名前も知らないあなたへ あなたはきっと、私の事など覚えておられないと思います。
けれど私は忘れる事など決してありません。あの日の出来事が無ければ、私は今こうして生きてはいなかったでしょうから。
あなた方は、魔物に襲われていた私を危険も顧みずに助けて下さいましたね。
あの日私はたった一人で、危険を承知であの道を急いでおりました。どうしても行かなければならない理由があったためです。ただ必死でした。そこを運悪く、魔物達に囲まれてしまいました。
そこに偶然あなた方が通り掛かりました。
身につけているもので聖堂騎士様と神官様だと分かりました。魔物に立ち向かうあなた方を、私は何も出来ずに後ろからただ見ていました。あんなに恐ろしい相手とも臆する事なく戦うあなたはとても強くて。私を後ろに庇うように立ったあなたの背中から、ひとときも目を離す事が出来ずにおりました。
あっけなく魔物を倒してしまった後、あなた方は私のもとに駆け寄って、無事かどうか気に掛けて下さいましたね。怪我の治療までして頂いたのに、あの時は先を急いでいて碌なお礼も出来ずに申し訳ありません。
流行り病に苦しむ母が一人で私の帰宅を待っていたのです。もし私が無事に薬を届ける事が出来なければ、母は一体どうなっていた事か。そんな恐ろしい事を今になっても時々考えます。
あなた方は、私だけでなく母の恩人でもあるのです。どれだけ感謝しても足りません。
せめてきちんとお礼を言いたくて、あの後聖火教に縁のある場所を訪ねてみたりもしました。けれどやはり、あなた方のどちらにも会う事は叶いませんでした。
どうする事も出来ないまま、ただ日々だけが過ぎてゆきました。
日常に戻った筈なのに、目を閉じるとあの日の事ばかりが思い出されました。
太陽の光を受けてきらきらと輝く、あなたの御髪の色。貴石のように深く優しい瞳の色。
今までと何も変わらない日々の中で、あなたを思わせるその色だけが輝きを増しました。それをどこかで見つける度になんだか嬉しくて、胸の内があたたかくて、まるで世界が彩られていくようでした。
いつしかあなたを思わせるその全てが私にとっての特別になりました。
この想いはきっと、恩人に抱くようないわゆる感謝の気持ちとは少しばかり違うのでしょう。
私は名前も知らないあなたに恋をしてしまったのだと思います。
今日、手紙を書きました。宛名の無い手紙です。
いつかまた何処かで会えたら、これを渡そうと思います。もしかしたらその日は来ないかもしれない。もう二度と会う事はないかもしれないけれど、それでもあなたにどうしても、感謝とこの気持ちをお伝えしたいのです。
◇◇◇
主の導き、だなんて思ってしまった私をどうかお許し下さい。今日偶然にもまた、あなた方にお会いすることが出来ました。
けれど、結局この手紙は渡しませんでした。
今ではそれで良かったとさえ思います。こんな手紙を渡してしまっては、読んだあなたをきっと困らせてしまうでしょうから。
お二人を見ていて分かった事があります。あなたにとっての特別はもう、あなたのお側にあるのだという事。彼と話している時のあなたはなんだかとても楽しそうで、自分勝手な話ですが、それを少しだけ羨ましく思ってしまいました。
けれど、私と同じ様にあなたの世界もまた、特別な人の色に彩られているのでしょう。あたたかさと喜びをくれる、そんな得難い存在があなたの中にも息づいているのだと分かって、同時にどこか嬉しくもあったのです。
あの時のお礼を伝えられた、それだけで充分でした。
あの時魔物と戦って、私の傷を癒してくれた優しいひと。
あなたの御髪の輝くような銀色も、優しい瞳の翠色も、すべてが私の特別です。
短い間でしたが、あなたは私の人生に彩りを与えてくれました。
ありがとう。
名前も知らない神官様へ