【スリーピング・デューティ】塩対応よりはペッパーポッツ 明らかに何かおかしいと思っているのだろう。マルボロの家へ行くと行った時、母は2回に1回の「何しに行くの」と尋ねる。もう21を超えた息子に言う言葉ではない。が、疎みつつもリグレーは母を尊敬していたし、こんな狭い田舎町、下手な嘘はすぐに露見する。だから大抵は正確に答える。「野球カードを見せて貰いに行くんだよ、何せ彼のは凄いコレクションだからね」「来週の競馬の勝ち馬を予想するんだ、下手なマネートレードより難しいよ」
嘘はついていない。ただ、その建前は等閑にしかこなされず、大抵の場合ビールを一本飲んだらベッドへ雪崩れ込む。
今夜のように、警察署から呼び出しがあった時はいっそ気楽だった。昔はサイレンを鳴らしていたそうだが、何度も襲われる内に人は学習した。アレは大きな音へ過剰反応するので、刺激しないよう個別受信機、最近はスマートフォンに通知が入る。
スピーカーから聞こえてくる恋人の声に、いそいそと支度を整える息子に夜食用のサンドウィッチが入ったランチボックスを渡しながら、母はさも心配そうに息子の顔を見上げる。
「大丈夫だって。警察署までは車で10分も掛からないんだから。母さんと父さんこそちゃんと戸締りして地下室へ……ウェンディは?」
「友達のうちかしら」
「後でテキスト送っとくよ……」
何せ妹は17歳、遊びたい盛りだ。夜にほっつき歩いて、友達とたむろしたい気持ちも分かる。けれどアレはそんな事情、全く加味してくれない。リグレーの同級生でも、度胸試しを気取ってバドの6パック片手に森へ踏み入り、左腕しか戻って来なかった青年がいる(奴は右利きだったので、ビールも奪われてしまったという事だ)
ショットガンを手にした父へ促され、キッチンの床下から地下室への階段へ向かう時も、母は繰り返し繰り返し息子の方を仰ぎ見続けた。
愛されているほど失望は大きくなる。大事な跡取り息子が男と寝ていると知った母の行動は、勘当で済めば儲け物、うっかりすればショック死してしまうかも知れない。
コンビーフ・サンドを齧りながら署の休憩室でそう話せば、マルボロはあの少し「その暁にはおじさんがお前の父親になってやろう」とふざけた事を宣う。
「母が死ぬって言ってるんです、父親2人もいりません」
「これがほんとのシュガー・ダディ……」
「お金くれるんですか? まあ、親父は……家族の名誉を守る為とか言ってる、ショットガンで頭を吹き飛ばそうとするかも」
「そこまでとなれば、後は駆け落ち位しかないな」
もしかしたら自分が殺すかも知れない義理の母親が作ったサンドイッチを鷲掴み、ガブリと一口頬張る。「美味いな、タマネギが多い」と至って呑気な顔なのは、口にした大それた言葉が彼の中で全く現実味を帯びていないからだ。
「置いてけないでしょ、お袋さん」
「一緒に連れて行って、施設へ放り込むさ」
州立大学を出て、地下鉄が走っているような街で働く事だって出来たはずなのに、何故こんな寂れた故郷へ戻ってきたか。話す機会があるたび、マルボロは供述を変える。哀しかったり惨めだったりするそれは全てが真実なのだろうと、リグレーは思っていた。
理由の中でも頻発する「脳梗塞で左半身に麻痺の出た母を介護する為」は特に説得力がある。休日に、まるで玉座へ鎮座在しましているかの如く車椅子の中でふんぞり返る老婆を連れ、スーパーマーケットを歩いているマルボロの姿は、町でお馴染みの光景と化していた。
「そんな事したら駄目ですよ。お袋さんが可哀想だと思わないんですか」
「坊や、世の摂理についてのレッスンその1だ。まともな大人なら、40も超えてりゃとっくに親離れってもんをしてるんだよ」
まるでリグレーが自立出来ていないような物言い。素直に唇を尖らせれば、マルボロはにやりと左側の口角を吊り上げた。
「お前はまだまだだよ。おじさんにベッタリだもんな」
