【So help me God!】ポメガバースパロディ 結局、輿に足は生えていないと言う事に尽きた。人間、地位が上がれば上がる程、誰かに担いでもらわないと、どこへも行けなくなる。
トーニャが執務室へ顔を出した時、ハリーは文字通り身動き一つ取れず、おしっこだらけの絨毯でへたり込んでいた。膝の上に抱えた小型犬を手当しようとしていたらしい。ただでも不器用に包帯が巻かれた尻尾は、ぶんぶん振り回される事で邪魔な布を弾き飛ばしそうな勢いだった。
彼の膝に乗っている以外にも、ポメラニアンは3匹いた。横倒しになったゴミ箱へ頭を突っ込み、中身を全て掻き出した挙句、抜けられなくなってしまったのだろう。きゃんきゃんと悲壮な鳴き声を上げて助けを求めているのが1匹。今にも死にそうな訴えなどものともせず、ハリーがここのところ気に入ってよく身につけているヒューゴ・ボスの上着へくるまって眠っているのが1匹。このジャケットへ絡みつく凄まじい抜け毛はカーペット・クリーナーでも使えば取れるだろうが、スラックスの方は壊滅的だ。おねんねしている友達とハリーの間を行ったり来たりしている1匹は、市長の元へ来るたびスラックスの裾を噛んで力任せに引っ張り、遊んでくれと誘っている。
「なんてキュートなの」
帰省する度、飛び跳ねるようにして玄関まで迎えに来てくれる実家のマルチーズ2匹を、いたずらっ子達に重ねるのは余りに容易だ。思わず呟いたトーニャへ、ハリーはじろりと光のない上目を突き刺した。
「キュートじゃない、かっこいいって言うのが無理なら、せめて同情してくれ」
「貴方じゃない。このかわいこちゃん達のこと」
ハリーから半べそで電話が掛かってきた時には何事かと思った。要領良く振り撒く愛嬌を隠れ蓑に、本気の弱音は滅多に吐かない男だと思っていたから。
そして弱みを見せない上司に仕える部下達は、必然的に攻撃的な性質を持つものが集まる。だが人間、24時間365日、常に牙を剥いている訳には行かない。いや、変幻してもなお、猛烈に頭を振ってズボンを咬み裂こうとしている子もいるが──それともこれは、犬としての習性なのだろうか?
「で……今膝の上に乗せてるのは誰?」
「モーだよ、多分彼だと思う……ずっと僕の足元をウロウロしてるものだから、椅子のキャスターで尻尾を轢いたみたいなんだ。一度殺されそうな悲鳴を上げて以来、さっきからずっとクンクン鳴いてる、骨折してるかも知れない」
「それだけご機嫌な顔してるし、大丈夫じゃないの」
呑気そうに舌を出し、笑顔じみた表情でハリーを見上げる小型犬は、未だ千切れる程尻尾を振り続けている。すぐさま鳴き声のトーンが一層甲高くなり振り返れば、ゴミ箱にいる子がとうとうバランスを崩したらしい。ころころ転がっていく丸いプラスチックの筒からトーニャに引っ張り出されても、比較的小柄なそのポメラニアンは、咥えたジャーキーを決して離そうとしなかった。
「ヴェラ、この食いしん坊め……頼むよゴーディ、服を駄目にするのはやめて、エルと一緒にお昼寝してくれ。お利口にしないと、またスマートフォンの充電器へ噛み付いて感電しても、助けてやらないからな」
まるで取り巻き達が、今も人間の姿であるような口調で、ハリーは懇願する。そう、イーリングの市政を司る市長、ハリー・ハーロウが今のこの地位まで上り詰めたのは、単に優れた部下達の助けを借りることが出来たからだ。
己のスタッフが能力不足だなんて露ほども思わない。けれどトーニャは、今でも時々考えてしまうことがある。己がせめて男だったら。或いはチャイナタウン生まれで黄色い肌をしていなかったら。ブルックス議員は同性愛者の元弁護士ではなく、己を市長選へと送り出したのだろうかと。
「あのやり手達が、4人まとめてこんな事になるなんて、どんなこき使い方したのよ」
「僕は頼んでいない。彼らが勝手に残業して働くんだ」
まるで自らが被害者であるようなこの言い草、何とも癇に障るではないか。自らがどれだけ恵まれているか全く分かっていないなんて。どれだけ愛されているか、こんなにも無頓着だなんて。
「そんな事言うなら、私に頂戴」
すうすうと寝息を立てているのと、やんちゃなの、2匹をまとめて抱き上げる。
「この2匹、エリオットとゴードンでしょ。私がルイに後押しされてたら、今頃彼らは私の部下だった筈よね」
「駄目だ!」
寝た子を起こす程の剣幕で(実際、エリオットはぴくりと身を跳ねさせ、つぶらな寝ぼけ眼できょときょと辺りを見回していた)そう叫ばれようと、驚きは感じない。ただトーニャは、柔らかな哀しみに全身が浸されるのを感じていた。
新しい街を作ろう、この小さな世界を素晴らしいものに変えよう。そう胸を膨らませながら語り合った友人が、一皮剥けばこの有様。今やハリーの野心は留まることを知らない。欲望は底無しに深まるばかりで、何一つ手放すつもりなど無いようだった。
もしもそれが2人の道を違えたとしたら、自らは一生涯この街の議員として、生まれた場所へ尽くすだけの人生で構わない。大きな世界へ漕ぎ出して、何もかもをひっくり返し手玉に取る者が傑物だと言うのならば、そんな称号、己には全く必要がないのだ。
「駄目だトーニャ、彼らは僕のものなんだ……」
「分かってる、ハリー」
この兄のような存在の男が、いつまでも愛すべき人物である事には変わりはない。ただ、今やトーニャは、彼を正しく認めつつあるだけの話だった。
差し出された2匹と、構って欲しくてうろちょろしている2匹を、ハリーはまるで捧げられた美しい花束のように抱きしめる。香りを嗅ぐよう、ふかふかした毛並みに鼻を埋めざま、溜息は大仰に吐き出された。
「ずるい、私も吸いたい」
「駄目。君だってアパートでジャーマン・シェパード飼ってるじゃないか。浮気したら怒られるぞ」
がぶがぶとヴェラスコに腕を甘噛みされ、シャツの袖口を涎まみれにされることを、遂にハリーは受け入れた。頭を撫でてやりながら、至福の顔付きで首を振る。普段は猫派を自認している人間も、この毛玉達の誘惑にはとても対抗出来る訳がない。
「大体、元へ戻った時君にハグされてたら、彼らはその場で舌を噛み切りかねないよ」