ドスティの1日 サンプル事件ファイル1
「アクタルのDIY大作戦」
ある日の早朝アクタルと朝市に行く予定を立て、ラーマは家を出た。まだ朝日が登りきれていない、静かな街を一人歩く。
いつもは寝汚く陽が登り切ってから目覚めるラーマだったが、アクタルと朝市に行くというミッションを成功させる為に早起きを頑張った。
(空気が澄んでて気持ちがいい。早起きした甲斐あったな。)
早朝のせいかいつも感じる暑さで澱んだ空気ではない爽やかさに身体をグッと伸ばす。あの角を曲がればアクタルがいる。そう考えるだけで今日は一日良いことがありそうだとラーマは口角をあげた。
「兄貴!おはよう!」
「おはよう、アクタル。」
角を曲がるとアクタルが家の外に出てこちらを見ており、ラーマを見つけ嬉しそうに声を上げた。
同じように声を上げて小走りで近づくと、アクタルは「起きれたんだな!」などと言い花が綻ぶように微笑んだ。
失礼だな、私だって君との約束は守れる、と苦笑し二人連れ立って他愛もない話をしながら朝市までの道を歩く。朝市で何食べようかとか朝市の後はどこ行こうかとか、ウキウキと話すアクタルを見つめラーマも微笑んだ。空気も澄んでて心地よいし、なによりアクタルが隣に居るというだけでラーマの心が癒やされていくのが手に取るようにわかり、お互いニコニコと顔を合わせ市場までの道のりを楽しんでいた。
突然激しく何かが壊れる音と女の悲鳴が聞こえた。
驚いて衝撃音のあった方に顔を向けると、少し空いた扉から砂埃が出ている。二人は急いで中の様子を確認する為扉を開いた。
そこには食器棚と思わしき物が無惨にも崩れ落ち、その近くに女が尻餅をついていた。
「大丈夫か!」
すかさずアクタルが部屋に入り女を外に連れ出す。
女に経緯を確認すると、どうやら朝食の支度中に食器やら調味料やらが置かれた女の背丈より高い棚が崩れ落ちたらしい。古びた棚だったが、まだ使えると思っておりそのままにしていたところの惨事というわけだ。
女の名前はアヌシュカと言う。
この家で弟と二人暮らしをしていて、弟は早朝から仕事で夜遅くまで帰って来ないと言うことだった。
壊れてしまった棚を修理しようにもお金がなく、新品を買うこともできない。
途方に暮れているアヌシュカの背中を撫でながらアクタルは声を掛けた。
「大丈夫、俺があのくらい作り直してやるよ。」
その言葉にアヌシュカが顔をあげる。
余程驚いていたのだろう、顔が青白く目には涙の粒が光っていた。
「あなたは危ないから、外で待っていてくれ。」
そうラーマはアヌシュカに指示し、二人は連れ立って家の中に入って行った。
「思ったよりひでえな。」
「足元の木が腐ってるから、重さに耐えかねたのだろうな。」
二人は壊れた棚だったものの様子を確かめながら、思い思いの言葉を吐いた。
幸い食器は陶器で出来ていなかった為割れはしていないが、一緒に置いていた調味料の壺などは割れて使い物にならなくなっている。
とにかくまずは掃除だ、と言うアクタルに倣いラーマも壊れた物を外に出していく。あっという間に室内は綺麗になったが、その代わりに外に木材などが広がった。
「さて、これをどう修繕するかが問題だな。」
「兄貴、こっちの木材まだ使えそうだ!」
「私なんかの為に本当に申し訳ないわ。」
アヌシュカは木材の山を見てため息を吐いて二人に詫びを入れた。それに気にするなと笑い早速二人は棚作りを開始した。
足りない木材はアクタルの知り合いからいらない物を貰い受け、壊れた木材の使えそうな所を切って使う。
単純作業であるが、センスが必要だ。
アクタルはものづくりに慣れているのか手早くこなしていくが、ラーマは慣れていない。
