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    ヌヴィリオ
    恋とはするのではなく、ある日突然落ちるもの。

    恋に落ちるのなんて3秒あれば十分なんだ 邪魔をしてすまないね。
     彼はそう苦笑いをしつつ、雨のパレ・メルモニアを背に私へ傘を差し掛けてくれていた。彼が傘を差し掛けてくれたのは、これで二度目だ。
    「──ああいや、邪魔ではない。ありがとう、リオセスリ殿」
    「前もここに居たよな? 何か考え事かい?」
     パレ・メルモニア周辺からはフォンテーヌが一望できる。観光名所のひとつにもなっている、非常に眺望の良い場所だ。
    「そうだな。ここから見える景色は非常に美しい」
    「ああ、机に向かってばかりだと頭まで四角になってしまいそうだしな」
    「……そうなのか?」
    「ハハッ! 冗談さ。忘れてくれ」
     朗らかに笑う彼の声に釣られて、自分の頬も自然と緩んでしまうのを自覚していた。談笑は正直あまり得意な方ではないが、リオセスリと話すのは楽しい。彼の巧みな話術からは学ぶものも多く、ヌヴィレットとはまた違う視点を持つリオセスリの存在はとても貴重だ。
     リオセスリの手から傘を受け取り、ヌヴィレットはすっと身体を寄せる。一本の傘へ二人で収まり、雨に濡れるフォンテーヌの町並みへ視線を向けた。
    「今日の会議は君がいなければ意見がまとまらなかった。感謝する」
    「ん? ああ、商工会との交渉か。俺は妥協案をひとつ提案しただけさ」
    「双方の意見を上手く汲み取った名案だった。あのやり方は私や他の者では、思いつくのすら不可能だろう」
    「ブルジョワジーにはそりゃ無理だろうな。俺みたいな労働者階級だからこそ、商工会のおっちゃん達の気持ちも理解できるってだけだ」
    「君には十分な報酬が出ていると思うのだが……?」
    「ああいや、給与の問題ではないな。精神的なものさ」
    「ふむ……?」
     駄目だ、難しい。リオセスリの話は時々とても難解だ。その度に頑張って理解しようと試みるのだが、そう上手くはいかないものだ。
     そんなヌヴィレットの様子をどう思っているのか。リオセスリはフッと柔らかく微笑み、ヌヴィレットの背を軽く叩いた。
    「さて、俺はそろそろ行くぞ。今日の宿を探しに行かねばならないんだ」
    「宿? 要塞へは戻らないのか?」
    「リフトが壊れているそうでな。明日には直るそうだが」
     歌劇場裏にあるメロピデ要塞行きのリフトが故障中であるらしい。今の時刻はもう十八時を回ろうとしている。即時に対応するのは難しいのだろう。
    「緊急時用の階段もあるが、流石にいまからあの階段を下る気にはならない」
    「ああ……確かに。なかなかの苦行だな」
     緊急時用の階段はとんでもない長さがある。今から徒歩で下ったとしても、要塞へ着く頃には足が棒になってしまうだろう。それならば今晩は水の上で宿泊し、明日の朝修理が済み次第リフトで戻るのが賢明だ。
     ならば、この案はどうだろうか。
    「リオセスリ殿」
    「ん?」
    「時間があるのならば、この後食事でもどうだろうか?」
    「食事? ……あんたとかい?」
    「ああ」
    「……パレ・メルモニアではできない話がある、とか?」
    「いや、完全なプライベートだ」
    「…………」
    「…………」
     気まずい。私はまた何かを間違えてしまったのだろうか。
     リオセスリを食事へ誘うのは、実はこれで三回目だ。一回目はまだ仕事が残っているから、二回目は最高審判官様と差しで食事をするのは緊張してしまうから。そう断られてしまっていた。要するに、成功率はゼロパーセントなのである。やはり自分には、人付き合いと言うものは難しいのだろうか。
    「──分かった、いいぞ」
     二度あることは三度ある、または、三度目の正直。そしていまヌヴィレットが勝ち取ったのは、後者である。その感情が思わず顔に出てしまっていたのか、リオセスリは一瞬目を丸くし、声を出して笑っていた。
    「ハハッ……! あんたのそんな顔、初めて見たな」
    「私か? 何かおかしな顔をしているだろうか……」
    「ああいや、光栄だってことさ。それで? 何処かオススメの店はあるかい?」
     水の上は久しぶりだからな、案内してくれ。
     そうリオセスリに頼られたのが何故だかとても嬉しくて、また同じ顔をしてしまったかもしれない。慌てて表情筋を引き締めて、傘を持ち直しリオセスリを促した。
    「ああ、案内しよう。最近フリーナが気に入っている店があって、そこのスープがなかなかの美味らしい」
    「へえ。おっと、ドレスコードが必要な店は困るぞ? 慣れていない」
    「大丈夫だ。料理は一級だが、気軽に入れるのがその店の特徴で──」
     饒舌になってしまっている自覚はあった。だが、仕方がない。楽しいのだ。面白い話も気の利いたジョークも言えない自分の話へリオセスリは真摯に耳を傾け、上手い切り返しをくれる。仕事の上だけでなく、その心地よさはプライベートでも健在であるらしい。

