俳優パロ その2月曜日。某テレビ局会議室。
「おはようございます!今日はよろしくお願いしまっす!」
派手なカラーグラスを掛けたヴァッシュが、マネージャーである彼の兄と一緒に部屋に入ってくる。
今日は、例のドラマの打ち合わせだ。
ヴァッシュはこの日をずっと心待ちにしていて、この一ヶ月はどの仕事に行ってもスタッフから「機嫌がいいですね」と評判だったのだ。
部屋には、監督をはじめ大勢のスタッフと役者達、その関係者が集まっていた。その中に見知った顔を見つけると、ヴァッシュは小走りに駆け寄った。
「やぁ、ウルフウッド!この間ぶり!」
「はぁ…。ども…おはようございます…」
あれ?ヴァッシュは小首を傾げる。
ヴァッシュから誰かに声を掛けると、大抵の人間は嬉しそうにすることが常だった。
だが、どうしたことだろう、ウルフウッドのこの様子は。
返事に覇気はないし、目も死んでいる。なんなら、露骨に不機嫌そうな顔をしている。
「…君、もしかして具合悪い?」
「はァ?」
えぇから、さっさと座れや。ウルフウッドは眉間の更に皺を深めて、面倒臭そうに手を振る。
「ヴァッシュ」
コの字に並べられたテーブルの、ウルフウッドの向かい側で兄のナイが自分を呼んでいる。どうせならウルフウッドの隣に座りたかったが、空いてる席がない。ヴァッシュは仕方なく、呼ばれるままに席に着いた。
「えー、監督の……です。皆さん、よろしくお願いします」
会議は監督やエグゼクティブプロデューサーの挨拶から始まり、第一話の台本が配られ、簡単な読み合わせが行われた。
『探したぞ、エリクス』
『しつこいなぁ…。神父さん、そんなにボクに会いたかったの…?』
「…っ、『戯れ言を!』
エリクスとパニッシャー、冒頭シーンの二人の掛け合いだ。
ヴァッシュは妖艶な高位悪魔のエリクス。ウルフウッドは凄腕の悪魔祓いのパニッシャー。
第一話冒頭でありながら、最終話のクライマックスシーンでもある重要なシーンだ。本当は愛し合ってる二人が、交わすのは愛の言葉ではなく、VFXを使った激しい戦闘になる。
「はい、ありがとうございます」
「うわぁー!エリクス難しいー!!」
大まかなストーリーは頭に入れていたが、役にまだ入り込めてない内からクライマックスの気持ちを入れていかないといけないのが、かなり難しそうだというのが、ヴァッシュの正直な感想だった。
ヴァッシュが上げた悲鳴に、場が和む。
「それでは、ヴァッシュさんには難しいエリクスを頑張って貰って、皆でドラマを成功させましょう」
監督が冗談で返し、打ち合わせは和やかな雰囲気で終了した。
仕事の相談をする者、雑談する者、三々五々の部屋の中で、ウルフウッドは一人座ったままだった。
「お疲れ様!」
テーブルの上に置かれた台本睨み付けていたウルフウッドは、ヴァッシュが声を掛けてはじめて顔を上げた。
「あ…」
だが、すぐにその視線はさ迷い、再び翳ってしまった。
「おつかれさん」
俯いたまま、椅子を引き、台本を掴んでウルフウッドは部屋を立ち去る。まるで、一秒でも早くここから立ち去りたいかのような足取りだった。
「あっあっ、ヴァッシュさんもお疲れ様でした!」
待ってください!と、足の回転コマが違うメリルが慌てて後を追う。
「やっぱり元気無さそう…。大丈夫かな、ウルフウッド…」
ウルフウッドの丸まった背中を見送ったヴァッシュを、ナイは次の仕事へ連れて行った。
ウルフウッドは、煮え繰り返っていた。
怒り、羞恥、驕り、嫉妬。色んな感情がない交ぜになって、ウルフウッドの中で沸騰していた。
「ど阿呆が!」
ウルフウッドは苛立ちのままに、自動販売機横の空き缶入れを蹴飛ばす。騒々しい音を立てて、中の缶が廊下に散らばった。
「ウルフウッドさんっ、モノに当たらないでください!」
追い付いたメリルが非難の声を上げ、缶を拾い集める。
しゃがむメリルを一瞥して、足先に転がった缶の一つを思いっきり蹴飛ばす。缶の中に少し残っていた液体が放物線を描き、敷き詰められたカーペットを汚しながら、廊下の端へ飛んでいった。
「んもーっ!!」
ポケットティッシュを取り出し、汚れた跡を拭き取るメリルを見ながら、行き場のない感情は未だに出口を探してウルフウッドの心中を苛んだ。
ウルフウッドにとって、現場で上手く仕事ができない経験は初めてではない。
