に動く気配がなく、何がそんなに気になるのかと覗き込んだ神々廻は納得したように小さく息を吐き出した。
「片付けてるとこすんません。これ一つください」
にこやかに対応してくれた販売員に礼を述べ、袋に入れられた商品を受け取るとそのまま大佛に差し出した。
「ありがとう」
「花見したい言うたくせに花より団子やん」
大佛の視線が桜ではなく明らかに出店に向いていることを指摘すると、今度は何故か気の毒そうな視線が神々廻に向けられる。
「神々廻さん…これはお団子じゃなくて桜餅っていうの」
「知っとるけど」
「二つあるから一つあげる。知ってる?桜餅には関東風と関西風の二種類があって、これは関西風の…」
「知らん流れのまま話進めんのやめぇ」
ようやく駐車場へ辿り着き車に乗り込んだ神々廻は大きなため息と共にハンドルに凭れ掛かった。ひどく疲れた気がする。
「神々廻さん」
「なんや」
「桜餅食べよ」
「おー」
差し出されたパックから一つ摘み上げて口へと運ぶと、大佛も続いて小さな口で頬張る。
「神々廻さん」
「今度はなんや…」
「お花見楽しかった」
「いやお前ちっとも花見て…まぁ、楽しかったんならええわ」
「神々廻さん」
「まだ何かあるんか」
「私、今日誕生日なの。だから…一日の終わりが楽しくて嬉しい」
「……は?」
突然の情報に思わず目を見開いた。
「ちょお待って。お前今日誕生日なん?」
「うん」
「はよ言えや、も〜」
片手で顔を覆って大袈裟なくらいのため息を吐いた神々廻はそのまま髪をかき上げた。
「そんならどっかで飯でも…いやこの時間から言うたら限られるしな…」
ちらりと視線と落とした腕時計の時刻はすでに二十一時を示している。
「神々廻さん、誕生日いつ?」
「あ?あー…九月二十四日」
「九月…秋だね。美味しいものいっぱい食べてお祝いしようね」
美味しいものとお祝い、果たしてどちらに重きを置いているのか。
「…大佛、頭に花びら…ってこっちにも付いとるやん」
どんだけ付けとんねん。と小さく笑いながらベールと肩に付いていた花びらを摘み、両手を器にして差し出している大佛の手の中にそっと乗せてやる。
「明日になって悪いけど、ちゃんと祝ったるわ。他の奴らにも祝ってもらい」
「うん」
大佛は小さく頷き、手の中の小さな贈り物を大事に大事に包み込んだ。