     気が付けば曇天に包まれていた空の端が捲れており、うっすらと日が差し始めている。
     天使のはしご。雲の間から光芒が差すその現象は天使のはしごと呼ぶのだと、フォンテーヌ廷へ降りるリフトに揺られながらリオセスリが教えてくれた。
     この世界には、まだまだヌヴィレットも知らない事が多いらしい。





     店休日。
     白いペンキで塗られた可愛らしい扉には、非情にもそう書かれた看板がぶら下がっている。ヌヴィレットは扉の前で呆然と立ち尽くしていると、笑いを堪えているらしいリオセスリが肩を叩いてドンマイと励ましてくれた。
    「まあ、月曜日だからな。休みの店も多いだろう」
    「……うむ。そうだな。では、向こうの店へ行ってみよう」
    「お、他にもオススメの店があるのかい?」
    「ああ、メリュジーヌ達に人気がある店だ。私も時々足を運ぶ」
    「うちの看護師長も知っていそうだな。よし、行ってみよう」
     人を食事へ誘うのならば、もっと事前に下調べをしておけば良かった。後悔先に立たずとはまさしくこの事だ。フリーナの話を聞き流さずにきちんと聞いておくべきだった。
     不幸中の幸いであるのは、メリュジーヌ達が教えてくれた店まではさほど距離がないことだ。小道へ入り階段を登ると、路上に置かれた店の手書き看板がすぐに見えてきた。そこにはオープンと掲げられており、ヌヴィレットは内心でホッと胸をなで下ろす。
    「失礼する。ああ、二名だ。できれば個室を希望したいのだが……」
     店のドアを開けた瞬間、嫌な予感はしていた。ディナータイムに突入した店内は人で埋め尽くされており、二人に気が付いた人々が「ヌヴィレット様だ……」と小声で囁き合っている。そして、嫌な予感ほど当たってしまうものだ。個室は全て予約制で、今日は既に埋まっているらしい。
     一度あることは、二度ある。
     またしても夕食難民になってしまったヌヴィレットは、笑いを堪えているリオセスリにバシバシと背を叩かれつつ、夜のフォンテーヌ廷で路頭に迷っていた。
    「プッ……ハハハ! あ~……なんて顔しているんだ、ヌヴィレットさん……ハハハ!」
    「せっかく君が招待に応じてくれたと言うのに……私が準備不足なせいだ」
    「休みの店が多いから、開いている店が混むのさ。男前が台無しだぞ? ほら、元気を出せ」
    「……すまない……」
     どうするべきか。他にも知っている店は何軒かあるが、確かにリオセスリの言うとおり、店休日の看板を掲げている店が多い。月曜日に休みの店が多いのは、知らなかった。これがリオセスリの言う、ヌヴィレットには理解できない精神的な問題なのだろうか。
     すると落ち込んでいるヌヴィレットの肩を、リオセスリがポンポンと優しく叩いてきた。
    「ヌヴィレットさん、俺に名案があるんだが」
    「名案? ……何だろうか」
    「そこに肉屋があるだろう?」
    「肉屋か? うむ……」
    「あそこはもうすぐ閉店時間だ。よって、鮮度が保てない商品は今日中に売り切りたい。それらの商品は割引になっている。お買い得だ」
     確かに、冷蔵ケースに貼られた値札は赤字で訂正されており非常にお得だ。だが、それがどうしたのだろうか。
    「あのスペアリブ用の肉は非常にお買い得だな。二人分は余裕であるだろう」
    「ああ……?」
    「特製スペアリブの代わりに、宿屋ヌヴィレットを営業するつもりはないか?」