自分の未熟さに打ちのめされ、本気で凹むことだって何度もあった。何度も乗り越えてきた。
失敗は経験なのだ。己れの糧になる。
だが、今回は違った。
あまりに自分が情けなかった。
正直に言おう。
完全にナメていたのだ。ヴァッシュ・ザ・スタンピードのことを。
役者としては、自分の方に一角の才があると思っていた。だが、そうではなかった。
なんという驕りか。自分で自分が腹立たしくて仕方ない。
自分を殴りたい気持ちを抑える為に、ウルフウッドは無性にタバコを吸いたくなったが、タバコはメリルに没収されている。
「ダボがっ!!」
ウルフウッドは腹立ち紛れに別の缶を蹴り飛ばした。今度は壁に当たりながら、メリルのいる方とは反対側へ飛んでいった。
「こらっ!!」
そして、とうとうメリルの怒りの制裁が、足癖の悪いウルフウッドの向こう脛に降されたのだった。
撮影初日、ウルフウッドは撮影開始の三時間前に現場入りした。
スタッフが忙しく行き来するセットの裏で、黙々と台本の読み入れをする黒渕眼鏡の寡黙な青年──悪魔祓いの神父の衣装を着込んだウルフウッドだ。過集中故にその気配すら消えていた青年に、一部スタッフが本気で驚いて、危うくセットを壊しかけたことに本人は気付いていない。
「──…ッドさん、ウルフウッドさん!」
「…っと、なんや嬢ちゃん、時間かいな」
メリルの声で現実に意識を引き戻され、一瞬前後不覚になる。ウルフウッドの長所であり短所でもある、この集中力は本人にコントロール出来るものではなかった。駆け出しの頃は、それを武器にしろと社長にしごかれたものだ。
「いえ、ヴァッシュさんがいらっしゃったみたいですよ」
名前を聞いて、思わずウルフウッドの顔が強張った。
挨拶に行きましょう?とメリルが促すが、ウルフウッドは首を横に振った。ヴァッシュに天賦の才を認めてからは馴れ合いなどしたくなかった。要するに、ただの意地だ。
「それじゃあ、リハ始めます!シーン6から8まで!通しになりますので、よろしくお願いしまーす!」
カメラリハーサルを告げるスタッフの声がスタジオに響いた。
シーン6は、冒頭の決闘シーンから回顧録へと移る導入パートになっている。巨大な十字架を背負ったパニッシャーが寂れた教会を訪うところから、子供達に音楽を教えるエリクスが正体を隠したまま親交を深めていくシーンへと続く。
撮影のほとんどをグリーンバックで行う為、演者は自分の役が見ている景色を想像しながら演じる必要がある。
今回のドラマは、VFXチームが事前に作り上げたCG舞台に後から演者が合成される方法が採択されている。
撮影の前にプロットアニメを流し、こういう風に演じてほしい、カメラインサートはあちらから入る、とアニメとセットを比べながら細かい指示があり、タイトなスケジュールを円滑に進める為の工夫が凝らされていた。
『ラララ…ララ……ラララ…』
荒んだ目をしたパニッシャーが、風雨に曝され色を失くした教会の扉を引いた途端、中から彩り豊かな音が溢れた。
割れたステンドグラスの光を浴びた子ども達と歌を歌う美しいエリクス。
宗教画のような祝福さえ感じさせる光景に心を奪われるパニッシャー。
冒頭のアクションと対になった、静かな美しさが描かれる。
「…いや…ないわ~」
リハーサル撮影後のカメラチェックの間、ペットボトルの水を一息にあおり、ウルフウッドは呻いた。
ココロ奪われるて何やねん。忌々しげに、エリクス姿のヴァッシュの横顔を睨む。
あんなん、顔だけ綺麗な奴やで。ウルフウッドの演じるパニッシャーは、ストイックな男だ。機械的に任務を果たす寡黙な人物という設定なので、言葉にしない部分での演じ方をまだ自分の中に落とし込めてないが、ウルフウッドの第一印象は、敬虔な神父ではなく、裏社会に棲むアウトローな掃除屋だ。決して、美人に一目惚れするような人物とは思えなかった。
「しかも、男やぞ」
ウルフウッドは進んで性的マイノリティを差別をするつもりはないが、特に理解も示していない。一言で言うと、全然ピンとこないのである。
ウルフウッドの視線に気付いたのか、振り向いたヴァッシュと目が合う。ヴァッシュはいつもの人懐っこい笑顔を浮かべ、ウルフウッドを手招きした。
「…チッ」
ペットボトルの残りを飲み干し、ごみ袋に放るとウルフウッドは重い腰を上げた。
もちょっとだけ、妄想続きそうです…(白目)