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    みなとくん

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    みなとくん

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    pixivに上げたものの再掲です
    フィンレオ/レオだけ女装

    ##フィンレオ

     ある日の昼間、俺はオールドメイド支店の店内にいた。俺以外に居るのはクリスとレオ、それとレオの世話役であるバーナードのじいちゃんだけだ。
     ウェンディとヴィジャイは、今日は任務のため不在らしい。
     店内に全員が揃っていることの方が珍しいので、いつも通りと言えばいつも通りの光景だ。

     今日は朝から来客も少なかったので、店内の掃除を終わらせたあとは主に事務作業をしていた。
     未だに使い慣れないノートPCのキーボードを両手の人差し指で叩きつつ液晶とにらめっこしていると、店内に古めかしい電話のベルの音が鳴り響く。社長からの任務の合図だ。

     じいちゃんが緩慢な動作で席を立ち、店内の奥の部屋へ向かう。俺を含めた全員、特に反応などはしなかったが、どこか空気が張り詰めた気がした。


     数分後にフロアへ戻ってきたじいちゃんにいちばんに声を掛けたのはレオだった。

    「指令か」
    「えぇ」

     じいちゃんはいつもの穏やかな調子で応え、レオの元へ歩み寄って何かを耳打ちする。すると、レオの眉間の皺がみるみるうちに深くなっていった。

    「……ウェンディを呼び戻すことは出来ないのか?」
    「今からでは難しいのではないかと」

     レオが深く深く溜息を吐く。
     レオの溜息は──主に俺とクリスのせいで──珍しいことではないのだが、社長からの指令に対してこんな反応をすることはあまり見ない。どうやらいつもの指令とは何かが違うようだ。

    「おい、フィン」

     感じたことの無い緊張に体を強張らせていると、レオが俺の名前を呼んだ。俺も参加する任務ということだろう。

    「な、なんだよ……」
    「命令だ。一時帰宅して着替えてこい」
    「はぁ?」

     思わず素っ頓狂な声が出てしまったが、仕方の無い事だと思う。「帰宅して着替えてこい」という事なら私服での任務ということだろう。
     スタッフや警備員として潜入することはあれど、私服で任務に出ることなどほとんどない。俺がハートの3を回収したときは確か私服だったが、あれは仕事の制服であるスーツの仕立てが終わっていなかったからだ。

    「着替え?なんでだよ」
    「任務のために決まっているだろうが。適当な平服ぐらいは持っているだろうな?」
    「そんなん持ってねぇ」

     レオがまた深い溜息を吐く。

    「おいクリス。その辺の店でこいつに適当な服を見繕ってやれ。領収書は店宛で切っていい」
    「りょーかい」

     自分は任務へ駆り出されないと察したらしいクリスは、いつもの軽いノリでひらひらと手を振った。

    「俺も準備の為に一度帰る。フィンは準備が出来たら店で待っていろ」

     そう告げるや否や踵を返して出入口へ向かおうとするレオ。
     俺は状況が飲み込めず、思わずレオの肩を掴んだ。

    「待てよ、先に任務内容ぐらい教えてくれたっていいだろ!」

     振り返ったレオは苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、しばらくの逡巡のあと根負けしたように重い口を開いた。
     レオが言うには、今回の任務の概要は以下の通りだ。

     カードのうちの1枚が一般人の手元に渡ったこと。
     その一般人はプレイヤーではなく、戦闘に発展する可能性は薄いため、穏便な方法で回収したいこと。
     そして、その対象は今日とある場所に赴くらしく、その場に入場するためには男女ひと組である必要があるということ。

    ───男女?

     ◆ ◆ ◆

     約1時間後、俺は支店に戻ってきた。
     戻ってきたとはいえ、着用しているのはさっきまで着ていたオーダーメイドのスーツではない。

     深いネイビーのシャツに明るいグレーのジャケット、黒のボトムスに黒のローファーという、クリスによってプロデュースされた「平服」だった。
    (クリスはノータイでラフさを演出、とか柄ものチーフで遊び心を、とか色々言っていたが、よく分からなかった)

     店に立てる服装ではないため、接客はクリスに任せてバックルームのソファに腰掛ける。
     最近は堅い服装で過ごすことにも慣れてきたが、やはり大人しくしていると意味もなくそわそわしてしまう。今は着慣れないものを着ているため尚更だ。