借りてきた工具で木材を切ろうとしてアクタルに「兄貴そこ切ったらだめた!」と止められ、挙句これを運んでくれとかここ押さえていてくれなど、軽作業を任された。
ここからは俺がやるから兄貴は少し休んでいてくれと言われ、自身の不甲斐なさに途方に暮れているところにアヌシュカが市場で買い物をしてきたのか手に大荷物を持って帰ってきた。
荷物を代わりに持つとアヌシュカは「もうすぐお昼だし、あなた達に何か振る舞いたいわ。」と笑顔で話してくれた。
昼食を作る、それなら自分にも出来るなと思いラーマはアクタルに家の中にいる旨を伝えアヌシュカと台所へ向かった。
台所はがらんとしていたが、朝の惨事を考えれば綺麗になっている。アヌシュカは市場で買ってきた調味料などを置き「二人にいっぱい食べて欲しいから頑張るわ。」と微笑んだ。
ラーマは料理を手伝いたい旨をアヌシュカに伝え二人で肩を並べて昼食の用意を始めた。
魚のカレー、サンバル、ラッサム、ポリヤル、ワダ
最後に炊いた米を皿に載せていると、扉からアクタルが顔を覗かせた。腹をさすり、心底お腹が空きました。と言う顔をしている。
「アクタル少し休んで昼食にしよう。」
アクタルにそう告げ、皿を渡してやる。
パァとアクタルの顔が輝くのを二人は嬉しそうに見ていた。
三人で床に座り食事を楽しむ。
ニコニコもぐもぐと頬張るアクタルは可愛らしく、ついこちらも頬が緩んだ。
そう言えば朝市に行く予定だったので何も食べてなかったなぁなんてラーマが考えていると
「この魚のカレーは兄貴が作ったのか?」
と、聞かれた。
そうだと言う意味を込めて頷き「味は君の好みのものになっているだろうか?」と聞き返せば、
「美味い!兄貴の料理はインド一だな!」
などと言ってくる。その言葉にラーマは胸が暖かくなるのを感じた。
隣で微笑むアヌシュカも二人は仲良しねと、更に笑顔を深めた。
「このポリヤルはアヌシュカさんが作ったのか?兄貴の味とちょっと違うけど、すごく美味い!」
「ありがとう!味付けは私だけど、ラーマが野菜を切ってくれたのよ。」
あなたのバイヤは料理が上手ね。
アヌシュカにそう言われ、ラーマは「今日はこれくらいしか出来なかったから。」と頬を染めた。
「兄貴何言ってるんだ?色々やってくれたじゃねーか。」
「私は君の役に立てているだろうか。」
「兄貴が居たから、ここまで早く作れてるんだぞ?」
飯食べたらまたよろしくな!とアクタルはラーマの背中を叩く。叩かれたところからしょぼくれた気持ちが少しずつ溶けていき、ラーマは心が満たされていくを感じた。
結局振る舞われた料理は全て完食し、食後にチャイを飲み干すと二人はまた作業に戻っていった。
「部品は出来たから、これを家の中で組み立てよう。」
そう言ってアクタルがこちらを振り返る。
正直この部品達がどうやって棚になるのかいまいち分かっていないラーマは曖昧に微笑むが、アクタルに「さては兄貴、この部品がどうやって棚になるか想像できてないな?」と言われ不敵に笑われてしまった。
部品を家の中に入れ、アクタルの指示に従い今回はラーマ主体で組み立てを行った。
指示通りに組み合わせるとみるみる内に棚になっていくのが楽しいし、上手く出来ると「兄貴上手だな!」とアクタルが声を掛けてくれるのがまた嬉しい。
数時間もかからない内に棚は完成した。
後は予定の場所に置くだけとなり、アヌシュカを呼ぶ。アヌシュカは棚を見るなり大喜びで二人の手を握った。
「いままで使っていたやつより立派な棚だわ!本当にありがとう!」
目に涙を溜めながら手を握るアヌシュカを見てラーマは微笑んだ。
「棚はどこに置きますか?」
「そうね、元あった場所に置いてもらえると助かるわ。」
「あそこだな!」
台所の近くを指さしてアクタルが声を上げる。アヌシュカが頷くのを見て二人は棚を移動させた。