「ベッタリされるのが嬉しい癖に」
口で肯定する事をせず、ペプシを冷蔵庫へ取りに行こうとしたリグレーの腰を抱き寄せる。そのまますとんと膝の上へ腰掛けた若い恋人の頬を撫で、見上げてくる顔は、打って変わって柔らかい。
「少なくとも、ここにお袋はいない」
「マーの家でレコード聞いたね、確かクイーンだった。ママを縛り上げろ、パパを締め出せ、弟はレンガを抱いて泳がせとけ」
出鱈目な鼻歌をすれば「そりゃボヘミアン・ラプソディだな」と訂正される。このスロッピング・ヒュービーで堂々とクイーンを聴いていた男にリグレーが会ったのは、マルボロが初めてだった。ちょっと変わり者なのだ。プリンスは好きなのにブルーノ・マーズは言う程だとか抜かすし。
彼のそんな、明らかに人と違って平然としているところが大好きで仕方なかった。気障ったらしい所が鼻につく事はあるけれど、あばたもえくぼとはよく言ったものだ。
そのままご機嫌に顎を持ち上げてくる男の頬を両手で包み、屈み込むようにして口付けようとしたタイミングだった。埃っぽいブラインド越しに差し込むヘッドライトは、お互いの口から漂うお揃いのタマネギ臭へ陶酔させてくれない。
ドミノ署長が部屋へ入ってきた時、既にリグレーは先程腰掛けていた席へ戻っていた。まだ興奮で赤らんだ頬を、幸い署長は熱いコーヒーのせいだと勘違いしてくれたらしい。自らもサーバーから注ぎ、「今夜はこのまま、無事に済めば良いんだが」と首を振った。
「ワージントンの家のドアへ盛大な引っ掻き傷があったが、侵入はされてない、電話で確認したが、相変わらず口の減らない爺さんだよ……あの被害の事は明日伝えるべきだな」
「幾ら吝嗇のワージントンでも、こればかりは文句を言ったりなんかしませんよ。命あっての物だねなんですから」
頷くリグレーと違い、マルボロの目は一見無害そうに見えて、酷く抜け目ない上目遣いを分厚い背中へ突き刺した。この町の老人の大抵と同じく、口の減らない爺さんであるドミノ署長は、スロッピング・ヒュービー初の黒人署長だった。シドニー・ポワティエのように知的で、デンゼル・ワシントンのように強く、サミュエル・L・ジャクソンの3分の1位の頻度でマザーファッカーと言う。
彼は部下たちの関係を知らないか、或いは口を噤んでいるだけか。とにかく何も言わないので、2人は取り敢えず隠しておく事にしている。けれどリグレーは、行儀悪く投げ出されたマルボロの脛に革靴の脛を意味ありげに擦り付ける。いい所で止めさせられた腹いせだ。案の定、マルボロは煙草にライターで火をつけながら、剣呑な上目で睨みを利かせる。
「マー、リグ、報告は?」
「ありません、サー。今夜も町は寝静まってます、アレ以外はね」
怒った顔をしている割に、深々と紫煙を吐き出す息の音はやたらと満足そうなのだ。
「マテルのところの婆さんにも見習って欲しいものですね。彼女、一度孫の子ども用の自転車を漕いで20マイル以上逃げやがった。どんだけ足腰が達者なんだ」
「あそこまで行くと徘徊っていうか、本当にボケてるか怪しくなるね」
「彼女はオーリアリーに住む息子のルーカスへ会いたかっただけさ。そう言うリグは、ウェンディと連絡がついたのか」
「あ、忘れてた」
慌ててスマートフォンを取り出せば、噂をすれば影とはこの事。やんちゃ仲間であるマテルの家の孫娘と遊んでいたらしい。『あたしがそんな間抜けなわけ無いでしょ、馬鹿』とポップアップしたテキストの語調は荒いが、所在地まで馬鹿正直に報告してくる辺りがまだまだ素直だった。
「時々心配になりますよ」
「まあ、こんな町で大それた事も起こらんさ」
漂う煙の中、意味深な流し目で一瞥をくれながら、マルボロは呟いた。
「素直な所はお前にそっくりじゃないか」
署長はもう会話に飽き、サンドイッチを2つ掴むと、自分のデスクへ戻ってぱくつき始めていた。