     それから1時間ほど経った頃だろうか。気付いたらソファで眠ってしまっていたが、出入口のドアチャイムの音によって目が覚めた。そこにクリスの声が続く。

    「おかえりレオ。いやぁ、よく似合ってるよ。明日からもその格好で居てくれたら、俺も〜っと頑張るんだけどなぁ」
    「余程減給されたいようだな。喜べ、次回の給与はお望み通りの内容にしてやる」

     どうやらレオが支度を終えて戻ってきたらしい。待たされた文句のひとつでも言ってやろうとフロアへ出たが、そこにレオの姿はなかった。
     いや、「見慣れたレオの姿はなかった」と言うのが正確だろう。

     案の定というかなんというか──
    そこには、女物の服に身を包んだレオが腕を組んで立っていた。

     ◆ ◆ ◆

     数分後、俺は車──支店で展示されていたうちの1台だ。クリスの愛車と同じライカだが、車体はグレーである──で目的の場所へ向かっていた。

     今回の目的地は、支店から車で30分ほどの場所にある高級ホテルだ。そのホテルでは現在茶会が催されており、ターゲットはそこにいるらしい。
     そこでターゲットからカードをスリ盗るのが今回の任務内容だ。

     自慢ではないが、他人の懐からカード1枚をスるぐらい俺にとっては造作もない。相手がただの一般人なら尚更だ。
     そのため、任務の難易度自体はかなり低いと言っても良いだろう。
     ただ、任務内容よりも気になる事があった。

    「………」

     仏頂面で助手席に座るレオは、前述の通り女の格好をしていた。

     信号待ちの為にブレーキを踏んだ俺は、左側に視線を移す。

     薄い青紫色のワンピースにブルーのジャケットを羽織り、ほんの少しヒールのある黒いパンプスを履いている。胸元にはゴールドの小ぶりなブローチが輝いていた。
     全体的なカラーリングは普段のスーツと似ているが、生地の質感の違いもあってか普段よりも柔らかい印象を受ける。

     また、ヘアスタイルにも手が加えられている。
     ウィッグを着用しているのだろう、髪色こそ普段と変わらないホワイトブロンドであるが、ゆるやかにパーマのかかった腰まで届くぐらいのロングヘアになっていた。
     左右に細い三つ編みをつくり、それを後頭部でまとめてある。確かハーフアップという髪型だったか。孤児院の子供にねだられて髪をいじってやったときに作ってやった記憶がある。

     ただでさえフォーマルなファッションの知識がない上に、それが女のものとなれば尚更だ。ほとんど何も分からないが、ただ一点……非の打ち所がない程に様になっているという事だけは俺にも分かった。

     有り体に言うと、助手席に座る憎たらしい子供店長は、絶世の美少女と言って差し支えない風貌となっていた。

    「おい、いつまで止まっているつもりだ。その無駄に視力の高い目を前方へ向けろ」

     "美少女"からの罵倒を受けて一瞬面食らうが、すぐに視線を前へ戻す。
    信号はとっくにゴーサインを出しており、前方車両はみんな走り始めていた。
     ゆっくりとアクセルを踏んで加速する。
     普段であればレオの憎まれ口には即座に反論するところだが、今回はレオに分がある。
     言い返すこともできず、そのまま無言で車を走らせた。


     しかし、レオとふたりで車移動をすると毎度毎度お小言を浴び続けるのだが、今回のレオはいやに大人しい。
     無言の時間を気まずいと感じるような間柄でもないのだが、今回は状況が状況だ。何か話をしないと落ち着かなくて、とりあえず一番気になっていた話題を振ってみる。

    「今回の目的地が男女ペア必須なのは分かったんだけどさぁ、お前が女役なんだな」

     言葉を受けたレオが鋭い視線で俺を睨む。俺は前方に視線を向けたままレオの視線には気付かないふりをした。
     しばらく間を空けて、溜息まじりの返答があった。

    「考えてもみろ。まず今回の任務においてお前の手癖の悪さは必須だ」

     ……褒められていると思っておこう。

    「つまりペアのうちの片方はお前で確定だ。だが、お前のような品性の欠片もないチンピラ崩れに女性役など務まるわけがない」

     これは確実に褒められていない。さすがに分かる。
     ……まぁ、"女役が似合う"と言われても何も嬉しくないので、ここも流すことにした。

    「残る選択肢は俺とクリスだが…… クリスに女性役ができると思うか?」
    「あー……」

     多分無理だろうな、と思った。
     クリスは身長もそこそこ高いうえ、細身に見える身体も格闘で鍛えられており、それなりにがっしりしている。
     同じような体型の女もいないわけではないだろうが、いたとしても格闘家か何かだろう。
     会場内で目立ってしまって潜入どころではなくなりそうだ。

