聖夜の星に願い事◆1◆ side:Lucifer
毎日のように部屋に彼女を招いては俺の愛情を身体に教え込む。このルーティンはなかなかに効果があったようで、近頃では彼女のほうからこちらに出向いてくれることも多くなった。
今日も一通り愛し終え、彼女の体温を確かめるように背中から抱きしめながら夢の狭間を揺蕩っていると、何が気になるのか俺の指を弄び始めた彼女。何をしているんだと聞くのも野暮な気がして、少し思案し、それから指を絡めて遊ぶ小さな手を握り返せば、彼女はくすくすと笑った。
「なんだ突然」
「ううん、別に。ちょっとタイミングを伺ってただけ」
「タイミング?」
「そ。あのねルシファー、何かほしいものとかある?」
あまりそういった質問は受けないので反応が遅れたためか、そんなに驚かなくても、とまた笑い声。それから続いて『もうすぐクリスマスでしょ?』と何のこともないネタバレがあった。
「ああ、そんな時期か。魔界とは縁がない行事だから忘れていたな」
「えっ! 魔界にはクリスマスがないの!?」
「そりゃあな。おまえもクリスマスが何を祝う行事かくらいは知ってるだろう?」
「……あっ! ……そっか、そうだよね、」
「そういうことだ」
クリスマスとは神の生誕祭。そんなものを魔界に生きるものたちが祝うものかと暗に告げる。
「でもね、人間界では文化が異なる国でも、全く行事内容を知らない人でも、クリスマスって響きで浮かれてるものなんだよ」
「人間とは興味深いな」
「何も考えていないだけかもしれないけどね」
「おまえは、信じるか?」
「ん?」
「神の存在を」
我ながらおかしなことを口にしたなとは思った。だが、出してしまった言葉を引っ込めることは呪文を吐いたところでできるわけもなし。一秒、二秒、と過ぎていく静寂の中で、彼女が何を考えているのかを窺う。
「そうだなぁ……私は、神は、いないと思う」
その後ぽつりと漏れた言葉に、なぜだか安堵を覚えたのは秘密だ。なんでもない風を装ってほう? と呟きを返す。
「それは、なぜだ?」
「うーん? 見たことないからかな。偶像崇拝って好きじゃなくて。宗教が悪いって言ってるわけじゃなくってね、私を未来に導けるのは私だけって思ってる」
「良い考えだな」
「へへ! あ、でも」
逆説の言葉が続いたので少しだけ身構えてしまったが、その言葉とともに俺の腕の中でくるりと反転すると、少し背伸びをして俺の首に腕を巻きつけ、胸のあたりから上にあがってきた。
「悪魔と天使は信じてるよ。ここに……触れられる場所に、いるから」
ね?、と、はにかみながら告げられるその一言が、俺をどれほど満足させるか、わかっているのかいないのか……確実に後者だろうが、彼女が可愛いことに違いはない。普段は絶対にしないくせに、ベッドの中だけでは素直に甘えてくるようになったのはいつからだったか。知らず緩む口元を隠すように口付けて、囁くのは快楽への誘い。
「なるほど、もう一度抱いてもいいと言うことだな?」
「えっ? そ、それは、その、」
「ハハッ、満更でもない様子だな?」
「……っ、私、悪魔のお誘いには人間は敵わないって聞いたことある」
「話が早くて助かる」
最も簡単に俺の唇を受け入れた彼女をベッドに縫いつけた時、ボーンと、低い音が嘆きの館に響いた。
時計の針がてっぺんまで進んだ、その知らせを受けてなお、俺たちの夜は終わらない。
そうだな、今年のクリスマスはおまえもいることだし、盛大に祝ってもいいかもしれない。遠い過去の自分の姿はもう思い出したくもないが、おまえが見たいと言うのなら俺は何にだってなる覚悟があるんだ。
◆2◆
「って言うわけで、みんなからも欲しいものを募りたいと思いまーす!」
「どんなわけだよ!」
食堂に集まった皆に対してメモ帳とペンを掲げて、開口一番に言った私にマモンが詰め寄って来たので、大きく書かれた『クリスマスのプレゼントリスト』という文字を見せる。
「おっ! 気が効くじゃねーか!」
「まーねー! 魔界ではクリスマスなんて行事はないかもしれないけど、ここに来てみんなにお世話になってるし、人間界の行事でお返しさせてもらってもバチは当たらないかなって」
「おおお〜! 苦しゅうないぞ!」
朝食の席が俄かに盛り上がるのが嬉しくて、私は近くにいたマモンとレヴィの腕を掴んで引
っ張った。
「んんっ!?」
「おっまえなぁ!」
「みんなにお返しできるように頑張るから早くおしえてっ」
「おい、朝から何をしているんだ? 席に着いてくれ、スープが溢れる」
「サタンっ! おはよう! ねぇ、サタンも教えて、ほしいもの!」
促されるままに席に座ると、美味しそうなスープが配膳された。うーん! サタンが作ってくれるこのスープは絶品なんだよね。今度どんなレシピ本を見てるのか聞いてみよう。
「で、欲しいものというと……クリスマスに向けての聞き取りか?」