棚に皿や先程調達してきた調味料の壷などを乗せるのを手伝い、アヌシュカの家を出ようと足をドアに向ける。
「ちょっと待って!これ、お礼にはならないと思うけど、二人で食べて。」
出て行こうとするのを呼び止められ振り向くと、アヌシュカに袋を渡された。中には美味しそうなジャレビがいくつか入っており、アクタルの目が輝く。
「いいのか!?」
「今日は本当にありがとう。これくらいしかお礼できないけど、受け取って!」
「ありがとうございます。」
袋を受け取り家をあとにする。少し歩いた所でアクタルの腹がくぅとなりラーマは吹き出した。
「ジャレビ食べても良いか?」
「いいとも。」
二人で袋の中のジャレビをつまみ口に運ぶ。重厚な甘さが口に広がり、今日の疲れを癒してくれた。
さてどうしようか。もう日も暮れそうな時間だ。ここからどこかに行っても何かできる時間ではなく、ラーマはふむと思案する。
すると、そっとアクタルが手を繋いできた。空を見て考えていたラーマはアクタルの方に振り向き「どうした?」と声を掛ける。
「このまま兄貴の家に行って良いか?」
「いいが、食材がなにもなくてな。」
「じゃあ予定通り市場に行って食材買って兄貴の家でたべよう!」
兄貴の飯はインド一だからなー、なんて言いながらキュッと握ってくるアクタルの手を握り返し二人で市場までの道を歩く。
さて今日の夕食は何を作ろうか?
あれも良いなこれも良いなと話しながら二人で笑い合う。夕焼けが繋がった二人の影を静かに見下ろしていた。
事件ファイル2
「神の魚を追え」
茹だるような暑さの午後、少しでも避暑を楽しもうとアクタルとラーマはヤムナー川に来ていた。
午後の日差しを受けて水面はキラキラと光り輝いている。流れる水の音が心地よく、吹く風も心なしか涼しく感じた。
誘われるように水の中に身体を浸け、アクタルはふわーと声を上げた。衣服が濡れてしまうがどうせ汗で濡れているしいいだろう。ぱちゃぱちゃと顔や頭に水をかけ涼を全身で感じながら振り返る。
「今日は暑いから、水の中位が丁度いいな。」
「本当だな。」
背後から着いて来ていたラーマの声に心が弾む。お互い少しの間動かずに身体をすり抜ける川の流れを楽しんだ。
(来て良かったなぁ。川も冷えてて気持ちいいし。何より兄貴と川で遊べるの嬉しいな。)
最近ラーマは忙しいのか家にいない事が多い。仕事だし仕方ないと思っているが、アクタルは少し寂しく感じてしまっていた。久しぶりに会ったラーマはなんだかとても疲れているようだったし、せめて少しでも涼しくなれればとアクタルは川遊びを提案してみた。疲れているからきっと断られると思ったが、食い気味に了承され頬が緩んだのを覚えている。
二人はしばらく熱った身体を冷やしていたが、ふとアクタルがラーマに競争しようと言い出した。
「大きい魚を獲れた方が勝ちだからな!」
「あぁ、勝負だ。」
そう言うと、一斉に潜り魚探しのスタートである。
アクタルはまず魚が潜みやすそうな穴や水草の近くを念入りに探した。そっと水面をかき分けるが、小魚ばかりで大きな魚は見当たらない。
コポポと口の中から空気が漏れる。息をする為に水面に顔を出そうと振り向くと、五十センチ程の魚がすぅっと目の前を通り過ぎた。
(あいつにしよう)
アクタルは息継ぎをやめ、静かにその魚の後をつけて慎重に捕まえる機会を待った。
魚はアクタルに気付かずゆうゆうと前方に泳いでいく。
(もうちょっと、もうちょっと。)
気配を消して着いていく。
不意に魚が動きを止めてゆらゆらと揺らめきだしたのを合図にアクタルは一気に魚に近付きその身体を巻き込んだ。
ざばっと音を立てて水面に顔を出し、魚を頭上に持ち上げる。我慢していた分大きく息を吸い辺りを見回していると、少し先の方で同じくざばりと水中から顔を出したラーマを見つけた。
