一等級 昼休みの賑わいは、デパートのフードコートにちょっと似てる。みんなの声が波みたいにそよぐのや、興奮した誰かの声がひときわ目立つ瞬間。食欲をそそる揚げ物の油の匂いに、色鮮やかなメニューとか。
「アニキのやつ、ちょっと年上だからって、えらそうにしちゃってさ」
「うちの姉ちゃんよりまだマシだよ。弟使いが荒いのなんの」
「──そういや悟天、お前兄貴がいたよな。お前はどうなんだよ」
一足先に食べ終わってぼうっとしていたら、他愛無い雑談の輪にボクも含まれていた。クラスメイトに言われるがまま、頭の中でにいちゃんの顔を思い浮かべる。
「う〜ん、考えたことなかったなあ」
脳内の兄ちゃんは、ぱっと人好きのする笑顔を浮かべて、ニコニコ笑っていた。う〜ん、ついこの間世界を救った人間と同一人物とは、まるで思えない。
「コイツの兄貴って、たしかすげー頭いいんじゃなかったっけ。なんだっけ、研究者?」
「学者だよ」
「うお、すげー。よくわかんねーけど頭良さそう」
「でもさ、お兄さんがそんだけ頭いいんなら、悟天くんだってずいぶん不満が溜まってるんじゃないの?」
そう言って、斜め前に座った彼女が差し出したお菓子を、ボクは受け取る。サタンさんがVサインを決めている包装紙をエンリョなく破って、丸いクッキーをかじった。
現在進行形で不満を問われても、兄ちゃんはすでに家を出ていることだし、ボクはなんとも言えなかった。
サイヤ人の血が流れているから普通の家庭とは違うし、人には言えないこともいくつかある。でもそれは兄ちゃんも同じだ。
バニラ味のクッキーは、口の中でほろっと崩れてすぐに消えてしまった。ほろほろしているクッキーは、この頼りなさがけっこう好きだ。ざくざくしたのは食べ応えがあって、もっと好きだけど。
「兄ちゃんって、ボクに対して嫌だなって思うことあった?」
夕飯もお風呂も済ませた金曜日。兄ちゃんの部屋でベッドに寝そべりのんびりくつろいでいたボクは、体を起こして、兄ちゃんの丸まった背中に声をかけた。
忙しなく響いていたキーボードの音が止まって、兄ちゃんが椅子ごとこっちを向く。
「……にいちゃん、悟天になんかしちゃったか?」
「どうして自分が悪いみたいな捉え方するのさ」
兄ちゃんはまるで世界の危機に直面したような、深刻な面持ちをしていたので、ボクのわざと作ったまじめな顔はあっけなく崩れてしまった。
「だってにいちゃんが悟天のこと嫌うわけないだろ~!?」
変な誤解が生まれては厄介なので、ボクは今日学校であったやりとりを伝える。「なるほどなあ」兄ちゃんは神妙な顔をして頷いた。
「さっきも言ったけど、にいちゃんは悟天がいて嫌だったことなんて一度もないぞ。……ああ、でも」
「でも?」
自分の頬が、ぴくっと動いたのが分かった。心臓が嫌な感じに跳ねている。
まさか兄ちゃんの嫌がることを、ボクはしていたのだろうか。さっき兄ちゃんを笑った自分を、棚に上げて思う。
「ちょっと困ったことはあるかも。明るすぎたから」
「なにそれ」
兄ちゃんがむずかしいことを言うのは今に始まったことじゃない。だけど、明るすぎるって……性格のことだろうか。お父さんやサタンさんの方が、ボクよりかなり明るいというか、ポジティブだと思うんだけど。
「部屋の電気がついていてもさ、勉強してると手元が暗いってことがあるだろ。そういう時って、たいがい手元が明るくなってから、今まで暗かったんだって気づくんだ。そんな感じ」
「まったくわからない。……ボクが豆電球みたいってこと?」
「……かわいさ的にはそうだったかもしれないな」
「もう、ふざけないでよ」ボクは頬を膨らませて、不服アピールをする。
「兄ちゃんのそのヘンな例えはわかったからさ、で、何が困ったって言うの」
「眩しかったんだ。おまえが生まれてから、家の中がぱっと明るくなって、嬉しいことがたくさんあって、にいちゃんは、ちょっと困った。ボクがこんなにしあわせになっていいのかなって」
ピッコロさんに叱られているときや、セルマックスと戦ったときとはてんで違う、しんなりした兄ちゃんはとても珍しくて、ボクはちょっとだけ気まずさを覚えた。
「それじゃあ、少しくらいは父さんの代わりになれたかな」
「代わりなんかじゃない」
空気を変えようと、何の気なしにボクは言う。兄ちゃんはそれをはっきり突っぱねた。
「にいちゃんも、もちろん母さんだって、そんなこと一度も思ったことがないよ。──だって父さんが、たとえ太陽みたいに明るくたって、部屋の中の、にいちゃんの手元を明るくするのは無理だろう?」
「……お父さんならできそうだけど」
兄ちゃんは苦笑いして額をかく。
「……それはまあ、そうだけど。まあ、そんなわけだからさ、にいちゃんがお前を嫌だと思ったことなんて一度もないよ」
「ふうん……まあボクは、ちょっとあるけどね」
「え!?」
論文に戻ろうとしていた兄ちゃんがまた、今度はさっきとは非にならない速度で、ぐるんと椅子ごと回ってボクに向き直った。
「そ、そうか……悟天もそういう時期だもんな。ち、ちなみに、にいちゃんは何しちゃったんだ……?」
メガネを押さえながらぶつぶつ言う兄ちゃんに、ボクは人差し指を振りながら言う。
「トランクスくんとボクを、見間違えたこと!」
「そ、そんなこと、まだ気にしてたの」
「あっ、そんなことなんて言ったね。ボクには一大事なのに」
「わあごめん! そんなつもりじゃ……!」
みんな、クラスメイトも学校の先生も、偉い学者さんの兄ちゃんしか知らない。地球を滅ぼせるくらい強くって、とんでもなく頭も良いのに抜けてるところがあるなんて、みんな思いもしないのだ。ボクの一言で一喜一憂する、弟思いで最高な兄ちゃんのこと、嫌いになんてなれるわけがない。
「いいよ別に、気にしてないから。そのかわり聞きたいことがあるんだよね」
「聞きたいこと……?」
「お父さんが太陽で、お母さんが部屋の電気で、ボクが豆で……デスクライトならさ、兄ちゃんはなんになるのか教えてよ」
兄ちゃんは口元に手を添えた。「ボクは……」の後、たっぷり三秒溜めて、
「電球の傘かな」
と言った。
「か、傘あ?」
ぷっと吹き出したボクに「なっ、傘は大事なんだぞ。眩しいのを軽減したり、光を拡散したり、それから」兄ちゃんが傘のすばらしさをつらつらと語る。
窓の外はもう真っ暗だ。今日は月が出ない日だから、明かりを落とせば手元どころか足元さえ見えないだろう。
でも、そんなことちっとも気にならなかった。だってこの部屋は、眩しいくらいの光で満ちている。