    「つまり消去法だ」
    「ふーん……なるほどな」

     適当な相槌を打ちながら、ルームミラー越しに助手席のレオを見る。
     口には出さなかったが、消去法で決めるまでもなく、こいつが適任だろうなと思った。

     ◆ ◆ ◆

     目的のホテルの駐車場に車を停める。
     何だかんだレオを乗せて走る機会は何度かあったし、運転テクニックを値踏みするような視線にも慣れたが、駐車だけは未だに緊張する。
     展示用の車に傷なんかを残してしまえば、良くて減給、最悪の場合は数日間無給での勤務をさせられるだろう。

     やっとの思いで駐車を済ませたあと、運転席の扉を開けて外に出て、助手席の扉の方へ向かう。
     普段は扉ぐらい自分で開けて出ろと言うところだが、今日は違った。
    なにせ、今助手席に座っているのは──ナリだけとは言え──レディである。
     今回の任務には、この「レディ」のエスコートも含まれているのだ。周囲に不審がられないよう、パートナーをエスコートする役を演じきらなければならない。

     助手席の扉を開けて右手を差し出すと、ずっと不服そうな顔をしていたレオの表情が少し柔らかくなった。

    「普段からこうならいいんだがな」

     俺の手に導かれて車外に出ながらそんなことを言うレオに、「普段からその格好でいるなら考えてやるよ」と返す。
     レオから返ってきたのは言葉ではなく、脇腹への打撃だった。


    ──さて、本格的に任務開始だ。

     出発前にじいちゃんが予約の処理を済ませていてくれたらしく、会場へは滞りなく入ることが出来た。

     席へ案内される道中、会場内をざっと見回した。
     そこそこの広さのある室内に規則正しく椅子とテーブルが並び、半数ぐらいの席が埋まっている。
     若い男女から老夫婦まで、客の年齢層は幅広い。

     ターゲットの顔は事前に写真で確認していたので、すぐに気付くことが出来た。
     窓際の席にいる、オールバックの男だ。
     髪型こそ写真とは違っていたが、明るめの茶髪にグリーンの瞳、左頬に小さな痣がある。あいつで間違いないだろう。
     シンプルなワンピースを着た女と向かい合って会話をしている。妻か彼女だろうか。

    「いたな。見失うなよ」
    「へーへー」

     小声で話しかけてきたレオに適当な返事をする。
     こんな場でやたらに立ち歩くような人間はいないだろうから、見失う心配はないだろう。
     そもそも、俺の視力があれば混雑した街中でも見失わない自信がある。
     そんなことより……

    「マジでカップルばっかだな……」

     男女ひと組という制約つきの催しだから当然なのだが、改めて認識してげんなりしてしまった。
     俺の相手は女装したレオだということもあり、何とも言えない気持ちになるが、任務だからと自分に言い聞かせて溜息を飲み込んだ。
     女装をさせられてるレオの方がよっぽど溜息を吐きたいところだろう。

     かくして、俺たちは案内された席についた。
     位置としてはおおよそ部屋の中央。ターゲットの座る席までは15mもないぐらいだろうか。
     レオがターゲットを背にして座り、向かい合うかたちで俺が座る。
     つまり、俺がレオの肩越しにターゲットを見張ることができる位置取りだ。

    「いつでも立ち上がれるように準備しておけよ」
    「おう」
    「それと、奴が何か怪しい動きをしていたらすぐに言え」
    「わーってるよ」

     先程に引き続き、小声で会話をする。
     俺は改めてターゲットを観察した。

     さっきはきちんと注視しなかったので気付かなかったが、よく見れば左手の薬指に小さな石のついたリングが嵌っている。正面の女も同様だったので、どうやら2人は夫婦らしかった。
     テーブルに置かれたティーカップからは微かに湯気が立ちのぼっており、中央を陣取るケーキスタンドはまだほとんど手付かずだった。
     おそらく俺たちが来るほんの少し前に来たのだろう。タイミングが良かった。
     同じ空間にいる時間が長ければ、それだけチャンスが増える──はずだったのだが。

    「なぁ、これ……いつやりゃいいんだ?」

     参加者が頻繁に立ち歩かない分ターゲットを見失うリスクは少ないのだが、それは逆に言えば「あまりウロウロしていると目立つ」ということだ。
     しかもターゲットがいるのは窓際の席。
     用を足しに行く風を装っても、窓際に行くのはかなり不自然だ。