ラーマはまだ水中から魚を出してはいない。
「アクタル!大きいのが獲れたな!」
「兄貴のも見せてくれ!」
ざばざばと頭上に魚を持ち上げながら、ラーマに近づくと、ラーマは「私のは君のより大きくなさそうだな。」と笑顔で捕獲した魚を見せた。
「俺の勝ちだな!」
「そのようだ。」
大きさを比べて二人は微笑み合う。
魚を戻そうと水中を覗き込んだ時に、アクタルはとても大きな魚を見た気がした。
身体は十分に冷えたので岸辺で一休みしていると、知らない男が話しかけて来た。
「あんた達、泳ぎが上手だねぇ。」
男はニコニコとこちらを見ている。
アクタルは褒められたのが嬉しいのかニコニコと笑顔で礼を返したが、ラーマは不審そうな顔で男を見ていた。
男の名前はゴビンダと言う。
ゴビンダと話をしていると、どうやら彼は「神の魚」なるものを探していることがわかった。仕事場の人間に神の魚に祈ると願いが叶うと聞いて、離れて暮らす家族の為に祈りを捧げたいらしい。
神の魚の話など二人は聞いた事がなかったので、さらに詳しく話を聞くとどうやらゴールデンマハシールの大きめの個体を神の魚と呼んでいるようだった。
ゴールデンマハシールは鯉の仲間で大きいものは二メートルを越えると言う。
そんな大きな魚がこのヤムナー川にいるとは思えなかったが、ふとアクタルは先程とても大きな魚を見たのを思い出した。
「俺、そいつ見たかも。おじさんの求めてるやつかはわかんねーけど。」
「きっとそいつだ!」
「よし、アクタル案内してくれ。」
アクタルがあの辺だと指さす方向に向かい、二人はざぶりと水中に消えていった。
一時間ほど捜索したが、目当てのゴールデンマハシールを見つける事はできなかった。
身体が冷えて来ている。
アクタルは水面に顔を出し、くちゅんとくしゃみをした。すると後ろから腕が伸びて来てあっという間に捕まってしまった。突然の事で驚くがどうやらラーマも寒さに負けてアクタルで暖を取ろうとしているようだ。
「流石に身体が冷えて来たな、一旦上がって立て直すか。」
「そうだな、兄貴冷たくなっちまってる。」
「君もな。」
二人は岸に上がり太陽を浴びて暖をとる事にした。
太陽の暖かさを全身に受け、身体の疲労も相まってついうとうとと夢の中に足を突っ込んでしまいそうになる。そうして岸辺で大の字になって太陽の暖かさに感謝していると、ゴビンダが近付いて来た。
「あんた達大丈夫かい?」
「あぁ、ちょっと身体が冷えちまったから少し休憩してるところだ。」
「俺の為にすまんな。」
「いいさ、私達も良い運動になる。」
心底申し訳なさそうなゴビンダに向かってニコニコと屈託なく笑うとアクタルはさて、と呟いた。
「日が暮れたら見つけられねーから、もう一踏ん張り頑張るか!」
「そうだな。」
「無理はしないでくれな!」
二人はゴビンダに笑顔で手を振り巨大ゴールデンマハシールの捜索の為、再び川へ向かって行った。
ざぶりと水中に身を沈め、魚が入りそうな穴などを注意深く探すが目当ての魚は見つからない。
二手にわかれて先程アクタルが見たと言った付近を捜索しても魚はどこに行ったのか姿を表す事はなかった。
夕暮れ時になり捜索は無理かと半ば諦めかけていたアクタルだったが、ラーマに肩を叩かれそちらに顔を向けると自分が見たものより一回り程小さいゴールデンマハシールがいた。
ーあれで手を打とう
身振り手振りでそう伝えてくるラーマに、アクタルは小さく頷き慎重に魚との距離を詰めていった。
体長は一メートル程あるだろうか。
薄暗くなって来た川の中じりじりと距離を詰め、一気に襲いかかった。
少し間を詰めるのが甘かったのか、魚はアクタルの腕をすり抜け急速に前方へ逃げていく。
ー失敗した!
