あなたのおうちはどこですか 最近、神々廻の様子がおかしい。と南雲は感じていた。
食事に誘えば最初は面倒臭そうな顔で断るものの、最終的には折れて付き合ってくれるのがいつものパターン。しかしここ数日は取り付く島もなく断られ続けているわけだが、それでも南雲はめげずに神々廻を呼び止める。
「神々廻〜、今日こそご飯行こうよ〜」
「あー…今日ハンマーの特売日やねん。数量限定やからはよ行かな」
これまで神々廻から返ってきた返答は「時間指定の荷物が来る」「見たい番組の録画予約を忘れた」「家の鍵を閉め忘れた気がする」など有り得そうなものだったが、そろそろ思いつかなくなってきたのだろう。目も合わせないまま「そんじゃ、お疲れさん」と逃げるように帰って行った。
(下手な嘘をついてまで僕を遠ざけて、一体何をしてるんだろう)
好奇心と少しの不安を胸に、適当な姿に変装をした南雲は神々廻の後を追いかけた。
姿を見失わず、気配を悟られない距離を保ちつつ雑踏の中を進んでいく。不意に神々廻が立ち止まったため尾行がバレたかと身構えたが、その視線は南雲ではなく通りの向こう側へと向いている。僅かに殺気立っているのを感じ、まさか先刻片付けた組織の残党が神々廻を狙っているのか?つられて視線を動かしたが特に不審な点は見当たらない。任務終わりで過敏になっているだけかもしれない、と肩を竦め視線を戻した時には神々廻の姿はもうそこになかった。
──やられた。
残党の気配を察知したわけではない。後をつけられていると気付いていた神々廻が、わざと自分から意識を逸らすように仕向けたのだ。
「しょうがないなぁ…付き合ってあげようか、かくれんぼ」
姿は完全に見失ってしまったものの、何処かから確かに感じる神々廻の気配に誘われるままに辿り着いたのは古い小さな神社だった。境内へ続く石段に落ちる木漏れ日の中、黒い猫と戯れている金色の猫。
「随分と遅いお出ましで」
一瞬だけ目線を上げるも神々廻はすぐに意識を膝上の猫に戻した。猫は明確な警戒心を帯びた瞳で南雲の様子を窺っていたが、神々廻に喉元を撫でられれば心地良さそうに目を細めゴロゴロと喉を鳴らしている。
「おまたせ、迎えに来たよ。僕のこと待ってたでしょ?」
「そんなわけないやろ。…まぁ、そろそろ後つけて来るんちゃうかとは思っとったわ」
南雲がゆっくりと石段を登るにつれ、猫の体が次第に強ばっていくのを神々廻は感じていた。そしてすぐそばまで来た時には僅かに震え、すっかり動けなくなっている。
「怖がらせてごめんなぁ。はようち帰り」
最後に優しくひと撫でしてから石畳に降ろしてやるも固まったまま暫く動かず、神々廻にお尻をぽんと軽く押されると身を低くしたまま一目散に茂みの奥へと消えていった。
「お前、一匹…と、一人。敵に回したな」
「一人は嘘でしょ」
最後の数段を軽やかに登り神々廻の隣へ腰を下ろした南雲は、猫を撫でるという役目を終えた両手を取ってぎゅっと握る。「ほら、逃げないもん」とでも言いたげな南雲の顔に思いきり眉を顰めた神々廻だが、下手に跳ね除けて臍を曲げられるよりは好きにさせておいた方が早く済むだろうと諦めたように深く息を吐き出した。
「ねぇ神々廻、今日はこのままうち来るよね?」
「行かんけど」
「うちに来るメリットその一〜」
人差し指を神々廻の眼前に突き出す。
「とっても懐っこい猫がいるよ」
「……」
「その二〜。時間無制限で撫で放題」
顔の前で一つ、二つ、と増えていく指を鬱陶しそうに避ける神々廻。
「どう?来る気になってくれた?」
「…その三は」
「え?」
「メリットその三はないんか。あと一つや二つあるんなら考えてやってもエエけどな〜」
「えっ、と…ちょっと待って」
全く興味がなさそうな顔で聞き流しているかと思えば更なるメリットを要求され、すっかり油断していた南雲は必死に思考を巡らせる。滅多に拝むことが出来ない南雲の狼狽える様子を眺める神々廻の表情は何処か楽しそうだ。
「え…餌やり…?」
何とか絞り出した言葉に、神々廻はフッと小さく息を漏らした。
「お前、どうせろくな餌用意しとらんやろ。買い物して帰るで」
立ち上がった神々廻が、猫が消えた茂みの方へ一瞬名残惜しそうな視線を向けたのを南雲は見逃さなかった。それでも何事もなかったかのように、いつものつまらなそうな顔をして石段を降りていく神々廻の横顔を覗き込む。
「神々廻、猫飼いたかった?」
「急に何やねん。そもそも」
「?」
「図体でかくて、それはもう手のかかる犬がうちにはおるからなァ」
手一杯や。そう言って南雲の頭をぐしゃぐしゃと雑に撫で回す。
「ねぇ、もっと優しく撫でないと犬逃げちゃうかもしれないよ?」
「そんなんで逃げるほど柔か?むしろ構ってもらえて嬉しいやろ」
「それはそう…じゃなくて!ほら、早くうち帰るよ!わん!」
「うわ、キショ…」
今日一番の険しい顔をした神々廻だが、対する南雲は一切気にすることなく再び手を取って先導するように歩く。
薄闇に染まり始めた世界で、神々廻はこの繋がりを見失わないよう指先に僅かに力を込めた。