ファーストキスは甘いものだと思ってたけど、そんなことはなかった話「キスしてええか?」
少し緊張した面持ちでウルフウッドが尋ねてきた。
三日前に、彼から交際を申し込まれていた僕は「あ、うん」と答えるに留めた。
この三日、ウルフウッドから特に何のアクションも無かった為、もしかしたら、彼の言う「好き」は僕の思う「好き」と少し違ったのだろうかと、思い始めていた僕は内心ほっとしていた。
「………」
肩を掴まれてから、しばしの沈黙。僕は薄目を開けて、ウルフウッドの様子を窺った。
ウルフウッドは眉根を寄せ、への字口で──およそ、今からキスをするような甘い雰囲気を一切纏っておらず、親の敵を睨むような顔をしていた。
「あの…」
「トンガリ、目ぇ閉じ!」
「う、うん」
恋人の形にも色々ある。何も情交を交わすだけが恋愛じゃない。ウルフウッドが嫌なら無理にキスをしなくても良いんだよと伝えたくて、声を掛けたら彼にキッと怒られてしまった。
数秒後、ウルフウッドの気配が目の前まで近づいて、一瞬、唇を掠めて直ぐに離れてしまった。
「どや!」
「え、なに?」
「キッ、キスしたったやろ!」
「え?…あっ、これが?!」
「せや!」
神様、どうしよう。僕の恋人、めちゃくちゃピュアかも知れない。え、かわいi…。
僕が成人男性にあまり似つかわしくない感想を抱きながら、別の意味で狼狽していると、「トンガリにはまだ早かったかも知れへんなぁ」なんてドヤ顔したウルフウッドが、ふんぞり返ってこちらを見てくる。
ヤバい。絶対ピュアだ。
確信と同時に僕は気付いてしまった。
キスでこの段階ということは、確実にこの先の段階を、ウルフウッドは未踏破だということに。
年上(※実年齢150オーバーに勝る相手は限られると思われる)の僕がリードすべきなのでは?という思いと、うら若き純粋な恋人に背信を働くべきではないと思いに、僕は声もなくその場に蹲ってしまった。
「なぁんやトンガリ、そない恥ずかしがらんでも…あっ!もしかして、おどれハジメテやったんか!?」
勘違いしたウルフウッドが、僕の丸まった背中をバシバシ叩いてくる。照れ隠しなのか、ちょっと痛い。
「大丈夫や!誰にでもハジメテはあるて!」
「君がそれ言う~?」
恨めしげに顔を出すと、少し乱暴に髪をかき混ぜられた。
一歩リードした顔で見下ろすウルフウッドに、僕は意趣返しをしてやりたくなった。
「お?」
「目、閉じて」
立ち上がってウルフウッドの腰を抱く。ウルフウッドのサングラスの無い裸眼の瞳が間近で真円を描く。
そんな顔するなよ、悪い大人の気分になるだろ。
ウルフウッドが何か喋る前に、僕はその唇を舌で塞いだ。
「っ!!」
反射だろうか、ウルフウッドの目と口が固く閉じられた。
「口、開けて」
「ちょ、」
もう一度。今度は角度を変えて、少し舌を、
「!!!」
差し込もうとして、突き飛ばされた。
怒りからか羞恥からか、ウルフウッドは顔を真っ赤にして二の句が継げないでいるらしかった。
「大丈夫、誰にでも初めてはあるよ」
僕は彼の横を擦り抜けながら、そう囁いて、悠々とその場から立ち去った──
──後、全力で逃げた。
やってしまった。全くもって僕らしくない。きっと、ウルフウッドも幻滅しただろう。この先、どんな顔をして振る舞えばいいのか。
「待てやゴラアアァ!!!」
僕が赤くなったり青くなったり百面相をしながら走っていると、後方から地を這う声が追いかけてきた。ウルフウッドだ。
「何で追いかけてくるの?!」
「おどれが逃げるからや!!!!!」
まずい、めちゃくちゃ怒ってる。
冗談みたいな速度で追いかけてくるウルフウッドに少なからず恐怖を覚え、僕は本能で理解した。
これは、絶対に捕まってはいけない。絶対にだ。
その昔、シップのアーカイブで見聞きした草食動物と肉食動物の食物連鎖を思い出し、僕は己の二つ名に恥じぬ逃走劇を開始した。