周防要にとって、特別営業課はこの上ない職場であった。忌まわしいΩの体質も、5課という環境下、そして自分の対人操作能力をもってすれば長所に変わる。この地下五階のホールでの業務もそうだ。血しぶきが激しく上がるギャンブル、そして敗者にほぼ確実といっていいほどの頻度で下されるショーのホストは、自身の嗜虐欲を満たした。
このホールでの催しは、ギャンブラーの質を問わずVIPに高い人気を誇るが、ホール全体に血なまぐささが残るのが欠点だった。清掃作業に入る時間で多めにもらえる貢献値という利点は相殺される。これさえなければ最高なのにな、とひとりごちていると業務連絡の入る端末が震えた。
「?」
それは予定されていた清掃終了時間の変更通知だった。特四に頼んだ発注業務が誤って行われた手違いで、汚れたカーペットの替えが来るのが遅れるらしい。
だから嫌なんだ、人が足りないからといって業務を他の課に回すのは…結局余計に時間がかかる、とため息をつく。そして誰もいないホールに舌打ちを響かせると、隅に追いやった椅子に座り、いつになく熱っぽい体を持て余した。この業務が終わり次第、との連絡が来ていた無堂邸に呼ばれている。周防は望みもないまま、一度も噛まれたことのない美しいうなじをむき出しにしていた。期待と諦観がない混ぜになり、知らぬ間に手が首筋に触れた。無堂の手。皺の寄った、皮膚の柔らかい手。己の固くマメのできた手とは違う体温の低い指が首を撫ぜる感触を思い出しながら目を閉じた。
その時、ギ、と静かな音を立てて正面扉が開いた。
「失礼します、この度は本当にすみませんでし……」
そう言って行員は、カーペットの山が積まれた台車を運びながら、肩で扉を押し開けた。
台車の向きを変え、息をついてこちらを向いた顔は、ゲ、という表情で固まった。周防は頬を一瞬ひきつらせた。
「御手洗暉……お前か」
「う……本当に悪かったと思ってるよ」
「無駄口をたたく暇があったら手を動かして早く終わらせろ。いいな」
不機嫌な顔を隠しもせず言い放つ周防に、御手洗は言葉を飲み込んで黙々とカーペットを敷きなおした。
後ろ歩きで慣れないカーペットを敷く肩が、すれ違った周防とぶつかった。
「あ…ごめん」
「いい。気をつけろ」
視線を御手洗に向けることもなく、早足に次のカーペットを敷く作業に移った。斜めに敷かれ、皺の寄った御手洗のカーペットに眉をしかめた。
「御手洗、カーペットが曲がってる。抑えておくからもう少し左に寄って引っ張……」
言葉の途中で、広がり始めたカーペットの赤が、視界の中でぐらりと揺れた。
「は……あっ、」
唐突に上がった体温と、襲った抗いがたい欲求に、周防はその場で膝を折った。
「ふ、ゔ」
シャツが肌に擦れる感覚すら、体中が敏感に拾い上げる。ぞくぞくとした快感に身悶えながら、回らない頭で必死に考えた。
「ゔ、うう」
なぜだ。発情の周期とは全く違う。考えられる理由は二つ。一つ目は周期の乱れ。しかし、周防は抑制剤と周期調整剤を常時服用している。これまでαの客を相手にする機会もあったが、このような失態を犯したことはなかった。起こりうる可能性は低い。ではもう一つの、可能性だとしたら。
「アンタ、大丈夫か?」
急にかけられた声に、集中できない思考が途切れた。周防は近寄ってきた御手洗を見あげて、大きく目を見張った。
もう一つは、無防備な状態でのαの接触。
なんで今まで気がつかなかった?アイツはαだ。
「待て、ち、かよるな」
周防は熱と敵意のこもったぎらぎらとした目で御手洗を見た。
御手洗暉は困惑していた。周防の言葉を耳に入れているにもかかわらず、誰かに近寄れ、と言われているような気がしていた。それは普段は脳内に常時渦巻いている数字と理性に押しつぶされている、自身の直感だった。
何が起こるか理解した周防は、顔いっぱいに恐怖の表情を浮かべた。
手が力なく御手洗の体を押した。
御手洗の歯が、白く磨かれたうなじにかぶりついた。