「そうだよ!」
「人間界のマガジンは大体この時期、メリークリスマスとハッピーニューイヤーで溢れているからな」
「さすがサタン! よくご存知で!」
「俺様はもちろんお金ちゃんだな」
「僕は人間界で流行ってるゲーム!」
「俺は、そうだな、人間界でしか手に入らない小説なんかだと嬉しい」
「僕は新しいコスメがいいっ♡」
「俺は、もぐもぐ、食いもぐ物ならモグモグなんでももぐっいいごくんっ」
口々に発される言葉を、そんなに一気に言われても困るよと思いつつメモ帳に書き連ねていく。すると、一通り要望が出終わったタイミングでボソッと斜め上の意見が飛んできて、一瞬時が止まった。
「ぼくはあんたと二人きりでゴロゴロ寝る時間がほしい」
欠伸をしながら食堂に現れたのはベルフェで、その言葉に全員がぐりんっとそちらに顔を向けてすごい形相をした。
「あ!? そういうのもありなのかよ!」
「マモンが気づかなかっただけじゃん……ね。あんたはダメって一言も言ってないし、いいでしょ?」
「えーっ! じゃあ僕は年末年始オールでおまえとゲームする権利がほしいし!」
「おまっ!? ずりぃぞ!」
「それなら俺はクリスマスの夜を君と過ごす権利をもらおうかな」
「あっ抜け駆けはダメだよサタン! この子は僕とパーティーに繰り出すってもう決まってるんだから」
「えっそんな予定あったっけ!?」
こうなると阿鼻叫喚だ。みんな言いたい放題に私の予定の取り合いを始めて、私の意見はどこに!? と困ってしまう。しかしそれを一言で諌めるのが長男の威厳というものなのかもしれなかった。
「楽しそうなところ悪いが、食卓から朝食が消えている点について説明できる者は?」
「はえ?」
最後に食堂に入って来たルシファーは、朝に弱いとの言葉通り、不機嫌を隠さない様相で黒い笑みを浮かべている。テーブルの上を見ると、さっきまで暖かな湯気を漂わせていたスープがすっかりなくなっており、それから目にしたのは当たり前のようにほくほく顔のベールだった。
「まさか」
「ベール……」
「全部食べちゃったのぉ!?」
「うまかった……!」
「朝食の時間に誰一人テーブルに向かっていないとはどういうことだ? どうやらツリーのオーナメントになりたい奴が多いようだな」
「ひっ……!」
「誰から吊るしてやろうか? さぞかし目立つ飾りになってくれそうだな」
引き攣らせた唇でそんなことを言うのだけど、煌びやかなオーナメントの隣でゆらゆらゆれる皆を想像したらもうダメで、プフッと吹き出しす始末。睨まれるのも仕方なかった。
「おまえも一緒に吊るされたいのか?」
「め、滅相もない! 私、みんなの分のスープもう一回作ってくるね!?」
冗談のような本気のような言葉をサラッといなしてキッチンへダッシュする私は、今年のクリスマスは本当に騒がし……いや、楽しくなりそうだと心を躍らせたのだった。
◆3◆
「ふんふーんふふーん♪」
RADからの帰り道。授業が終わった私はご機嫌で商店街を歩いていた。
理由は簡単。殿下にクリスマスのことを話したら、三界のコミュニケーションを図るためにも、そういう行事はぜひ取り入れていきたいのでどんなことをするのか詳細に教えてほしい、と前向きな意見をもらえたからだ。
みんなでクリスマスイベントを楽しめたらそれ以上のことはないと気分は上向き。残るただ一つの心配を除いては。
「結局ルシファーのほしいものはわからなかったなぁ……」
肝心のルシファーの意見を聞けないようでは話にならないと自然と肩を落とした私は、それでもどうにかルシファーを喜ばせたくて頭を捻る。
「ルシファーへのプレゼントならやっぱりレコードかなぁ? でもなぁ……適当に買っても持ってるのと被りそうなんだよね……」
あのルシファーだから、何をあげても『おまえからもらうものならなんでも嬉しい』と、悪魔じゃなくて王子様みたいなこと言うのが目に見えているから困る。本当に喜んでほしいからこその悩みだ。
「こうなったら鉄板の、私がプレゼントだよ、しかないかな……。当日、部屋に乗り込んで!」
と、そう呟きつつ脳内再生されたのは、ついこの間書斎で行われた行為のこと。
あんな、誰が隣の部屋に来るかもわからない場所で二人睦あったのはどうにかなるほど恥ずかしかったけど、その反面、背徳というか興奮というかドキドキが止まらなくて何度も達しては求めてしまった。私の身体をルシファーの大きな手が這うたびに快感に襲われて……。
「ッアーーーー! だめ! だめだめそういうのはダメ! やっぱりなし! そういう行事じゃないんだからクリスマスは! もっとこう、ライトな感じでなんか! ね!?」
誰に脳内を覗かれたわけでもないのに、自分の妄想で真っ赤になりながら頭の上で手をバタバタ振ってそれを追い出した。
「……何してんだ……はぁ……」