急いで追うが魚の速さに比べたら人間の泳ぎは劣っておりどんどん距離を離されてしまう。
もうダメかとアクタルが諦めかけた時、一緒に距離を詰めていたと思っていたラーマが魚の前方に立ち塞がっているのが見えた。
ラーマは素早い動きで魚を捕え、水面に顔を出す。
抱き込んだ魚は力一杯抵抗しているが、遅れてラーマの元に到着したアクタルにラーマの身体ごと抱き込まれてずるずると岸へ引き摺りあげられた。
ビチビチと跳ねるゴールデンマハシールとその両側に二人は寝転び、はあはあと荒い息を整える。
「デカいな、兄貴。」
「あぁ、こいつはデカい。」
自分の見た魚ではないが、これはこれで大きいゴールデンマハシールにラーマの方に視線を向けて微笑む。
達成感が二人の疲れを心地よく癒していった。
「大丈夫か!お二人さん!」
岸に上がるラーマとアクタルを見ていたのだろう、ゴビンダが小走りに駆け寄って来た。
「俺の見たやつよりちょっと小さいけど、こいつも結構デカいから神の魚ってやつかもしれねーな。」
「十分だ!あんた達ならやってくれると思ってたよ。」
嬉しさに目に涙を溜めながら、ゴビンダは家族の息災を祈り始めた。その光景をラーマとアクタルは清々しい気持ちで見つめていた。
充分に祈りを終え、ゴールデンマハシールを川に帰すとゴビンダは笑顔で手を振りながら帰って行った。
二人はそれに手を振り返しながら
「疲れたな。」
「おぅ、それに少し寒い。」
と、呟いた。
少し暖をとってから帰ろうと言うラーマの提案に快諾し、アクタルは火をつけられそうな木材を探し始めた。
すぐに焚き火が出来る程の木材を見つけラーマの元に帰ると、ラーマは岸辺の小石で焚き火の土台を作っていた。
土台に木材を置き、火をつける。
パチパチと燃える炎で暖をとりながら二人は身を寄せた。
流石にこんな事になると思っていなかったので、アクタルのバイクにもラーマの馬にもガムチャ位しか積んでおらず二人はそれを羽織るが身体を温めるものは体温と目の前の炎しかなかった。
焚き火に手をかざしぶるりと身を震わせるアクタルにラーマが声をかける。
「アクタル、こちらへ。」
「うん?」
ラーマの前に座るように促され腰を下ろすと、すかさず両腕がアクタルをキュっと包み自分のガムチャの中に引き入れられた。
ラーマの体温を背中に感じアクタルはホッと安心したように息を吐く。
「冷たいな。」とラーマが耳元で呟き、さらに力を込めてアクタルを抱き寄せた。
「兄貴もすっかり冷えちまったな。」
「ああ、でも君は私より少し体温が高いからこうしていると一人で包まるより何倍もいい。」
二人は水面を見ながら他愛のない話をし始めた。
昨日のご飯は美味しかったとか、帰るまでに服乾くかなとか。話は尽きず、いつのまにか日はとっぷりと暮れていた。空を見上げると満点の星空に二人で感嘆する。
デリー郊外はまだ暗く星々がキラキラと輝いている。
(今日も良い一日だったな、また兄貴と来れると良いな。)
アクタルがそんな願いを頭に浮かべていると、水面が揺らいで先程捕獲したゴールデンマハシールより一回り大きな魚が飛び跳ねた。
「あ!あいつ!」
「これは大きいな。」
バシャンと水面に消えていく体長二メートル程の魚に二人は唖然とした。巨大で神々しくまさに「神の魚」と言うのに相応しいだろう。
流石にあの大きさじゃ見つけても捕まえられなかったなと笑い合い、飛沫がおさまり静かになった水面を眺める。
(あんなに探したのにあの体躯をどこに隠していたんだろう。)
アクタルはそんな事をラーマの腕の中で考えていた。
パチパチとなる焚き火の炎が二人の身体を温かくしていくが、もう少しこのままでいたいな、とアクタルはラーマの腕にそっと手を乗せ目を閉じた。
事件ファイル3
「市場でアクタルを探せ」
ラーマとアクタルは市場の屋台で少し遅い昼食を食べていた。
