【スリーピング・デューティ】ここはヒルビリーのビバリー・ヒルズ「これは焼きもちを妬いてるんじゃ無いんですが」
そう前置きし、リグレーは懐中電灯のスイッチをカチリと押す。濡れたような黒髪と、ハッとするような青色の瞳が人目を惹く青年は、自分の強みを嫌と言うほど理解していた。だからいつも制服のズボンはワンサイズ小さめ、こうしてしゃがみ込めば、ぱつぱつになったカーキ色のスラックスが破裂しそうになっている。
「ただ、気になったんです。昨日の晩、あんなに熱心に話し込んでたので」
「話だって?」
「しらばっくれたって無駄ですよ。ブロンドで、アイシャドウをコッテリつけたヤク中丸出しの女」
ああ、と頷く代わりに、マルボロは咥えていた紙巻煙草を指でつまみ、前歯についた刻み葉を舌先でちっと跳ね飛ばした。その仕草に何を想起したのだろうか。リグレーの耳と言えばトマトスープよりも真っ赤だった。本人も状況を分かっているのだろう。殊更真面目腐った表情を浮かべて顔を背けると身を屈め現場検証に戻る。
正解を言うならば、彼女は中学生まで同じ学校に通っていた幼馴染だ。高校へ入るタイミングでこのスロッピング・ヒュービーから引っ越して行った。幾ら町の人間全員が顔見知りと言って良いこんなど田舎でも、20歳近く年下のリグレーが覚えている訳などない。下手したら生まれていないかも知れない。
皆が憧れたおさげ髪の美少女も、大人になれば凡人に。数ヶ月前イーリング・シティから故郷に戻ってきたと言うことは、絶対碌でもない理由なのだろう。無一文だと言っていたのでクリスタル・メスにハマる可能性は低いだろうが、安いワインの中毒位にはなるかも知れない。
ありのままの事実と、おまけに見解までつけ加えて釈明したのに、リグレーはいつも通りの退屈そうな顔。桃色のガムを膨らましてはパチンと割り、舌と唇を器用に動かして手繰り寄せる。卑猥な仕草を3度程繰り返してから、つんと鼻先を持ち上げる。
「昔は好きだったんだ」
「そりゃあな、クラスのマドンナって奴さ。でも今は……おい、おじさんに何て事言わせるつもりだ」
「言わなきゃ許しません、巡査部長」
可愛い坊やは一度臍を曲げたらなかなか折れない。そうすることを許し、甘やかしたのは己なのだから仕方ないのだが。
地面に膝をついて一層車の下を覗き込んだり、破損して今にも外れそうなリアバンパーを確認したり。もう暫く、躍動的な尻をパイロット・サングラス越しに眺めてから、マルボロは林へ落ちそうなほど路肩ギリギリへ停めてあったパトロールカーへ歩み寄り、警察無線に向かって溜息をついた。「鑑識はまだか?」
すぐさま、かったるさを隠しもしない口調で、事務員のエルメスが「イライラしないで、あと30分位よ」と声を張り上げる。つまり、たった今町を出たばかりか、もう少しチンタラするのかも知れない。これでも僥倖だ、と言わねばならないのだ。
もう少し彼女はガーガー喚いていたが、最後まで聞かず、無線のスイッチを切る。後に残るのは、まだ楓の葉擦れの音と小鳥の囀りだけ。そして青年の隣へしゃがみ込み、体格の割には広い肩へ触れた途端、マルボロは心の中に、鮮やかな風が吹いたのを感じた。
「今は勿論、違う。おじさんが好きなのは、いっつもガムを噛み噛み唇を尖らせてる、焼きもち妬きの可愛い坊やだけさ」
「だから、焼きもちなんて……」
「可哀想に、昨日の夜は散々枕を濡らしたか? お詫びに今夜はうんと埋め合わせしてやるよ」
こちらを振り向いたのは、睨み付ける為だろう。だがすかさず、マルボロは赤くなった目尻を見下ろし、ふーっと顔一面に紫煙を吹き付けてやった。
不意打ちに思い切り咳き込むから、口の中のものを飲み込んではいけない。バンバンと背中を叩いてやったが、そこはこの頑固者の事。味などもうとっくにしないだろうに、何が何でもガムを吐き出す事はなかった。
