誰もいない事務所で不意打ちのように待ち伏せて、なるほどくんを待つ。帰ってきたなるほどくんは、あたしの姿を見つけるなり、無言であたしを睨みつけた。ごめん。約束を破ったのは、あたしだもんね。でも、やっぱり心配だったんだもん。なるほどくんは窓へ近づくと、壁に張り付いて姿を隠したまま、外の状況を確認した。いつの間にか降り始めていた雨が、窓を濡らしている。外の様子は、よく見えない。なるほどくんは、ぶら下がっていたブラインドの紐を引いて、急いで落とした。たぶん、尾行はいなかったはず。あたしもそれを確認してからこのビルへ入ったんだよ。
なるほどくんが、テーブルにあったペンを手に取り、メモ紙へ何かを書き始めた。
『この部屋には盗聴器が仕掛けられている可能性がある。このまま喋らないで、奥の仮眠室へ移動して』
なるほどくんの走り書きを見たあたしは、静かに頷いた。
仮眠室へ入ると、あたしは背後からなるほどくんに抱きしめられた。
「どうして来たんだよ……」
「ご、ごめん……。心配で、どうしても気になっちゃって、修行に集中できなくて……」
なるほどくんは黙ったまま、あたしを抱く腕に力を込めた。少し苦しいけれど、今はこの束縛が嬉しかった。
弁護士資格を剥奪されてから一ヶ月が経った。なるほどくんからは、監視がついているから会わないほうがいいって言われた。電話もしないほうがいいって。今は会わないことが、なるほどくんのためになる。頭ではそうしなきゃってわかっていたんだけど、どうしても一言だけ、直接伝えたかったんだよね。すべて独りで決めてしまった、なるほどくんに。
「なるほどくん。あたしはずっと、なるほどくんを信じているからね」
あたしがそう言うと、あたしを抱く腕は小刻みに震え出した。
誰にも言えない悩みだって、あるよね。辛くて泣きたくなるときも、あるよね。あたしは、あたしを抱くなるほどくんの腕に、手を重ねた。なるほどくんが、あたしを信じていつも助けてくれたように。今度は、あたしがなるほどくんを助ける番。大丈夫。なるほどくんなら、必ずやり遂げられる。
降り始めた雨は、まだ止みそうにない。あたしの髪もどんどんと濡れていく。いいよ。なるほどんくんがこうしていたいってい言うなら、あたしはしばらくこのままでいるから。
了