     三度目の正直。
     そうして、ヌヴィレットは最高審判官から宿屋へとジョブチェンジをする事になった。

    「君は今日の宿を探さねばならないと、最初から話していたな……すまない。失念していた」
    「ハハッ! まあいいさ。どんなに金を積んでもなかなか宿泊できない宿を得たんだ。急にありがとうな、ヌヴィレットさん」
     リオセスリが提案してくれたのは、安くなったスペアリブ用の肉を買うこと。その肉を持って、ヌヴィレットの私邸へ行くこと。そして、一晩泊めて欲しい。その提案へヌヴィレトは二つ返事で快諾をした。
     ヌヴィレットの私邸は廷地区の閑静な一角にある。パレ・メルモニアの上層階には職員用の宿泊ルームが用意されており普段はそこで寝泊まりする事が多いが、休日や一人になりたい時などには、ここでゆったりとした時間を過ごす。
    「いや、寧ろ報酬を得たのは私だ。スペアリブをスープにするとは……とても斬新だ」
    「手抜き料理なら任せてくれ。だが、味は保証するぞ」
    「うむ、非常に美味だ。肉と野菜の良さが活かされている」
    「それは良かった。水のお代わりは?」
    「ああ、貰おう」
     空いたグラスに水を注ぎながら、リオセスリは窓の外へと目を向ける。私邸のリビングからは夜でも明かりの消えないパレ・メルモニアが見えており、とても静かだ。
    「キッチンを借りてしまって悪かったな。あんたの恋人にも謝っておいてくれ」
    「いや、ここに人を招いたのは君が初めてだ」
    「本当かい? 意外だな」
    「真実だ。だから、客室も無ければ客人用の寝具も用意していない」
    「ハハッ! 確かにそうだ」
     プライベートな空間に他人の気配を残させたくない。そう頑なに思っていたのだが、何故だかリオセスリのことはすんなりと受け入れてしまった。その理由が、正直自分でも分からない。だが、彼ならば別に構わないと思ったのは真実だ。現にこうして彼と私邸で過ごす一時は、とても心が落ち着く。
    「次までには客室を用意しておこう」
    「はは、また泊めてくれるのかい? 部下に優しい上司だな」
    「君のことは対等だと私は考えている。部下だと思った事は一度もない」
    「──ありがとな。敬愛すべき上役にそう思ってもらえて、俺も光栄さ」
    「…………」
     どうしてだろう、胸が痛い。そうじゃないと心が訴えているのに、言語化するにはまだまだヌヴィレットの感情が追いつかないのだ。
     それを誤魔化すようにスペアリブへナイフを入れたが、スープのせいか上手く切り裁けない。しばらく悪戦苦闘していると、その様子を見てリオセスリが優しく笑う。
    「テーブルマナーなんて必要ないさ。手で掴んで齧り付くのが美味いんだぞ」
    「そうなのか?」
    「ああ、そうだ。俺の前くらいでは気を抜いてくれ」
    「気を抜く……」
    「簡単なことさ。美味そうな物には齧り付いて、楽しかったら声を上げて笑えばいい」
     心に素直になれば良い。目の前に座る彼が、そう笑ってくれた。
     リオセスリの言葉は魔法みたいだ。その笑顔につられるまま、スペアリブを手づかみにし行儀悪く齧り付く。リオセスリも同じ様に肉へ齧り付き、咀嚼をしながらニッと目を微笑ませる。
    「な? 美味いだろう?」
    「……ああ。驚いた」
    「この方が食べやすいしな。ほら、俺の分もやろう」
    「うむ……」
     人間の食事を美味だと感じた事は殆ど無いが、この日の食事は別格だった。
    「あ、おい。零しているぞ」
    「……む?」
     リオセスリの匂いがふわりと鼻先を掠める。
     匂いと共にヌヴィレットへ手が伸ばされて、驚きのあまり動けなかった。
    「あー……染みになっちまったな。動くなよ?」
    「……ああ」
     言われずとも、動けない。ナフキンを手にしたリオセスリは、ヌヴィレットのシャツに零れたスープをトントンと丁寧に拭ってくれている。思いのほか長い睫毛や柔らかそうな髪をじっと眺めていると、リオセスリがフッと微笑む気配がした。
    「ヌヴィレットさん。あんた、案外抜けているところがあるんだな」
    「……そう、だろうか?」
    「ああ。時々、上着の裾を踏みそうになったり、髪を椅子に引っかけたりもしているだろう?」
    「ああ、見られていたか……」
     情けない所を見られてしまった。ヌヴィレットはそのつもりで言ったのだが、どうやらリオセスリには何か違う意図があったらしい。ハッと一瞬息を詰め小さな咳払いを零す。
    「……たまたまだ。別に、気にして見てた訳じゃない」
    「……? そうか。気をつけよう」
    「……別にいい。今度踏みそうになっていたら、俺が裾を持ってやるから」
    「ああ、助かる」
     リオセスリは一体どうしたのだろうか。何故だか気まずい空気が一瞬流れたが、シャツの染みが取れる頃にはその空気も霧散していた。