「ちょ、マー、この馬鹿っ……」
「お前もいい加減観念して、煙草吸えば良いのに」
「嫌ですよ。臭いしコスパは悪いし」
「でも俺が吸ってるのは好きなんだろ?」
無言は肯定の証に他ならない。いや、彼は一人前の男だから、自分の意見をちゃんと口にする。
「ハグされた時、胸元から匂いがするのが好きなんです」
今度はマルボロが黙る番だった。署長を含め、警官が3人しかいない警察署だ。今夜は己が当直だが、構うものか。今日は酔っ払いもお目溢し、夜勤が始まるなり宿直室へ引き摺り込んで、一晩中抱きまくってやると固く心に誓う。
先輩がそんなことを考えているなど露とも想像できていない証に、リグレーはこほんと咳払いをして、懐中電灯でフロントバンパーを指し示す。
「何をせよ、これをどうにかしないと……引っ張り出した方が良いですかね」
「可哀想だが鑑識待ちだ。と言うか、俺達2人じゃどうにもならんだろ」
牽引車じゃなくて重機を呼ぶべきだったと今更後悔する。
実際、その男の死体は──プリウスをマルボロ、ホトケをリグレーに例えるならば、普段二人がベッドで繰り広げている事とさほど変わらない。白いセダンはうつ伏せの体へのし掛かり、ぺしゃんこに押し潰す。後頭部は右前輪へ、左足は左後輪へそれぞれ砕かれて、見るも無惨な有様だった。
「さて坊や、謎解きでもするか。こいつはどうやって死んだ」
もう暫くじっと観察し、リグレーは目を眇めた。
「タイヤへ巻き込まれた形跡はないですね。大体、こんな傾斜もない道で、自分の車に轢かれて死ぬ馬鹿はいない」
「死亡推定時刻は?」
「肉体の反応から、9時間前、夜中の3時頃」
「よし。まるで天から降ってきた車の下敷きになったみたいな有様だな。確かにこれも妙だが、一番おかしな事は何だ」
朝の澄んだ空気へ漂う紫煙を、マルボロより一回り小さな手が払い除ける。立ち所に、鉄錆の匂いが辺りを支配した。
「胴体を抉り取られてる事。歯形でしょう。傷口からして口の大きさは直径8インチ……恐らくガイシャが生きている間に噛まれてる。車に潰される前」
何でもないと殊更強調するかの如く、わざとガムをパチンとやって見せるものの、顰められた眉にはおぞましさが隠しようもない。
「……ヘラジカに車へ体当たりされたのかと思ったんですが、熊ですかね。或いはその両方」
「或いは、アレだな」
2人はほぼ同時に首を振った。季節は秋。地元の人間なら誰もが知っている事だが、アレは普通の存在ではない。だから普通の動物と違って、この時期になるとよく出没しそうになる。
「ドライブレコーダーを確認しなきゃ分からんが、もしそうなら今月に入って4回目か」
「去年より早いペースですね」
「気候変動だろう。全部ヒラリー・クリントンが悪い」
被害者もナンバープレートからして東部の人間、可哀想に、特にシーズン始まりは、外部の者が狙われやすいのだ。まだ連中が町へ足を踏み入れないから。
「何だか気持ち悪くてなってきた」
「そんなガムなんざ噛むからさ」
うんざりした表情で、リグレーは腰を上げた。路肩へ歩み寄り、すっかり色を失って柔らかくなったものを落ち葉の中へ吐き捨てる。
「煙草下さいよ」
吐くかと思って見守っていたが、寄越されたのは存外平静を保った声だった。マルボロも立ち上がり、指を焦がしそうな煙草をワークブーツの踵でにじり潰す。それから青年の隣に立った。
リグレーは最初から、煙草なんて貰えないことを知っていた(何せ一箱7ドル近くする高級嗜好品なのだ)すぐさまマルボロへ向き直り、唇へちょんと、触れるだけの口付けをする。
こんなもので足りると思っているからお子様なのだ。すぐさま尻を両手で鷲掴んで引き寄せ、思い切り貪ってやった舌は、酷く人工的でクラクラくるような甘さをしていた。