    「知らん。それを考えるのがお前の仕事だろうが」
    「そうだけどさぁ……」

     確かに今回の回収任務は俺が主導だろう。
     普段であればレオが作戦を練るブレーンの役割を担っているが、今回は俺のスリの手腕のみが武器となっている。
     当然だがレオはスリの知識などないだろうし、俺の経験から作戦を練るほかなさそうだった。
     そういう意味では、この会場へ入った時点でレオの役割は終わっている。

    「まぁ……あっちもしばらく席は立たないだろうし、俺達もゆっくりしようぜ」
    「勝手にしろ」
    「なーに他人事みたいなツラしてんだよ。お前だって客として来てるんだからな?飲み食いしねぇってのはナシだぞ」
    「……妙に浮かれているな。これが任務だという事を忘れるなよ」
    「忘れねーけどさぁ。俺こういうトコ来んの初めてなんだよ。ちょっとぐらい堪能させてくれって」

     フォーランド国民として基礎的な茶会マナーの知識はあるが、実際にこんな場に来る機会など今までなかった。多少浮ついた気分になるのも仕方の無い事だろう。

     そんな会話をしていると、給仕が俺たちのテーブルにティーセットを運んできた。
     慣れた様子でケーキスタンドを置き、規則正しくカトラリーを並べ、ふたつのティーカップに紅茶を注ぎ入れる。ふわりと立ちのぼったベルガモットの香りが鼻腔をくすぐった。

     軽く会釈をしてその場を立ち去った給仕を見送り、目の前のテーブルに目を向ける。
     さっきまで何もなかったそこは、あっという間にティーパーティーのテーブルのひとつになっていた。

    「すげぇ、こんなに豪華なのか!」
    「あまり喚くな。育ちの悪さが露見するぞ」

     レオが何か言っているが無視を決め込んだ。
     そういえば、今回の任務内容を聞いたクリスが心底悔しそうな顔をしていたから、もしかしたらスイーツが有名な店なのかもしれない。
     支店に戻ったら自慢をしてやろう、と考えつつ、ナイフとフォークを使って自分の皿にサンドイッチを運ぶ。

     レオもサンドイッチをひとつ、取り皿へ運んでいた。
     当然といえば当然なのだろうが、所作のひとつひとつが洗練されている。
     容姿も相まって、映画のワンシーンのような光景だった。

    「おい。何をジロジロ見ている。やめろ、気色悪い」
    「ンだよ、かわいくねーな。もっとレディらしく振舞えっての」

     レオからの苦言で我に返る。見蕩れていたことを悟られないよう、少し言い返してみた。
     未だに慣れないレオの容姿と馴染みのない場の空気に充てられて、なんだか地に足がつかない。

     レオの肩越しにターゲットを見張りながら、皿に取ったサンドイッチを口に含む。
     具材を確認していなかったが、間にキュウリが挟まっていた。思わず小さく呻いてしまったが、目の前のレオがじろりと厳しい視線を向けてきたので四苦八苦しながらなんとか飲み下した。

     ◆ ◆ ◆

     その後もケーキスタンドに乗ったものをふたりで食べ進めた。
     何も喋らないのも不自然なので、適度に言葉を交わしながら、だ。
     口を開けばお小言ばかりのレオだが、今回は喧嘩をしに来た訳では無いのを理解しているのだろう。
     クリスの就業態度やウェンディの酒癖の悪さ、ヴィジャイが持ち込む植物……もとい"友人"の話など、当たり障りのない世間話が主だった。


    「……それで、どうだ」
    「あー……やっぱ座ってるうちは無理だろうな。帰りのタイミングをなんとか合わせて、帰り道で狙うか……」
    「そうか。分かった」

     最上段のスイーツが半分ぐらいなくなろうかというタイミングで、レオがより声を潜めた。

     レオと話している間もターゲットから視線は離さずにいたが、やはり機会が図りづらい。必然的に同じ場所に向かうことになる退室のタイミングが最善だろう。
     着席したタイミングは俺たちの方が一歩遅かったものの、向こうは会話に花が咲いていることもあり、食事の減りにそこまでの差はないようだった。
     ほぼ同時に退室するのはそう難しいことではなさそうだ。

     カップをつまみ上げてミルクティーを口に含む。美味いことには美味いのだが、支店へ連れていかれた日にじいちゃんに出されたブレックファスト・ティーほどではない。
     あとでじいちゃんに頼んで淹れてもらおうとぼんやり考えながら、スコーンに手を伸ばした。