     楽しい時間ほど、瞬く間に過ぎて行くもの。

     このまま眠って次に目を覚ました時には、自分たちはまた最高審判官と要塞管理者へとそれぞれの一日が始まる。それを考えると心が渇いて行くような感覚は、知っている。
    「じゃあ、ヌヴィレットさん。おやすみ」
    「ああ、おやすみ……リオセスリ殿」
    「うん?」
    「また君を、食事に誘っても良いだろうか?」
    「…………」
    「…………駄目だろうか?」
    「……いや……ああ、分かった」
    「……! そうか。ありがとう」
    「はは、今度は店休日を調べてから行こうな」
    「ああ、そうしよう」
    「じゃあな、今度こそおやすみ」
    「ああ」
     パタン、と私室の扉が静かに閉まる。
     同じベッドを使ってくれて構わないと告げたのだが、リオセスリは子供じゃないのだからと笑い、リビングのソファへ毛布を敷いていた。冗談ではなく、本気でそうして構わないと告げたつもりなのだが。やはり自分は、ウィットに富んだ会話と言うものがとことん下手らしい。
    「…………」
     淋しい。
     ああ、そうだ。私はいま、淋しいと感じているのだ。
     閉ざされた扉へ手のひらを押し当て、ヌヴィレットはじっとその場で考え込む。ヌヴィレットの長い生において、一日など瞬きをする時間にも値しない短さだ。だがその時間が過ぎてしまうのを、今はこんなにも淋しいと感じている。
     そして扉の向こう側では、閉じた扉を背にしたリオセスリが、同じ表情をしていた。この扉が開いてしまわぬように。心の扉が開いてしまわぬように、しっかりと押し込めながら。
    「……あ~……これは、まいったなぁ……」


     ああ。恋に落ちるのなんて、3秒あれば十分なんだ。



    【了】
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