そんなふうに騒いでいた私は、自分が進んでいる道がいつも通る帰り道と一本間違った道であることに気づいていなかった。いつもより人通りが少ないなぁ、静かだなぁ、なんてのんきなことを思いながら、てくてくてくてくと一人歩いてゆく。その声がかかったのはそんな中、突然のことだった。
「そこのあんた」
「んえ?」
きょろきょろと周りを見回しても、人っ子一人見当たらない。私? と自分を指さすと、声の主はニヤッと笑った。
「そう、あんたじゃ」
道の脇に座っていたのは老婆だった。小さな体躯を折り曲げてさらに小さくなりながら、路面に綺麗な布を敷いている。その上にはいくつかの蝋燭が置かれていた。
「影占いだよ。やっていきなよ」
「影占い? ……聞いたことない」
「当り前さ、この占いはあたしにしかできないんだからね。他のはぜぇーんぶニセモノだよ」
老婆はそう言いながら、一つ、二つ、三つ、四つ…と小さな蝋燭に火を灯してゆく。正直胡散臭いことこの上ない。けれど始まってしまった占いを無視するのも申し訳ない。あーあ、グリム要求されたりしないといいな、と心で涙しながらも老婆の前にしゃがみ込んだ。
「それ、どうやるんですか?」
「七つあるだろう、蝋燭が」
「うん」
「どの蝋燭が好きかね」
「どのって、」
長かったり短かったり太かったり細かったり。それから色も全て異なる七つの蝋燭を見つめていると、なんだか目眩がしてきた。
「ん……なんか、目が……おかし……」
「もう少しだよ……ああ見えてきた……あんたの顔を見つめる男の顔が七つ」
「え…………」
炎の向こうにあるのはおばあさんの顔のはずなのに、なぜか顔があるはずのそこは影ってその表情を捉えることができない。それどころか炎以外のものが全て暗闇に取り込まれようとしていた。
「ほぉら、炎を見つめておくれ……。七つの顔はみんなお前を見ているだろう? 黒髪の、こいつは……悪魔か? ……いや、天使か?」
「……っ、るし、ふぁ……?」
「なるほど、こいつがお前さんの大事な人かぇ……? 酷く顔が歪んでいるのぉ……お前さん、こいつに何かしたのか? この表情は……嫌悪、侮蔑、それとも」
「な、」
「なにか、思い当たることでも?」
暗闇の中で老婆の口がニタリと三日月をつくり、そのやけに白い歯と真っ赤な舌が浮かび上がる。
「わ、たし、そんな、」
「本当に? お前がそう思っているだけでは?」
「そこまでだ」
「!」
耳の奥に深く入り込んでくるような低い声が私を現実に引き戻す。それと同時に、視界を奪
っていた炎が消え去り、私の瞳は何かに覆われた。
「おやおや……せっかくいいところで……」
「失せろ。ここは貴様のような低級悪魔が存在できる場所ではない」
「フン……余計なお世話だよ……」
そう残して老婆の気配はふっと消えていった。
それを見届けると瞳を覆っていたもの、それは掌だったのだが、それが離れていく。
あたりには普段通りの景色が戻っていた。声の主は、ルシファーだった。嗅ぎ慣れた彼の香りがふわりと鼻孔を満たしたことで、私はまやかしから解き放たれたことを知ったけれど、先ほど見たものは、脳裏から消えることはない。
「大丈夫か」
「っ、ぁ、の」
「最近はこんなこともないから気を抜いていた。来るのが遅くなって悪かった……」
ふっと身体が軽くなったと思うと、その時にはもう私はルシファーの腕の中にいて、硬直していた身体から力が抜けた。
「帰ろう、嘆きの館に。疲れただろう。夕飯の時間までゆっくり眠るといい」
先ほどとはまるで違う、およそ悪魔が発するとは思えない優しい音色が私の鼓膜を震わす。
触れられる距離にルシファーがいて、その腕に抱きしめられているというのに、それでも私の中に巣食った不安が消えない。小刻みに震える身体を隠すかのようにぎゅぅっとルシファーの制服を掴んだ私を、ルシファーはどんな目で見ているのだろうか。
「……ゃ、」
「嫌? 帰るのがか? なぜ、」
「ルシファーの……ルシファーの部屋に、連れてって」
「なんだって?」
「今日は、一緒にいて……お願い」
吐き出された懇願に対して、はぁ、と短い溜め息が返ってきたので、びくりと肩が奮ってしまった。
「っ、ご、ごめ、私、」
「なぜ謝るんだ? 俺がおまえの願いを断るとでも?」
「、ぇ」
「だが、おまえの願いを叶えた場合、一つ心配がある」
「心配?」
「そうだ。そうすると、今夜、おまえは眠れなくなるが、わかっているんだろうな?」
そう言ってシニカルに笑ったルシファーは、私をギュッと抱えなおした。それはそれは大切そうに私の身体に手を回して抱き止める、そんなルシファーに対して、『私のこと、本当は嫌いなの?』なんて、私が口にできるはずもなく。ルシファーの首に縋り付いて『ルシファーがいてくれるなら、眠れなくても平気』と囁くことが精一杯だった。