     ◆ ◆ ◆

    「レオ、多分そろそろだ」
    「そうか」

     レオ越しにターゲットのテーブルを見遣り、立ち上がって上着を羽織った女を確認してから、小声でレオに声を掛けた。

     結局あれから紅茶を4杯もおかわりした。
     そこそこの時間滞在したので場の空気にも少し慣れてきたし、目の前に座る美少女も見慣れてきた頃だったが、早く終わるに越したことはない。
     軽い気疲れを感じながら椅子を引く。同じようにレオも立ち上がった。

     並び立って歩くとき、レオが自然に俺の左腕に自分の右腕を絡ませて身体を寄せてくる。
     女装姿には慣れたが、この距離の近さにはきっと慣れることはできない。

     店から貸与された経費用のカードで会計を済ませ、ターゲットの後に続くかたちで会場を出る。
     ホテルの外へ出るルートはそう多くないので、しばらく同じ廊下を歩いてもおかしくはないだろう。スリ盗るチャンスは多分ここだ。

     ただ、急に早歩きになるのは不自然かもしれない。なるべくターゲットに怪しまれないように追い越すのであれば……

     いつか支店で「いい声」で演じさせられた台本を思い出す。きっと今はああいう男を演じるのが適切だろう。不本意だが。
     俺は、自分にしか聞こえないぐらいのボリュームでひとつ咳払いをしてから、隣にいるレオに声をかけた。努めて「いい声」で。

    「思ったより長居しちゃったね。映画の時間もあるし、少し急ごうか?」

     一瞬呆気に取られたような顔をしたが、歩行速度を上げるための理由付けだと気付いたのだろう、すぐに軽くはにかんだ表情を作り、いつもより高い声で「えぇ」とだけ答えた。

     不覚にも、心臓がどくんと大きく跳ねる。

     しょうがないだろ。今のレオはどこからどう見ても美少女だ。きっと今の笑顔を見て感情を揺さぶられない男なんていない。
     だから、相手がレオだから──レオから笑顔を向けられたから、ドキッとした訳では無いんだ。たぶん。

     そんな事をぐるぐると考えながら、不自然でない程度に歩くスピードを速める。
     合わせてレオの足音も速くなった。
     ターゲットを追い越すタイミングでカードが回収できれば、ミッションクリアだ。

     ◆ ◆ ◆

     ということで、カード自体はあっさりと回収できた。

     ターゲットは財布の中にカードを入れていたので、一度財布をスリ盗ってから中のカードを偽物とすり替えて、拾得者を装って返す……という手間はあったものの、大きなトラブルもなく遂行できた。
     ひとつ何か挙げるとすれば、いつもの癖で財布の中の札の枚数を数えていたら隣のレオに頭を引っぱたかれたことぐらいだ。

     スられたとも知らずに俺たちにぺこぺこと頭を下げるターゲットに尋常でない罪悪感を感じながらもやり取りを終え、そそくさと駐車場へ向かう。


    「はぁ〜……」
    「みっともない声を出すな。まだ任務中だぞ」
    「カードの回収はできたんだからもういいだろ。帰るまでが任務です〜ってか?」

     車を出た時と同様、レオをエスコートして助手席に座らせて、反対側のドアから自分も運転席に座る。
     ドアを閉めると、緊張の糸がぷっつりと切れたのか、大きい溜息が出た。
     即座にレオからお小言を食らったが、そう言うレオもどこか安堵したような顔をしている。
     さっき見た笑顔が脳裏をちらつき、少し言い返しつつもレオから目を逸らした。


     気疲れのせいで車を出す気分にもなれず、しばらくぼーっとフロントガラスを眺める。
     隣のレオは真剣な顔付きでスマホを操作していた。おそらく任務内容についてじいちゃんにでも連絡を入れているのだろう。

    「……よし、出せ」
    「はいよ」

     しばらく何かを打ち込んだあと、画面を消して俺に声をかけてくる。
     俺が車を出さなかったのはレオを気遣ってのことではないのだが、ここでそれを言う必要はないだろう。
     少し休むこともできたし、特に反発もせずにエンジンをかける。
     駐車場を出て、ここに来るのに使った道路と反対車線に出た。


    ──このまま帰るの、なんか勿体ねぇな。

     自分でもよく分からないが、そう思った。
     表現するなら、おろしたての靴を履いているとき、そのまま帰るのはもったいないからひと駅分多く歩こうと思う……みたいな。
     その気持ちの理由が、いつもと違う自分の服なのか、いつもと違う身なりのレオなのか、それともレオそのものなのか分からないけど、とにかく勿体ないと思った。