今日も太陽がさんさんと降り注いでいるが風が心地良いせいだろうか、いつものように湿気った暑さを感じない。
夕食の食材やら家に足りないものを買い込み、椅子に座って一息つく。
アクタルがおすすめしてくれたこの店はボリュームがある割に安く、メニューも豊富なのだそうだ。アクタルは昨日あった仕事場での話などを身振り手振りを交えて話しており、定番のミールスとチャイを頼んで待つ間も話は尽きることはなかった。
爽やかな辛みのアチャールとラッサム、ほっこりする味わいのサンバル、ココナッツの甘い香りが口に広がるポリヤル、メインのカレーとパパド。
どれも美味しく楽しい時間が過ぎていく。
昼食を完食し食後のチャイを楽しんでいるとアクタルが「少し待っててくれ。」と言って席を離れた。何か買い忘れがあったのかと考えて店の外でアクタルを待っていたが、待てど暮らせど帰ってこない。
流石に心配になったラーマはアクタルを探す事にした。一度立ち寄っている店やいつもなら立ち寄ることのない店、店と店の間の小道。
くまなく探したつもりだが、アクタルの姿を見つけることはできなかった。
(どこにいったんだ。)
職業が警察官という事もあり、捜索は得意としているつもりだったが、まさか見知っているアクタルが見つけられないなんて。ラーマは途方に暮れた。
本来なら今頃家に帰ってアクタルと買った食材を調理している時間だろう。
見つからない焦りは不安に変わりラーマの心に影を落とす。もしかしたら私をおいてもう家に帰ってしまったのかもしれない。いつもなら思い付かないような事がどんどんと頭に浮かんでくる。グルグルと嫌な思考を巡らせていると、気持ちが徐々に萎んでいくのがわかった。
(アクタルはそんな男じゃない。)
嫌な思考を振り払うように首を二、三度振り、少しずつ夕焼けに近づいていく中もう一度市場を確認しようと足を向けようとしたその時、くいっと服を引っ張られる感じがした。咄嗟にアクタルかと思い振り向くと小さな女の子が立っていた。目には涙を溜めている。
「お母さんいなくなっちゃったの。」
女の子はラーマの顔を見るなりそう言って泣き出した。ラーマはその場にしゃがみ込んで女の子と同じ目線になり、「君はお母さんとはぐれてしまったんだな。」と話しかけた。
女の子の名前はスミタと言う。
ラーマは自分も友達を探していると話し、お母さんを一緒に探そうと励ました。
スンスンと鼻を鳴らすスミタの手を取り来た道を案内してもらう。
途中二人でクルフィを食べ、スミタに事の経緯を聞いた。
スミタは母親と作った惣菜を売る屋台をやっているそうだ。今日は思いの外早く売り切れたので店を閉め、母と市場で買い物をしていたらしい。そしてスミタが色とりどりの腕輪に目を奪われている間に母親は消えてしまったのだという。
サフラン色のサリーを着てるというので、まずは他の店への聞き込み調査から始めてみることにした。
「すみません、この子の母親を探しているのですが。」
「あら、スミタじゃない!ザラならさっき来たけど、どこいったかしら?」
「お母さんいなくなっちゃったの。」
「あらあら、それでこの男前に探して貰ってるのね。」
花屋の女性はコロコロと楽しそうに笑いながらスミタの頭を撫でた。
「きっとこのお兄さんが見つけてくれるわ、大丈夫。」
「うん、ありがとう!」
スミタにマリーゴールドの花を何本か手渡し頑張ってねと励ましの言葉を女性はくれた。
スミタは母がここに来た事と花を貰った事で少し気持ちが上向きになったようで、ラーマの手を取り「行こう!」と笑う。
ラーマもつられて笑い二人はニコニコとしながら捜索を続けた。
何軒もの店でアクタルとザラを探したが見つからず、二人は途方に暮れていた。
(アクタルが見つからないのは後回しにしても、この子の母親がいないのはどういう事なんだ?)