    「なぁ」
    「なんだ」
    「途中から歩いて帰らねぇ?」
    「……はぁ?」

     レオから素っ頓狂な声が返ってくる。そりゃそうだ。多分俺がレオだったとしても同じ反応をする。
     レオは女の格好をしているから、なるべく人目につくところには居たくないだろう。そもそも車に乗っているんだから、その車を乗り捨ててまで徒歩で帰る理由がない。
     そうなんだ。分かってるんだけど。

    「いや、なんかさぁ……勿体ないだろ」
    「……訳の分からないことを抜かすな。歩きたいなら1人で歩け。俺はクリスでも呼びつけて運転させる」
    「うーーん……」

     レオからこういう返答があるのは最初から予想できていたし、俺自身も自分が何を言ってるのか分かっていないので、何も言い返せない。
     言いたいことを言葉にできなくて、しばらく子供みたいにあーとかうーとか言っていたら、レオが口を開いた。


    「……分かっているとは思うが、今は勤務時間内だ」
    「寄り道なんていつもの事だろ」
    「俺は今この身なりだ。なるべく外にはいたくない」
    「……言うほど悪くねぇよ、それ」
    「靴は慣れないパンプスだ。歩行には不向きだろう」
    「痛くなったら新しい靴でも買って帰ればいいだろ。なんなら俺が抱えて歩いてやるよ」
    「この車だって、乗り捨てていく訳にはいかないだろう」
    「さっき自分で言ってただろ、クリスを呼ぶって。クリスひとりで帰らせりゃいいじゃねぇか」


     他に誰がいるわけでもないのに、2人して内緒話のようなトーンで言葉を交わす。
     下手をしたらエンジン音でかき消されて聞こえないぐらいの声だ。

     しばらく無言の時間が流れたあと、助手席から深いため息が聞こえた。

    「……記念公園にクリスを待機させる。そこから支店まで徒歩で戻るぞ」

     自分から言い出したことではあるが、こんな訳の分からない要望を承諾してもらえるとは思っておらず、ついレオに視線を向ける。
     正面からではないのでしっかりとした表情は伺えないが、少なくともご機嫌ななめではない様子だった。
     レオも"勿体ない"と思ってくれてんのかな、なんて考えながら、「おう」とだけ返した。

     ◆ ◆ ◆

    「も〜、急に連絡が来たと思ったら何?どういうこと?」

     記念公園に着くと、クリスが立っていた。
     そもそも目立つ顔立ちではあるのだが、鮮やかなレッドのスーツも相まって、遠目からでもすぐ分かった。
     ナンパして引っ掛けたのであろう見知らぬ女と一緒にいたが、レオからの刺すような視線に気付いたのだろう、何か言い訳をしてその場で別れていた。──しっかり連絡先は交換していた様子だったが。

    「知らん。理由ならこの阿呆に聞け」
    「ん?フィンが言い出したの?」
    「当然だろう。俺がわざわざ徒歩で戻りたがるわけがあるか」
    「それもそうか。で?フィン、なんでよ?」
    「えっ?……あー……なんか、勿体なくて……?」

     レオに言ったのと全く同じことを言うしかなかった。
     クリスからも何か言われるかと身構えたが、案外そんなこともなく、クリスは「ふぅん?」とだけ呟いた。何か分かったようなにやけ面が癪に障ったが、俺の訳の分からない理由でクリスの手を煩わせているので、強く出ることができない。

    「まぁいいよ。コイツで支店に帰って元に戻しとけばいいのね?」
    「あぁ。ついでに洗車もしておけ」
    「しょうがないな〜。やっておくからさ、歩くついでにスコーンでも買ってきてよ。俺もここまで歩いて来たからお腹すいちゃった」
    「……仕方ない。フィンに買わせて戻る」
    「お、俺かよ……」

     そんなことを話しながら、駐車場へ停めたライカの元に向かう。
     道中でクリスにキーを渡す時、クリスが俺に「詮索しないでおいてやるから感謝しなよ」と、よく分からないことを耳打ちしてきた。


     クリスを見送ってから周囲を見る。気付けば日が落ちかけていて、公園で遊んでいる子供も多くない。サンフィールズだったらもう門限の時間だ。

    「用を済ませてさっさと帰るぞ」
    「おう。確か東の通りにクリスお気に入りのカフェがあったよな」

     仏頂面のレオが話しかけてくる。もうパートナーのふりをする必要はないと判断したのだろう、さっきみたいに身体を寄せてくることはなかった。
     あれをされるとなんだか落ち着かないので、俺としてもありがたい。
     いつも通りの距離感で、薄い西日と街頭の光が混じった道を歩く。

     しばらく何も言葉を交わさずに歩みを進めていたが、ふとレオが耐えかねたようにくすくすと笑い始めた。心当たりがないが、レオが笑うときには大抵ろくな理由がない。
     何かバカにされているのかと思い、少しむっとしながら「なんだよ」と声を掛ける。

    「っふ……いや、さっきの……会場出たあと、お前が優男ぶって声を掛けてきたのが……」

     ──あぁ。確かにそんなこともしたか。

     嘘を吐くのが苦手な自覚はあるが、演技力はそこまで酷くないと思っていた。思い出し笑いを誘うほど下手な演技だっただろうか。

    「まぁ、お前にしては上出来だったが……くふふっ……」

     なるほど。演技が下手だから笑っていたのではなく、俺があぁいう振る舞いをしたことに笑っているのか。
     いつもだったら噛み付いてやるところだが、今は俺がレオを付き合わせている立場だ。そんなにあれがお気に入りなら、ちょっとサービスしてやろう。
     クリスが女を扱う時のことを思い出しながら、くつくつと笑い続けるレオの手を取り、立ち止まってレオの顔を覗き込む。

    「……無理言って歩かせちゃって、ごめんね?足は痛くない?カフェに着いたら少し休憩にしようか。あのお店はカフェモカが美味しいんだ。きっと君も気に入るよ」

     ──呆気に取られてぽかんとしたレオだったが、みるみるうちに表情が崩れる。気付けば、見たことないぐらい楽しそうな表情で、聞いたことないぐらいの笑い声で笑っていた。

     あまりにもレオが笑うので、道行く人がこちらに視線を向けてくる。
     周囲から向けられる視線に流石に焦り、少し入った路地にレオを引きずり込んだ。


    「いやお前……そんなに笑うか……!?」
    「っく……!だって、フィンが……!ふはは……っ!」

     少し女ウケしそうな男を演じただけでここまで笑われるって、こいつは普段俺の事をどう思ってるんだ。
     とりあえず落ち着くまで待とうと、そのへんの壁に体重を預けながら、まだ笑い続けているレオを眺める。

     普段は偉そうで生意気でずっと難しい顔をしているレオだが、こうして笑っているところを見るとやはり年相応の少年だ。……今は女の格好をしているが。

     困ったみたいに曲がった眉とか、普段よりも下がったように見える目尻とか、笑いすぎて堪えきれずにこぼれ落ちた少しの涙とか、真っ赤になった顔とか、どれも見たことがなかったのは、レオがいつも気を張って振舞っているからだろう。

     いつもこうならもっと可愛いのに……と思って、はっとする。
     俺が、レオを、可愛いなんて。
     偉そうだし、顔を合わせれば口論になるし、いい所なんて……まぁ、ポイフェノのファンだという事ぐらいだ。
     いつも俺の事をバカにしてきて、でも言い分は基本的に正しくて、責任感が強くて、誰よりも部下の事を気にかけていて……

     ──なるほど、そういうことか。クリスに詮索されるまでもなく、自分で気付いてしまった。


     やっと笑いが落ち着いてきたのだろう、真っ赤な顔でふぅふぅと息を整えるレオとの距離をそっと詰める。
     目尻に溜まった涙に街灯の光が反射して、上手く言えないが、綺麗だと思った。
     その涙をもっと近くで見るように、レオの顔に自分の顔を近付ける。
    そして。


    「っ……」
    「…………あっ」

     ──やってしまった。

     さっきまであんなに楽しそうだったレオの表情からはすっかり笑顔が消えて、ぽかんとした顔のまま固まっている。
     思わず後ろに退いてしまい、俺が詰めた2人の距離は元に戻った。
     みるみるうちに不機嫌そうな顔になるレオ。さっきまで笑っていたせいで微かに赤くなったままの目元が変にアンバランスだなと、真っ白になった頭の隅でどこか冷静に考えていた。

    「………………おい」
    「……はい……」
    「貴様……許可も取らずに人にキスをしておいて、最初に出るのが『あっ』でいいと思っているのか……?」
    「仰る通りで……」