ラーマはコテンと首を傾げうーむと唸る。
スミタも少し不安そうにこちらを見ているし、どうにか見つけられないものか。
行き詰まった時は最初の地点に戻るのが最適解と考え、ラーマは親子の営んでいる屋台に足を向けた。
屋台の前に着くと、先程来た時はいなかった女がオロオロとしながら右往左往しているのが見えた。
あれはスミタの母親だろうか。
「アンマ!」
「スミタ!」
ラーマが思案していると、女とスミタは同時に声を上げて走り出し、固く抱きしめ合った。
あの女性がザラか。
なるほど名前の通り花のように美しい。
抱き合っておいおいと泣く二人に声をかけるのも良くないと考え、その場を後にしようと踵を返した。
「あなた、ちょっと待って!」
ラーマの背中に向かってザラが叫ぶ。その声に従い振り向くと、駆け寄ってくる二人が見えた。
「おにいちゃんありがとう!」
「本当にありがとうございます!」
二人はラーマに謝辞を述べる。
ラーマはしゃがみ込んでスミタの頬の涙をぬぐってやり、
「お母さんに会えたんだから、もう泣かなくて良い。君はスミタ(常に笑顔)が似合っている。」
と、バチッと音が鳴るほどのウィンクをしてみせた。
その瞬間母娘の頬が色付いたのに気付かずラーマはアクタル探しを再開するために再び足を市場に進めた。
先程より注意深く辺りを見まわしアクタルを探す。市場の店主に聞き込みをしたり、買い物客に声を掛けたりもした。もしかしたら昼食をとった店に戻っているかもと足を運んだが、アクタルは戻って来てはいなかった。
やはり、帰ってしまったのか。
諦めきれない自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、自分も帰ろうと市場の入り口を振り返る。
(あっ。)
居た。
先程何度も見たはずの場所にアクタルが居た。
手には何か大量に抱えていて、知らない老人と話している。
ラーマは安堵しアクタルに近付いて、「どこに行っていたんだ。」とわざと不機嫌顔を作った。
それを見てアクタルが心底申し訳ない顔をすると老人が「私の荷上げを手伝って貰っていたんだよ。」と笑顔で話す。
「おじいさんが困ってたからつい手伝っちまった。ごめん兄貴。」
「それは、良いことをしたな、アクタル。」
手に持っていた荷物を下ろしアクタルの頭を撫でてやる。丸い頭とふわふわとした巻き毛が手に心地よい。
しばらく撫でていると、アクタルが「そうだ。」と呟いた。
「これ、おじいさんに貰ったんだ!後で食べよう。」
袋いっぱいの果物に貰いすぎではないかと心配したが、老人は「今日余った分で申し訳ないが、貰ってくれると嬉しい。」と破顔した。
中にはマンゴー、小ぶりのスイカ、ライチ、サポジラなどが麻袋に一杯に詰まっている。
老人に礼を言い、再び荷物を持って二人は歩き出した。
「ところで、あの老人の手伝いをしていただけではないんだろう?他に何をしていた?」
「……そうだ!これ、兄貴に渡そうと思って。」
ゴソゴソとポケットを漁り、アクタルは何かを取り出した。それは夕日にきらりと光る美しい模様が施された腕輪だった。
「兄貴、手貸して。」
答えを待たずにアクタルは腕輪をラーマの腕にはめる。キラキラと輝く腕輪を呆然と眺めると「うん、ピッタリだな。」とアクタルは言い、ふわりと笑った。
「これは、君が?」
「うん、俺が兄貴に贈りたくて作った。」
えへへと照れ笑いを浮かべるアクタルがいつも以上に輝いて見えてラーマは目を閉じ天を仰いだ。
心臓が早鐘のように鳴っている。心なしか体温も上昇しているようで、顔に熱が集まってくるのがわかった。
突然訪れたこの気持ちはなんだろう?
よくわからないが、アクタルが愛しい。
ラーマは自分の感情に整理がつかないままアクタルをギュッと抱きしめた。
「どうした、兄貴?」と楽しそうなアクタルの声が耳の近くで聞こえる。背中に回された腕が温かい。
「ありがとう、アクタル。」
「そんなに喜んでくれたのか?」
スッと密着していた身体を離してアクタルが笑う。みてみてと言わんばかりに自分の腕を見せ、「俺のも兄貴とお揃いにした!」と嬉しそうに報告してくる。
(あぁ、アクタル、なんて愛しいんだ。)
もう一度キュッとアクタルを抱きしめラーマはこのときめきはなんなんだろう?と思っていた。