    「……他に何か言うことはないのか?」
    「あー……えっと…………俺、多分……レオのこと好き……なんだと、思う」
    「『多分』だの『思う』だの、そんな曖昧な状態であんな愚行を働いたのかお前は」
    「うっ……あぁもう!分かった!分かったよ!」

     レオは何も間違ったことを言っていないのだが、痛いところを突かれてつい声を荒らげてしまう。
     だって、俺自身だってついさっき気付いたばかりで、全く心の整理がついていない。なんなら、まだその事実を認められていないんだ。
     こんなことを言えばレオに殺されかねないが、さっきのあれは、本当に衝動的に起こした行動だった。
     でも、そんなことをしたいという衝動に駆られるぐらいなんだから、やっぱり俺はレオのことが。

     緊張して視線があちこち飛んでいる俺の事を、レオは怒るでも呆れるでもなくじっと見ている。
     なんとなく襟と姿勢を正した。わざとらしくこほんと咳払いをひとつして、目の前にいるレオに向き直る。


    「えっと………俺は、レオの事が、好き…?です……」

     しばらく気まずい沈黙が流れたあと、レオのため息が聞こえる。今日何度目のため息か、もう俺には分からない。

    「……はぁ、まぁ及第点か」
    「は?」

     俺が先程飛び退くように空けた距離を、今度はレオが詰めてくる。静かな路地に、こつこつという迷いのないヒールの足音が響いた。
     俺のシャツの襟元に腕を伸ばしてくるレオを見て、これって……なんてぼんやり思っていると、ぐいっと強く引き寄せられる。軽くバランスを崩したと思えば、眼前には空色の瞳が見えた。

    「………」

     さっきよりも長い時間だったと思う。

     数秒くっついていただけなのに、唇に触れた熱が離れたとき、ずっとそこにあったものが欠けたような、とてつもない寂しさに襲われた。

     目の前のレオと視線がかち合う。
     「やってやった」とでも言いたげな満足げな表情でこちらを見上げる顔は、耳まで真っ赤に染まっている。もう夕日も落ちきっていたが、この空間でレオだけが、まだ夕日に照らされているようにも思えた。

    「……自分からしといて照れんなよ」
    「お前にだけは言われたくない」

     なんだか居た堪れなくなって、憎まれ口を叩く。即座に返答があったところを見る限り、レオも気まずさを感じていたらしい。


    「帰るぞ」
    「あ……あぁ」

     ひらりとスカートを翻して表通りへ向かうレオを、慌てて追いかける。
    横に並び立つと、レオが俺の左腕に自分の右腕を絡ませてきた。

     やることは終わったのだ。もうパートナーのふりをする必要はないし、こんな歩き方をする必要もない。なのに、レオは。
     これは、少し期待をしてもいいのだろうか。
     というか、向こうからもキスをしてきたんだ。「期待してもいい」どころか、これは。

    「全く、余計な時間を食ったな。まだ終わっていない業務もあるんだ、支店に戻ったらお前にも手伝わせるぞ」
    「っ……お前ほんっと可愛くねぇな!もうちょっと雰囲気とか……」
    「そんな俺の事が好きなんじゃないのか?」
    「いや……それは……!」

     しどろもどろになる俺に、レオが追撃をしてくる。
     デカい弱みをひとつ、レオに握らせてしまったような気分だ。
     俺のことを揶揄って意地の悪そうな笑い方をするレオを見ながら、こんなガキンチョの事を好きになってしまった自分を恨めしく思う。
     ──まぁでも、レオが笑っているのは、悪くない。もう既に色々崩れてるんだ、もう開き直ってもいいだろう。

    「……お前、そうやって笑ってる方が可愛いよ」
    「……気色の悪いことを言うな」

     さっきまでとは一転、いつもの厳しい視線で俺の事を刺してくる。こいつは案外表情がころころ変わるんだなと、今日初めて気が付いた。
     いつもそうならいいのにと思ったり、でもいつもけらけら笑ってるレオはなんか違うなと思ったり、なんだかよく分からなくなってきた。

     まぁいいや。今日は色々疲れたから、難しいことは後から考えよう。
     幸か不幸か、俺とレオは明日からも顔を合わせることになる。
     レオとどうなりたいかとか、レオは俺の事どう思ってるのかとか、そんなことは明日からでも考えられるんだ。

     今は左腕に感じる熱と落ち着かなさを享受して、いつもより少しゆっくり歩くことにしよう。
     俺はこいつの事が好きみたいだから。

     ◆ ◆ ◆

    「あっ、2人ともおかえり〜。スコーン買ってきてくれた?」
    「「あっ」」

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